政治と風土

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長崎港から約18キロ先に浮かぶ「軍艦島」(正式名:端島)をご存じだろうか? 

「昔、石炭が採掘されていた」「廃墟となったコンクリート造りの建物が並んでいる」といったことをイメージする人も多いのでは。軍艦島は炭坑の開発とともに“栄えていった”が、国のエネルギー転換政策によって、1974年に閉山した。やがて人が去り、廃墟と化した軍艦島は立ち入り禁止に※。そして閉山してから35年……長い年月を経て、ようやく観光客が足を踏み入れることになりそうだ。

※調査などを理由に、長崎市などから許可が下りると上陸することができる。

長崎市は世界遺産国内候補地となっている軍艦島について、観光客などの上陸を解禁すると発表。さらに同市は1億5000万円の費用を投じ、桟橋と見学用の通路を整備。幅2メートル・長さ230メートルの通路を島の南側に設け、そこから崩れかけた高層アパートや学校などを見渡すことができる。



軍艦島ブームは訪れる?

長崎市の決定を受け、JALは「池島と炭鉱坑内体験と軍艦島に上陸の旅2日間」のツアーを発売。かつて石炭産業で栄えた2つの島を訪れる旅で、1日目は九州最後の炭鉱だった池島へ。そして2日目は軍艦島に上陸するというもの。5月23日出発のツアー予約を受け付けたものの、定員20人は完売(料金は東京発・大人1人で5万9800円)。このためJALでは、ツアー日程を追加するほどの好調ぶりだ。

また近畿日本ツーリストも、「軍艦島上陸と長崎近代化産業遺産群」というツアーを販売。4月末から上陸許可となる軍艦島に「いち早く上陸できる」のがウリで、ツアー期間は4月から10月までを予定している。軍艦島への上陸時間は2時間30分ほどで、このほか旧グラバー住宅や小菅修船場(ソロバンドッグ)などを訪れる。価格は1泊2日で2万6800円(大人1人)から、各ツアーの定員は40人。JALと近畿日本ツーリスト、両方のツアーに同行するNPO法人「軍艦島を世界遺産にする会」の坂本道徳理事長は「軍艦島にある建物は崩れてくる危険性があるので、近づくことは難しい。(軍艦島に上陸することで)軍艦島の昔を考えていただき、そして未来も考えてほしい」と話した。

“軍艦島上陸ツアー”を販売するのはこの2社だけではなく、今夏には数社が参入する予定だ。現在、軍艦島は遊覧船から見ることができ、年間の観光客は約1万2000人。しかし今年は、上陸ツアーの観光客を含めると「1万5000人〜2万人ほどになるのでは」(坂本理事長)と見ている。これまで廃墟と化した建物をイメージして、“幽霊島”とも揶揄(やゆ)されてきたが、上陸できることで軍艦島ブームが訪れるかもしれない。



軍艦島について

軍艦島は正確にいうと長崎県長崎市高島町にある「端島」(はしま)の俗称で、戦艦「土佐」に島影が似ていることから名付けられた。場所は東経129度45分、北緯32度39分に位置している。大きさは南北約480メートル、東西約160メートル、面積は約6.3ヘクタール、周囲1.2キロメートル、海抜47.7メートル。

1810年ころに石炭が発見され、1890年(明治23年)に三菱が島全体と鉱区の権利を買い取り、海底炭坑として操業が開始された。その後、八幡製鉄所に製鉄用原料炭を供給する島として、国の保護を受けながら発展していった。1916年(大正5年)には、日本初の鉄筋コンクリート造りの高層集合住宅が建築された。最盛期の人口は5200人で、「人口密度は世界一だった」ともいわれている。

しかし昭和30年代の後半から、エネルギー改革の嵐を受け合理化が進み、1974年1月15日に閉山。同年4月20日をもって船の定期便が廃止され、島民は軍艦島から去った。閉山時の人口は2200人だった。

MSNニュース

解設:
「日本は国家なくしてまた日は昇る」軍艦島の歴史はそのまま戦後の日本の歴史でもある、昭和35年に私は日本に別れを告げてブラジルに移住した、大きな移住船だったが同船者には多数の炭鉱離職者が含まれていて驚いた。戦後15年で日本のエネルギーが石炭から石油にシフトした時期だった、全国の炭鉱は次々に閉山されていた、石炭堀は石炭を掘ることしか知らずそこに政府からブラジル移住の呼びかけがあった。

