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			<title>くだらない日本で生活するのはもう飽きた、そろそろ海外脱出の時期で</title>
			<description>私の意見に反論があれば遠慮なくゲストブックに記入ください。どんな意見でも歓迎します、ブログ記事と関係のない内容でも、あなたの記事に対する私のコメントに対する反論でも結構です。人には｢こだわりの意見」が存在します、持論がそうだと思います。同時に人の意見に教えられるのも多いと思います、ブログを歩いてみると&quot;目からうろこ”がおちるような意見に度々出会います。その人が歩いてきた人生と感性の結果で教えられます、文字は人そのものを表しています、インターネットを通じて人と出会えることは素晴らしいことです。</description>
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			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>くだらない日本で生活するのはもう飽きた、そろそろ海外脱出の時期で</title>
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			<description>私の意見に反論があれば遠慮なくゲストブックに記入ください。どんな意見でも歓迎します、ブログ記事と関係のない内容でも、あなたの記事に対する私のコメントに対する反論でも結構です。人には｢こだわりの意見」が存在します、持論がそうだと思います。同時に人の意見に教えられるのも多いと思います、ブログを歩いてみると&quot;目からうろこ”がおちるような意見に度々出会います。その人が歩いてきた人生と感性の結果で教えられます、文字は人そのものを表しています、インターネットを通じて人と出会えることは素晴らしいことです。</description>
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			<title>ドイツで起こったおぞましい事件、犯人はロシア系ドイツ人で殺害されたのはエジプト人だった。</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-ae-bd/lamerfontene/folder/1426249/57/60561457/img_0?1454100505&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_354_450&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　今年７月１１日、独ドレスデンで行われたマルワさんの葬儀（AP）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;【海外事件簿】法廷が血の海…エジプト女性刺殺、ロシア系ドイツ人の歪んだ憎悪&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ドイツ東部ドレスデンで７月、「テロリスト」などと侮辱されたとして近所のドイツ人の男を告訴していたエジプト人女性が、訴えを審理中の法廷で男に刺殺された。この事件で殺人罪などに問われた男の公判が１０月２６日、同じドレスデンの裁判所で始まり、男が出廷。検察側は動機として、男の人種差別的な思想を指摘した。エジプトなどイスラム諸国では事件後、ドイツに対する非難が高まっており、ドイツ当局側も、裁判の行方次第では反ドイツの動きが加速する恐れがあると神経をとがらせている。（大内清）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;素顔を見せず&lt;/b&gt;　 &lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;この日の初公判。目深にかぶった野球帽の上にフードをかぶり、サングラスとマスクを着けて完全に顔を隠して入廷した男が、両手両足を厳重に拘束されて被告人席に座った。ロシア生まれのドイツ人で、名前はアレックス・ビーンズ（２８）。裁判は、ビーンズ被告がサングラスをはずすことをかたくなに拒否し、裁判官から５０ユーロ（約６７００円）の罰金を命じられるという異例の幕開けとなった。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ビーンズ被告は、自らが告訴された別の事件の審理中に、原告のエジプト人女性マルワ・シェルビニさん＝当時（３１）＝を刺殺、夫のエルウィ・オカズさん（３２）にも重傷を負わせた罪に問われている。この異常な事件はどのように起きたのか。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;息子の眼前で&lt;/b&gt;　 &lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;発端は、シェルビニさんが近所の公園で、ブランコに座ってたばこを吸っていたビーンズ被告に、３歳の息子にもブランコで遊ばせてやってほしい、と頼んだことだった。これに対してビーンズ被告は、シェルビニさんを「テロリスト」「イスラム主義者」「売春婦」などと口汚く罵倒。ショックを受けたシェルビニさんは、侮辱を受けたとして、ビーンズ被告を告訴した。その後、ビーンズ被告は７８０ユーロ（約１０万５０００円）の罰金刑を言い渡されたが、判決を不服として控訴。その審理が行われた７月１日、出廷したビーンズ被告は、隠し持っていた刃渡り約１８センチのキッチンナイフでシェルビニさんの腹部や背中などを１８回にわたって刺したのだ。シェルビニさんはほぼ即死。妊娠３カ月だった。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;助けに入ったオカズさんも複数回、刺された上、駆けつけた警官に犯人と間違われ、脚を銃弾で撃ち抜かれた。わずか数分で法廷が血の海となったこの惨劇は、息子の目の前で展開された。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;対照的な境遇&lt;br /&gt;
　 &lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　独誌シュピーゲル（電子版）などによると、シェルビニさんとオカズさんの夫妻は２００５年、故郷のエジプトからドイツに渡った。当初は首都ベルリンに居を構えたが、０８年にオカズさんの仕事の都合でドレスデンに転居。この間に子宝にも恵まれた。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　シェルビニさんは薬剤師で、かつては女子ハンドボールのエジプト代表を務めたこともある文武両道の才女、オカズさんは遺伝子学の研究者と、ドイツに多いイスラム諸国からの移民の中でも、裕福な知識階層に属していた。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;一方、ビーンズ被告はロシア・ウラル地方の町で生まれ育ち、０３年にドイツへ移住した「ロシア系ドイツ人」だった。友人が少なく、事件当時は失業給付を受けて生活。食事はほとんど出来合いのもので済ませていた。本人の供述では、「たばこと酒、テレビゲームの中毒」で、毎日、ワイン２リットル相当のアルコールを飲み、残虐シーンの登場するゲームで遊ぶのが楽しみだったという。冷戦終結後、ドイツに移住したロシア系ドイツ人は２３０万人に上り、その多くが満足にドイツ語を話せないことなどから就職もできず、貧困層を形成しているといわれる。ビーンズ被告は、その典型例ともいえる。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;勝ち誇った表情に殺意？&lt;/b&gt;　 &lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;検察側は起訴状で、「非ヨーロッパ人とイスラム教徒に対する憎しみに駆られた犯行」だと指摘した。ただ、ビーンズ被告は捜査段階で、「（犯行当日に）法廷から出ていこうとするシェルビニさんの“勝ち誇った表情”を見て憎しみを感じた」との供述もしている。