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本名ルシアーナ・モレイラ、アフリカ系ブラジル人で美人である 男に騙されて来日、千葉県の児童相談所は腐りきっている ルシアーナの子供のアトム、8歳で利発な子供 母親は息子を取り戻したい、それには日本の法律という壁と戦うしかない 私は千葉県の片田舎に住んでいる、東京から程近いのどかな田園地帯でまだ畑が多数存在する田舎である。今日登場する人物は女性である、37歳で別れた旦那との間に離婚問題と子供の養育を争う「親権問題」を抱えている。 彼女は国籍はブラジルで日本から一番遠くの国からやってきた、最近の日本人は世界中何処でも出かける、そこで現地女性を見初めてアヘアヘになり甘言を弄して来日する、ところが来日すると突然態度が豹変する男がいる。このくそったれ男もその一人で元々精神状態が普通ではなかった、女性は何も知らず来日して妊娠そして出産した。そのころから男は本性を見せ始めた、仕事は勤めてもすぐ辞めてしまう、そのくせ一級建築士の資格だけは大事に抱えている、普通なら一級建築士なら忙しいはずだ、ところがボロアパートに住み生活保護費で生活する哀れな男である。 こういう男が地球の反対側まで一体何を求めて出かけたのかは謎である、小男で150センチに満たない身長でボサボサの髪の45歳の男、彼に引っ掛けられた女性こそ迷惑な存在で子供の親権問題もあり私の所に駆け込んできたという状況である。私の妻は元々ブラジル人でそれで彼女とは仲良くなりもう長い付き合いである、話の顛末は彼女と夫の間の不仲で、子供を彼女に相談もなく勝手に児童相談所に預けられたという所からこの話はおかしくなる。 子供というのは普通ならば母親に養育権があるはずである、しかし彼女の場合は父親が勝手に児童相談所に預けている、生活能力がなく食事も満足に出せないなら当然だと人は考える、ところがそうではなかった、子供と母親を切り離す口実として児童相談所を利用しただけだった。そこに児童相談所の職員が複雑に絡んでドロドロ劇が始まった。 ある日のこと、彼女から要請されて千葉市にある児童相談施設を訪問した、夏休みに入り施設側から子供との面会を許可すると電話があったからだ。これはどう考えても腑に落ちない出来事で母親が子供に面会するのに施設側が許可するとは異常である。そこには父親の強い意向が反映されていて、「子供と母親を勝手に会わせないでほしい」という意向が見事に出ている。児童相談所の対応にカッとなった私は担当職員に強くねじ込んだ、「おかしいのではないですか?父親は随時好きなときに子供に面会でき、それに東京、神奈川と好きな所に子供を連れ出していると話を聞きました、ではどうして母親が子供に面会できるのは相談所の都合のいいときだけとは納得できませんね」 それに対しての施設の説明は極めてあやふやだった、はっきり言えない事情がどこかにあると感じさせる対応で、面会の終了時間を迎えた。私も子供に面会できた、母親は喜んで日本語とポルトガル語で子供に話しかけた。子供というのは正直で母親のどんな言語でも理解できる、アメリカに住んでいる私の孫は日本語、英語、ポルトガル語の3言語を完璧に使いこなす。子供にとって言語とは砂漠に滴り落ちる水で全部吸い込んでしまう。それを自在に使い用事を済ませる器用なこともできる、素晴らしい子供の才能である。 父親は元々複雑な家庭環境で過ごし、幼少時代から児童施設を出たり入ったりして育ち、そこの施設の引率の女性職員と性的に弄ばれおもちゃにされその関係は現在も続いているとこれは女性の証言で判明した。これは驚くべきことで、女性職員と施設の男子生徒が性的に関係していた、彼女がなぜそういう内容を私に言ったかは不明である、夫婦喧嘩の勢いで夫が口走ったのかもしれない、また女の鋭い勘で女性職員との関係を見抜いたとも考えられる。いずれにしてもこの千葉県の児童施設の内情は完全に腐敗して悪臭が漂っていることは間違いはない。 「あの女性の先生の私を見る目つき気がついた?」 私は分からないと答えた。 