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2列縦隊のクルディスタン労働党(PKK)の戦士、先頭の二人は明らかに女性で、顔を隠し体の線と目元は女性そのもの クルド人概要 人口は2500万〜3000万人で、独自の国家を持たない1つの民族としては世界最大となる。中東ではアラブ人・トルコ人・ペルシャ人(イラン人)の次に多い。宗教はイスラム教スンニ派に属する。言語はインド・ヨーロッパ語族イラン語派のクルド語である。主な生業は牧畜で、この地のほかの民族と同じく遊牧民として生活してきた。アイユーブ朝の始祖、サラーフッディーン(サラディン)はクルド人の出自である。 クルド人の居住地は中世から近世にかけて広大な版図を保ったオスマン帝国の領内にあったが、第一次世界大戦でオスマンが敗れ、サイクス・ピコ協定に基づきフランスとイギリスによって引かれた恣意的な国境線により、トルコ・イラク・イラン・シリア・アルメニアなどに分断されたが、長く統一した民族主義的な勢力が興らず、これらの国の中で少数民族として生活している。しかし、20世紀後半になると文化的な圧力の元で政治勢力が誕生し、大きな人口を抱えるトルコやイラクでは分離独立を求めるようになったため、しばしば迫害を受けることとなった。 トルコ クルド人の人口が最も多いのはトルコで、1200万〜1500万人がトルコ南東部に居住する。ヒツジの飼育と農業を生業とする半遊牧生活を送る。定住生活を営むようになってからの歴史は浅い。オスマン帝国から革命で誕生したトルコは、人民党政権が単一民族主義をとったため、東南部に位置することとなったクルド人は長らくクルド語の放送・教育を許されないなど、文化的迫害を受けてきたが、これがクルド人としての統一したアイデンティティを覚醒させることとなり、クルド人独立を掲げるクルド労働者党 (クルディスタン労働者党・PKK)。 トルコ及び日本政府はテロ組織と見なしている)はトルコ政府に対してゲリラ攻撃を行なったので、1995年にトルコ軍が労働者党施設などを攻撃、イラク領内にも侵攻し、イラク北部の労働者党拠点を攻撃した。イラクもこれに賛同して、自国のクルド人自治区に侵攻したが、武装解除問題を抱えていたことから、米軍の攻撃を受けることとなる。 しかし、欧州連合 (EU) 加盟を念願するトルコに対して、EU側がクルド人の人権問題を批判して難色を示したことより、トルコが軟化してトルコ国内のクルド人の扱いはやや好転しつつある。 2006年5月24日、イスタンブールのアタテュルク国際空港貨物用施設で大規模な火災が発生した。原因は電気の漏電と伝えられている。翌日、クルド人の独立派武装組織「クルド解放のタカ」が犯行声明を出している。この組織はクルド労働者党との関係があると指摘されている。2007年の国会総選挙では、定数550に対し、クルド人候補は過去最高の20〜30議席前後を獲得した。 出典:ウイキペディア wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%89%E4%BA%BA
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政治と風土
