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拉致被害者家族会の増元照明事務局長(左端)らと握手する田母神俊雄前航空幕僚長(左から2人目)=28日夜、名古屋市 日本の「侵略戦争」を否定した論文を執筆して航空幕僚長を解任された田母神俊雄氏(60)が、全国の講演で引っ張りだこになっている。2月の講演回数は計24回にもおよび、3月1日には米ロサンゼルス在住の日本人に招かれ渡米する。一方、防衛省への配慮から講演を延期する団体も現れるなど、“田母神人気”は言論タブーの存在も照らし出しているようだ。 「『核兵器を持たない方が安全』と言うのは、日本の政治家だけ」「東京裁判は復讐(ふくしゅう)劇だ」「(植民地支配を謝罪した)村山談話を踏まえた幹部教育をしたら、自衛隊はつぶれる」 歯に衣着せぬ物言いに、会場から拍手が頻繁にわき起こる。建国記念の日の2月11日、東京都新宿区の日本青年館で行われた田母神氏の講演会には、定員300人の会場に、立ち見でも入り切れないほどの聴衆が詰めかけた。主催者によると、用意した700部のパンフレットはすべてなくなったという。 コラムニストの勝谷誠彦氏は、田母神人気について「日本の防衛に30年以上奉職してきた実体験の重みを聴衆は感じており、保守派の言論人の発言とは一線を画している」と話す。 2月の講演は半数が東京都内で行われ、ほかは秋田、新潟、千葉、神奈川、愛知、愛媛、広島と全国にわたる。4、19の両日には会場3カ所をはしごした。 3月1日のロス講演の主催者は「田母神氏を更迭した麻生首相らの決断は不可解で、報道を聞いても日本で行われていることの真実が見えてこない。米在住の日本人に、田母神氏の言わんとするところを直接聞いてもらいたい」と話す。 一方、防衛省のある外郭団体の幹部は「会員から田母神氏の話を聞きたいという声が多く、3月に講演を検討したが、諸般の事情で延期した」と述べ、防衛省への配慮をにじませる。別の関係者は「田母神講演に防衛省から難色を示され、『講師名を伝えなければよかったのに』という声も出た」と打ち明ける。 当の田母神氏は「日本が謝罪ばかりしていることに『何かおかしい』と感じていた多くの国民が、私の発言にストンと心に落ちるものがあるのでは」とみている。また、「日本には反日的な言論の自由はあるが、親日的な言論の自由はない」とも述べ、自身の更迭劇を通じて明るみに出た言論タブーを指摘している。 講演は5月まで月20回以上を予定。ただし、依頼主は、「私と意見が違う人や団体からは来ていない」(田母神氏)という。 ◆◇◆◇◆ ■田母神俊雄氏(たもがみ・としお) 福島県出身。防衛大卒業後の昭和46年、航空自衛隊に入隊した。統合幕僚学校長や航空総隊司令官を歴任し、平成19年に空自トップの航空幕僚長に就任した。 在職時の20年5月、現職自衛官として初めて東大で講演した。10月31日、アパグループ主催の懸賞論文に応募した「日本は侵略国家であったのか」が最優秀賞を受賞したが、政府見解と異なる歴史認識などが問題視され、即日更迭。11月、定年退職した。 産経ニュース 論点:
この男はとんでもない右翼思想の持ち主である、日本の戦争を反省の気持ちも無くただただ擁護する論文を発表してとんと恥じる気配すら見せない、戦争は世界から断罪された、日本の戦争は悪であったと東京裁判で明確に指摘された、この裁判は確かに茶番劇だったがそれでも日本は正しい戦争をしたとは一言も指摘されなかった。イギリスのチャーチル首相は「日本とドイツの戦争指導者は容赦なく吊るしてしまえ」と言い放っている。世界中を戦火にしておきながら日本人は恥じる気持ちすらない、異常としか思えないこの民族主義は戦後の教育が作り出した。 現在でも政府が「村山談義」を用いて体外的に低姿勢なのはなぜか考える必要がある。先の大戦で日本はアジア地域全部を巻き込んだ戦争をした、その戦時賠償金は天文学的な数字である。我々の税金がその戦時賠償に当てられ政府は土下座外交で頭を下げまくったことを忘れてはならない。戦時中の日本国民はどこか狂っていた、正常な神経ならばアジア全部を巻き込んだ戦争などするはずが無いではないか、田母神のようにあの戦争は正しかったとはとんでもない言い分で世界の笑い者である。 ヨーロッパでは言論界にタブーが存在する、「ナチスドイツを賞賛」することでこのタブーを破れば即逮捕される国が11も存在する。日本では右翼は野放しで東京裁判をやり直せと書いても平気である、これは日本が言論の分野で世界的に孤立している証拠で笑えない現実である。政府は戦後一貫して戦争の事実を国民に隠して発表すらしない、海外から事実を突きつけられてやっと腰を上げる情けなさで外圧がないと動かない。日本人自身が戦争をどう考えるかという宿題も放置されたままで人は反省する気分にはならない。 |