「先生は私をライバル視して敵を見る目つきなのよ、10年前に来日した時にはわざわざ私を見に来たというから呆れるわ」 私は二の句が告げず言葉を失っていた。女の戦いでは男は哀れである、茫然自失その言葉しか思いつかない、50歳くらいの女性職員で現在でも独身だそうな、性的に関係した施設の生徒に義理立てをして独身なのかはそれは分からない。児童相談施設の中でそういうことがあったということだけでも大したスキャンダルとも言えるが、子供をそれに巻き込んで大人のエゴ丸出しでは救われない。 彼女が何かボソボソとつぶやいた、よく聞き取れなかったのでもう一度と催促した、するとうちの奥さんが解説した。 「旦那がお前と他の男がセックスをしている所を見てみたいと言ったそうよ、呆れた」 これは本物の最低男である、よく雑誌などでスワッピングをやりませんかと誘いがあるのを眼にするが、他の男のザーメンでドロドロになった女房をあり難がる男など最低中の最低である、女房が他の男に抱かれてそれを楽しんで見るとは趣味を通り越して品性が疑われる。 「そういう男だといつ気がついた?」 「子供を出産して間もなくよ、おかしいと文句を言えばガツンと暴力、あの男とはもう住めない、早く子供を取り返してバイバイしたいの」と答えた。男も千差万別であるが、それにしても最低野朗はいるもので、そういう男にめぐり合った彼女は気の毒としか言えない、男は結婚するまでは本性を表さない、表してもそれが限度一杯とは限らない、男に泣かされる女性は世界中にいるが、それは程度問題であろう。 明日8月25日に再びルシアーナと千葉市の児童相談所に息子に会いに出かける。相談所の若い女性職員はそういう施設のドロドロの事実は何も知らない。前回相談所を訪ねた折には私は何も話すなと彼女に釘を刺した、今回も息子とは面会だけで部外者はご遠慮くださいと言われるのは眼に見えている。一体何が相談所で起こっているのか私は事実を突き止めるつもりだ。 前回の面会で相談所の帰りに前から探していた法律事務所を訪れて担当弁護士に相談した。弁護士は「私なら1時間3120円で相談に乗ります、無給の相談員もいますがそれでは時間がかかるでしょう」と念を押された。随分細かいことを言う人だなと思ったが、正直に打ち明けられてかえって安心した。法律の壁は厚く簡単ではない、私の狙いは父親の権利それと親権問題を破壊して権利をこちら側に移すことである。 日本では外国人と日本人のトラブルでは日本人有利に事が運ばれる傾向がある、それを阻止するのは容易ではない、でもやらねばならない。母親の権利は世界共通でまして父親が生活能力がないのなら必ず勝てると確信している。父親が正常な普通の男ではないとねじこんで、権利を母親側に移すそれが狙いだ。
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生活と文化
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キムワンソプ(金完燮)はこう言っている 『親日派のための弁明』 ・現代韓国人が知らない日本統治以前の奴隷社会、死亡当時、すべての朝鮮人にとって呪いの対象だった閔妃が、今になって自主独立の殉教者として華麗に復活した現象は、韓国人が直面しているアイデンティティーの混乱を端的に示すものだ。韓国人が朝鮮王朝を慕い、日本の統治を受けず朝鮮王朝が継続したなら、もっと今日の暮らしが良くなっていると考えるのは、当時の朝鮮の実態についてきちんと分かっていないためだ。 特に子供と青少年は、きれいな道ときれいな家、整った身なり、上品な言葉遣いのテレビの歴史ドラマを観ながら、朝鮮もそれなりに立派な社会で、外勢の侵略がなかったならば、静かで平和な国家を保てたろうと錯覚する。しかし日本が来る前の朝鮮は、あまりに未開で悲惨だったという事実を知らねばならない。 江戸の写真、江戸は全部瓦屋根である ソウルの写真、家家は全部藁葺き屋根で未開地であることが一目瞭然である おっぱいペロン 乳出しは女の誇り 貴族が行く、漢字は貴族しか読めず一般大衆はハングルが読めれば上出来だった 記事: 私の家に現代韓国映画のビデオがある、時は昔の貴族時代で役人が威張りちらし民衆はヘイコラしていた、ある貴族が地方の代官に任命されて任地に赴くがその時貴族の秘書官が奥様に呼ばれる。 