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漁民らが「環境隊」も

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富栄養化が進んだラグナ湖。養殖業者は「魚の育ちが悪くなった」と嘆く


 フィリピンのマニラ市東南に広がるラグナ湖は、海水が混じる汽水湖で、琵琶湖の約一・三倍の広さを誇る。同湖には、マニラ首都圏を流れるパシグ川をはじめ大小二十一の河川が注ぎ込む。

 東南アジアの多くの都市と同じように、マニラ首都圏周辺では一九八〇年代から、開発ラッシュと人口増加の波が押し寄せた。ラグナ湖の周りにも、あちこちに真新しい高層ビルが林立している。増える生活排水や工場排水が、湖の水質を急速に悪化させた。

 ラグナ湖で魚の養殖業を営むヴィルギリオ・ジョクソンさん(46)は、捕獲した魚を見せ「育ちが悪い。以前は四匹で一キロになったが、今は倍は捕らないと一キロにならない」と嘆き、「湖の汚染が原因だ」と言い切る。

 同湖は漁業が盛んなほか、大都市近郊の観光地でもある。将来は、首都圏の飲料水の供給源としても期待されている。天然資源省傘下のラグナ湖開発公社は、湖の水質保全を図るために近年、矢継ぎばやにさまざまな制度や規制の導入を進めている。

 「血管をきれいにしないと心臓は元気に動かない」。流入する二十一河川の一つ、サンタ・ロサ川の再生運動に取り組む「サンタ・ロサ川救済機構」を四年前に設立し、そのチーフを務めるリオニーズ・バレンシアさん(62)は川を血管、湖を心臓に例え、そう言う。

 バレンシアさんは、フィリピン・コカコーラ社の消費者・環境部責任者として運動の先頭に立っている。ラグナ湖開発公社は、工場排水が水質悪化の主原因として、大手企業を中心に河川再生運動をリードするよう呼びかけ、同社はこれにこたえた一社だ。バレンシアさんら消費者・環境部の社員は、流域の市町や村組織、教会などでつくる「救済機構」の核となって清掃や植樹に取り組み、住民らに川や湖の保全の必要性を訴えて回っている。

 九七年には「環境隊」という組織も発足した。ラグナ湖で漁を営む人たちを中心にした組織で、約三百七十人の隊員は、清掃活動や湖へのごみ投棄、工場排水のたれ流しの監視などに目を光らせている。同公社の河川再生プログラムの統括者であるホセ・カリーニョさん(48)は「世界でも初めての組織」と誇る。

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 また、湖周辺の工場や商業施設を対象に「環境利用料」という一種の環境税も導入した。排水量に応じて利用料の支払いが課せられ、利用料は排水中の生物化学的酸素要求量(BOD)によって増額される。同制度は現在、七百施設に適用され、違反して操業停止になったケースが九八〜二〇〇〇年に三十一件に上った、という。

 同公社のアッティ・メンドーサ前理事長は「目に見える形ではないが、水質は確実に改善してきている」と制度の成果に胸を張り、今後の最大課題を「行政と企業、住民がどこまで連携し、その意識を高められるかだ」と力を込めた。

http://www.kyoto-np.co.jp/kp/special/sekai/sekai05.html

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田中宇の国際ニュース解説
2001年7月9日  田中 宇

 フィリピンのグロリア・マカパガル・アロヨ大統領は、1960年代に大統領だったディオスダード・マカパガルの娘である。現在53歳の彼女は10代のころ、大統領だった父親と一緒に「マラカニアン宮殿」と呼ばれる大統領官邸に住んだことがある。

 それから40年、彼女自身が大統領になり、再びマラカニアン宮殿に住むようになったのだが、さる5月1日の早朝、石や棍棒を持った数千人の群衆が官邸に突入しようとした際、この宮殿に以前も住んだことがあるという経験が役立つことになった。群衆が宮殿内に乱入した場合に備え、防弾チョッキを着た大統領は安全を求めて宮殿内の部屋から部屋へと渡り歩いたのだが、その際、彼女自身が宮殿内部の構造を熟知し、隠し通路などの存在を知っていたことが役立ったのである。

 この話は、大統領の娘がまた大統領になるという「歴史の繰り返し」を感じさせるが、この事件は、実はもっと大きな「繰り返し」を意味していた。群衆がマラカニアン宮殿に突入し、大統領が失脚するというシナリオは、1986年にマルコス大統領が失脚した劇的な「フィリピン民衆革命」(アキノ革命)のストーリーと似ていたからである。しかもこれは、単なる偶然の類似ではなく、意図されたものであった。

▼民衆革命を使って復活した旧支配層

 フィリピンは、非常に豊かな数十の家族が、国土の半分以上の土地を所有しているという、支配構造のきつい国である。この構造は19世紀、フィリピンを植民地として支配していたスペインに利益をもたらすため、サトウキビ、タバコなどの商品作物を栽培する大農場が作られた時からのもので、大農場を所有する人々が、フィリピンの支配者となった。

 この構造は20世紀に入ってアメリカの植民地になってからも変わらず、24議席からなる上院議員や、歴代大統領の多くは、この特権支配層と何らかのつながりを持った人々である。

 1946年の独立後、この支配構造を壊そうとしたのが、1965年に大統領となったマルコスだった。彼は69年に再選を果たした後、自己の権力を絶対化しようとしたが、そのときに特権支配層から強い反発があった。反対勢力を潰すため、マルコスは1972年に戒厳令を敷いて独裁体制を作り、支配層の介入を許さなかった。