「シャバに出てもろくな仕事はない、こういなればブラジルでも行って一旗上げるか」政府が決定した人口削減計画だとは知らず親父たちは船の中でのんきなことをほざいていた。リストラされる人間たちはこうして選び出され船で大量に南米に捨てられた、昭和版「姥捨て山」で政府は人口削減計画に必死に取り組んでいた、日本人を引き受けてくれるなら国は何処でもよかったひどい話ではないか。

昭和20年日本は戦争に敗れたそしてアメリカによって国家はバラバラに解体された、国家の基本で指針であるインテリジェンス(情報機関)も全て解体されて日本は国家ではなくなった。現在の日本を国家と呼ぶには無理がある、国家たる条件を何も満たしていない、戦後の日本人は蝉の抜け殻の「国家」に胡坐をかき偉そうなことをほざいている道化師にすぎない。

インテリジェンスとは国家である基本である、アメリカは厳しい情報秘匿義務があることをご存知だろうか、国民は大事な情報を隠す義務がある、それを破ればFBIが乗り出し反逆罪で処罰される。韓国も北朝鮮も同じで利敵行為は許されず厳重な処罰が待っている。

日本は情報が野放しなのには訳がある、戦後の出発点から国家ではなかったことと左翼勢力が情報に対する国家の介入を許さなかったことだ。言論界と教育機関は左翼に占拠されて今日に到っている、左翼と右翼の喧嘩は相変わらずで左翼はくだらないと右翼の喧嘩の呼びかけに相手にもしていない。
外交部、客観的なチベット報道をメディアに呼びかけ
外交部の秦剛・報道官は26日の定例記者会見で、昨年に拉薩(ラサ)で起こった「3.14事件」のものとされる映像をダライ一派が発表したことについて英BBCの記者に聞かれ、「問題となっている映像は私も見たが、内容への意図的な編集が加えられており、こじつけやすり替えの痕跡が明らかだ。ダライ一派は西側メディアから編集技術を学んだのではないか」と述べた。秦報道官の主な発言内容は次の通り。

ラサの関連部門の担当者が答えているように、ダライ一派がこの映像をでっち上げて発表したことには明らかな意図がある。

あなたは(ビデオの)ディテールに関心を持っているようだが、暴行・破壊・略奪・放火が行われた「3.14暴力犯罪事件」から1年たった今、あの暴力犯罪事件で生きたまま焼かれた市民や切り殺された市民のことを忘れてはいないだろうか。生きたまま焼き殺された「以純衣服店」の5人の少女たちのことを忘れてはいないか。子供を失った両親の悲痛な顔を忘れてはいないか。メディアの皆さんが、「3.14事件」が暴力犯罪だったという事実を、客観的かつ全面的に偽りなく認識することを希望する。

「3.14事件」は、ダライ一派の組織的な陰謀であり、「チベット独立」を掲げる国内外の勢力とダライ一派が一緒になって起こした重大な暴力犯罪事件である。この事件は、現地の社会秩序を大きく損ない、現地の人々の生命と財産の安全を脅かした。この暴動によって、罪のない市民18人が命を落とし、罪のない市民380人が負傷し、現地の公安警察や武装警察242人が負傷した。直接的な経済損失は3億元近くに及んだ。

ラサ暴力犯罪事件の処理にあたって、現地の公安警察や武装警察は一貫して自制を保ち、法律に基づいた文明的な取り締まりを行い、殺傷力のあるいかなる武器も持たず使わなかった。

ダライ一派が犯罪を行ったという事実には山ほどの証拠があり、言い逃れの余地はない。ダライ一派は、失敗という自らの運命を1年経っても受け入れることなく、祖国を分裂させチベットの安定を損なう活動に従事し続けている。ダライ一派のたくらみはこれまで成功しなかったし、これからも成功することはない。(編集MA)

 「人民網日本語版」2009年3月27日

論理と根拠:
日本はマスゴミは徹底的な商業主義で貫かれている、まず売れる記事が編集企画され海外報道はその線で書き換えられる、国民は報道をそのまま信じるから日本は「情報砂漠」だと私が常に主張する根拠でもある。