奥様「夫は任地に行くけど問題があるの」 秘書官「お伺いいたします、どのようなことでしょう?」 奥様「問題というのは女のことなのよ、夫は手が早くて油断も隙もあったものじゃないわ」 秘書官「それはお困りでしょう、私にお任せください、監視は怠りなくやりますから」 奥様「あなたが頼りなの、女は絶対に近づけないで」 それで貴族と秘書官は出発したが最初の宿から秘書官はうるさく貴族に申し伝えた。 秘書官「くれぐれも女には気をつけるように奥様から言われました」 貴族はむかついたがそこで一計を案じた、女を秘書官にあてがって骨抜きにしてやれ、それでその地の女が選ばれ天女の生まれ変わりに扮した、秘書官はまんまと計画に引っかかり女に夢中になった。山の流れの渓流で女を見ていた秘書官は人が来たので急いで隠れた、するといきなり捕えられ海に運ばれた、それからいきなり海に放り込まれた、ギーコギーコ、ピシャピシャと水が流れる主が聞こえた、 秘書官「助けてくれ〜〜私は貴族の秘書官だ、女に心を奪われてとんでもないことをした、許してくれもうしないから」最後には涙声になっていた。 するといきなり箱が開けられ大勢の人が見ているではないか、そこは海ではなく広場の中央だった、どっと歓声が上がった、彼はからかわれたことにやっと気がついた。貴族が珍しそうに眺めていた、ひどい!。 貴族「お前が少しうるさいのでからかったのだよ、女は適当に遊べば奥方も目くじらをたてるほどではないからな」 秘書官はがっかりした、貴族に近付いた女は箱の中に無数の歯を入れていた、仲良くなった男の歯だと女は言うがそれでゾッとした、いずれはこの女に喰われてしまうのかおお怖い!。
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NAVER ENJOY Korea 掲示板ヒストリーカテゴリより kimuranobuo05様投稿 韓国歴史教育、驚愕の捏造!(日韓併合の真実) 韓国国定中学校国史教科書 ○日帝は李完用を中心にした親日内閣に対して日帝に合併するよう条約を強要しつ いにわが民族の国権を強奪した。 ○日帝の支配下で、わが民族はとくに経済的な収奪によってひどい苦 痛を受けるようになった。この中でもっとも大きな被害を被ったのが土地の侵奪だった。 ○日帝は韓国 の土地を略奪すると同時に、わが民族の産業活動を様々な点で制約し、あらゆる手段を尽くして資源を略奪 した。 1) 先ず、併合は韓国側の請願によって合法的に進められた。また、原因は朝鮮王朝に国家を運営する能力が無く、日本との信頼関係を裏切り、国際的な信用を無くしたあげくの併合であった事実を忘れてはならない。国を治める力が無く、陰謀と裏切りと変節の果てに国を失った朝鮮王朝の自業自得である。 日本は思いやりの態度で韓国に接していると思う。今度 こそ、韓国を中国からの呪縛から解放しようとしているようだ。韓国国民に平和と繁栄と文明開化をもたらすことによって、力の弱い隣国韓国を安定した独立国にしようと考えている。こうし た日本の動機は韓国知識層である官僚の多くが歓迎している。アメリカにも異存はないと思われる。1904年10月4日 ロンドンタイムズ紙 「十二月八日− 日本が米英に宣戦布告した1941年、昭和十六年十二月八日 大東亜戦争勃発の日(後世、太平洋戦争と呼称されている)1910年、日本が韓国を併合したのは(韓国の)新皇帝が 「請願」したからであった。パールハーバー以前は、日韓関係について語る歴史家は、日本が欧米列強から 教わった国際関係の規則を、実に細かいところまで几帳面に守っていた、といってほめるのだ。トリート教授によれば、日本は「一つ一つの手続きを外交的に正しく積み上げていた。そして・・・宣言ではなく条約で、最終的な併合を達成したのである」事実、列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど「合法的」手段を踏んでいなかった。