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イザヤ・ベンダサン 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 イザヤ・ベンダサン (Isaiah Ben-Dasan、公称1918年生まれ) は、山本七平の筆名。『日本人とユダヤ人』の著者として一躍有名になった、その後しばらくの間は、ベンダサン名義の書籍も続けて多数発行された。現在ではそれらの出版元の山本書店店主で、ベンダサン作品の日本語訳者と称してきた山本七平の筆名であることは間違いがない。山本と親しい渡部昇一との雑誌対談で山本自身が渡部の質問に答えそれを認めている[要出典]。筆名の由来は「いざや、便出さん」ではないかという推測が根強いが実際のところは定かではない。 神戸市中央区山本通で生まれたユダヤ人という設定。同書が大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し単行本・文庫本の合計で300万部を超える大ベストセラーになったため、その正体をめぐってメディアで話題になった。 正体 山本書店版『日本人とユダヤ人』の初版本にも顔写真が無かったことから、何名もの人物が正体の候補として挙げられたが、のちには本を出版した山本書店の店主で「訳者」だとされていた山本七平と、米国人のジョセフ・ローラ、ユダヤ人のミーシャ・ホーレンスキーの共同ペンネームであったとされた。しかし、同書の内容はユダヤ人やその文化に精通している者が関わったとは考えられないものであり、現在では、事実上山本の著作であるとされることが多い。2004年5月発行の角川oneテーマ21版『日本人とユダヤ人』は山本の単独名義で刊行され、解説にも「イザヤは山本のペンネーム」という旨が明記されている。 山本七平の発言 当初『日本人とユダヤ人』の著者ではないかと言われることについて、山本は「私は著作権を持っていないので、著作権法に基づく著者の概念においては著者ではない」と述べる一方で、「私は『日本人とユダヤ人』において、エディターであることも、ある意味においてコンポーザーであることも否定したことはない。」とも述べている。(山本七平「ベンダサン氏と山本七平氏」『実業の日本』1977年10/1(1899号)49-50頁)後に、1987年のPHP研究所主催の研究会では以下のように説明している。 山本書店を始めた頃に帝国ホテルのロビーを原稿の校正作業にしばしば使用していたら、フランク・ロイド・ライトのマニアということがきっかけでジョン・ジョセフ・ローラーとその友人ミンシャ・ホーレンスキーと親しくなった。キリスト教が日本に普及しなのはなぜかという問題意識のもと3人でいろいろ資料を持ち寄って話し合っているうちにまとまった内容を本にしたのが『日本人とユダヤ人』である。ベンダサン名での著作についてはローラーの離日後はホーレンスキーと山本の合作である。 また、「『日本人とユダヤ人』は知り合いのユダヤ人からヒントをもらって自分が書いた」と山本から直接聞いたという証言(山本れい子(「山本七平とイスラエル」『月刊みるとす』No.41(株式会社ミルトス、1998年) p11)、渡部昇一(山本七平、村松剛、渡部昇一『民族とは何か』(徳間書店、1992年、初版、183ページ))もある。 イザヤ・ベンダサンをめぐる出来事 社会的影響 この本がベストセラーになってから、『日本人と○○人』といった題名の比較型日本人論が一時流行しただけでなく、日本人が外国人をよそおって書かれた本(ポール・ボネ・「不思議の国ニッポン」シリーズなど)も多く出されるようになり、ついには“本当の外国人”が書いた日本寄りの本の著者が、実は日本人なのではないかと勘繰られる事態まで生じている。日本人が自らが外国人だとする手法は、イザヤ・ベンダサン以前には週刊新潮で長期連載されていたヤン・デンマンの例がある。 また、「醜い韓国人」の著者が韓国人ではなく日本人ではないかと言われた際にも、韓国側からイザヤ・ベンダサンの事例が提示され(雑誌『SAPIO』)、日本の出版界の体質が批判された。(「醜い韓国人」は韓国人協力者はいるものの、韓国人なら当然知っているような事柄にも誤りがあり、ほとんどの内容は加瀬英明が書いたものとされている) 論争 本多勝一とのいわゆる百人斬り論争を行った。