同じ「移民」でありながら、自分の惨めな境遇に比べて幸せそうなシェルビニさん一家への嫉妬（しっと）やひがみが殺意の引き金になった可能性は高い。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;「犯人は突然、妻に襲いかかった」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;「妻が床に倒れ込んだ後も、執拗（しつよう）に刺し続けた」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;「息子は母親を恋しがっている。彼も苦しんでいる」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;初公判で松葉づえをついて証言台に立ったオカズさんは、シェルビニさんが殺害されたときの状況についてこう述べ、無念さをにじませた。ビーンズ被告は一言も発しなかったという。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;「スカーフの殉教者」&lt;/b&gt;　 &lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;シェルビニさん殺害が報じられると、中東イスラム諸国、特にエジプトでドイツに対する激しい非難が巻き起こった。ドイツ国内では当初、事件が大きく扱われなかったことも、「イスラム教徒に対する差別の表れ」だと怒りを増幅。ドイツ製品に対するボイコット運動まで起こった。日常生活でもスカーフをかぶる敬虔（けいけん）なイスラム教徒だったシェルビニさんは、エジプト・メディアで「スカーフの殉教者」と呼ばれ、ネット上ではビーンズ被告に対する「報復」を呼びかける書き込みなども登場。オカズさんが誤射されたことも、「『中東系だから犯人に違いない』という思い込みがあるためだ」と当局批判が高まった。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;強まる反独感情と、それに反発する極右団体の動きなどを警戒したドイツ当局は、初公判で警官約２００人を動員。被告人席の周りに暗殺防止用の防弾ガラス製の衝立を設置するなど、異例の厳重警備態勢が敷いた。エジプト政府はドイツに対し、ドイツでは最も重い終身刑を適用するよう要求。国際問題にまで発展しているこの事件の評決は、１１日に言い渡される見通しだ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ＭＳＮ産経ニュース&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/lamerfontene/60561457.html</link>
			<pubDate>Sun, 08 Nov 2009 22:20:39 +0900</pubDate>
			<category>ヨーロッパ情勢</category>
		</item>
		<item>
			<title>日本と韓国の問題点、韓国は日本に学んだ、それを忘れないことだ。</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;政治は流動的、明日は誰も知らない&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/lamerfontene/60558778.html</link>
			<pubDate>Sun, 08 Nov 2009 09:22:23 +0900</pubDate>
			<category>アジア情勢</category>
		</item>
		<item>
			<title>アメリカに無視されることを恐れる日本、大笑いの現実が見えてくる。</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-ae-bd/lamerfontene/folder/1426249/43/60558343/img_0?1259133310&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_250_234&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;やっぱり日本軽視？　ずれ込んだオバマ米大統領訪日　平静装う日本政府&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;「銃乱射事件があったので大変だと思います。その思いは理解しないといけない。会談に影響がないように努力します」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;鳩山由紀夫首相は７日午後、オバマ米大統領訪日ずれ込みを記者団に問われ、淡々とこう語った。だが、今回の訪日は天皇、皇后両陛下との午餐（ごさん）会も予定され、「準公式訪問」といえる内容だった。しかも１２日の天皇陛下御在位２０年記念式典など宮中行事が続く中で日程調整してきただけに、唐突な変更は礼を失するとの見方もある。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ただ、日本政府にも一方的な変更要請に文句を言えない負い目がある。日米最大の懸念である米軍普天間飛行場（沖縄県宜野湾市）移設問題をめぐり、米側は大統領訪日までの「回答」を求めてきたが、岡田克也外相は米軍嘉手納基地への統合案に固執し、クリントン米国務長官との直談判を画策した末、土壇場でキャンセルした。首相は先月２２日に「必ず大統領来日までに（回答する）という話ではない」と表明してしまった。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;これでは米政府内で「日本軽視」の風潮が広がっても仕方ないだろう。首相は大統領との首脳会談で「日米同盟の一層の強化」を確認し、アフガニスタン支援や地球環境問題などを議題にする考えだが、普天間問題は「最小限のやりとりにとどめたい」との意向を米側に伝えている。大統領が「儀礼的な会談で十分だ」と考えても不思議ではない。（加納宏幸）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ＭＳＮ産経ニュース&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;言いたい放題&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
「日米同盟はアメリカの政策から言えばどのくらいの順位に位置するのか」答えは最低ランクイであるというのが正解。日米同盟なるものは日本では死活問題でアメリカではどうでもよい問題である、アメリカの対外政策で日米同盟が最重要課題になったことは歴史上一度もない、と覚えておけば間違いはない。極東地域の最大のボスは中国で日本はその地位を追われて久しい、ところが視野の狭い日本人はどうしてもそれを認めないというか未だに日米同盟に固有して、アメリカに無視されることを我慢がならないだけであるという笑える図式が浮かび上がってくる。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;アメリカは極東を考えるときにまず中国の機嫌を伺う、それが良好ならばすべて良しで日本はアメリカと中国のせめぎあいの中で海中で揺れ動く「木っ端」同様で哀れなものである。極東地域での「日本外し」はアメリカの伝統で、中国が何か言えばアメリカは考えて政策を変更すると覚えておけば間違いではない。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/lamerfontene/60558343.html</link>
			<pubDate>Sun, 08 Nov 2009 06:21:45 +0900</pubDate>
			<category>アジア情勢</category>
		</item>
		<item>