アメリカの鏡・日本ーヘレ ン・ミアーズ 朝鮮の王室と政府は腐敗堕落しきっており、頑迷な朋党は、人民の財を略奪して い る.その上、人民はあまりにも愚昧である。これでは国家独立の資格はなく、進んだ文明と経済力を持つ日本に統治させなければ、ロシアの植民地になるだろう。伊藤博文総監の施策は、朝鮮人にとって有益で、人々は反対していない。アメリカ人の朝鮮外交顧問ドーハム・スティーブンソン 2) 土地調査令 全錫淡他著、梶村秀樹他訳『朝鮮近代社会経済史』の記述によれば、日本は耕地面積のうち13万 4千余町歩を国有地とし、未墾地とされた土地、90万余町歩 も接収した。当時の課税地総面積286万7千余町歩に対して考えると、耕地面積として約5%。未墾地を含めた接収分を入れると約40%の土地を収奪した計算になる。だが、実は土地調査事業により課税地総面積は424万8千余町歩と確認された。これは、李氏朝鮮末期の政治の混乱により正確な統計が行われていなかったことに由来する。 この計算だと未墾地を含めても26%となり、未墾地を統計に入れるのは適当でないと考えればさらに少なくなる。さらに、日本人地主に有利だったとされるが、実際には日本人入植者の開墾により、耕地面積が1.4倍に増加したという統計もある。(東畑精一他『朝鮮米穀経済論』( 日本学術振興会)) 参考URLhttp://www.jiyuu-shikan.org/frontline/sugimoto/kyoukasho.html 3) 朝鮮会社令 朝鮮会社令とは1910−1920にかけて施行された、朝鮮半島における会社設立の届け出・認可制度のことである。李氏朝鮮末期、朝鮮半島には産業と呼べるものは全く存在せず、無慈悲で無能な支配階級と搾取される貧民しかいなかった。貧弱な商業基盤しか持たず、そもそも貨幣経済が機能していなかった。そのような状態で資本化が進行すればどうなるか?ということについて、19世紀の同時期に実例がある。 三国協商時のロシアに於いては資本化が他の西欧諸国よりもさらに急速に行われたために貧富の差が拡大し労働者はいっそう搾取され、後の共産革命の遠因ともなった。日本に於いても明治時代の都市住民の貧窮についての記録は多い。もし、朝鮮半島で無制限に資本化が行われれば、たちまち未発達な商業基盤しか持たない朝鮮産業は壊滅し、資本家と労働者の貧富の差はさらに広がったに違いない。朝鮮会社令の目的も、経済の知識がない朝鮮人による利権目的の会社乱立など、詐欺的な行為から一般の朝鮮人を保護する目的であったとされている。 上記の通り日本による「収奪」の事実はなく、韓国歴史教育は明らかに間違った内容を教育している。
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兵隊は戦地に行けば女を欲しがる、昭和10年代に満州で現地で兵隊の現地女性の婦女暴行事件が多発、困り果てた軍は業者である「女衒」を呼んで対策を協議、それでは満州にも慰安所を作ろうと話が決まった。写真の女性達は慰安所で兵隊相手に体を売っていた「お女郎さん」で総理大臣より高給取りだった。女の産地は日本以外では朝鮮半島が圧倒的に多く女衒が募集をかけると押すな押すなの大混乱になった。朝鮮では昔から「お女郎」は女の大事な職業であり金を稼げるとあらば大混乱になるのも無理は無かった。 熊井啓監督の映画「サンダカン八番娼館・望郷」では女衒に集められた女達が各地の戦地に配属された。舞台はインドネシアでそこで娼館の女将を務める水之江滝子は昔女衒で散々世話を焼かせた男に出会う、男はこう述べた。 「南洋開発には女が必要だ、それでお宅の女を少し回してもらえんだろうか」 「何を言うか!昔女衒で人に散々っぱら世話になりよって!」 「オレはもう女衒じゃなか、こう見えても南洋開発の責任者じゃけん」 それで水之江は腹を決めた、可愛い女の間から数人を引き抜いて南方開発に回さなければと。
