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四半世紀以上前にメルボルンで起業し、時代の変化に合わせて常にフレキシブルに改革を進め、現在では日本市場に軸足を移して成功している日本人経営のオーストラリア企業がある。シドニーに本社を置くベンティーンだ。現在は、主に東京を拠点に活動する創業者の尾山武史氏に戦略を聞いた。
1970年代、新天地を南半球に求めて日本を旅立った1人の若者がいた。オーストラリアを訪れる日本人観光客もまだ少なく、ワーキング・ホリデー制度もなかった時代に、メルボルンにやって来た尾山氏。日本人が仕事を得るのは簡単なことではなかった当時、幸いにも現地のオパール商社に就職し、マネジャーとして日本へのオパールの輸出を担当した。これがその後の人生の方向を決めることになる。
1980年に独立して、メルボルンでオパール専門商社を創業した。しかし、「自分でオパール(の輸出)をやろう」と決意したのはよかったが、既存勢力の抵抗に遭い、新参者は「なかなか商品を入荷させてもらえなかった」。だが、苦境に陥った尾山氏はそこで持ち前の商才を発揮する。「卸から商品が入らないのなら、生産者(の所)に入ればいい」。そう考えて、NSW州ライトニング・リッジのオパール鉱山に直接乗り込んだのだ。
産地直送でオパールの仕入れルートを開拓したことで、安く大量に入手することができたため、価格競争力の高い商品を日本に輸出することができるようになった。82年、現在の本社があるシドニーに2号店を開き、オーストラリア特産の食品や香水、酒などオパール以外の土産物もそろえた総合免税店として業務の幅を広げていった。
そして、80年代中ごろから90年代初頭にかけて、日本に空前のオーストラリア・ブームが訪れる。折しも、日本中がバブル経済に浮かれていたころ。ブームに呼応して、オーストラリアを訪れる日本人観光客も右肩上がりに急増し、宝石や免税品が飛ぶように売れた。オーストラリア国内3拠点、日本国内2拠点を構え、最盛期で日本人340人を含む500人以上の社員を抱える規模に発展した。「海外の会社としては当時、最も多くの日本人を雇用していたのではないか」と尾山氏は振り返る。
ピンチの後にチャンスあり
シドニー市内中心部にあるシドニー店
ところが、オーストラリアの日系観光業界の好況も、90年代に入ると長くは続かなかった。バブルは崩壊し、日本経済は長い不況のトンネルに入った。訪問者数こそピークの96〜97年まで増え続けたが、不況の影響に加えて消費者の志向の変化もあって、観光客が旅行先で以前ほどお金を使わなくなった。日系企業が経営するホテルや免税店が次々と撤退し、航空各社の供給座席総数は減少した。
会社が生き残るには、思い切ったリストラしか道はない――。大勢の社員を抱える尾山氏は、断腸の思いで決断した。大幅に人員を削減し、シドニー店を残して、最終的にはゴールドコーストとメルボルンの店も閉じた。
しかし、そうした逆境を独自のアイデアでビジネス・チャンスに転化するのが尾山流だ。「当時、顧客の約80%が日本人だった。ロジックは明快だ。日本人観光客が減ったのなら、日本人の多い所でビジネスをやればいい」。本社は仕入先であるオーストラリアに残しながら、95年から販売の主軸を日本市場に移した。全国各地で展示会を開き、オーストラリアから輸出したオパールや南洋真珠などを売るという手法で売上を伸ばした。創業の地で逆風を受けた同社は、日本で息を吹き返したのだった。
それから10年。現在では、東京にショールームを構える一方、北海道から沖縄まで全国隅々の百貨店や宝石小売店で年間200回、展示即売会を開いている。特に、毎年9月に東京ディズニーランドのホテルで開催している展示会は、約1,200人の顧客を集める。日本の景気回復とともに、高所得者層の財布のひもが緩くなり、業績も順調に推移しているという。「1カ月に1回は1,000万円以上の商品が売れている。最近も3,800万円のサファイヤ入りの真珠が売れた。こんなことは数年前にはなかった」と尾山氏。現在の社員数は、シドニー本社20人、東京22人、カナダ3人の合計45人と最盛期の10分の1の規模だが、収益性は飛躍的に向上した。
他社との差別化について、尾山氏はこう話す。「『ベンティーンで購入すれば楽しい』と思ってもらえるよう努力している。付加価値を生み出すことで『顧客のファン化』を目指したい」。オーストラリアのファンを増やすことによって、同社のファンも増やすという戦略だ。オパールの展示会では、先住民アボリジニの楽器、ディジュリドゥを演奏して、オーストラリアの文化や民族について話をするなど演出に力を入れる。単に宝石を売るだけではなく、オーストラリアの良さも知ってもらう。8月には、カンタス航空と協力して、真珠の里であるWA州ブルームに顧客を連れて行くツアーも行う。
最高級ボルダ−・オパールを使用したリング
好調な業績に安住せず、オーストラリア側でも次の手を打っている。今年はシドニー店のファースト・フロア(2階)を全面改装して「オーストラリア物産展」を常設する。毎回テーマを決めて豪州国内各地の特産物を売っていく。例えば「グルメ・アイランド・タスマニア」という企画では、TAS州産のカラスミやチーズ、ワインの試食・試飲ができるようにする。食にうるさく、健康志向の高い日本人観光客がシドニーから帰国する際に、新鮮な食料品を買って帰ってもらうのが狙いだ。
課題がないわけではない。同社は現在でも、年齢層の高い顧客に人気があるオパールに売上の多くを依存している。そこで、オパールに限らないさまざまな宝石を使った若者向けのユニセックス・ブランド「ルー・ジュエリー」を立ち上げ、幅広い年齢層への浸透を図る。また、顧客の好みを徹底的にリサーチして、日本で今伸びているテレビ・ショッピングの市場にも参入していく。
「(ビジネスの主戦場を日本に移した)あの時に決断していなかったら、今はもう会社自体がなくなっていただろう」と述懐する尾山氏。
「(創業者である)私もスタッフの1人にすぎない。会社は社員みんなのもの。これからは実力のある社員を独立させて新事業を起こさせていく。ベンティーンという会社のビジネスは、オパールに限らない。2010年には3つの企業にする。2015年にはレストランやブライダル事業など5つの企業を立ち上げ、後を継ぐ者に経営を委ねる」
時代の変化に応じて常に先を読み、マイナスをプラスに転じてきた起業家は、自分に続く次世代の会社像も明確に描いている。
http://www.nichigo.com.au/column/kigyo/2006/0605.htm
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日豪プレスの記事!!
オーナーのバイタリティーには驚かされっぱなしです
だからこそオーストラリア人の中に溶け込めたのでしょう
2007/9/8(土) 午前 8:41 [ ベンティーン ]
尾山社長亡くなりましたよね。
やすらかに......。
2015/4/7(火) 午前 5:44 [ pmg*y18* ]