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恐ろしく騒々しい事件だった、マスコミは取材に殺到し週刊誌は仰々しく書きたてた、事件の内容もさることながら日本中を震撼させた事件で渦中の林被告は戦後の「毒婦」と呼ばれて世間からつまはじきにされた。 概要 事件 1998年7月25日に園部地区で行われた夏祭りで、カレーを食べた67人が腹痛や吐き気などを訴えて病院に搬送され、4人(64歳男性、54歳男性、16歳女性、10歳男性)が死亡した。 当初保健所は食中毒によるものと判断したが、和歌山県警は吐瀉物を検査し、青酸の反応が出たことから青酸中毒によるものと判断。しかし、症状が青酸中毒と合致しないという指摘を受け、警察庁の科学警察研究所が改めて調査して亜ヒ酸の混入が判明した。 逮捕後 1998年10月4日、知人男性に対する殺人未遂と保険金詐欺の容疑で主婦・林眞須美(はやし ますみ、1961年7月22日 - )が逮捕された。更に12月9日には、カレーへの亜ヒ酸の混入による殺人と殺人未遂の容疑で再逮捕された。 林は容疑を全面否認したまま裁判へと臨み、1審の和歌山地裁、2審の大阪高裁において共に死刑判決を受け上告していたが、2009年4月21日に最高裁判所が上告を棄却。判決訂正も5月19日付で棄却したため死刑が確定した。林は戦後日本では11人目の女性死刑囚である。 裁判の反響 1審において被告が完全黙秘を行い、メディアがこれについて批判的な報道を行ったため、1審の判決文において黙秘権の意義に関し、専らメディア向けとみられる一般的な判示がなされるなど、刑事裁判の在り方の点から見ても特異な事件となった。 自白といった直接的な証拠がなく、状況証拠だけで死刑判決が出された事件として異例だったと言える。裁判では動機も解明されなかったが、そのことが被告が犯人であるという認定を左右しないと最高裁で認定されるなど、未必の故意による殺人としても異例である。 裁判ではテレビで放映された被告人に対する取材映像が証拠として採用され、テレビ局などからの強い反発をよんだ。これに対し、最高裁では「報道された情報をなぜ証拠としてはならないのか、理解に苦しむ」とするなど、話題に事欠かない裁判となった。 また、この事件後子供たちは児童養護施設に送られたが、長男が女性職員に性的関係を強要されたと報道されている(和歌山少年暴行事件)。 この事件は様々の憶測を呼んだ、被告が日ごろから近所付き合いが苦手で事件当日も不自然な動きがあったこと、また前に旦那と共謀して保険金詐欺事件を起こしていたこと、それらが一変にマスコミと週刊誌で報じられて「平成の毒婦」とまで呼ばれた。林被告は担当の弁護士に「セックスがしたい」と切実に訴えている、30代の女盛りならば当然で独房ではそれも敵わず2本の指で自分を慰めていたと考えると哀れである。豪邸は現在は取り壊され更地になっていると報道ではあった。
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生活と文化
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温家宝首相 日本は政治と経済と外交で中国の「後塵」をもろに受けている、ところが日本人は平気で慌てる人間さえいない、これはどうしたことだろうか、中国など相手にもしないという意味か、それとも最初から諦めて勝負はしないと宣言しているのだろうか。私は後者ではないかと考えている、日本は昔から戦争でも政治でも外交でも中国に勝ったためしがないのである。日本には「大陸は鬼門」であると言われてきた、その遺伝子は現在でも有効で中国と聞いただけで日本人は腰が引けてしまうと考える。 中国を動かす二人の男が写真の人物である、「敵は撃滅して息の根を止めろ」の中国では国家主席と首相に上り詰めるのは並大抵のことではない、13億人民の頂点に立つ人物で世界最高の政治家でもある。 日本のぬるま湯的な政治土壌の中で苦労知らずの世襲議員が幅を利かせている中では中国の激烈な政治闘争など及びもつかない、政治とは中国では倒すか倒されるかの道しかない、負ければ永遠に舞台から消滅するだけだ。日本の政治は小沢氏が辞任したように次の候補を立てるだけで激烈さとは無縁である、いわば井戸端会議の延長で政治は決定される、それから忘れてはならないのは談合体質で運営されることだ。