軍事
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もう64年前のことである、マンハッタン計画は完成し実験をする場所として日本が選ばれた。当時の日本はアメリカでは国とは考えられていなかった、「下等動物の国」それくらいしかアメリカ人には意識がなく投下決定には異論はなく極めてスムーズに承認されている。 戦前の日本は世界でどう認められていたかといえば欧米以外に国は存在せず欧米からはまるで「おでき」 みたいに扱われていて邪魔な存在でしかなかった。ヨーロッパでナチスドイツが猛烈な勢いで勢力を伸ばしてきて危機感が漂い始めた、その勢いに便乗したのが哀れな日本で日本もドイツみたいになりたいとは笑わせる、日本人は盲目である、現在でもそうだが海外のことはさっぱり理解できない。しかも国民自身が異常なファシズムに取り付かれて国の進路を誤ってしまった前科がある。 アメリカは移民で構成された国である、アングロサクソンが国を興しそこに大勢のユダヤ人がなだれこんだ歴史がある。ユダヤ人は極めて優秀で社会の各分野に進出していった、20世紀にはアメリカは兵器の分 野で世界に大きな足跡を残している、ヨーロッパで戦争が絶えないので、では効率よく人を殺す機関銃を 提供しましょうと自動式マシンガンを作り戦場に投入している。究極の兵器はなんといっても「核」兵器でそこでユダヤ人が大活躍している、アインシュタシンやオッペンハイマーなど科学者はほとんどがユダヤ人で「核」は最初は「熱核兵器」と呼ばれていた。 核が無限に融合を繰り返す原理を兵器にできなないかと言い出したのもユダヤ人でアメリカはその原理を軍内部で研究することを議会の承認なしで決定している。これが有名な「マンハッタン計画」で国の総力を結集して進められた。大統領さえ知らなかった軍の研究は極秘中の極秘で最初はウランの小規模な濃縮から始められた。やがて大規模な濃縮工場が完成し大量に濃縮ウランを作り出している。 初期の核製造では2種類の原材料が異なる方法が取られた、濃縮ウランを原材料とする核(広島型)とプルトニウムを原材料とする核(長崎型)である、ドイツが核を研究し始めたので欧米では危機感が漂いどちらが先に開発するかが競争になった。ドイツでは重水を基にした研究だったが米英両国は協力してドイツの重水工場を爆撃で破壊している。日本でも遠心分離機を基に研究が進められたが占領軍はこを「トリニトロン」と呼び徹底的に破壊している。 1945年7月に初の核は完成、ネヴァダ州の実験場で爆発させている、この時は実験的な意味合いが多く多くの兵士が観測のために動員されて見物している。まともに核の熱と爆風を浴びたわけで現在では考えられない暴挙である。核がどのような被害を人体にもたらすのか実験したわけで乱暴な話ではないか。 この核爆発は現在でもアメリカの誇りになっていて実験日にはアメリカ国内で祝賀会が開かれている、アメリカ人が子供に「リメンバーパールハーバー」と教えて核の必要性を説くのは理由がある、こ傲慢さが9,11同時テロを生み出しとは考えない、アメリカは世界一の国だからである、世界一はなんでも許されるという意識は変えようがない、鼻持ちならないヤンキー魂はこうして生まれた。 国連の5大国はこうして次々に核を保有した、ソ連はドイツから科学者を誘拐してアメリカに遅れること4年で核を保有している。中国は19年後に保有した、現在ではこの核拡散がアメリカと世界の悩みの種である。核は生まれるべくして誕生した兵器で今更後戻りは不可能である。 続く・・・・
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満州の哀れな皇帝として有名な「愛新覚羅溥儀」 1941年(昭和16年)中語では戦争は膠着状態に陥っていた、元々戦線布告なき中国との戦いで日本軍は大敗北をして日本中の港には戦死した兵士の白い棺が続々と到着していた、国民はその事実は報道で知っていたがその数が41万を超えていたとは知らなかった。 報道には厳しい検閲制度が存在した、軍と政府の許可を得ない報道は許されなかった、それが戦前のマスコミだったのだ、報道する新聞社は事前に内容を軍に届けて許可を貰わないと報道できないようになっていた、政府が中国の戦死者が41万に達したなどと許可するはずがなかった。