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友人の娘と友達(専門学校の同級生) 世界には大きく分けて3民族が存在する、黒人、白人、そして東洋人だ。人類は誕生したのはアフリカと言われる、そこで笑い話が生まれた。 アフリはひどい旱魃で日照りの毎日がもう何ヶ月も続いていた、でもある日涼しい風が吹き雷鳴がとどろく渡った、突然猛烈なスコールが襲い暑さを吹き飛ばした。人々は先を争ってスコールに体を寄せた、手足と体を洗いさっぱりした人間は立ち去った。遅れて到着した人々がいた、すでにスコールは止み水溜りで手をピチャピチャさせて洗った、そしてうらめしげに天を見上げた。 最初に到着して体を洗ったのが白人で送れて到着して天を仰いだのが黒人である、東洋人はその中間で体を洗った、白人はアーリア人と呼ばれてアフリカからインドに渡りインドが起源である、別のグループはアジアに向かい広い範囲に分布した、その中のグループの一部がベーリング海峡を越えて南北アメリカに到達した。 インド起源のアーリア人は西に向かいヨーロッパに到着した、そして最終的に白人と呼ばれている。天を仰いで嘆息した黒人はそのままアフリカに留まった、彼らは激しい部族抗争に明け暮れた、それは現在までまだ続いている、白人と呼ばれた人たちは世界制覇を試みて世界中を植民地に変えた、つまりアフリカ起源の人類は黒人・白人・東洋人全部元々は兄弟なのだ。以上の話はブラジルの有名な冗談なのだが、「スコールで手をピチャピチャさせて洗ったのは黒人だった」というところは黒人は手のひらだけが白いのでなるほどと感心する。冗談でもここまでくれば真実と人が思うはずである。 別の話で友人の女性がブラジルにいる、彼女の話だと娘が私にひどく腹を立てていると言うなぜだ、その話によれば私が先週インターネットで娘と話した際に「恋人とセックスしているか」と聞いたことらしい。娘は友人の実子ではない、彼女は妊娠できない体でそれで19年前にある「陰売女」の子供を生後3日目に連れ出していた。「陰売女」は子供を見たくない抱きたくないと言ったそうである、父親は誰かも分からない、そういう子供は生まれが不幸である。友人は必死に育ててもう19歳になる、おませな子供で14歳でネットで男の子と「見せ比べ」をしてそれが友人にバレて大目玉を食らった経過があった。 現在19歳で恋人がいる、彼とセックスをしていると友人が言うのでそれで娘に聞いたのである。それが彼女をひどく怒らせたらしい。14歳の時に男の子がばれたのはネットの記録からである、二人の会話が全部記録されていた、年頃のおませで二人でウエブキャンで”あそこ”を見せ合ったのである、会話では男の子が「入れたい入れさせろ」と迫り彼女が「駄目よママに怒られるわ」と返事をしていた。 友人からそれを聞いたので私はすぐさま娘をネットに呼び出した、最初にガツンと効くパンチを食らわせた。 私「ウエブキャンでとんでもなしことをやったんだって?」 娘「・・・・・・・・」 私「親に隠れてそんなことをするとは駄目じゃないか、セックスのセの字も知らないくせに早すぎる!」 娘「分かった、反省している」 私「セックスとは親が成人したと認めてからやるもんだ、中学生ではいくらなんでも早すぎる」 娘「最初はそういうつもりはなかったの、話の雰囲気で見せ合いになったのよ」 私「で、男のアレは見たのか?」 娘「見た、でも気持ちわりい、男のアレっていいものじゃないわ」 私「いいものと思ったら君はいかれている、あんな醜い棒を”あそこ”に押し込まれて喜ぶ少女がいると思うかバカタレが」 娘とカレ |
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軍用手票 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 写真上から 太平洋戦争中、蘭領インドシナで日本軍が使用した10グルデン軍票(1942年) 太平洋戦争中、英領ビルマで日本軍が使用した1/2ルピー軍票(1942年) 太平洋戦争中、フィリピンで日本軍が使用した10ペソ軍票(1942年) 太平洋戦争中、マレー半島で日本軍が使用した100ドル軍票(1942年) 太平洋戦争中、南太平洋地域で日本軍が使用した1シリング軍票(1942年)軍用手票(ぐんようしゅひょう)とは、戦争時において占領地もしくは勢力下にて軍隊が現地からの物資調達及びその他の支払いのために発行される擬似紙幣である。政府紙幣の一種と解されることもある。略して「軍票(ぐんぴょう)」とも呼ばれていることが一般的である。正確には領収書であり、最終的には、その軍隊が所属する政府によって軍票所持者に対し債務支払いを行う必要があるが、敗戦国の場合、支払能力がないため反故にされる場合もある。また第二次世界大戦の敗戦国である日本の場合、かつて戦時国際法上、個人に対する戦争被害を敗戦国が補償する義務がなく、また連合国側が軍票の支払い義務を免除したため、後に国際問題になったことがある。 軍隊は食料などの物資を現地調達する。それは一方的な物資徴発、ともすれば略奪であった。しかし、そのようなやり方は外聞が悪く、徴発相手の反感を招く。そのため近代以降の戦争では各国軍隊が軍票によって物資を購入するという形をとるようになった。つまり軍票は徴発した物資にたいする領収書であった。 このように軍隊が所属する国家の通貨制度とは分離して軍票を使用する制度を用いるのは、自国の通貨を使用すると通貨供給量が激増し、結果的にはインフレーションで経済破綻する恐れがあるほか、敵国に自国通貨が渡ると工作資金になる危険性があるなど、戦略面からの要請があるためである。また領収書であるため、手持の貴金属による支払いに比べ、実際の経済力以上の物資の徴発が可能でもある。そのため軍が勝手に印刷して流通させることも出来る。 以上のように、軍票は通貨のような体裁と流通形態をしていて、商品券のような物と誤解される場合があるが、法律上の扱いは法定通貨でも有価証券でもなく領収書であり、最終的には相手国政府当局に提出して現金化する事が必要である。あくまで物資や労働力などを軍が受領し、軍に対して債権を持つことを証明する領収書に過ぎないものである。ただし、期間と場所を限定した場合、軍票が通貨の代わりに流通した例もある。 注記: 日本は東アジア地域で大量のこの軍票を流通させた、元々物資調達のためのものだから人々は最初から信用しておらず特に従軍慰安婦などは軍票を兵隊が持参すると「お前バカか」となじった。それ以来日本軍内では女は現金が常識となった、従軍慰安婦は軍票というものに国家による詐欺行為と欺瞞性を薄々知っていたことになる。 ところが業者である「女衒」は大量の軍票を使用していた、国が発行した軍票ならば安全という考えであった。しかし終戦と同時にこの軍票の価値はゼロとなった、連合国が日本に支払い義務を免除したからだ。女衒は激怒しまた中国人と朝鮮人も猛烈に腹を立てた、「国家による詐欺行為」に人々は驚いた、まやかしの通貨だったからだ。まぁ一番がっくりしたのは日本の植民地の住民たちだった、いずれ日本は現金に代えてくれると大量の軍票を抱え込んでいたからである。日本の国家犯罪とは戦争行為だけに留まらなかったのである。 戦後に東アジア地域から日本政府に軍票の現金化の要請が多数提出された、しかし政府は「日本は戦争で敗北しました、どうかご理解とご了承を」と述べて逃げた。裁判所も戦時犯罪については一切取り扱わないとこれも逃げている。日本人全部が逃げるのであれば日本の信用はがた落ちでその信用回復にどれだけ苦労したか現代人は知らない。
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