|
姜瑜報道官 中独関係の健全で安定した発展を希望 外交部の姜瑜報道官は20日の定例会見で、ドイツが「1つの中国」政策を引き続き堅持していることを称賛するとともに、中国は両国関係の健全で安定した発展を促すためドイツ側と共に努力していく考えだと表明した。 楊潔チ外交部長は22日、イラン核問題をめぐる6カ国外相会議の席で、ドイツのシュタインマイヤー外相との2国間会談も予定している。同国のガブリエル環境相が今月末に訪中するとも伝えられる。これは中独関係が最近の障害をすでに克服し、立て直しを始めたことを意味するものか。 中国政府はドイツとの友好関係を非常に重視しており、常に戦略的見地と長期的角度に立って、両国関係に生じた問題を分析・処理している。双方は最近、中独関係に生じた困難を克服し、その安定で健全な発展を促すために話し合いを重ねた。ドイツ側は、同国政府が対中関係の発展を強く重視し、「1つの中国」政策を引き続き断固遂行し、台湾と西蔵(チベット)が中国領の一部であることを認め、台湾の「国連加盟住民投票」に断固として反対し、西蔵独立を謀るいかなる努力も支持せず、奨励しないと表明した。中国側はこれを称賛すると共に、ドイツ側と共に努力し、相互尊重・平等対応・内政への相互不干渉など国際関係の基本準則に基づき、中独関係の健全で安定した発展を促していく意向を表明した。(編集NA)
「人民網日本語版」2008年1月21日
ブラウン英首相訪中 戦略的パートナーシップを推進'外交部の定例会見で17日、姜瑜報道官が記者の質問に答えた。 英国のブラウン首相が18日訪中したが、中国側は何を期待するか。 中国は英国のブラウン首相が中国を公式訪問することを強く重視している。今訪問を通じて両国の戦略対話が強化され、相互信頼が増進され、協力が深まり、中英の全面的・戦略的パートナーシップの長期的で健全かつ安定した発展が推進されることを希望する。ブラウン首相は18日、温家宝総理と会談するほか、中英商工業サミットでスピーチを行う。中英両国の経済貿易協力の発展基調は良好だ。 英国は最近、欧州連合(EU)最大の対中投資国の地位を常に保っている。両国間の貿易額も近年増加傾向を維持し、昨年は400億ドルに達したと見込まれる。中国側も英側と財政金融・科学技術・文化教育・環境保護・持続可能な発展を含むその他各分野における友好互恵協力を強化していくことを望んでいる。今訪問が双方の互恵協力の踏み込んだ発展を推進することを希望する。(編集NA)
「人民網日本語版」2008年1月18日
外交部「インド首相の訪中に大きな成果」外交部の秦剛報道官は15日のメディアブリーフィングで、インドのシン首相の今回の訪中について、内容に富み、双方が重要な成果を得られ、共に成果への満足感を示したと述べた。会見の主な内容は次の通り。 一つ目の成果は、シン首相の訪中で相互の政治的相互信頼が深まり、両国関係の正確な位置付けを見出したことだ。二つ目の成果は、双方が中印関係をいかに発展させるかという新しい具体的な認識を共有したことだ。この共通認識は現在、上層部の緊密な往来、政治的相互信頼の増進などを含む多方面に現れている。シン首相は、インドが「一つの中国」政策を引き続き守り、「台湾独立」を支持せず、台湾の「国連加盟」を支持しないと強調した。中国はこれについて称賛し、感謝する。また、両国外相の年内相互訪問実現、第4回戦略対話の開催、貿易と投資レベルの引き上げ、エネルギー・科学技術・環境保護分野での協力などで合意した。 両国は2国間貿易の発展に関して、2010年までに貿易額600億ドルを達成するという、従来よりも高い目標を提起した。このほか▽地域貿易に関する交渉を時機を見て始めること▽中印交流基金を設立し、両国の人員往来、とりわけ青少年の往来を奨励すること▽2010年を(中国における)「インド年」、(インドにおける)「中国年」とすること。両国の軍事交流と防衛対話を強化し、適当な時期に両国軍の第2回テロ対策合同演習を実施することなどで合意した。両国は国際問題、地域問題において交渉と協力を密にし、従来型および非従来型の安全保障に対する試練に共に対応することで合意した。 国境問題について、中印両国は戦略的角度と両国関係の大局を第一とし、平等な交渉と互いを思いやり互いに譲り合う精神で、公平で合理的かつ実際に実行可能な解決方法を早期に見出すことで合意した。国境問題が解決するまでは、共に努力して国境地帯の平和と安寧を守り、この一つの問題が両国関係の発展を妨げないようにするべきだとされた。(編集ID)