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タタール人 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 タタール人(-じん、Tatar xalqı)は、おもにロシア・CIS諸国(旧ソ連)に居住するテュルク系民族。 分類と分布 タタールという名は、もともとキプチャク・ハン国支配期のロシア人によって東方・南方の草原地帯に住むモンゴル帝国のモンゴル系・テュルク系の人々を漠然と指す民族名称であったのが、ロシア帝国の拡大とともにロシア支配下の旧キプチャク・ハン国系のテュルク系ムスリム(イスラム教徒)の人々を指す語に転じ、やがて自称としても用いられるようになったものである。 もともと他称的な総称であるため、タタールと呼ばれる人々は広い分布範囲の中でいくつもの集団に分かれており、おおよそ居住地域によってカザン・タタール人、カシモフ・タタール人、シベリア・タタール人、アストラハン・タタール人、クリミア・タタール人、リトアニア・タタール人などに区分される。この中でも最大の人口を持つのはカザン・タタール人を中心にロシア連邦内の国、タタールスタン共和国を形成するヴォルガ・タタール人であり、単純にタタール人と言った場合は多くヴォルガ・タタール人を指す。
ヴォルガ・タタール人
ヴォルガ川中流地方を原住地とするヴォルガ・タタール人は、カザンを首都とするタタールスタン共和国を中心に、ロシア連邦の各地に住む民族である。統計上の総人口はおよそ550万人で、ソ連崩壊後のロシアにおいてロシア人に次ぐ第2位の人口を有する。ただし、クリミア・タタール人以外のタタール人はみなヴォルガ・タタール人と同じタタール人として計上しているためヴォルガ・タタール人単独の数値ではない。タタールスタン共和国の人口380万人のうち、50%強がタタール人で、タタールスタンはロシア連邦の非ロシア系民族の国の中では特に高い経済力、政治的発言力を持つ有力な連邦構成主体である。また、およそ5000人のタタール人が中国の新疆ウイグル自治区に居住し、タタール族(塔塔爾族)と呼ばれて中国55少数民族のひとつに数えられている。 タタール人はスンナ派のムスリムを主体とする。周辺の諸民族との通婚が進んでいるため、形質的にはまったくのコーカソイドで、外見でロシア人との見分けをつけることは外国人には難しい。
歴史
この節では主に、ヴォルガ・タタール人の歴史について扱う。タタール人と呼ばれる諸民族全体の歴史については、タタールを参照されたい。もともとフィン・ウゴル系民族が主体であったヴォルガ地方にテュルク系民族が流入するのは7世紀のことである。この頃、アゾフ海北岸から黒海北岸の方面で遊牧国家を形成したテュルク系のブルガールが分裂し、西進した人々はドナウ川流域にブルガリア帝国を建設してスラヴ化してゆくが、東進した人々はヴォルガ川中流の屈曲部に定住してヴォルガ・ブルガールと呼ばれる王国を建国、ヴォルガ川下流域に勢力を拡大したテュルク系の遊牧国家ハザールに服属した。10世紀にハザールが衰退すると、ヴォルガ・ブルガールはハザールに代わって中央アジアのイスラム勢力と、西のルーシ(ロシア)の人々との間の仲介交易に携わるようになって繁栄した。 13世紀初頭、東方の草原地帯にモンゴル帝国が起こるとヴォルガ・ブルガールはその進攻を受けるようになり、1236年にバトゥ率いるヨーロッパ遠征軍の最初の標的とされてバトゥの立てたキプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)に併合された。モンゴルの支配下でヴォルガ地方には、ヴォルガ下流域のテュルク系遊牧民キプチャク系の人々が盛んに流入するようになり、民族の混交が起こって言語的にもキプチャク化していった。ヴォルガ・タタール人の先祖となる人々はこうして形成されたが、言語的にテュルク諸語のうちでも特殊なグループに属するブルガールの言葉の特徴を残しているのは、ヴォルガ・タタールよりもむしろ北に住むチュヴァシ人である。 