日本での海外報道では私は常に海外のメディアの報道を翻訳してチェックすることを忘れない、そうすると日本のマスゴミの明らかな嘘がすべてバレる、商業主義に冒された哀れな姿がすべて裸にされる。国民の主義主張も「報道によれば」の線を越えない、マスゴミが嘘を報道するとは夢にも思っていないこうして国民は知らないうちに世論調査の罠にはまっていく。最初に知らねばならないことは報道は平気で嘘を書くという姿勢である、売れてなんぼの世界ならば当たり前で「嘘も方便」で許されると思っている。

中国は共産主義の世界であり報道は国家管理の世界、そこでは自由は制限され一定の枠内でしか自由は認めらない。なんでも言いたい放題の日本とは根本的に異なる、国家機関である人民日報の報道には中国人の本音が表れている、中国を理解するにはまず社説から掘り起こすことをお勧めする、日本では報道は平気で嘘をつくが中国では国民を騙すために嘘の報道を流す、その中で国民は嘘と本音を見分けて独自の主張を作り出す。中国人は駆け引きがとても巧みでお互いの腹の内を探るのもうまい、それが中国である。

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                   英国人のウィリアム・アダムズ(三浦按針)

今から400年以上も前の戦国時代に家康はどうして秀吉に勝利したのかテレビ東京で放映していた。その勝利の鍵となったのは英国のウィリアム・アダムズが英国から持参した大砲及び鉄砲だった。有名な大阪夏の陣冬の陣ではこの近代兵器は大活躍をして短時間で秀吉軍を撃破している。

「生涯 ]

生い立ちと青年時代
イングランド南東部のケント州ジリンガムの生まれ。船員だった父親を亡くして故郷を後にし、12歳でロンドンのテムズ川北岸にあるライムハウスに移り、船大工の棟梁ニコラス・ディギンズに弟子入りする。造船術よりも航海術に興味を持ったアダムスは、1588年に奉公の年限を終えると同時に英国海軍に入り、フランシス・ドレークの指揮下にあった貨物補給船リチャード・ダフィールド号の船長としてアルマダの海戦に参加した。翌1589年にはメアリー・ハインと結婚し、娘デリヴァレンスと息子ジョンを設けている。しかし、軍を離れてバーバリー商会ロンドン会社の航海士・船長として北方航路やアフリカへの航海で多忙だったアダムスは、ほとんど家に居つかなかったらしい。


リーフデ号の航海
航海で共に仕事をする中でオランダ人船員たちと交流を深めたアダムズは、ロッテルダムから極東を目指す航海のためにベテランの航海士を探しているという噂を聞きつけ、弟のトマスらと共にロッテルダムに渡り志願する。航海は5隻からなる船団で行われることになっていた。

ホープ号("希望"の意・旗艦)
リーフデ号("愛"の意)
ヘローフ号("信仰"の意・ロッテルダムに帰還した唯一の船)
トラウ号("忠誠"の意)
フライデ・ボートスハップ号("良い予兆"あるいは"陽気な使者"の意)
司令官のヤックス・マフはアダムスをホープ号の航海士として採用する。こうして1598年6月24日、船団はロッテルダム港を出航した。

だが航海は惨憺たる有様で、マゼラン海峡を抜けるまでにはウィリアムとトマスの兄弟はリーフデ号に配置転換されていたが、トマスが最初乗船していたトラウ号は東インド諸島でポルトガルに、フライデ・ボートスハップ号はスペインに拿捕され、1隻はぐれたヘローフ号は続行を断念してロッテルダムに引き返した。生き残った2隻で太平洋を横断する途中、ホープ号も沈没してしまい、極東に到達するという目的を果たしたのはリーフデ号ただ1隻となった。その上、食糧補給のために寄港した先々で赤痢や壊血病が蔓延したり、インディオの襲撃に晒されたために次々と船員を失っていき、トマスもインディオに殺害されてしまう。こうして出航時に110人だった乗組員は、日本漂着までには24人に減っていた。


日本漂着、家康の引見
1600年4月19日(慶長5年3月7日)、リーフデ号は豊後の臼杵に漂着した。自力では上陸できなかった乗組員は、臼杵城主太田一吉の出した小舟でようやく日本の土を踏んだ。太田は長崎奉行の寺沢広高に通報。寺沢はアダムスらを拘束し、船内に積まれていた大砲や火縄銃、弾薬といった武器を没収したのち、大坂城の豊臣秀頼に指示を仰いだ。この間にイエズス会の宣教師達が訪れ、オランダ人やイギリス人を即刻処刑するように要求している。