			<title>東ドイツで復活した懐かしいレトロ製品の数々、その中でも自動車のトラバントは有名。</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-ae-bd/lamerfontene/folder/956698/46/60553146/img_0?1257631524&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_466_220&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-ae-bd/lamerfontene/folder/956698/46/60553146/img_1?1257631524&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 2&quot; class=&quot;popup_img_226_170&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-ae-bd/lamerfontene/folder/956698/46/60553146/img_2?1257631524&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 3&quot; class=&quot;popup_img_226_170&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;1989年11月のベルリンの壁の倒壊は、大部分の商品が突然競争させなくなったメーカーでない東ドイツ人をぞくぞくさせた。&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;しかし、20年進行中でルーシー・フッカーは報告している、いくらかの前の東ドイツのブランドは強くなっている。たとえ彼女が1989年に耐えられさえしなかったとしても、マドレーン・アクターバーグはまだなつかしい東ドイツ（特に食物）での生活の多くの面への愛情を心に抱くだろう。「これらには彼らに特別な感情が詰め込まれている。彼らは物語とクリスマスを言う感覚があるのです」と彼女が言う。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;「彼らは彼らの後ろに物語を持ちます」彼女の家族は現在ミュンヘンに住んでいる、しかし彼らが戻るとき、彼らはふくらんでいるバッグとともに帰るだろう。中部ベルリンの1つの店は全く東ドイツ人製品に捧げられる、そして普通のスーパーマーケットは何十もの商品（例えば人気のスプリーワルド・ピクルスのキュウリ、ウェルダーケチャップとヴィータ・コーラ）の在庫がある。テクノロジーは高性能な新しい包装と改善されたマーケティングへの投資のおかげで、彼らは現在、西側のライバルを区別するのがしばしば不可能になっている。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;しばらくの間、しかし東ドイツの商品はひどく困っているように見える。1989年までにGDR（東ドイツ）の住民が消費者選択の不足で退屈するだけではなかったこと、彼らはまた彼らが西ドイツのテレビで見ることができた広告によってじらされた。彼らが西洋の商品に対する巨大な鬱積した熱意を爆発させたという最初のために西へ旅立つことができて、彼らのトラバントとともに帰ることは高さをジーンズ、ビデオレコーダーとバナナを山と積んで可能となった。彼らは彼らが育った製品に背を向けた。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;レトロ趣味&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
ドイツマルクがそうであった西ドイツの通貨が1990年前半を中に持ち出したとき、問題は悪化した。「一晩中ほとんど全ての東の製品は店の外へ追い出された。だれも彼らを買いたくはなかった」とニルス・ブッシュ-ペーターゼン（ベルリンの小売協会の責任者）が言う。「それは普通の上質の製品を生産していた企業に対する災難だった」それから予想外のものは起こった。東部地方の消費者は彼らの考えを変えるように見えた。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;「彼らはもちろん西洋の製品への大きな熱狂を持っていたよ」とブッシュ-ペーターゼン氏が述べる。&lt;br /&gt;
「しかし多くの人々は彼らの年をとったパートナーに戻って来た。そしてそのことはしばしば日常的に起こった」エリカ・メンデル（ベルリンの70才の引退したエンジニア）は、彼女が売り物の西洋のブランドの一部をためし、品質が劣っているとわかったと言う。彼女は彼女が常に使ったGDR粉せっけんと化粧品（リキュールと多くの食品）を買う。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;彼女の夫は彼が常に飲んだビールの東ドイツのブランドを飲む。「私はそれが常によくて、現在まだよいということを知っています」と彼女が言う。「私が東から製品を買うように必ずしも、しかし私は彼らを買わない」比較的無傷の再統一の混乱を生き残ったブランドのうちの1つはロツカエポーチェンまたは赤頭巾ちゃんとして知られている発泡ワインである。それは適度の価格でまだ売られている、そして売り上げは急上昇している。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;数年前、それはその西ドイツの対抗するムンンを買収した。しかしロツカエポーシェンが前のGDRのサクセス・ストーリーと確認されるのを嫌う間、他は彼らの社会主義時代のイメージを大いに楽しんでいる。&lt;br /&gt;
ロッテルン（赤色星）チョコレートは対抗するハローレン（予め共産主義の時間にその起源があることを強調する東からのもう一つの会社）とは全く別のニッチを占有した。新しい電気的な輪廻においてトラバント（それだけの冗談の標的）さえ再びドイツの道を優雅にしようとしているかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ゼハ・スポーツ靴がそうして誇りをもって一旦東ドイツのスポーツマンですり切れるならば、それは古い東部地方のブロックの焼印であるレトロ趣味を楽しむ。商標ゼハの倍の格子模様を持って行って靴の新しいイタリア語作りの登録商標は現在社会主義価格でもはや売られないけれども、ファッションの先端でもある。「我々はブランドに起こったことを研究し始めた。そして彼らが彼らの市場を失ったので壁が彼らが閉まらなければならなかったダウンを近付いたあと我々は発見した。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;それで考えはそれに第2のチャンスを与えるためにやって来た」とトーステン・ハイネ（復活するゼハ・ビジネスの後のパートナーのうちの1人）が言う。「我々は一生懸命に本当に製品をかなり本物にしておこうとした。我々は彼らを古い靴のように見えるが、この頃は彼らに靴の技術的な詳細と快適さを与えさせようとした」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;慣れ&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;しかし、一旦彼らと育った世代がもはや買い物でないならば、何がこれらのブランドに起こっ他と思うか？「今日、彼らはなつかしいドイツでよかった製品を売るだけだよ。GDRで最高のちょうどものは、ヴィータ・コーラを好む」とジュリアスが言う。そして壁が取り壊された同じ年、その人は生まれた。&lt;br /&gt;
彼はこれらのブランドの多くが生き残ることを確信している。一部の顧客はローカル製品をサポートして仕事を保護することとの結合をする。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ほとんどがなければ、それはまだ単に慣れの問題でもある。「それは精神的なもの」と25才のコーラが言う。そして、その人はまだ1種類の特定の東ドイツ人チョコレートを買うのを好む。「実はそれは通常のブランドよりよくないかより悪くはない。それはより幼い頃のものでもある。しかしもちろん、それは上質でもある」彼らが新しい顧客を引きつけることができるならば、これらのブランドは生き残るだけである、しかし、今は最後の20年中をたどり着いた会社の多くにはその挑戦に応ずるためにマーケティング技術が存在する。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ＢＢＣニュース&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/lamerfontene/60553146.html</link>