キプチャク・ハン国時代は南の草原地帯が諸勢力の興亡の舞台となったため、ヴォルガ中流は歴史の中心から外れていたが、15世紀にチンギス・ハーンの末裔同士で草原で繰り広げられていた王位争いに敗れた王族ウルグ・ムハンマド(大ムハンマド)という人物が1438年にヴォルガ中流域に後退してカザンで王位につき、カザン・ハン国を建国した。カザン・ハン国は南の草原から持ち込んだイスラム教を支配下のヴォルガ中流域に広め、東西の中継交易を掌握して繁栄したが、16世紀に入ると王位を巡る争いから衰退し、1552年にロシアのイヴァン4世によって征服された。こうしてロシアの支配下に入ったカザン・ハン国の遺民のテュルク系ムスリムがカザン・タタール人となる。 ロシア帝国のもとでカザンにはキリスト教の文化が持ち込まれ、ロシア人が流入してきたためにタタール人はロシア帝国の各地に拡散していった。一時はイスラム教の信仰も廃れ、キリスト教に改宗してロシア化してゆく者も増えたが、18世紀に入ると、エカチェリーナ2世らの啓蒙専制君主のもと、ロシア帝国はイスラム教の抑制を改め、ロシア文化に親しんで「文明」化したムスリムであるタタール人のイスラム信仰を保護し、いまだ「野蛮」な中央アジアやカフカスのムスリムの教化にあたらせようとする政策に転じたため、ヴォルガ・タタール人はロシア帝国下のムスリムの最先進民族として優遇されるとともに、中央アジアやカフカスの各地で商業・交易活動に従事して富裕な共同体へと発展していった。19世紀末から20世紀初頭にはロシア帝国のムスリム諸民族の教育・文化を改革し、ロシア帝国の枠内での自治を認めさせることを目指す運動の主導的役割を果たし、一部は中国領の東トルキスタン(新疆)にまで進出して新疆の民族運動に加わった。 ロシア革命では、ムスリム諸民族を統合した連邦をつくりソビエト国家の枠内での自治を実現しようとするタタール人共産主義者ミールサイト・スルタンガリエフらが活躍したが、ロシア人主体のソビエト政権は民族ごとの自治領域を設定してムスリムを民族ごとに細分することにし、1920年にタタール人の自治領域としてタタール自治共和国が現在のタタールスタン共和国の地に建設された。 また、ロシア帝国の末期頃から、ヴォルガのタタール人はブルガール人の末裔であると主張して、ブルガール人の自治実現を目指す動きも起こっていたが、タタール自治共和国の建設ともにこれまで漠然とタタールと呼ばれていた人々をまとめて指す民族名としてタタール人という名が公式に設定され、ヴォルガ・タタール人のみを指すブルガールの民族名は否定された。その後、ソ連末期に比較的大きな人口を持つクリミア・タタール人がタタール人と別民族であることを認められたが、現在もその他のタタールはタタールと総称されたままである。
著名なタタール人
ヴォルガ・タタール人 ソフィア・グバイドゥーリナ - 作曲家ディナラ・サフィナ - テニス選手 マラト・サフィン - テニス選手 ミンチメル・シャイミーエフ - 政治家 ルドルフ・ヌレエフ - バレエダンサー チュルパン・ハマートヴァ - 女優
ロシア化したタタール人を先祖にもつロシア人
アンナ・アフマートヴァ - ソ連の詩人フェリックス・ユスポフ - 帝政ロシア末期の貴族 セルゲイ・ラフマニノフ - ロシアの作曲家・ピアニスト チャールズ・ブロンソン - アメリカ タタール人の子孫 の俳優(祖先がリトアニア系のリプカ・タタール人) ロイ・ジェームス - タレント(両親がカザン・タタール人、本人は日本生まれ) 要するにタタール人とはモンゴロイド(北方系アジア人)の目が狐目でほほ骨が高くのっぺりした中国人、朝鮮人、日本人の特徴を備えた民族の子孫のことである。この民族は北はフィンランドから南は南米最南端のホーン岬まで分布する世界最大の民族である。 フィンランド在住のタタール人は先住民族で北方アジア系の特徴を色濃く残している、彼らはコーカソイド系の民族で狩猟を得意とする、チンギス・ハーンの西方遠征よりはるかに古くかなり昔から西洋に分布していた。民族の混合をあまりしていなくて古いタタール人と呼ばれている。
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