比残留日本人 国籍へ思い語る8月7日 18時42分
戦前にフィリピンに移住した日本人男性の子どもで、現地に残されるなどしたフィリピン残留日本人9人が、東京で開かれた支援団体との交流会に出席し、日本国籍を取得することへの思いを語りました。
交流会に参加したのは、戦前、フィリピンに移住したり、戦時中に出兵したりした日本人男性と現地の女性との間に生まれた、フィリピン残留日本人の男女9人とその家族です。9人は、3日に日本国籍の取得を求めて来日し、裁判所で取得に向けた面接を受けています。
初めに、京都大学東南アジア研究所の大野俊特任教授が講演し、「戦争の混乱で、幼いころに父親と生き別れて現地に残された日本人2世には、日本国籍を持つ資格がありながら、戦後の激しい反日感情のなか、出生を示す書類や写真を失い、国籍の取得に証拠が乏しい状況になっている」と訴えました。
9人は浴衣姿で支援団体や市民団体のメンバーたちと日本の歌を歌ったり、会話をしたりして交流を楽しみました。父親の顔を見ることなく育ったシゲトミ・フアニタさん(65)は、父親が日本人ということでからかわれたつらい経験に触れ、「日本国籍を取得できたら、人生の残りを日本で送りたい」と語りました。
9人は、9日まで日本に滞在し、外務省や厚生労働省を訪れて問題への理解を求めるほか、肉親に関する情報の提供を呼びかけることにしています。
|
在比日系人
[ リスト | 詳細 ]
国籍取得支援を、比残留日本人2世訴え 京都 京都出身の旧陸軍軍人を父親に持つというフィリピン残留日本人2世の広瀬ヘロニモさん(65)が5日、府庁で記者会見。日本国籍の取得支援を訴えた。
ヘロニモさんはセブ島在住。戦時中、同島に駐屯していた陸軍部隊所属の父親(戦死)とフィリピン人の母親との間に生まれた。しかし、2人の結婚を証明する書類などはなく、フィリピン国籍も取得できず、現在は無国籍の状態。
今回、同じような境遇にいる他の2世らとともに、日本財団(東京)などの支援を受けて来日した。ヘロニモさんは「父が日本人であることは小さいころから認識していた。日本人として認められることを希望している」と話した。
|
|
■無国籍フィリピン人男性 父の故郷・京都で…
太平洋戦争中、フィリピンで日本軍兵士の子どもとして生まれたものの無国籍となっている男性が、父親の故郷の京都を初めて訪れ墓参りをしました。
5日朝、京都駅に到着した広瀬ヘロニモさん(65)。 生まれて初めて訪れた父親の故郷に感極まります。 (Q.父親の故郷に降り立った気持ちは?) 「うれしくて胸がいっぱい」(広瀬ヘロニモさん) ヘロニモさんは太平洋戦争中の1944年にフィリピンのセブ島で旧陸軍の広瀬留吉さんと現地女性の間に生まれましたが、出産前に留吉さんの消息がわからなくなったため、無国籍となってしまいました。 厚生労働省への照会などで留吉さんはその後、戦地で亡くなり、墓は出身地の京都にあることがわかったということです。 初めての父親の墓参りで、ヘロニモさんには父・留吉さんの写真が手渡されました。 初めて見る父の顔です。 「とてもうれしいが、父のことがより恋しくなった」(広瀬ヘロニモさん) 広瀬さんは日本国籍の取得を目指しているものの、留吉さんの子であることを証明する書類を持たないため困難とされています。 今回、広瀬さんのようなフィリピン残留日本人2世とされる9人が日本国籍を求めて来日していて、厚労省や外務省で9日月曜まで要望活動を行います。 (08/05 19:06) |
|
|
「熊本の親せきに一目」 フィリピン残留日系人
2010年08月04日
父親が県出身というフィリピン残留日系人女性のロレン・コバヤシ・アスタさん(83)ら9人が3日来日し、東京都内で会見。「出自につながる手掛かりがほしい」と訴えた。
一行は9日まで滞在。大半が、日本国籍を認められた上で戸籍をつくる「就籍」を申し立てており、東京家裁で調査官との面接を予定している。 母親から「父の出身地は熊本」と聞いたというコバヤシさん。2歳で両親が離婚し、父の記憶はほとんどないが、「幼いころ、近所の人から『父の顔によく似ているね』と言われた。可能ならば、熊本にいるであろう親せきにも会いたい」と希望を語った。 コバヤシさんの父親は戦前にフィリピン・ミンダナオ島に渡り、マニラ麻栽培に従事。1925年に現地に住んでいた母と結婚した。離婚後、日本人女性と再婚し、戦中に米軍の爆撃を受けて亡くなったという。 コバヤシさんの日本名は「コバヤシ・マサエ」。父に関しては姓の「コバヤシ」という情報しかない。 情報提供は、フィリピン日系人リーガルサポートセンターTEL03(3355)8861。(潮崎知博) |