結局、五大老首座の徳川家康が指示し、重体で身動きの取れない船長ヤコブ・クワッケルナックに代わり、アダムスとヤン=ヨーステン・ファン・ローデンスタイン、メルキオール・ファン・サントフォールトらを大坂に護送させ、併せて船も回航させた。

5月12日(慶長5年3月30日)、家康は初めて彼らを引見する。イエズス会士の注進でリーフデ号を海賊船だと思い込んでいた家康は、路程や航海の目的、オランダやイギリスなど新教国とポルトガル・スペインら旧教国との紛争を臆せず説明するアダムスとヤン=ヨーステンを気に入って誤解を解いた。しばらく乗組員達を投獄したものの、執拗に処刑を要求する宣教師らを黙殺した家康は、幾度かにわたって引見を繰り返したのちに釈放し、城地である江戸に招く。


三浦按針となる
江戸でのアダムスは帰国を願い出たが、叶うことはなかった。代わりに家康は米や俸給を与えて慰留し、外国使節との対面や外交交渉に際して通訳を任せたり、助言を求めることが多かった。また、この時期に、幾何学や数学、航海術などの知識を家康以下の幕閣に授けたとも言われている。帰国を諦めつつあった彼は、1602年頃日本橋大伝馬町の名主で、家康の御用商人でもあった馬込勘解由の娘、お雪(マリア)と結婚した。彼女との間には、息子のジョゼフと娘のスザンナが生まれている。

やがて江戸湾に係留されていたリーフデ号が沈没すると、船大工としての経験を買われて、西洋式の帆船を建造することを要請される。永らく造船の現場を遠ざかっていたアダムスは、当初は固辞したものの受け入れざるを得なくなり、伊東に日本で初めての造船ドックを設けて80tの帆船を建造した。これが1604年(慶長9年)に完成すると、気をよくした家康は大型船の建造を指示、1607年には120tの船舶を完成させる(この船は1610年になって、房総の御宿海岸で遭難し地元民に救助された前フィリピン総督ロドリゴ・デ・ビベロに家康から貸し出され、サン・ブエナ・ベントゥーラ号と名付けられた)。

この功績を賞した家康は、更なる慰留の意味もあってアダムスを250石取りの旗本に取り立て、帯刀を許したのみならず相模国逸見(へみ)に采地も与えた。また、三浦 按針("按針"の名は、彼の職業である水先案内人の意。姓の"三浦"は領地のある三浦半島に因む)の名乗りを与えられ、異国人でありながら日本の武士として生きるという数奇な境遇を得たのである。のち、この所領は息子のジョゼフが相続し、三浦按針の名乗りもジョゼフに継承されている。


論評:
もう随分昔になるが私は長崎県の平戸を訪ねた、そこでウィリアム・アダムズの墓に出会った、彼は英国に帰りたかった違いない、しかし家康は許可しなかった、彼は涙のうちに異国で眠ることになった。英国には妻と子供が待っていた、異国でしかも現地人の妻を迎えても心は英国に飛んでいただろうことは間違いない。彼は激動の戦国時代に来日し各大名たちから利用されて帰国を許されず無念だったろう。

英国は先に来日していたポルトガルとスペインの宣教師を毛嫌いしていた、だからイエズス会が執拗にアダムズたちを処刑しろと迫ったのである。西洋の世界植民地政策が始まったばかりでインドも中国もとっくに植民地にされていた。だから家康の政策を褒めたい、言うことを聞かないとたたっ斬ると脅した家康以下の大名は偉い、秀吉は敗北したがこうして江戸時代の270年の平穏は保たれた。

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【から(韓)くに便り】ソウル支局長・黒田勝弘 金賢姫は死ねない

「金賢姫(キムヒョンヒ)」が日本人拉致被害者家族との面会で話題になっている。周知のように彼女は大韓航空(KAL)機爆破事件の犯人の一人である。逮捕後、韓国で死刑判決を受けたが赦免され、今は韓国に住んでいる。

その彼女について日本のほとんどのメディアは「金賢姫・元死刑囚」という奇妙な呼び方をしている。不思議な“肩書”だ。背景には、赦免されているとはいえ、事件の重大性から「さん」には違和感があり、かといって呼び捨てにするのもまずい…といったことがあるようだ。