日本は日米戦を考えていた、国民は盲目状態に置かれていたのである。 中国の日本軍(関東軍)は石原莞爾が満州で事変を起こしたのが始まりだった、当時から関東軍は日本政府の言うことを聞かなかった、「戦線不拡大」という閣議で決定された法案をことごとく破り石原は勝手に軍を進めて中国各地を占領していた。その中で起こったのが満州国の建国、華北地方の占領そして上海、南京の占領だった。蒋介石が重慶まで逃げると日本軍は重慶を猛爆撃している、殺しても飽き足らない相手が蒋介石だった。 南京事件では日本軍はあらかじめ「安全区」を設け一般市民が保護するように誘導している、しかし日本兵はここでも略奪、暴行、組織的な犯行を繰り返し止める人間はいなかった。ナチスドイツ党員のラーベは安全区で責任者を努めた、そこに日本兵がドカドカと乗り込んで略奪を始めた、ラーベはものすごい声で日本兵を一喝した、西洋人から一喝されて驚いたのか日本兵は何も取らずに引き揚げたそうだ。これはラーベが日記の中で書いている、安全区とは日本がここは安全であると保証した地域だった、それさえ守れないほど日本兵は堕落していた証拠である。 当時南京市には大勢の欧米の報道陣が滞在していた、ニューヨークタイムスのダニエル・スティール記者は「南京事件から日本軍は信じいられないほど凶暴さを見せた、略奪、暴行、射殺などその凶暴さは信じがたく記事にするのも苦痛だった」と述べている。都市でも乱暴狼藉の限りを尽くし地方では村全部が根こそぎ破壊されて中国人まるで虫けらのように殺害されたと言う、この日本軍の行動は現在でも日本は中国に頭が上がらない遠因を作った、国民は知らないが戦前の日本人は極悪だったのである。 この南京事件が欧米に大きく報道されて日本は窮地に立たされている、政府の「戦線不拡大」の方針は変わらず当時の東條参謀長は政府から予算を貰えず窮地に陥って「阿片売買」で戦費を賄ったのはNHKで報道された。金をくれないのならば阿片を売るという極悪さをなんと説明すればよいのだろう、これは日本軍という組織が犯した犯罪で国民は何も知らなかった。業を煮やした日本政府は欧米の記者連中を南京で一箇所に集めた、それから船に乗せて南京から追い払った。そのあとゆっくりと「南京掃討作戦」は3週間にわたって行われている。「南京壊滅作戦」とも呼ぶべきもので死者の数は誰も知らない、間違いなく日本は南京で虐殺を行った。 中国人民解放軍が深夜潜水艦で日本上陸、上陸部隊が複数の都市の住民を殺害したと考えてみてほしい、それと同じことを昔の日本軍は中国でやったのである、昔日本の文部大臣が「南京事件ではおよそ2万の兵士住民が死んだと思われる、戦争だから仕方がない」と述べている。馬鹿も休み休み言え、たとえ千人でも虐殺には変わりはない、こういう人物が大臣をするのを許すのが日本である。中国発表の30万人には多少疑問であるが日本が虐殺をしたのは間違いない事実である。
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「東京裁判史観」とか変なことを主張する馬鹿がいる、日本はドイツと同じだったと書くとこれまた首をかしげる愚か者がいる。戦後に日本政府は教育で日本の戦争犯罪を国民に知らせまいと恐ろしく努力を傾けた、だがボロは次々に暴かれて告発された。戦前の日本にはファシズムという「妖怪」が大手を振って歩いていた、それが戦争を引き起こした元凶だった。
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牧野明氏(84)は、彼が女性と子供たちを含む有罪を宣告された囚人たちに手術と切断を行ったと共同通信社に話した。日本帝国の皇軍は中国で捕られた捕虜の医学用人体実験を実行した731部隊が知られている。ほとんど日本の旧軍兵士は戦争中に行われた残虐行為について語りたがらない。BBCのクリス・ホッグは、ほとんどが彼らの記憶の彼方に過去を置きざりにしたいためだと言う、そして、彼らは起こったことを報告する事を当局がけして好まないということを知っていると述べている。牧野氏の証言は、囚人の医学用人体実験を記述している南東アジアでの戦争中の日本の復員軍人からの最初の証言であろうと思われている。 嫌悪 牧野氏は第二次世界大戦中にフィリピンのミンダナオ島に配属された。彼は1944年12月から翌年2月の間に約30人の囚人に手術や実験をしたと共同通信社に話している。それは切断と開腹手術などをを含み、彼の医学実験の一部として注目されたと彼が言う。