世界を斜めから見る
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ニコラ・ポール・ステファヌ・サルコジ・ド・ナジ=ボクサ (Nicolas Paul Stéphane Sarközy de Nagy-Bocsa, 1955年1月28日 - ) は、フランスの政治家。フランス第5共和国第6代大統領(2007年5月16日 - )及びアンドラ公国の共同元首。国民運動連合党首。フランスの大統領としては異色の新保守主義者、新自由主義者で、親米派とされる。 経歴: 1976年パリ大学在学中に、ジャック・シラクの結成した保守政党・共和国連合(RPR)へ入党する。1977年パリ西郊の高級住宅地オー=ド=セーヌ県ヌイイ=シュル=セーヌの市議会議員に最下位で当選する。同年共和国連合中央委員に選出される。1978年から1979年まで共和国連合青年部全国代理、1979年から1981年まで共和国連合全国青年委員会委員長。1981年に弁護士資格を取得し、不動産を専門とする法律事務所をパリに共同で開設する。1983年、28歳でイル=ド=フランス地域圏議会議員、ヌイイ=シュル=セーヌの市長に当選する( - 2002年)。犯罪の減少など一定の成果を上げる。 1988年国民議会(下院)議員に初当選。ヌイイ市長と兼職する。 1993年バラデュール内閣の予算相として初入閣。同年、ヌイイ市内で発生した幼稚園立てこもり事件が起こる。この事件では、市長として犯人と直接交渉に臨み、人質の解放に貢献して全国的に有名となる。 1995年フランス大統領選挙ではジャック・シラクから離反し、シャルル・パスクワに付いてバラデュールを支持する。しかし決選投票の結果、シラクが大統領に当選したため、第1次シラク政権では冷遇された。 2002年5月ラファラン内閣の内務・治安・地方自治相として入閣する。2004年、財務大臣に異動。同年11月29日、RPRの流れを組む国民運動連合(UMP)の党首選挙において、85%の得票率で党首に選出される。サルコジの権力増大を恐れたシラクによって財務相を辞任する。 2005年5月31日よりドミニク・ガルゾー・ド・ヴィルパン内閣の内相に就任する。同年発生したパリ郊外暴動事件の鎮圧にあたる。この際、暴動に加わった若者に対して、「社会のくず」などと発言したことが物議を醸すが、こうした強硬な態度がかえって世論の支持を集めた。 2007年フランス大統領選挙に立候補。同年5月6日の決選投票で、社会党のロワイヤル候補を下し、大統領に当選する。同月16日、フランス第5共和政下の第6代大統領に就任。 人物: パリ出身。カトリック教徒。子供時代をパリ17区、次いでヌイイ=シュル=セーヌで過ごす。父方はハンガリーAlattyánの下級貴族の家系。父パル・ノジ=ボウチャ・イ・サルコジは、ソ連軍に占領された祖国を逃れ、仏軍占領下のドイツに渡り、そこでフランス外人部隊の傭兵となる。新兵教育を受けるも不適格とされ、1948年にマルセイユで除隊。名前をフランス風に、ポール・サルコジ・ド・ナジ=ボクサと改名する。広告業者となった父ポールは1949年、パリ17区の医師の娘で、法学部の学生だったアンドレ・マラーと出会い、結婚する。母方は、テッサロニキ出身のギリシア系ユダヤ人で、祖父の代にカトリックへ改宗している。 ド・ヴィルパン首相(当時)からは、「妻を魅了できないで有権者を魅了できるのか」と皮肉られた。夫妻は2006年に復縁したが、セシリアは現在、夫とは別行動を取っており、ファーストレディとなることも拒絶している。大のタバコ嫌いでワインを含め酒も飲まない。好物はチョコレート。大統領に当選直後、地中海に自家用ジェット機とマルタの豪華ヨット(全長60メートル、推定賃料週20万ユーロ=約3240万円)でクルージングし、野党からはあまりに豪華すぎると批判された。これに対し彼は「何が問題か。私は逃げも隠れも謝りもしない」と反論した。 主張: シラク政権のイラク戦争反対により冷え込んだ対米関係の改善と、フランス伝統の平等主義を捨て自由競争を重視する英米型の新自由主義経済政策路線を提唱している。サルコジの政策は、米国と距離を置きフランス独自の外交政策を目指し国内経済に積極的に介入する保守派主流思想のド・ゴール主義とは一線を画している。そのため、親米派とみなされることが多く、対米追従を拒否していたシラク大統領は後任として首相ド・ビルパンを推したため、内務大臣であり大統領を目指していたサルコジとシラク、ド・ビルパン間には不協和音が目立っていた。 その為、暴動を起こしている若者達、また彼らを心情的に支持する層からは憎悪の対象となっているが、自らも移民2世であり、「私は移民反対のジャン=マリー・ルペン党首(国民戦線)とは違う。この国には優秀な移民が必要だ」と主張しており、人種間の機会を平等にするために大学の入学者枠を人種ごとに設定するアファーマティブ・アクションの導入を訴えている。 対立するシラク大統領が親日家であることから大統領に対する牽制の意味合いが強いとされている。なお、この発言は麻生太郎外相から、「フランスからそう言われたからって、どうして気になるの。ついこの間まで(フランス人は)『生の魚を食うのはおかしい』と言っていたじゃないですか」と皮肉られた。ただ、日本の国連安保理常任理事国入りには賛成との見解を公している。トルコのEU加盟に反対しており、トルコはイスラムであるのでヨーロッパに相応しくないと明言している。フランス国内でのイスラム移民への反感を反映している。 出典:フリー百科事典Wikipedia
