大自然の美

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中国広州に私の友人がいるラオ鈴鈴という名前の女性である、彼女から写真が届いたのでここで紹介しよう。

中国大陸に巨大にそびえる雪を戴いた山、山の名前は不明だが富士山より高そうである。彼女は南国の海南島の出身でそこでの四季おりおりの植物の写真を撮るのが趣味である。

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バーミヤンの宝を再発見すること
バーミヤンの仏像が山腹から彫刻が施されていたとき、ローマ帝国はまだ支配していた。この地は中部アフガニスタンで肥沃な谷間が広がる他の場所よりでも抜きん出ていた、そこで彼らが東西の間で商品を輸送したので商人のキャラバンは停止したと、シルクロードの記録に記載してある。

何世紀もの間、2つの巨大な仏像はバーミヤンを見張っていた。しかし2001年に、ちょうどこの地を支配していたタリバンは彼らが人体の非イスラム表現と考えたものをダイナマイトで爆破した。今日、残る全ては彼らが立っていた場所で彼らを囲んでいるもろい洞穴の迷宮に過ぎない。

偶像芸術
今日、谷をカブールと接続している舗装道路さえない、だが中では洞穴はバーミヤンの過去の富と栄光を思い出させるものと、地図の上では行政区に戻す新しい名声を勝ち取った。仏像の修復作業は精密なスケッチを基に進められる、岩を砕いているそれらの洞穴内では隙間が山腹に刻まれる泥トンネルにある、しかし、現在世界で最も古い油絵であると思われる仏教の偶像芸術の部分は反響している部屋で高く見える。

およそ650ADにさかのぼっている洞穴壁画を修復している欧米の科学者の中で日本人は、油にペンキが使われたということを発見した。洞穴に取り組んでいる日本の専門家のうちの1人の谷口洋子は、これが芸術の歴史のこの技術で、最も早めに使用された例であろうと記者団に話した。

彼女は以前、この技術はルネッサンスの8世紀後のヨーロッパから始まったと思われると言う。岩に刻まれた仏教寺院を通ってぶらつくこと以外は、何世紀もの間生き残った後に戦争の最後の30年で破壊される壁画。しかし仏像の左半分は存在しない。ナンシー・デュプリ:彼女の人生の多くを国に捧げた有名な旅行者によって、1960年代と70年代に書かれたアフガニスタンへの旅行案内書は紀行文として報告を与えた。

断片
「残りのホールは花、木、型にはめられている花のスプレー、豊饒の角と跪いている崇拝者の像を表している赤土色、緑、群青色の青と黄土の様々なパレットで精巧に装飾されている」と彼女が書いている。薄暗い色の栗色のローブを着ていて、空色の背景に対して後光で作られる一連の仏像は、花の間でセットされた噴水を歩く」

この今日のほとんど証拠が色と詳細の2、3のかけらは別として存在しない、しかし、ロープなし登るのは不可能な最高の例の一部がまだ生き残った孤立した洞穴山の頂上部分に存在する。タリバンは仏像にダイナマイトで振動を与えて崩壊させた、タリバンの略奪は大部分の絵を粉々に打ち砕いた。

しかし残った十分な断片が仏像をどのように組み立てればよいかヒントを与えてくれる。谷の上に登って注意してよく見ると洞穴からの眺めは衝撃的である、そしてもう一つの”ねじれ”がバーミヤンの仏像の物語にある。絵が驚くべき姿で7世紀中頃にこの仏像が完成したころ、仏教巡礼者はこう書いている、しかし彼は第3節を解説した。

彼の口述書によると第3の寄りかかっている釈迦が長さ3000メートルあって谷底に横たわっている。
それが川の沈殿物の下に埋められたものならばそれは注目に値するだろう。そして考古学者の日本とフランスからの2つのチームはそれを見つけるために競争するだろう。それはインディ・ジョーンズ映画のように聞こえる、しかし多くの面白い考古学的な発見がバーミヤンにあった、そしてこの美しい谷が全てのその秘密をまだ明かしたというわけではないかもしれない。
BBCニュース http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/7508917.stm
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LAの砂漠を抜けてコロラド州に向かう、グランドキャニオンの雄大な自然の美を満喫する。

LAから夜通し車を走らせて目的地のグランドキャニオンに入った、親子5人、賑やかに旅をする。

日本の祖父はただ目を細めるだけ、子供の成長は目を見張るものがある、先日生まれたと思ったらもう歩いている。

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世界に無数にある難民キャンプでもここは忘れ去られた存在、それでも子供の笑顔は訪れる人々を救ってくれる

「忘れられた物語」――ビルマ難民キャンプを訪ねて

タイ北西部メソト(CNN) タイ西部のビルマ国境から約5キロの丘陵地に、ビルマの少数民族カレン族を中心に約4万3000人の難民が暮らす大規模なキャンプがある。設置以来約25年、紛争を逃れて10年以上も生活している難民が少なくないというこのキャンプに、CNNの取材班が入った。

タイ西端の商業都市メソトから北へ約60キロ。メーラ難民キャンプは、国境沿いに並ぶ9カ所のキャンプの中で最も多くの難民を収容している。険しい石灰岩の断崖を背景に、竹や木の葉で造った住宅数百棟が立ち並ぶ光景は、壮観と言ってもいい。

難民の多くは、軍政による武力攻撃などで故郷を追われ、この地にたどり着いた。80年代から続くビルマ軍政と少数民族の紛争は、「世界で最も長い内戦」とも呼ばれている。一方、国境地帯の難民キャンプを支援する非政府組織(NGO)11団体で構成する「タイ・ビルマ国境援助協会(TBBC)」の責任者、ジャック・ダンフォード氏によれば、それは「世界から忘れ去られた物語」でもある。

難民らは取材班を自宅へ招き入れ、それぞれの経験を率直に語った。「軍政の攻撃で家を破壊された」「労働を強いられた」など、迫害の実態が次々に明かされる。「ここで生活を始めたのは10年前。軍に村を焼かれ、コメを取り上げられて逃げて来たのです」――そう話すのは、幼い子どもを抱いた女性だ。「いつか情勢が変わったら故郷へ帰りたい」とつぶやくが、帰還のめどが立たないことは、本人もよく知っている。大人たちが働ける職場も、子どもたちが十分な教育を受けられる学校もなく、将来の展望も見えない。それが、ここでの現実だ。

反政府武装組織に対する軍の越境作戦で、難民キャンプが標的になったこともある。メーラは97年を最後に攻撃を受けていないが、今でも軍が活動する乾季になると、キャンプ内に緊張感が漂うという。

今年5月にサイクロンの直撃を受けたビルマ南部のイラワジ川下流地域には、多くのカレン族住民がいた。被災者がこのキャンプへ流入して来る可能性も指摘されているが、キャンプ関係者によれば、「軍政は被災者の移動を厳しく制限しているし、ここまでの交通費を工面するのは難しいとみられる。4‐5カ月後にならないと、動向はつかめない」という。

新世界紀行、中国西蔵

イメージ 1西蔵の少女




イメージ 2                    独特の民族衣装。



イメージ 3仏教のラマ僧と外国人




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西蔵には独特の祭日が多い。写真は、跳神舞(巫女が神がかりになって踊ること)。

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