「私がもし命令に従わなかったならば私が死んでいたでしょう」と牧野氏が言う。「それはその頃本当にあった事実です」彼が手術を2人のフィリピンの男にやれという命令には嫌悪感を覚えたと言う。そしてアメリカのスパイ容疑で捕えられた後に日本軍兵士から手ひどく殴られ意識不明だったと言う。「たとえ私がそれをするよう命令されるとしても、私が何も罪のない人々に対してやることはなんと恐ろしいものかと私は思いました」と彼が言う。 生物戦争 牧野氏は、彼がフィリピンでの彼の仕事の記憶にまだ取りつかれていると言う。「我々は二度とそのような惨めさを繰り返してはなりません」と彼がきっぱりとした口調で言う。「たとえそれがひとりや二人だけにあるとしても、私は戦争についての事実を述べます」生物戦争を専門に扱っていた日本の軍部門は、中国東北部で戦時占領中に当時マルタと呼ばれていた中国人囚人にあらゆる人体実験をやったことはすでに知られている。少なくとも3千人単位の囚人は人体実験で死んだと思われている。日本は3千人単位の事実は認めたが、その極悪さの主張と関連した犯罪事実に関しては誰も起訴されなかったのである。 BBCニュース 海の向こうは中国、朝鮮半島だけとは限らない。1941年に日本軍はビルマ(ミャンマー)インドネシア、パプアニューギニア、オーストラリア近辺まで巨大な軍隊を展開して占領してしまった。アジアで最初の近代的な軍隊を持ち、海軍の空母がオーストラリアすれすれまで進出してオーストラリア本土を爆撃した。オーストラリアに今でも根強く残る反日の空気はそのせいである、年老いた元兵士はけして戦争を語らない。たとえ命令とはいえ妻や子供に語れる内容ではないからだ、当時の兵士は現在の若者と少しも変わらない、アジア太平洋戦争が日本の自衛自尊の戦争だったのなら、なぜフィリピン人を切り刻んだのか。戦争に突入したのは欧米の罠だったとしても、日本の戦争目的は別のところにあったと知るべきである。 ここで日本の戦争目的は何であったのか振り返ってみよう。日本は中国大陸に武力で侵攻していた、しかし中国人は戦闘に巧みであり日本を泥沼状態に引きずり込んで戦闘は膠着状態に陥った。中国の蒋介石政権は欧米に支援を求め日本を何とかして欲しいと要請した、それに答えたのがアメリカのルーズベルトでABCD包囲網を完成させた。次に対日石油輸出の禁止令、それからくず鉄の輸出も全面的に禁止した。日本を喉元から締める政策で日本経済はガタガタになった、中国から全面的に撤退せよという要求を日本は呑めるはずはなかった。 日本政府は閣議で対欧米戦を決定、当面の目標は東南アジアの資源を根こそぎ欧米から奪い取ることであった。日米戦間際の昭和16年に政府は閣議で「東南アジア地域の土人の宣撫工作」という題名の小パンフレットを各議員に配布した。土人とは東南アジアの現地住民のことで最初から侮辱した姿勢が伺い知れる、彼らをいかにうまく取り入れるかが戦争の進展を左右するという内容で反日勢力の抹殺、労務管理の徹底など多岐にわたった内容である。 戦争勃発とともに東南アジアに展開した日本軍はまずシンガポール在住の華僑勢力を根こそぎ処刑している、この作戦を指揮したのはインパール作戦で「鬼畜牟田口」と飛ばれた牟田口中将で戦後にわざわざシンガポールまで呼び戻されて軍事裁判を受けている。労務管理については悪名高い「タコ部屋形式」が取られ現地住民を死ぬまで働かせた、インドネシアでは400万以上の男子が強制労働に従事させられた。 独立は認めずただ日本のためだけに働く労働は現地住民から毛嫌いされた、暴動が多発したが日本軍はそれを武力で鎮圧している、日本は欧米と同じく新たな支配者に過ぎないと現地住民はすぐ見抜いた。こういう現地に送り込まれ日本兵はたまったものではない、年老いた兵士が戦争を決して語らない理由は明白である。 日本は戦争に敗北した、そして欧米に断罪された、7名が死刑判決を受けて処刑された、ドイツと同じく日本は「悪の本家」として世界に報道された。しかし田母神前統幕長、渡部昇一上智大学名誉教授などは「日本を卑屈にするシナ大陸侵略神話」などいうでたらめ論理で堂々と反論している。現在の人間はでたらめをそれを見抜けない盲目の人間が多すぎる、当時の英国のチャーチル首相などは「ドイツと日本の戦争指導者は容赦なく吊るしてしまえ」と言い放っている。日本人は戦争の実態をあまりにも知らなさ過ぎる、非常識だと海外から非難されて反論できない状態だ。
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