			<pubDate>Fri, 06 Nov 2009 21:38:36 +0900</pubDate>
			<category>ヨーロッパ情勢</category>
		</item>
		<item>
			<title>豚インフルエンザに襲われ絶滅の危機にあるアマゾン川流域の種族</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-ae-bd/lamerfontene/folder/1426249/06/60550606/img_0?1257457272&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_226_300&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;豚インフルエンザによって打撃を与えられるアマゾン川の種族&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;豚インフルエンザで絶滅に瀕しているアマゾン川の種族の7人のメンバーは死んだと土着の権利組織が言う。生き残り種族はベネズエラのヤノマミ種族の数百メンバーが感染している可能性を指摘している。ベネズエラ政府はまだ死を確かめていないが、チームが調査する地域にいると述べている。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;アマゾンの孤立した種族の間の豚インフルエンザの発生は非常に速く、原住民の住民の間で瞬く間の間に広まり多くを殺すことができたと運動員が恐れる。生き残り種族の調査ではロンドンに拠点を置く組織は、それがベネズエラとブラジルの間で境界地域でヤノマミの間ですでに起こっているかもしれないと言う。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;組織の責任者のスティーブン・コリーは、状況が「重要である」と言って、流行を止めるために即時の行動を促すためにベネズエラとブラジル政府の担当者を呼び出している。彼らも急進的にヘルスケアへのヤノマミのアクセスを改善する必要があったと彼が言う。地域の政府の医学チームのメンバーは豚インフルエンザが妊婦と3人の小さな子供の死亡の疑わしい原因であるとＢＢＣに話した。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;特にインフルエンザとマラリアが1980年代に鉱夫によってもたらされたときヤノマミは過去の流行によって傷ついている。地域住民の5分の1もその期間の間に殺された、そしてヤノマミ人口がおよそ32,000人まで急落した緊急時用の国際的な予想が広がった。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ＢＢＣニュース&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/lamerfontene/60550606.html</link>
			<pubDate>Fri, 06 Nov 2009 06:41:12 +0900</pubDate>
			<category>アメリカ情勢</category>
		</item>
		<item>
			<title>対馬が危ない与那国島が危ない、いや日本の離島は全部危ない</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-ae-bd/lamerfontene/folder/1426249/33/60548033/img_0?1350135962&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_166_250&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;正論】与那国島を第二の対馬にするな　中国軍事専門家・平松茂雄&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;ようやく政治家が動く&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;韓国との国境の島・対馬が過疎化と小泉改革による公共事業削減、石油高騰などの影響で深刻な経済困難に陥り、そのスキをつくように、韓国資本が島の土地を買い占めている。地理的に近いことから、韓国の観光客がドッと入るようになり、その数は島民の３倍にも達する。観光地にはハングルがあふれ、さながら韓国国内のような景観を呈している。しかも彼らは、竹島ばかりか対馬までが「韓国の領土」と主張しているというのだ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;本紙は３回にわたる特別企画「対馬が危ない！！」で島の現状を報じた。すると、にわかに自民党の真・保守政策研究会と超党派の国会議員による「日本の領土を守るため行動する議員連盟」が動き出した。近く対馬を現地視察し、「防人の島新法制定の推進議員連盟」を結成して、法整備に向けて具体的に検討することになった。わが国周辺海域が隣国からの「脅威」にさらされている。その現実を直視せよと早くから論じてきた筆者には「いままで何をしていたのか」と問いたい思いである。ともあれ政治家がこの問題に関心を向けたことを評価したい。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;しかし筆者が恐れるのは、関心が対馬だけに局限化されることだ。そもそもわが国には、特定の島嶼（とうしょ）に関する振興策はあっても、離島およびその周辺海域の防衛・振興を含めたトータルな施策がない。対馬だけでなく、約６８００に及ぶ離島全体、特に「最前線」の島、海、空を重点的に防衛する施策が、今こそ必要なのではないか。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;返還前からの特殊事情&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
なかでも筆者が竹島や対馬の二の舞いになっては困ると危惧（きぐ）しているのが、日本の最西端の島・与那国島だ。この島は台湾までわずかに１１０キロである（ちなみに石垣島までは１２０キロ）。県都の那覇までは４００キロも離れている。この島には、他の国境地域の島にはない特異な問題がある。それは、わが国の領土であるにもかかわらず、島の上空に日本と台湾との防空識別圏を区切るラインが通っていることである。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;防空識別圏とは、国の防空上の必要から設定された空域である。国際法によるものではない。だが、異国の航空機が領海上空を侵犯して領土上空に到達するまで、旅客機でも１分程度、超音速軍用機であれば数十秒である。領空侵犯されて対応するのでは手遅れだ。そこで領空の外周の空域に防空識別圏を設け、事前に届け出のない航空機が防空識別圏に進入した時点で、空軍機により強制退去させる措置をとっている。スクランブルといわれ、一般には航空機が防空識別圏に進入する恐れがある時点で発動される。それでないと、軍用機の場合には攻撃されてしまう恐れがあるからだ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ところが与那国島では、台湾との間の防空識別圏のラインが島の上空に引かれているのだ。厳密に言えば、島の東側３分の１は日本、西側３分の２は台湾である。沖縄占領中に米軍が便宜的に東経１２３度で線引きしたのを、返還の際、日本政府がそのまま引き継いでしまったからだ。当時としては、台湾（中華民国）が友好国だからとの単純な理由からであろうか。しかし、日本政府、防衛庁・自衛隊が自国の防衛にいかに無責任であるかは、現在でも自衛隊の航空機が台湾との防空識別圏に近づくことを意図的に避けていることにはっきり表れている。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;自衛隊ですら関心なく&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;筆者は中国の東シナ海石油開発を取材する中で初めてこの事実を知り、航空自衛隊に問い合わせた。