しかし彼女はすでに罪を悔い、金日成・金正日崇拝から完全に転向している。北朝鮮の驚くべき実態を世界に明らかにし、さらに日本人拉致問題解決への協力など北の「体制変化」に向け余生を捧(ささ)げようとしている。もう「金賢姫さん」でいいのかもしれない。

それでも違和感があるとすれば「金賢姫・元工作員」が正確だろう。彼女は「死刑囚」ではなく北朝鮮の「工作員」だったことに、より大きな意味があるのだから。

1987年11月、KAL機事件については、中東の中継基地だったバーレーンで、容疑者として日本旅券を持った「蜂谷真由美・蜂谷真一」が捕まったとき、ぼくは「北朝鮮だ!」と直感した。

2人は日本人父子を装った北朝鮮のテロ工作員だった。現地での事情聴取の際、「蜂谷真一」の方は工作員教育そのままに、秘密保持のため隠し持った毒薬を口に含みその場で果てた。「蜂谷真由美」こと「金賢姫」は服毒に失敗し生き残った。

日本旅券を持ち、日本人名で、日本語をしゃべる北朝鮮工作員による航空機空中爆破テロ…。乗員乗客115人は全員、ミャンマー沖のアンダマン海に散った。「日本」を巻き込んだ、恐るべきかつ凄絶(せいぜつ)な事件だった。

北の狙いは翌88年に予定されていたソウル五輪開催阻止のため、韓国を「危険な国」と世界に印象付けるためだった。

「まさか北がそこまでするとは…」と多くの人が思った。しかし北朝鮮は4年前の83年10月にも、ミャンマー(当時はビルマ)を訪問中の全斗煥(チョンドファン)大統領一行に爆弾テロを加え、随行の閣僚など17人が爆死している。

同行記者も1人爆死し、ぼくの友人のカメラマンは重傷を負い、その後、再起できなかった。

現場はミャンマー建国の父をまつる聖地、アウンサン廟(びょう)。外国のそんなところに潜入武装工作員が遠隔操作の時限爆弾を仕掛け、公式参拝の韓国大統領暗殺を狙った。わずかに遅れて到着した全斗煥大統領は九死に一生を得た。世界を驚かせる大事件だった。

テロ作戦をはじめ北朝鮮に「まさか…」はあたらない。古くからの北朝鮮ウオッチャーたちはそれをよく知っている。日本人大量拉致事件も「まさか…」にあたるが、同じ脈絡上の出来事だ。

金賢姫・元工作員はKAL機事件の“生き証人”として死刑を免除され、また生き残った。北朝鮮の“真実”を国際社会に語り続けるため「生かされ」ているのだ。それが罪を償うことであり、自分に与えられた役割であることを彼女はよく知っている。

彼女は北朝鮮の体制が変化ないし崩壊するまで死ねない。北なまりの残る韓国語が印象的だった。田口八重子さんが教えた日本語は今もしっかり覚えていた。彼女は日本や韓国のみならず、国際社会にとって実に貴重な存在なのだ。

産経ニュース

論評:

政治体制は国によって異なるが朝鮮半島問題は日本にとって悩みの種で日本が昔支配していた民族は敵同士で睨み合っている。朝鮮併合問題は歴史的に動かせない現実問題だった、しかし日本が戦争で敗北して支配者が変わると朝鮮半島は2分されかたや資本主義社会もうひとつは奴隷民族の地域として別々の道を歩き出した。朝鮮では古代から戦争ばかりをやっていて地域が別だと人は敵である、ソウルに行って茶碗箸などかなぜステンレスなのかと現地の人に問うとこれは朝鮮の習慣なのですという答え、古代から戦争ばかりをやっていて食事は大きな風呂敷を広げて食べる、そこに食器類を乗せて食べる、敵が襲ってきたら風呂敷を丸ごと抱えてスタコラ逃げたそうである。

だから北朝鮮が別の政治体制でも韓国では全然驚かない、敵に代わりはないという意味である。朝鮮半島では38度線を境に双方200万の軍隊を24時間体制で貼り付けて睨み合っている、戦争が終了してもう60年近くになるが敵であることはいささかも変わらない。大韓航空機事件は親父の金日成ではなく息子の金正日が計画したことで父親の政治を対外的に発展させたのが息子である。