この論争で、彼はイザヤ・ベンダサンの名義のまま、山本七平の持論である「日本刀は2〜3人斬ると使い物にならなくなる」をメインの根拠にして本多を批判した。この論理は論争の後に一般に広がるものの、この理論をユダヤ人からわざわざ「ヒントをもらった」とは考えにくい。 「日本刀は2〜3人斬ると使い物にならなくなる」という話はこの論争の後に一般にかなり広がってしまったが、刀剣の専門家や武道の専門家たちからは批判も受けている。 批判 『日本人とユダヤ人』に対する批判として、浅見定雄の『にせユダヤ人と日本人』がある。浅見は、「ニューヨークの老ユダヤ人夫婦の高級ホテル暮らし」というエピソードは実際にはあり得ない話であり、実際、英語版の『日本人とユダヤ人』には完全にこのエピソードはカットされていると指摘した。また浅見によると『日本人とユダヤ人』によって、一般の人に広く広がっていった「ユダヤ人は全員一致は無効」という話も、実は完全な嘘あるいは間違いであるという。浅見は山本の語学力についても疑問を呈した(聖書の「蒼ざめた馬」を山本は間違った訳であるというが、実際には正しい訳であることなど)。 日本人とユダヤ人' 一 安全と自由と水のコスト(隠れ切支丹と隠れユダヤ人)
二 お米が羊・神が四つ足(祭司の務めが非人の仕事)
日本教について三 クローノスの牙と首(天の時・地の利・人の和) 四 別荘の民・ハイウェイの民(じゃがたら文と祝砲と西暦) 五 政治天才と政治低能(ゼカリヤの夢と恩田木工) 六 全員一致の審決は無効(サンヘドリンの規定と「法外の法」) 七 日本教徒・ユダヤ教徒(ユーダイオスはユーダイオス) 八 再び「日本教徒」について(日本教の体現者の生き方) 九 さらに「日本教徒」について(是非なき関係と水くさい関係) 十 すばらしき誤訳「蒼ざめた馬」(黙示的世界とムード的世界) 十一 処女降誕なき民(血縁の国と召命の国) 十二 しのびよる日本人への迫害(ディプロストーンと東京と名誉白人) 十三 少々、苦情を!(傷つけたのが、目なら目で、歯なら歯で、つぐなえ) 十四 プールサイダー(ソロバンの民と数式の民) 十五 三つの詩――終りに
言葉の踏絵と条理の世界
ブログ管理者評:
実体語と空体語のバランス
『檄文』の論理 神は空名なれど…… 五・一五事件と純粋人間 日本人の政治的反応度 「成長」「変節」のない思想 「お前のお前」の責任 朝日新聞の「ゴメンナサイ」 松川裁判と証言 165 本多勝一様への返書 本多勝一様への追伸 広津氏の四原則と『中国の旅』 「百人斬り」と「殺人ゲーム」 本多勝一氏とおしゃべり鸚鵡 宗教用語としての日本語 さようなら「天秤の世界」 〈付〉 二 雑音でいじめられる側の眼 本多勝一 wikipediaの山本に対する評価はかなり辛い、私は山本のファンなのでがっかりした。それぞれ専門家が書けば辛い点などいくらでも出てくるだろう、例えばニューヨークでユダヤ人の老夫婦が高級ホテル住まいなどあり得るかもしれない。ユダヤ人は安全をお金で買うという伝説を信じればあり得ないことではない、しかし実際には高級ホテルを住まいにしているのは超リッチな種族か成金くらいのもので、ユダヤ人の老夫婦は賢く投資をして”つましく”生活をしている。 ユダヤ民族は元々はシナイ半島を中心とする砂漠の遊牧民でアラブ民族の親戚筋に当たる。しかし宗教と民族戦争に敗れて世界中に離散してしまった民族で、その主な拠点をヨーロッパに置いた。ヨーロッパを拠点にすると自動的に白人の世界制覇の片棒を担ぐことになり、そこから世界中に手を伸ばしてユダヤ世界の利権を獲得し巨万の富を築いている。アメリカ建国の大きな部分で重要な人物の大きな部分が実はユダヤ系だということは最近知られた事実である。