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1942年9月、天津郊外の教員の家に生まれた。天津南開中学卒業後、1960年北京地質学院(現・中国地質大学)に入り、1965年中国共産党入党、1967年研究生課程を卒業して地質関係の技術者となった。甘粛省で地質工作に従事し、胡錦涛と同様に、当時の甘粛党委書記だった宋平に抜擢された。14年間にわたり勤務した甘粛省では地質局副局長、地質鉱山部副部長などを歴任。 孫大光地質部長の賞賛を受けて政界入り。胡耀邦、趙紫陽、江沢民の三人の下で中央弁公庁主任を務め、1989年の天安門事件では趙紫陽の秘書として、共に学生の元へ向かったものの、当時の立場や自己批判が考慮され、失脚することなく続投。1993年、経済、農業分野に責任を負う。1998年、副総理就任と共に農業、金融を担当。呉邦国、李長春らと争って、総理となる。2003年に就任。政治局の序列は第三位。 趣味はランニング。外遊に出た際も早朝のランニングは欠かさず行っている。また、以前は野球をやっていたとのことで2007年の来日の際に、立命館大学の学生と野球を楽しんでいた(ちなみに左投左打)。 訪日 2007年4月11日に訪日。温はこの訪日を「融氷之旅(日中の冷えきった政治的関係を氷に例え、その融解への旅)」と位置付け、「政冷経熱」の日中関係を打開する道筋をつけようとした。12日の国会での演説では「日本の過去への謝罪」を評価(!)する一方で「それを行動で示すように」とした(これは靖国神社参拝を自粛することを求めているということ)。また、「戦後、日本が平和発展の道を歩んだことを中国人民は評価する」という原稿を読み飛ばしてしまった。 天皇との会談では明仁(今上天皇)に「北京オリンピックの開会式に召喚したい」と述べ、外務省の困惑を誘った。他にも、主要政党の首脳や創価学会の池田大作とも会談した。
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白雪姫を模倣したとみられる石景山遊楽園内の像=北京市内 模倣キャラクターで注目の遊園地が「緊急対応」 中国 2007.05.10 Web posted at: 15:58 JST- CNN/AP 北京──北京市郊外にある国営遊園地「石景山遊楽園」は、今月初旬のメーデー休暇中に多くの来場者でにぎわった。しかし日本のテレビ局が、園内にはんらんするディズニーや日本のアニメなどの模倣キャラクターについて伝えたことから、同遊園地は対応を余儀なくされたようだ。 園内には以前、「ディズニー(ランド)は遠すぎる」などと書かれた横断幕が掲げられていたが、9日に外された。模倣キャラクターも一斉に姿を消した。関係者は、キャラクターショーが休暇シーズンのみの開催だと主張。同遊園地の弁護団は米娯楽大手ディズニーと現在交渉中で、「結果は数日中に明らかになる」(関係者)という。 ディズニーの広報担当者は具体的言及を避けたうえで、知的財産権の侵害に厳しく対応していく方針を明言した。同遊園地の関係者は、ディズニーアニメのシンデレラを模したとみられる園内の像が「中国の田舎娘風」だとしている。眠れる森の美女らしき像は9日にハンマーで取り壊されたが、理由は明らかにされていない。 コメント: 日本の近代化は西洋のそっくり模倣で出発している。日本人は小手先が器用で西洋の工場でできた製品を持ってきてまず工場で分解した、そして正確に図面を書きそっくりコピーを製作する。昔は特許という言葉は知ってはいたが誰も気にする人間はいなかった、欧米から訴えられて初めて驚いて対処していたのだ。 面白い話がある。ホンダの創業者の本田総一郎は戦争が終わったときにバイクの修理工場を持っていた。彼はバイクが死ぬほど好きでやがて自分で生産を始めた、しかし輸入物のバイクと比べると彼のバイクは性能でも見劣りがしてとてもかなわない。そこで会社の予算を大幅に出してもらって世界の市場調査に出かけた、彼は出発前に特別製のポケットだらけの服を作ってもらって、ドイツのBMW、イギリスのローバー、アメリカのハーレーなどの部品を現地で手に入れてその服を着て雪だるま状態で帰国した。 日本で彼はその部品の徹底的な検査と研究を重ねた、こうして世界一のホンダバイクは完成した。今ではホンダに食われた欧米のバイクメーカーは軒並みに倒産か規模を縮小して細々とやっている。真似をさせたら中国人など日本人の足元にも及ばない。日本人は本家より優秀な製品を作り出すからだ、これは全ての産業分野でも同じで、日本の技術の元々の本家は欧米なのである。現在の日本は途上国から真似される立場にありおかげで大損害で、その昔欧米から訴えられて青くなったのに、今では中国に真似されて訴えても平気な顔をしているので今度は激怒してゆでだこみたいな顔になった。
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