「人民網日本語版」2008年1月16日 http://j.people.com.cn/2008/01/16/jp20080116_82588.html
|
世界を斜めから見る
[ リスト | 詳細 ]
|
ムンバイ空港周辺のスラムは閉鎖に直面している 12才のスニタ・ビスワカルマは彼女が覚えているのは、飛行機の轟音を聞いて大きい鳥が空港がある町に入ってくることを見ていることだけだった。彼女と彼女の家族はインドの金融の中心地であるムンバイ(旧ボンベイ)の忙しい国際空港の滑走路のそばのゴミゴミしたスラムに、わずか30平方メートルのコンクリートの家に住んでいる。 アザドナガルと呼ばれているスラム街は、幅が狭い通路がまるで迷路のように入り組んでいる、その幾つかの家は半世紀以上前に建てられたもので、まるでジャングルの中にいる気分になる。多くの居住者を雇用している小さな工場はその周辺に点在している。 「私のフライトが日中に着陸するときは、時々、飛行機がスラムの小屋の上か滑走路以外のとんでもない場所に着陸したような感じを持つよ。それは誰にもとっても同じで安全には見えないと思うよ」と彼が言う。現在インド政府は約80万平方メートルのスラムが居座っている境界線を10倍の800万平方メートルの国際空港と共有する不法建築の侵された土地を取り除くために動いている。 『航空管制の危険性の警戒の理由ではない』 スニタの母ギータは家内職として人工宝石でビーズを編むことで家計を助けている。彼女の最初の娘のグディアは人口宝石を作るために炉の火を絶やすことはない。ギータの隣人の何人かがすでにスラムを去ったと言う。「我々住民を移動させる政府の会議が長い間ありました、そして我々の住んでいる地域の通路は立ち退きのために取り壊されました」と彼女が言う。スラムを破壊する動きは一部の居住者から激しい反対に出会い政府はそれに応じている。 彼らは彼らの仕事への混乱、遠くに彼らの商品を移動し、売る市場から移ることに関する問題と、彼らの子供たちが学校を移動させなければならない遠距離を恐れている。当局は住居を移動する明確な警戒感と理由がないと言っている。「スラム居住者は移住させます。これらの構築物は空港の飛行管制を明らかに阻害していて、滑走路が非常に狭い印象をパイロットに与えるからです」と、ムンバイ国際空港社のスポークスマンのマニシュ・カルガギが言う。 アザドナガルの居住者は、飛行機の耳をつんざくような轟音を聞いて、生涯ずっと、滑走路の近くで危うく生きてきたにもかかわらず、彼らの家を出たくはない。ムンバイが3年前モンスーンの豪雨で町中が浸水した、そして空港滑走路が水中になったときでもスラム居住者は誰も去らなかった。 論争 アーミナ・モハンマド・ウナ部族長は、洪水は彼女を少しも怖がらせなかったと言う。しかし、静かに移住申し込みに応じて出て行った隣人の光景は彼女をものすごく神経質にしている。「人々が黙って去るならば、我々は何のためにここで頑張っているのですか?我々のものはこの通路に残っています、居住者と一緒の唯一の家です。現在、私はここに留まりたい気分ではありません。でも新しい家は遠い、それはより良い試みでしょうが、ここで一人で頑張るのもまた選択肢のひとつです」と彼女が言う。 大部分の居住者はムンバイの外の都市境界の方へ動かされていますと彼女が言う。人権保護活動家のモハンマド・ヤシンは、スラム街で都市の1200万人口のムンバイの約60%に達する、論争において常に泥で汚されるのは彼らスラム住民で、汚いから不潔だから移住しろとはなんたることだと腹を立てている。 スラムに戻ってもスニタは彼らの家の廻りで渦巻いている論争をほとんど知らない。そしていつもの生活は通常通り続いている。学校から帰った後に、彼女は友人とアザドナガルの渋滞した通路を巡回して、少女特有の情報を交換している。 彼女の姉妹はビーズ編みで忙しい、そして彼女の母は父親が仕事から帰るのを待っていた。「私は母がこの頃それほど心配する理由をほとんど理解することができない」と彼女が明るく微笑んだ。 |
|