スターリンもルーズベルトもチャーチルもナチスの高官さえも元をただせばユダヤ系だという説、読んでみれば中々説得力ある読み物となっている、後日紹介したい。 ユダヤ人が日本には生活のために来ないのは価値観がまったく異なるからだ、たとえ敬虔なユダヤ教徒でなくてもその価値観はいかんともしがたく、日本は彼らにとっては住みやすい国ではない。 本田勝一の百人斬りに至っては正直にいうと開いた口が塞がらない。私は実際に日本刀を手にとって見たが、あんな重いもので人をバッタバッタ斬れるはずがない。私は南米に10年以上住んでいたが、牛肉は日本でイワシ感覚で食べるもので貧乏人の食べ物である。牛肉を包丁で切るとする脂身の部分で切れが悪くなる、その度にヤスリで脂身を落とさないと連続して切ることはできない。日本刀ならば人間の脂の部分は強烈なので1回切ったら脂を全部ふき取らないと2回目が使えない。骨に当たると刃先はギザギザになりまるでノコギリみたいになってしまうだろう。包丁で牛や豚の骨を叩いてみればすぐ分かる、考えてみれば分かることを本田は書き物の魔術で人に信じ込ませてしまった。
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私はニーナ9歳になったばかり 生まれはシアトルの海軍病院で パパがカールビンソンに乗って ハワイにいたから私は 日本から来たおばあちゃんが生まれるときにへその緒を切ったんだって 日本に行ったのは5ヶ月の時で覚えてない(トーゼン) 日本で大好物なのは 焼きおにぎり 納豆 トーフ ツナおにぎり(コンビニ製じゃないとだめ) ママは日本で一時110キロ越えてたけど いまは60キロ台でおすまし写真で ネットで自分の写真をあちこちに送ってパパが呆れてる 弟のアルヴィン こいつチョーなまいき 6歳だけど パパやママと本気でやりあうの パパが本気で怒ってベルトを持ち出すと走って逃げるの 速い速い 日本を離れて10月でもう2年 はやいなー うちは車が1台しかないの 日本では2台あったのに パパのいまのお給料では2台目はまだ買えないの 泣けるククク・・・ おにぎりたべたい LAは広すぎてママが車がないから おにぎり売っているスーパーまで 遠くてがまんしてる ああそうだ おじいちゃん誕生日カードありがとう キッス送るね おばあちゃん大事にしてね アメリカよりニーナ |
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古代中国の殷王朝(いん。B.C.2千年紀前半〜B.C.11C)の最後の王・紂王(ちゅうおう。?〜B.C.1027頃)の叔父に当たる箕子(きし)が、殷滅亡後、朝鮮の平壌地方に箕子朝鮮(きしちょうせん。?〜B.C.190頃)という部族国家を建設したという伝説がある。朝鮮における最初の国家である。同国の王に仕えた中国からの亡命者衛満(えいまん。生没年不明。)は、B.C.190年頃、箕子朝鮮の王位を簒奪して衛氏朝鮮(えいしちょうせん。B.C.190頃〜B.C.108。首都は王険城。現・平壌)を建国した。この頃に建った朝鮮半島の部族国家は古朝鮮(こちょうせん)と呼ばれる。 衛氏朝鮮は3代約80余年にわたって朝鮮を支配してきたが、B.C.108年、中国の大王朝・前漢(B.C.202〜A.D.8)の武帝(ぶてい。位B.C.141〜B.C.87)による攻撃を受け、滅亡した。同年、武帝は朝鮮北部に楽浪郡(らくろうぐん。〜A.D.313)、真番郡(しんばんぐん。〜B.C.82)、臨屯郡(りんとんぐん。〜B.C.82)、玄菟郡(げんとぐん。〜A.D.4C初)の朝鮮4郡を設置し、同地は前漢の直轄地となった。 中国の東北地方では、ツングース系の夫余族(扶余族。ふよぞく)がB.C.37年頃(?)