すると「何も問題ありません。あなたは何を心配しているのですか」と相手にしてもらえなかったことがある。台湾はれっきとした主権のもとに存在している。わが国の領土である尖閣諸島の領有権を主張して譲らないばかりか、沖縄返還時には、台湾に無断で沖縄を日本に渡したと米国にクレームをつけたことがある。さらにいえば、中国は台湾を自国の領土と主張している。もし台湾が中国に統一されたら、どういう事態になるか、防衛関係者ですら考えたことがないのだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;馬英九氏が総統に就任し、中国は経済関係の緊密化による台湾との「平和統一」を意図している。与那国島も、対馬と同じように、過疎化と経済的低迷に苦しみ、台湾との経済交流、観光客の受け入れに期待している。筆者は先ごろ、与那国島に初めて行く機会を得て、町議会、防衛協会の方々と話をした。島の人たちは、国境の島に対する国家の特別措置と自衛隊の駐屯を強く希望していた。与那国島が「第二の対馬」にならないうちに、手を打たなければならない。（ひらまつ　しげお）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ＭＳＮ産経ニュース&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;ブログ管理者の意見&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
日本人の国際的危機管理感覚は明治時代以来であると考える、周辺諸国で何が起こっているのかいつの時代も掴めない、それで悠然と構えているこの感覚はほとんど「病気」と言っても不思議ではない。日本人には危機管理などできないこれが事実だろう、そうでなければ戦争という惨劇を潜り抜けて国自体が崩壊した説明はつくまい、自衛隊自身が国境感覚が希薄でのんきに構えていることからもそれは容易に推測できる。日米同盟に頼るなと識者は何度も警鐘を鳴らすが「馬の耳に念仏」の感じがしないでもない。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/lamerfontene/60548033.html</link>
			<pubDate>Thu, 05 Nov 2009 16:09:25 +0900</pubDate>
			<category>アジア情勢</category>
		</item>
		<item>
			<title>アメリカの二人の女優</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-ae-bd/lamerfontene/folder/1350533/78/60544778/img_0?1273192729&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_240_320 clearFix alignLeft&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-ae-bd/lamerfontene/folder/1350533/78/60544778/img_2?1273192729&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 2&quot; class=&quot;popup_img_400_500 clearFix alignRight&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ジョディー・フォスター&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;来歴&lt;/b&gt; &lt;br /&gt;
ジョディ・フォスター（Jodie Foster、本名：アリシア・クリスティーン・フォスター、Alicia Christian Foster、1962年11月19日 ）は、アメリカ合衆国の女優、映画監督、映画プロデューサー。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;生い立ち&lt;/b&gt; &lt;br /&gt;
カリフォルニア州ロサンゼルスにて、4人兄妹の末っ子として生まれる。生まれる前に両親が離婚したため母親に育てられた。その後、父親は日本人と再婚。腹違いの妹エイミー・フォスターがいる。役者名の「ジョディ」は、彼女が母親のお腹にいるときから、兄姉たちが呼んでいた愛称である。二人の姉ルシンダ（1954年生）、コンスタンス（1955年生）と、兄ルシアス（1957年生）がいる。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;高校時代はロサンゼルスのリセに在籍し、バカロレア資格を取得。フランス語が流暢に話せるので、フランス語版の吹き替えは殆ど自身で行っている。英語圏の女優達の中で、ジョディもキャンディス・バーゲン、ジャクリーン・ビセット、クリスティン・スコット・トーマスらと共に外国語（英語以外の言語）に堪能な数少ない女優の1人である。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;高校卒業後はハーバード大学、コロンビア大学などを蹴って、イェール大学に入学した。アメリカ文学を専攻し、トニ・モリソンの論文で優秀な成績（Magna Cum Laude）で卒業したことはよく知られている。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;キャリア &lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
子役であった兄の仕事場についていった際スカウトされ、3歳よりコマーシャルに出演し、主にテレビドラマで子役として活躍、一家を経済的に支えるまでになった。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;1972年に『ジョディ・フォスターのライオン物語』で映画デビュー。1976年公開のマーティン・スコセッシ監督作品『タクシー・ドライバー』で12歳の少女娼婦アイリス役を13歳にして好演し、全米映画批評家&lt;br /&gt;
ジョディ・フォスター（Jodie Foster、本名：アリシア・クリスティーン・フォスター、Alicia Christian Foster、1962年11月19日 - ）は、アメリカ合衆国の女優、映画監督、映画プロデューサー。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;協会賞助演女優賞や英国アカデミー賞 助演女優賞などを受賞、アカデミー助演女優賞にノミネートされ、高い評価を得た。しかし、この映画は同時に多方面に影響を与え、熱狂的なファンを自称するジョン・ヒンクリーにより1981年にレーガン大統領暗殺未遂事件が発生。この事件に衝撃をうけたジョディは、一時期映画界とは距離を置いた。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;1984年公開の『ホテル・ニューハンプシャー』で本格的にスクリーンへ復帰以降、1989年公開の『告発の行方』と1991年公開の『羊たちの沈黙』でアカデミー主演女優賞を受賞。人気・実力共にアメリカを代表する役者の地位を不動のものとした。1991年に『リトルマン・テイト』で、映画初監督。自ら設立した映画制作会社エッグ・ピクチャーズ・プロダクション制作の第一回作品『ネル』（1994年）以降は、映画プロデューサーとして映画製作も行うなど活動の幅を広げている。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;私生活&lt;/b&gt; &lt;br /&gt;