彼が引退したらドミトリー・メドヴェージェフ(左側)はプーチンの代理を務めることができるか? クレムリン・ウォッチャーは、どのように馬鹿にされたかロシアのプーチン氏は来年大統領の座から身を引くことになっている、しかし彼の思惑としては政治的な影響力を今後も維持して、国際社会の中でプーチンの意向を無視しては何事も決まらないと認識させることにある。この2年の間、モスクワ番の記者とクレムリン・ウォッチャーのお気に入りの気晴しのうちのひとつは、彼が引退して誰が彼の代理を務めるかについて賭けていた。プーチン氏は早くに引退すると明言していた、そうなると後継者問題が浮上するのは必然的なものだ。初期の掛け金はドミトリー・メドヴェージェフと呼ばれるプーチン氏の若侍に賭けられた。今年の初めまでにこの重い賭けは、プーチン氏のKGB時代からの旧友セルゲイ・イワノフに変わった。それが2週前までに固定した観測だった。そのとき、イワノフ氏か突然ロシアの大統領になっているメドヴェージェフ氏の確率が劇的に延びた。 ところが出し抜けに、プーチン氏はロシアの新任の首相として完全な未知数の人物を指名した。ビクトル・ズブコフ。 ロシアの指導者が指名しした人物は全ての可能性を暗示するものだった。現在プーチン氏の代理を務める男として無名のズブコフ氏が大統領として彼の後を継ぐ優れた候補であるように公然と提案した。1週後にプーチン氏は、彼が来年3月に大統領から退くとき、彼自身が首相になる最良の候補であると提案した。こういうことは総体的な政治予想で政治記者を大混乱に陥れた、そしてその説明でまたまた大論争となったのである。はっきりした結論としては、現在ロシアの指導者としてプーチンの後を継ぐ男が、多分プーチン自身であるということだ。 宣伝 我々は現在、我々自身に、この予測ができなかった理由を分析している。主な理由はプーチン氏が非常に優れた演劇を上演したということだ。 しかし、後察力の恩恵で反対意見の危険信号がしばらくの間そこに滞在した。私は何かが常識によくないと理解した最初の意識が8月中旬にあったと思う。ロシアの主な新聞はシベリアでの彼の夏休みのプーチン氏の大きな写真を載せ始めた。プーチン大統領(55歳)は荒野の全域で、または彼のベルトの巨大なジャングルナイフを手に持って外をじっと見つめている、モンゴルの馬にまたがって非常に不自然な男性的な姿勢が強調された一群の写真で示された。しかし本当の名演技は裸の胸をさらしたプーチン氏のショットだった。彼の筋肉がさざ波を立てるようだった。シベリアの川で釣りを楽しむ。 彼の英雄的なポーズはそのままソビエト時代の宣伝ポスターから切り抜いた感じを人々に印象付けた。 しかし何のために?なぜ人気がある男がすでに引退を宣言しておきながら今更宣伝を必要とするのだろうか。 『大きな力』 数日後に、私は一団のロシアの研究者と夕食をとっていた。その中の一組はクレムリンに非常に近い関係である。「それらの写真は地球上の何についてでしょうか、その意味は?」と私が彼らに聞いてみた。彼らはプーチン氏がまだ強くて男の中の男であることを示したいのです」と誰かが言った。「なぜ彼は退こうとしているこの時期に、彼が強くて男らしいことを示す必要があるのですか?」と私が主張した。「私ならそうはしませんね」、と彼らのうちのひとりが断言した。「我々がプーチン時代の終わりを目撃していると考えてください」もう一人は「本当は我々がまだプーチン時代の初めにいるということです。 私はプーチン氏が2020年代までのロシアの政治の大きな勢力であると思っています」。それは確かに効果的な意見だった。 一般の支持 必ずしもプーチン氏が彼の権限で彼の継続を企むむつもりである方法が、まだ決まったわけではない。彼はそうするつもりで彼が提案したのは首相の地位である。彼は無名のズブコフ氏を忠実な後継者に選定するかもしれない、一方4年の時間に大統領として復帰をする準備をするかもしれない。メディアの大きいかなりの量はどちらの方法ででも国家統制の下に戻された、ロシアの人々は彼を応援している。1人のBBCの同僚は最近私に冗談を言った。「ロシア人だけは共産主義者を追い払っぱらうことができた、それから後ろでは秘密警察にその代わりに共産主義者の場所を走るように促している」。 国家統制 1990年代にはロシアは民主主義の短い混沌とした時代を試みた。それは概して災害であった。しかし、混乱の中でそれは民主主義の憲法、自由投票、多数の政党、率直なメディアと市民社会の始まりを得た。政権を握っている彼の8年の間で、プーチン氏はそのもろい基盤を分解するのに力を注いだ。プーチン氏は彼が絶対に、メディアの大きいかなりの量が国家統制中で後ろに持っていかれた現在、ロシアの憲法の書面に貼り付けている外界を国民に示したくないように見える。