親子2代にわたって北朝鮮を恐ろしい独裁国家に仕上げて海外の独裁者からそのノウハウを入手できないかとまで言われている。この政治体制は北朝鮮独特のものでそのパテントを他国に売る気はないようである、世襲政治で国民は100以上の階級に区分けされ互いに監視しあう体制はこうして出来上がった。韓国がどんなに頑張ってもこの政治体制を崩壊させることは不可能で反対に北朝鮮は韓国を飲み込んで全部言うことを聞かせようと狙っている。

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【話の肖像画】日本が危ない!(下)評論家・ジャーナリスト 立花隆(68)


■いま必要なのは「第3の開国」

 −−これからの日本は

立花 まもなく少子高齢化に突入する日本は、国家の基本的なシステムから変わらなければいけない。幕末から明治にかけて、幕藩体制を壊して近代国家を迎えた明治維新が好例でしょう。

長州出身で初代総理大臣になった伊藤博文なんか、初めは尊王攘夷(じょうい)思想に染まっていた。ところが敵を知ろうと密航までして渡英したロンドンで、欧米の科学や文化など大きな力を知り一気に開国派に転向した。

しかも現地の新聞で長州藩が下関で米、英、仏などの連合艦隊に砲撃したことを知って急遽(きゅうきょ)帰国。仲間を説得して倒幕運動を推進して新政府を誕生させました。

国家の大事には“攘夷”から“開国”への転向という大決断、思想転換が必要なんです。

 −−明治維新はわかりやすい

立花 1945年の日本の敗戦もわれわれ日本人を覚醒(かくせい)させた。満州事変や五・一五事件を経て、生まれた軍閥支配の軍国主義が起こしたあの戦争ももうひとつの“尊王攘夷”の戦いでした。その戦いに敗れることで、われわれは“第2の開国”で、グローバル水準の民主国家に転換。グローバル水準の科学や経済に目覚めて一時は大成功した。しかしその頂点で起きた“バブル崩壊”で再び、第2の敗戦を喫してしまったのです。

 −−ドン底まで行かなければ日本再生は難しい、と

立花 そうですね。45年の敗戦時のように、この国のシステムを根本的に解体して、組み直すぐらいのことをしないとダメだと思います。

そしていま必要なのは“第3の開国”です。文化的、社会的に“開国”して、人材を広く海外から迎え入れることです。各界で起きている危機的人材不足を補うためにも急ぐ必要がありますが、これは日本人と日本文化の海外雄飛にもつながるという視点が必要です。

もしこの必要性が理解できないとしたら、日本の危機をまだまだ自覚していないと思う。そのためには日本はもっとダメになったほうがいいのかもしれない。

でもこの先、日本が破綻(はたん)しても大丈夫です。あの45年の経験を思い起こせば“日本は必ず復活再生できる”という確信を持てるはずです。(押田雅治)

産経ニュース

論評:
立花さん私は日本の将来については極めて悲観的にしか考えないけどね、日本は敗戦から立ち上がったが国民は戦争ショックがあっただけで右翼はそのまま生き残った、そして戦後の教育の中から例の田母神前統幕長のような人物が出てきた。右翼が堂々とのさばるのは国民に戦争の反省が皆無である証拠である。平成天皇が誕生日祝賀会で言われたように「国民の皆様は先の戦争の惨劇を忘れないで昭和史を正しく学ばれるように願っています」この言葉こそ右翼連中に聞かせたいものであろう。

昭和の日本は軍国ファシズムに犯されて国民全員が狂ってしまったドイツがナチズムで狂ったのと同じようにである、しかし日本人は狂ったとは絶対に認めない国民が無数に存在する。それが右翼を元気ずける原因になった、ドイツではEU諸国の中でしか生きられない運命をよく承知していてナチスのやったこは素直に認めて反省と謝罪それから被害者に対する保証もよくやっている、しかし日本のバカマスコミはそれを伝えないでドイツはナチスがやったことには全部ナチスのせいにして反省などしていないととんでもないことを流布している。

日本は「情報砂漠」であり海外情報は都合のよいものだけを取り上げる傾向がある、ゆえにマスゴミと叩かれる原因にもなっている、情報操作による国民誘導はまだ有効である証拠だろう。戦時中はこの情報操作で国民は誘導され狂った結果が敗戦だった、日本人は肝に銘じて誘導される危険性を自覚すべきである。

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