独身であるが、1998年と2001年に男児を出産（父親の名前は公表されていない）。現在シングルマザー。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;2007年12月のロサンゼルスでの式典で、15年来の交際がある映画プロデューサーのシドニー・バーナードについて、「いつもそばにいてくれる美しいシドニーに感謝」と謝辞を捧げたところ、マスメディアが「レズビアンである事をカミングアウトした」としていっせいに報道。なお、2008年5月現在、破局したとの報道がなされている。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-ae-bd/lamerfontene/folder/1350533/78/60544778/img_4?1273192729&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 3&quot; class=&quot;popup_img_350_432 clearFix alignLeft&quot;&gt; &lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-ae-bd/lamerfontene/folder/1350533/78/60544778/img_5?1273192729&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 4&quot; class=&quot;popup_img_340_356 clearFix alignRight&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　デミ・ムーア&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;デミ・ムーア（Demi Moore, 1962年11月11日）はアメリカ合衆国の女優。あどけなさの残るイノセントなベビー・フェイス、ショートカットと澄んだ瞳の知的な顔立ちと豊満な肉体とのアンバランスが耳目を集め、1980年代後半から1990年前半の米国でトップスターとなった。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ニューメキシコ州ロズウェルで生まれ、女優になるため16歳で学校をやめ、モデルとして活躍。1982年、ソープ・オペラに出演するチャンスを掴み注目されるが、同時に麻薬を使用するようになってしまう。『セント・エルモス・ファイアー』を撮影中、ハイの状態のままセットに現れた彼女を、監督のジョエル・シュマッカーはクビにしたこともあった。その後治療を受けて回復。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;1990年の『ゴースト/ニューヨークの幻』のヒットで有名になる。 2003年の『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』では、役作りのために2600万円以上を使っている。[1]&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;私生活&lt;/b&gt; &lt;br /&gt;
プライベートでは1980年、18歳のときに最初の結婚をするが4年後に離婚。『セント・エルモス・ファイアー』で共演したエミリオ・エステベスと婚約したが3年後に破棄。1987年、ブルース・ウィリスと再婚し、13年間の結婚生活を経て2000年に離婚。3人の娘をもうけ、女優のルーマー・ウィリスがいる。2005年には16歳年下の俳優アシュトン・カッチャーと結婚した。このとき挙式にはブルース・ウィリスも出席している。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;また、モデル時代に撮ったヌード写真が流出したり、妊娠中にヌードを披露[2]したりといったことでも話題になった。プロデューサーとしても活動しており、『オースティン・パワーズ』シリーズのプロデューサーの一人でもある。 また、バービー人形のコレクターとしても有名。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;ブログ管理者の意見&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
ジョディー・フォスターとデミ・ムーア対照的な二人の女優だが実は二人は同じ年で出身地が異なる。ジョディーは子役時代から有名でしかもインテリでもある、一方のデミ・ムーアは派手好きというか奔望な印象を与える。男関係もジョディーは黙して語らず、デミ・ムーアは妊娠した裸体をさらすなど臆する所がない。「女にも色々ある」ところを二人は見せている。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/lamerfontene/60544778.html</link>
			<pubDate>Wed, 04 Nov 2009 20:45:06 +0900</pubDate>
			<category>アフリカ情勢</category>
		</item>
		<item>
			<title>世界仰天ニュース「年の差など気にしない」</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-ae-bd/lamerfontene/folder/1426249/76/60542376/img_0?1257288265&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_247_250 clearFix alignLeft&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;５８歳差婚！２４歳青年、花嫁はなんと８２歳&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;アルゼンチン北部サンタフェで、２４歳の青年レイナルド・ワベチェさんと８２歳のアデルファ・ボルペスさんが９月２９日（日本時間同３０日）、結婚式を挙げた。年の差は５８歳。ボルペスさんはワベチェさんの母親の友人。母親が９年前に亡くなった後に２人は同居を始め、６年前から「男女の仲」という。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ワベチェさんは「彼女はぼくのすべて。おばあちゃん、母親でもあり、今日から妻になった」と興奮気味。「年の差」カップルへの助言を求められたボルペスさん、「人生は１度。何を言われても気にしないこと」。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;MSN産経ニュース&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;ブログ管理者のつぶやき：&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
彼女はいじわるな質問にこう答えたかった「私は女なのよ～ん、そりゃあ女が上がったのは３０年前だけどさ、男はいいものだし太いの入れられると天国に行っちゃう。子供を何人産んだかって？そういうのは関係ないでしょ？女は死んで灰になるまで「女」なのよ、男なしの生活なんて考えられない」いやあご立派、私は６０代だけどあなたとシコシコしたい気分になってきた。別に年寄り趣味じゃないよ、８０を過ぎて若い男を夢中にさせるその技術に関心したのである。男を「行かせるベッド技量」とはどういうものか一度拝見したいね。日本では７０歳過ぎた温泉芸者がいて、酔っ払った男に色目を使って布団に誘い込んでシコシコやって「現役」だとうそぶいている。男とはだらしがなくて酒を飲めば女ならば年も気にしないで抱けるとあらば猛突進する、女は下半身で勝負と言われる。ばああ芸者が商売になるのも、そういう男の本心を見抜いているからだ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/lamerfontene/60542376.html</link>
			<pubDate>Wed, 04 Nov 2009 07:01:35 +0900</pubDate>
			<category>アメリカ情勢</category>
		</item>
		<item>