に高句麗(こうくり。B.C.37?〜B.C.668)を建国した。高句麗は次第に朝鮮半島北部へ進出し、313年楽浪郡を滅ぼして、同地を領有した。第19代王・広開土王(こうかいどおう。好太王。こうたいおう。位391〜412)の時、領域は朝鮮半島中部にまで及び、次の長寿王(ちょうじゅおう。位413〜491)の時、首都を丸都城(がんとじょう。現在の中国吉林省集安。鴨緑江(おうりょっこう)中流)から平壌(ピョンヤン)に遷都し(427)、高句麗の全盛期を迎えた。 朝鮮半島南部では、アルタイ語系ともいわれている韓族が、3世期頃、馬韓(ばかん。西南部。)、辰韓(しんかん。南東部)、弁韓(べんかん。馬韓と辰韓の間)の三韓をおこした。三韓はそれぞれ小部族国家群をおこしていたが、4世紀半ばに統一が進んで、馬韓は百済(くだら。ひゃくさい。345頃〜660)となり、辰韓は新羅(しらぎ。しんら。356〜935)、弁韓は加羅(から。任那。にんな。みまな。伽耶。かや。4C後半〜562)となって成立した。加羅は日本・大和政権の半島進出の拠点ともなったが、562年新羅に滅ぼされ、結局朝鮮半島は高句麗・百済・新羅の3つの大国を中心に形成された(三国時代。〜7C)。 中国・隋(581〜618)の時、皇帝煬帝(ようだい。位604〜618)は、3度の高句麗遠征を強行した(第1回610、第2回612、第3回614)が、高句麗によって阻まれ、遠征は失敗した。次の唐(618〜907)の高宗(位649〜683)は、新羅の武烈王(ぶれつおう。太祖。位604〜661。)と組んで、660年百済の首都泗沘城(しびじょう)を陥落させ、百済を滅ぼした。百済の遺臣は日本に再興の援助を求め、663年、日本の水軍は朝鮮へ赴いて唐・新羅の連合軍と錦江(きんこう)河口の白村江(はくそんこう。はくすきのえ。)で戦い、大敗し、日本の朝鮮政策は挫折した(白村江の戦い)。さらに唐と新羅の連合軍は高句麗も滅ぼしたが(668)、その後は唐と新羅との間に、7年近くにわたって抗争が続いた。 676年、新羅は唐勢力を一掃し、朝鮮半島を統一させた(統一新羅樹立)。統一後、慶州(金城。きんじょう。)に都を置いたが、慶州は仏教文化が大いに栄え、仏教寺院の仏国寺の石造多宝塔や、石窟寺院の石窟庵(せっくつあん)など、多くの傑作を残した。また半跏思惟(はんかしゆい。足を組んで、手を頬に当てて考える姿)に代表される金銅仏は、日本の飛鳥文化にも伝わった。また体制は律令制度を主とし、郡県制を採用、また骨品(こっぴん)と呼ばれる身分社会制度を確立し、平和がおとずれた。しかし8C後半から王位継承をめぐって内紛が激化し、地方の有力豪族は後百済(892〜936)・後高句麗(901〜936)をそれぞれ興し、新羅・後高句麗・後百済の後三国時代になっていく。 初登場の朝鮮半島です。今回は7世紀頃までの朝鮮半島を記述させていただきました。世界史分野でも日本史分野でも重要ですね。まず、古朝鮮ですが、箕子朝鮮はまず出題されませんが、衛氏朝鮮の方は、世界史分野の前漢時代のところでたびたび出てきますので注意してください。また日本史分野では、後漢(A.D.25〜220)末、遼東の豪族・公孫氏が楽浪郡の南半分を割いて帯方郡(たいほうぐん。A.D.204頃〜313)を置いたことも知っておきましょう。 両分野の試験によく出るのはやはり高句麗・新羅・百済の三国時代でしょう。まず、位置関係を覚えておいて下さい、朝鮮半島北部に高句麗、半島西南部に百済、半島南東部に新羅です。また前身の三韓も知っておくと何かと役立ちます。辰韓(しんかん)→新羅(しんら)は"し"つながりです。また高句麗の長寿王が建てた広開土王の石碑はかなり有名で、その碑文には百済との戦いや日本(倭)の半島進出など、重要な史料が記されています(ただ碑文の解釈は原文歪曲の疑いもあるらしいです)。 