野党はその存在の一部が議会から追い払われた。 ロシアの広大な地方の知事選挙は、単に廃止された。あらゆる場面で大多数のロシアの人々は彼を応援した。そして感謝を捧げ、彼らの国がもう一度安定して益々繁栄していて安心した。大統領を辞任することによってプーチン氏は、彼が絶対にロシアの憲法の書面に貼り付けている外界を国民に示したくない。ロシアと欧米は似ても似つかぬ水と油だからだ。 彼が力を手渡して欧米の文化から逃げることは十分にあり得ることだ。ロシアが現在夢遊病者のように歩行しているという本当の恐れがまだある、自分の道は独裁政治に戻る道筋でもある。 BBCニュース モスクワから ルパート・ウイングフィールド・ハイズ通信員
http://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/from_our_own_correspondent/7041018.stm |
|
2000年10月12日: イエメンのアデン港に停泊していた米海軍駆逐艦USSコールは自爆攻撃を受け、少なくとも6人の米海軍兵が死亡。大きい爆発の後11名が行方不明になった、そして少なくとも36名が負傷した。艦は側面に沿ってひどく深く長く傷つけられた。米国のクリントン大統領は、爆発が自爆テロ行為ならば、それが「卑劣で臆病だった」と発言した。「我々は誰に責任があっても、彼らに責任があるとみなす」と彼が記者団に語った。 艦全体が揺れた 爆発の目撃者は港の近くの建物までも揺れたように強力であったと評した。この攻撃は小型ボートに高性能爆薬を積んでUSSコールに激突したと思われている。爆発は駆逐艦の左側側面に長く12メートルもの損傷を与えた。しかし犯行声明はどこからも出されなかった。イエメン政府当局はこの攻撃は慎重に計画されたものではないと声明を出した。USSコールへの攻撃は2年前ケニヤとタンザニアで米大使館の爆破以来、アメリカを目標にしたもので最悪のものだった。ケニヤとタンザニアでは224人が犠牲になっている。 政治と軍事アナリストはすべての攻撃攻撃の背後にはサウジアラビア生まれのウサマ・ビン・ラディンがいる可能性は排除できないと述べている。USSコールはイラクに対して国連制裁を支持する米国主導の海のテロ活動妨害工作に加わるために湾に停泊していた。 パレスチナの怒り カイロのBBC通信員は地域のアメリカの大使館がすでに群衆による怒りのデモの焦点であったと言う。彼はワシントンが不当にパレスチナ人を連続して弾圧する再開された戦いの最近の連続のイスラエルに味方した結果であると思っている。ちょうどUSSコールへの攻撃の1時間以上前に、イスラエル国内のヨルダン川西岸地区のラマッラの町で、パレスチナの領土において横暴であると暴徒は3人のイスラエルの兵士をリンチ(私刑)にかけていた。彼らはイスラエル軍兵士を無残にも切断して通りに放置していた。 イスラエル軍との衝突で殺された17才のパレスチナ人の葬儀が行われていたちょうどその時、イスラエル軍兵士は町に入った。イスラエル軍の攻撃は西岸地区およびガザ地区の全域で破壊的なイスラエルのロケット攻撃を誘発した。パレスチナのリーダーであるアラファト議長の本部から50メートル地点までロケット弾は着弾した。だが彼に怪我はなかった。 USSコールへの自爆攻撃は17人の水兵を殺害し少なくとも40人を負傷させた。攻撃に使用された2隻の小型ボートには、イブラヒム・アル・タウルとアブドラ・アル・ミサワと特定された。両名ともイエメン人である。6人の男は逮捕されて彼らが攻撃予定を援助したとして告発された。彼らはイエメンで裁判にかけられた。彼らの逮捕に関してワシントンに権限が譲り渡された後に、アメリカの親権下で首謀者のサウジアラビアのアブドル・ラヒム・アル・ナシリが不在のままで裁判にかけられた。ジャマール・モハメッド・アル・ベダウィ(イエメン人)とともにナシリは爆破で彼の役割に関して死を宣告された。 バダウィの罪は後に刑務所で15年の懲役刑に変更れた。もう4人の被告は5年から10年までの懲役刑を課された。ナシリビン・ラディンと共謀する米海軍攻撃の責任者と言われた。ナシリじゃまた1998年にケニヤとタンザニアで米国大使館への攻撃への関与の疑われている。彼は明らかにされていない部分でアメリカの親権の中に残っている。USSコールは事件の後、2週間かけてアデンからアメリカに曳航された。そして造船所で修理されて、現在は任務についている。 |