			<title>アメリカの日系人部隊、４４２大隊で活躍した日系二世</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-ae-bd/lamerfontene/folder/1426249/80/60538280/img_0?1312538946&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_200_250&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）』より&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ダニエル・ケン・イノウエ（Daniel Ken Inouye、漢字: 井上 建、1924年9月7日 - ）は、アメリカ合衆国の政治家。元アメリカ陸軍将校。上院議員。第二次世界大戦時は、アメリカ陸軍に従軍し、数多くの栄誉を受けた。アメリカ陸軍での最終階級は陸軍大尉。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;生い立ち&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
1924年に日本人移民の両親の元、当時アメリカの準州であったハワイのホノルルで生まれる。その後ホノルルの高校を経てハワイの名門大学であるハワイ大学マノア校に進学した。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
第442連隊の英雄 [編集]&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
ハワイ大学在学中の1941年12月に日本軍による真珠湾攻撃が行われ、アメリカが第二次世界大戦に参戦した後は日系アメリカ人として人種差別待遇を受けるものの、アメリカ人としての忠誠心を示すためにアメリカ軍に志願し、アメリカ陸軍の日系人部隊である第442連隊戦闘団に配属され、ヨーロッパ前線で戦う。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;フランスにおけるドイツ軍との戦いにおいて右腕を失うものの、多くの部隊員とともに数々の勲章を授与され帰国し、日系アメリカ人社会だけでなくアメリカ陸軍から英雄としてたたえられる。陸軍大尉で退役後、ハワイ大学に復学し1950年に同大学を卒業しBA Government and Economicsを得、その後J.D.を得るものの、右腕を失ったことにより、当初目指していた医学の道をあきらめることになる。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;日系人初の上下両院議員&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
その後は政界に進出し、1954年には準州であったハワイ議会の議員に当選した。1959年には民主党からハワイ州選出の連邦下院議員に立候補し当選し、アメリカ初の日系人議員となる（1959年-1962年）。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;その後、1962年には上院議員となり（同じく第442連隊戦闘団員であったスパーク・マツナガも下院議員に当選する）、戦時補償法の制定などに尽力する傍ら、1973年にはウォータゲート事件と1987年にはイラン・コントラ事件の上院調査特別委委員長となり注目を浴びる。アメリカ軍の予算に大きな権限を持つ上院歳出委員会国防小委員会の民主党長老議員として、エリック・シンセキ大将の陸軍参謀総長就任に尽力している。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;現在&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
現在も民主党の上院議員として上院歳出委員会の国防小委員会で上級委員を勤める他、カリフォルニア州ロサンゼルスの日本人街リトル・トーキョーにある全米日系人博物館の理事長を勤めるなど活躍を続けている。2000年6月21日に、陸軍殊殊勲十字章、銅星章の受賞理由が見直され、軍人の贈られる最高位の勲章である名誉勲章を受章したほか、2007年11月、フランス政府からレジオンドヌール勲章（シュヴァリエ）を授与された。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;イノウエは、1980年代に、日米間の貿易摩擦が政治問題化した際には、リチャード・ゲッパートなどと共に、対日批判の急先鋒として立ち回ったが、現在は日本に対して融和的で、中華人民共和国や韓国が主張する「従軍慰安婦・強制連行説」に立脚するアメリカ合衆国下院121号決議に反対し、この動きが上院に波及しないよう牽制した。1996年に前妻と死別し独身となっていたが、2008年1月29日に「全米日系人博物館」館長 アイリーン・ヒラノと再婚した。また、2008年アメリカ合衆国大統領選挙においては、ヒラリー・クリントン上院議員を支持していた。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;栄典&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
アメリカ合衆国名誉勲章 &lt;br /&gt;
フランスレジオンドヌール勲章シュヴァリエ &lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
著書 [編集]&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
「ワシントンへの道」（原題：Journey to Washington） &lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
関連項目&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
日系人の強制収容 &lt;br /&gt;
スパーク・マツナガ &lt;br /&gt;
マイク・ホンダ &lt;br /&gt;
全米日系人博物館 &lt;br /&gt;
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外部リンク&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
ウィキソースに名誉勲章感状の原文があります。ダニエル・ケン・イノウエプロフィール &lt;br /&gt;
United States Senator Daniel Inouye 公式サイト &lt;br /&gt;
全米日系人博物館&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;ダニエル・イノウエ氏の解説：&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
アメリカでの４４２部隊の活躍はあまりにも有名でその武勇伝は６４年が経過してもいささかも衰えない。アメリカでは大正時代の終わりに突然日本人排斥運動が高まった、これはアメリカの日本に対する警戒心が頂点に達して、それが民間人に広まった結果であった。それで在米日本人ならびに日系人の間ではアメリカに忠節を示すために若者の間で進んで入隊しようとする動きが高まった。それに対して激怒したのは一世である日本人だった、日米が風雲急を告げるときに入隊するとは何事かと日本人は激怒した。そして真珠湾攻撃でアメリカと日本は敵同士になってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;日系人の若者はアメリカに忠節を求めて右往左往していた、そこで日本人はこう述べた「アメリカに忠節をつくすのはよい、ただし日本兵に銃を突きつけるのは許さない、天皇および日本国民に敵対することだけは止めろ！、欧州戦線ならば行ってもいいが、それだけは忘れるな」こうして日系の若者は１００大隊および４４２大隊を編成した。そして地獄のような欧州戦線で信じられない働きを見せた。対日本戦では日系人は兵隊でも通訳や後方支援の任務でアメリカ軍を助けた、その様子は山崎豊子の「二つの祖国」で詳細に語られている。日本人は仲間内では殺し合いをしないという不文律はこうして守られた。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/lamerfontene/60538280.html</link>