新羅はこの後王健(おうけん。太祖。位918〜943)が創始した王朝高麗(こうらい。918〜1392。Koreaの語源。首都開城)によって滅ぼされます(935)。結局、高麗によって半島が統一され、後三国時代は終わりました。高麗の後は李成桂(りせいけい。位1392〜98)によって李氏朝鮮(李朝。1392〜1910)がおこされ、首都漢城(現ソウル)が繁栄しました。その後豊臣秀吉の侵入(1592〜93、97〜98)などを経て、日本の韓国併合(1910)で朝鮮の王朝史は幕を閉じます。 ツングース族概要 南米のチリや南太平洋の島々で縄文土器が出土し、北欧のハンガリー人の尻にモンゴロイド特有の蒙古斑が出るように、古代社会は我々の想像を遙かに超えた広範囲な国際交流がなされていたと思われる。従って、一国の古代史であっても、その国の史料だけで古代社会の様々な事象を解明できるほど単純ではない。「国境なき医師団」という国際的民間援助団体があるが、現代人の潜在意識には国籍や国境という概念が刷り込まれている。だが、古代人の社会に国境はない。旺盛な好奇心を発揮して、躊躇なく未知なる領域へと移動していったことだろう。 文頭にこれを書くのは、古代史の解説書などを読んでいると、現代人の固定概念を無意識に古代に投影させて論を展開していると感じられるものが多々あるが、古代史に取り込む場合、古代社会はボーダレスだとの再認識を不可欠だと言いたいからである。 確かに古代人にも帰属意識があり、一定の集団社会を象徴するトーテムを皆で信奉することによって同族の結束を醸成しているし、集団社会は特定地域内に固着することも事実である。だが、未成熟な社会体制下にいた古代人は基本的にボヘミアンだとの認識がないと、古代人の活動領域を現代の国境を前提として考察する危険性がある。では、本題に入ろう。 古代の中国大陸・朝鮮半島・日本列島を舞台に様々な古族によって歴史が創造されたが、三国の古代史に密接に関連する古族として「ツングース語系諸族」は最重要の存在である。 『ツングース語』 ツングース語はアルタイ諸言語に分類され、アルタイ語系種族は、モンゴル語系、チュルク語系、ツングース語系に大別される。チュルクとはトルコのこと。言い換えれば、古代蒙古語系、古代トルコ語系、ツングース語系と言ったほうが分かり易いかもしれない。古代中国にトルコ語? そう疑問に感じる人もいるだろうが、隋唐帝国の源流は北魏、その北魏皇帝の太武帝の字は「ブリ」、古代トルコ語の「狼」。同様に北魏武将の賀伐(がばつ)も「雄猪」のことである。異民族として中国の史籍に登場する「丁零、鉄勒、突厥」などは、すべてチュルク(トルコ)の音訳とされる。 日本語が、その文法構造や音節・音韻の多くの特徴の点で、アルタイ諸言語に類似していることは多くの言語学者が認めている。また、日本語は、扶余語または高句麗語の系統に属し、韓国語と扶余語も同祖関係にあるとする説もある。いずれにせよ、古代の倭族・韓族の言語に大きな影響を与えたのがツングース語であることに異論はない。 完
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うちの奥さんはサンバの国から連れてきたので、国外にいても自国の国籍を喪失しないためにあることをしなければならない。それが「有権者証明書」で日本には存在しない身分証明書である。4月16日月曜日に東京五反田の駅前にあるブラジル領事館に奥さんと出かけた、”駅前留学”じゃあるまいし領事館が駅前にあるなんてお手軽ではある。領事館に入るといるわいるわ、風体ですぐ日系ブラジル人だと分かる人が溢れている。 私も大昔はあの日系のひとりだった、あんな格好で帰国したのだなと考えた、大勢いる日系人のほとんどはこの「有権者証明書」の更新に来ていると分かった。