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西洋人が見たチベットはナチスドイツ党員であったハインリッヒ・ハラーの自叙伝「チベットでの7年」で映画でブラッド・ピットが演じているのが一般的なもの。映画では中国の横暴さを強調し西洋人が侵略した世界各地の実像は見事にスルーしている。 中国は建国してからまずチベットを抑えた、それから新疆ウイグル自治区を手に入れている、これは地政学的な根拠がその原因である。チベットはインドを意識してそれから新疆ウイグルは旧ソ連を意識したものである。国境を隣接した国はまずその隣人を考えた手を打つ、それが地政学的な根拠である、西洋諸国の度重なる侵略を受けた中国は肝に銘じて外国勢力の侵略は許さないとそれで建国すると隣接した地域を押さえた。 日本では中国は侵略国家であると声高々に主張する人間が存在する、その昔に日本は海外を侵略したと言うと「そんな昔のことは知らない」と逃げる、随分いい加減な話ではないか、日本はインドからオーストラリアまで侵略して海外では戦争をした国として有名である、昔のことは知らないでは済まされない、歴史は100年200年たとうとついて回る事実である。現代日本人は昔の戦争はケロリと忘れて中国を非難する愚を平気で侵す、「強盗にも三分の理がある」と言いたそうである。 このおめでたい日本人の実像は世界中で笑われている、しかし日本人はそのことにはまったく気がつかない。西洋は侵略を止めたが今度は中国の出番であると考える、中国とインドは仲が悪い、お互いに巨大な人口を抱えてお互いに地域の主だと主張するからだ。中国人のロシアに対する警戒感も尋常のものではない、両国はすでに何度も衝突している、お互いに巨大な人口を抱え国境を越えて進出する悪夢を見ている。
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ベネズエラのチャベスと言えば有名な「反米」であり南米諸国の評判はよくない、彼は一時期のカストロのように反米思想で凝り固まっている、南米諸国は否応なくアメリカと仲良くしなければならないがチャベスはアメリカが怒ることなら何でもやってのける、「あいつは馬鹿だ、いやたいしたものだ」と評価は分かれるが南米諸国の足を引っ張る行為にはそれぞれの国が怒り出している。
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長崎市内にある母の実家の墓、近藤長次郎の墓が見える市の歴史探索の道に指定されている 昔祖父の義弟が生存中に妙な話を聞いた、土佐浪士の墓が実家にあるというのだ、早速話の裏を取るために有名な歴史書の「歴史読本」を購入した、そこに近藤長次郎の話が書いてあった、近藤は土佐の下級武士の息子で実家では饅頭を作って生活していた。やがて坂本竜馬が長崎で海援隊を設立するとその一員となるが彼は海援隊の規則を破り英国船でヨーロッパに密航を企て海援隊に逮捕される。 この様子は昔萬屋金之助の弟の中村嘉津男主演の映画でしっかり見ていた、近藤は長崎の母の実家に閉じ込められ坂本などから隊規違反のかどで詰問される、「饅頭屋饅頭屋と散々馬鹿にしておいて今度は腹を切れか!」そう言い放って別室で見事に腹をかっさばいて自決している。小柄で短駆の体に不釣合いの長い刀を差し海援隊を恨みながらの死であった。その墓は祖父母の墓の前にあった さて今度は父方の祖父の話に移動しよう、祖父の素性を兄弟の誰も知らなかった、そこで私は長崎市役所の戸籍係りに出向き祖父の戸籍謄本を求めた。しかし係りの人は死亡した人の戸籍は身内でも閲覧できないと冷たい返事である、困った私は必死に訳を話した、家族が誰も祖父の素性を知らないこのまま忘れるのは残念である係りの人はじっと耳を傾けてくれた。 「分かりました調べてみましょう住所など分かりますか?」そういわれて私は困った70年前の住所など知るわけがない、そこで家族の会話で出てきた当時の町の名前をうろ覚えに説明した、そしたら係りの人は見事に見つけ出してくれた。これには仰天してしまった、膨大な資料の中から探し出す仕事はまさにプロの仕事でとても敵わないと脱帽ものである。 「原田初太郎、本籍地熊本県天草市」なぬ?爺様は天草男だった、「生年月日元治元年」はて?こんな年号は聞いたことないぞ、そこで年号表を買って調べると元治、慶応、明治と江戸時代の生まれだった。まさか!父は祖父が随分年を取ってから生まれた孫みたいな息子だったのだ。しかも祖母は広島県出身だったこれも仰天した。天草男と広島女が長崎で出会い結婚した、幕末の時代に随分ロマンスのある出会いをしたものだと感心してしまった。 そこで私の得意である想像力を働かせて時代を探ってみよう、坂本竜馬は暗殺される前でまだ生きていた、さらに西郷が「征韓論」に敗れて下野して西南戦争を始めて熊本城で大激戦を展開した時には祖父は14歳だった、かなり距離があるが天草で砲声や銃撃戦の音などを聞いたかもしれない。祖父が生まれてから坂本竜馬は暗殺されている、近藤長次郎の自決もしかりで激動の幕末で何を考えていたのか興味がある。
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