			<pubDate>Tue, 03 Nov 2009 09:28:40 +0900</pubDate>
			<category>アメリカ情勢</category>
		</item>
		<item>
			<title>屋山太郎が解説する「鳩山政権の外交感覚のなさ」</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-ae-bd/lamerfontene/folder/1426249/01/60534401/img_0?1257132959&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_168_250&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;【正論】政治評論家・屋山太郎　象徴的政策での妥協は「信」失う&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;≪例のない決定の早さだが…≫&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;鳩山政権が誕生してほぼ５０日になる。政権の評価は１００日経たないと定まらないというが、政権運営や決定が過去のどんな政権に比べても早い。このため現時点で指摘しておいた方が良いと思うことが多々ある。民主党政権は“政権交代”のスローガンで勝利したが、最高の価値は「官僚内閣制」を終焉（しゅうえん）させ、立法府が主導権を持つ「議会制民主主義」に“体制”を変えたことだ。官僚内閣制は明治以来続いている官僚主導の体制で、その象徴が「事務次官会議」だった。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;閣僚から成る閣議は、すべて次官会議で決定した案件を追認するだけだった。鳩山内閣はこの明治１９年以来続いていた次官会議を１２３年ぶりに廃止した。八ツ場（やんば）ダムの工事中止、羽田のハブ（拠点空港）化など重大な政策決定が即断即決で行われているのは官僚の“了承”を必要としない政治運営に改めたからだ。全体の政策の整合性をとるために、菅直人副総理が担当する「国家戦略室（局）」と仙谷由人氏が担当する「行政刷新会議」が設置された。政権運営は年末の予算編成を目指して急ピッチで動いている。走りながら考えているため、新たに設置された組織の機能がまだ定まっていない。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　民主党政権の時だけに限った組織なのか、法的に裏付ける恒久組織になるのかはわからない。政治主導を担保するつもりなら恒久組織としての法的裏付けがないと、政権が代わると元の次官会議が復活してくる可能性がある。次官会議には法的根拠がないにもかかわらず、戦後も国会に“無断”で続けられた歴史がある。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;≪予算も政治家の独自判断で≫&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　目下、仙谷氏の刷新会議で各省が持ち込む予算の絞り込みをやっているが、官僚から政策についてヒアリングを受けるなどは禁物だ。私はかつて十数年にわたって政府の行政改革推進審議会で特殊法人整理の仕事に携わったことがあるが、官僚と議論して「不要」の結論が導き出されたことはない。したがって政策に要する予算がどの法人を通じて流されるかに着目し、政治家が独自の判断で要、不要を決定するしかない。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;かつて１人当たりのＧＤＰ（国内総生産）が世界一といわれた日本がなぜ社会保障政策の面で、先進国のドン尻の方にいるのか。派遣切りになって宿舎もないというような労働政策をとっている先進国はどこにもない。日本の国家経営の方法は技術開発を中心とした外需で稼ぎ出し、その儲（もう）けを米価引き上げや道路、空港、港湾に注ぎ込んで地方を活性化させるというものだった。外需で稼げなくなってもコンクリート工事を続行した結果が８００兆円に上る国の借金だ。一方で老後が不安なばかりに国民は１５００兆円もの金融資産を抱えている。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;自民党の国家経営の失敗に対して民主党は「コンクリートから人へ」の政策転換を図った。八ツ場ダムやハブ空港あるいは子ども手当の支給はその政策転換の象徴であって、この象徴で妥協するようでは信を失う。日本郵政社長人事で元大蔵次官の斎藤次郎氏をもってきたのは「天下り根絶」の方針に反する。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;≪度し難い首相の外交感覚≫&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;度し難いのは鳩山由紀夫首相の外交感覚である。鳩山首相は米国が求めている米軍普天間飛行場の名護市キャンプ・シュワブへの移設問題をオバマ大統領の来日（１１月１２日）後まで漫然と延ばす風情だった。ゲーツ国防長官が来日し、日米合意の履行を迫っても「政権が変わったから見直してもよい」と思っていたふしがある。一方で東アジア共同体構想の具体化に熱心で、日中韓を中心に「ＥＵ（欧州連合）のような共同体を作りたい」という。この態度は米側に「脱米入亜」路線をとるのかとの疑念を抱かせた。ゲーツ長官が来日して明快に米国の意思を伝えたにもかかわらず、この感度の悪さは信じ難い。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;その理由を考えると鳩山首相の外交ブレーンといわれる寺島実郎・日本総合研究所会長の影響があるのだろう。同氏は文藝春秋１０月号に「米中二極化『日本外交』のとるべき道」という論文を書いている。日本は「米国追随」から決別し、真に「自立」しろ、というのである。「日本がまだ『核の傘論』に拘泥していくことは、二十一世紀の世界秩序形成に全く噛（か）み合っていません」ともいう。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ゲーツ国防長官は日本から韓国入りし、核実験やミサイル発射実験を繰り返す北朝鮮に対処するため、米国が韓国に「核の傘」「通常戦力」「ミサイル防衛（ＭＤ）」など「あらゆる種類の軍事力」を提供するとの共同声明を発表した。寺島氏は韓国が核の傘を求めるのは「二十一世紀の世界秩序に噛み合っていない」というのか。寺島氏の国際情勢認識はまさにど素人の発想で、この理論を現実の外交に持ち込む鳩山首相の外交感覚を疑う。ＥＵが共同体結成に至ったのはキリスト教というベースがあったればこそで、日中韓にどのような共通のベースがあるのか。（ややま　たろう）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;MSN産経ニュース&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;時事問題解説&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
日本人の外交感覚が変わったとは私は考えていない、日本人は戦前より”盲目状態”で先を見る眼力がないために戦争に突入してそれで国家は消滅した歴史を持つ。古くは坂本龍馬がこの今日の日本を予測して「国は滅びる」と警鐘を鳴らしたのは有名な実話である。下田の港に蒸気船が突然現れたときから、日本人は上へ下への大騒ぎを演じ「大八車に家財道具を満載して逃げ出す」のが事の始まりだった。それから１５０年ほど経過したが、日本人は少しも変わらず当時と同じように悠然と構えている。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/lamerfontene/60534401.html</link>
			<pubDate>Mon, 02 Nov 2009 11:50:50 +0900</pubDate>
			<category>ブログバトン</category>
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