ブラジルでは選挙は権利ではなくて国民の義務だ、棄権することは許されず社会参加の一環として全ての国民がたとえ国外にいても守らなければならない。それで立派な政治をしているかというと、これがでたらめで現在の大統領は金にまつわるスキャンダルで有名である。 話を戻そう、領事館で書類を貰って帰宅した。記入するのは私の役目で読んでみて驚いた、名前、生年月日、出身の町、州、両親の名前ここまではいい。学歴の欄があって文盲、小学中退、卒業、中学中退、卒業、高校中退、卒業、スペリオール(高学歴者)とある。うちの奥さんは読み書きが不自由な文盲なので「文盲」の欄にバツ印をつける。奥さんは実家が子沢山な貧しい農家の白人である、両親の最初の子供なので妹、弟のために10歳にもならないときからお金を稼ぐことを教えられた。 妻は今でも80を過ぎた父親をわがままを言うと脅しをかける、地球の反対側だから電話でだけど世話をしている妹が「最近パパがボケ気味で同じ事を何べんも繰り返したり、時々は”おもらしを”したり」などと言うと妻はたちまちキッとなり父親を呼ぶように妹に頼む。父親が出ると「パパ最近ボケたの?耳は遠いしおもらしはするし、私が読み書きできないは誰のせいかしら・・・」私はそばで聞いていて”よしなさいよ、80過ぎた親父をいじめても仕方がない”と言って妻は構わず一応の悪態だけは述べる。 妻と結婚するまで私は彼女が文盲だとは知らなかった。結婚してから分かったがもう後の祭りだった、これは「詐欺行為?」だが私がバカだと言われればその通りだ。でも子供はしつけたので長男は大学を二つも出ている、なんで二つも出たのか私は今でも知らない。母親を見る目は優しくいたわりに満ちている、息子は母親の代わりに二つも大学を卒業したのだと思う。 「有権者証明書」はブラジルでは身分証明書である。不動産売買、車の購入、運転免許証取得、公的機関の窓口では必ず提示を求められる。大統領選挙、地方議員選挙の投票は義務で本人以外は代理では投票できないようなシステムで、確かに投票しましたという証明は手帳に記載される。もし投票の記載がないと全ての市民の権利を失う、つまり市民権剥奪に等しい。ブラジルは欧米の社会システムをそのまま導入しているから日本とは大違いである、私の娘婿も日本にいながらそのまま同じシステムでアメリカの大統領選挙に投票していた。アメリカはもっと厳しくシビアで市民権剥奪は人間の生死にかかわる一大事である。 振り返って日本の自由民主主義を考えてみる。1945年にアメリカに占領されて始めて国民が自由に発言できる自由主義がアメリカのお勧めで導入された。日本にも自由主義は存在はしたが、政府の「海外拡張政策」」と国民の自由主義とはまるで水と油なので政府は危険思想だと断定して徹底的に弾圧した。これを私は「日本型軍国ファシズム」と呼んでいる。その象徴的な存在が靖国神社だ、多くの人が日本にナチスドイツ並みの軍国ファシズムが存在したことすら知らない。知らなければ中国のイチャモンに過敏に反応するのは当然で、日本にはそんなものは存在すらしなかったという前提で反応している。 戦争後の自由主義は権利を主張することである。民主主義の本来の姿は義務と権利でこれは表裏一体でどちらが欠けても成立しないものである。ところが日本の民主主義は権利の主張ばかりが叫ばれ義務はしばしば無視される、納税の義務、政治への市民参加の義務は大事なことではなく理解はしているが二次的なものと考えられている。さらに国旗、国歌は別に拒否しても構わないとは左翼が言い出したことだ、これは政府が国旗、国歌の歴史的な説明を怠りどうでもいいくせに上から押し付けた結果で、ざまはない。
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