 ところが1980年代に入って経済の停滞や政治腐敗が目立つようになり、1986年の大統領選挙で、国民は当選を宣言するマルコスを信用せず、対立候補だったアキノ夫人を支持する運動が巻き起こり、マルコスは亡命に追い込まれた。

 この事件は、表向きは「民衆革命」と呼ばれているが、実のところ、かつての特権支配層が再び権力を取り戻す政変でもあった。軍の中には「民衆革命」の美名のもとに旧支配層が復活したことを嫌う軍人もおり、アキノ政権時代にはクーデターが絶えなかった。

 アキノのあとを継いだ元軍人ラモスの政権が1992年から98年まで続いた後、元俳優のエストラーダが大統領に当選した。エストラーダは俳優時代、腐敗した金持ちの金を奪って貧乏人に配る「鼠小僧」や「ロビン・フッド」のようなヒーローの役をしていた。大統領に当選できたのは、貧しい人々がエストラーダに映画の中のような貧乏人のための活躍をしてもらえると夢見て投票したからだった。

 彼は中産階級の出身で、特権層との関係が薄く、かつてマルコス政権の高官だった人々を登用するなど、アキノ政権以後、権力を握っていた特権層の支配とは一線を画す政治を行った。しかしその一方で、経済や外交の政策で失敗したうえ、公金横領や賄賂要求、愛人を豪華な家に住ませるなど、腐敗が目立つようになった。(反対派によると、複数の愛人との間の子供が合計10人もおり、60億円以上の秘密預金を持っているという)

▼腐敗反対運動の顔をした階級対立

 エストラーダ政権の行き詰まりを見て、反エストラーダ派の人々は、昨年12月、大統領側近の1人が寝返って悪事を暴露する記者会見を行ったことをきっかけに、議会で大統領弾劾の裁判を起こすことに成功した。

 エストラーダ政権の腐敗は、エストラーダ支持者でさえも認めるところで、今年1月中旬、大統領の秘密の銀行預金口座についての証拠資料が議会上院に提出された。しかし大統領側の政治工作により、上院では、証拠資料を入れた封筒を開封してはならないとする決議を僅差で可決し、証拠は葬られることになった。

 ところが、これで大統領の首がつながったと思われた次の日から、エストラーダ政権の腐敗に反対する人々がマニラの街頭に繰り出し、大統領に辞任を迫るデモ行進を始めた。群衆は、1986年の民衆革命の中心地となったエドゥサ大通りに集まり「第2の民衆革命」を自称した。マニラに育っていた中産階級が、汚職を嫌って運動に参加した。

 エストラーダを批判していた政治家やカトリック司教は、すばやく運動の流れに乗り、エドゥサ通りの近くのホテルに作戦室を置き「第2の民衆革命」というイメージを国民に持たせるための戦略を練った。何日かたつうちに、軍の一部がエストラーダを支持しないと表明し、やがて閣僚が集団で辞任し、最高裁判所が「エストラーダは腐敗しているので大統領を辞任せよ」と命じる事態となった。(フィリピンでは最高裁も政治闘争の道具だということを意味する)

 反エストラーダ派は、副大統領だったアロヨを新大統領として担ぎ出し、軍や全閣僚がエストラーダに最後通牒を突きつける中、今年1月20日、アロヨが大統領に就任する宣言を行い、エストラーダは不承不承マラカニアン宮殿を立ち去った。反エストラーダ派は議会内の戦いでは勝てなかったが、街頭で「第2民衆革命」を演出することで、政変に成功したのだった。

 この政変は、エストラーダの腐敗に注目するなら、腐敗を嫌う民衆が勝った物語として読めるが、フィリピン社会の階級対立として注目するなら、貧困層に支持されていた大統領が、特権支配層に中産階級が加わった反対派によって追い出された物語になる。

 アロヨの大統領就任は、元大統領であるアキノとラモスも積極的に支持したが、エストラーダとマルコスが「反特権層」を掲げる勢力である半面、アキノ、ラモス、アロヨは「反腐敗」を旗印とした「特権層政治」の推進勢力であると見るならは、自然なことである。(特権層の方がスマートな政治をするので腐敗が表面化しないということか)

▼イメージ戦略に何度も使われる「民衆革命」

 アロヨの弱みは、選挙を経て大統領になったのではないという点にある。彼女を大統領に押し上げた動きは、街頭では「第2民衆革命」だったが、政界内部の実態は、軍も参加したクーデターに近い事件である。逆に、エストラーダは歴代大統領の中で最も高い得票率で当選した人物だ。それなのに、民主的とはいいがたいやり方で辞任させられた。そのため、貧困層を中心とするエストラーダを支持する人々は、アロヨ新政権に反感を持っていた。

 それが爆発したのが、4月下旬にエストラーダが逮捕された後の暴動だった。一度は選挙に勝たねば大統領としての正統性が主張できないと考えたアロヨは、5月中旬の総選挙で勝利すれば、国民から信任されたことになると主張して選挙戦に臨んだが、対抗するエストラーダ支持勢力もなかなか強力で、力は拮抗していた。

 そのためアロヨは、エストラーダ派の力をくじこうとして、選挙まで2週間に迫った段階でエストラーダの逮捕に踏み切った。逮捕の光景をテレビで中継させた上、逮捕後は一般犯罪者と同様に扱った。この手荒なやり方に対して支持者が怒り、数十万人のエストラーダ支持者が、マニラの街頭に繰り出した。

 群衆が集まった場所は、またも「エドゥサ大通り」であった。今度はエストラーダ派が、アロヨの不正義に反発して「真の第2民衆革命」を起こそうと動いた。5月1日の早朝、この記事の冒頭で紹介した、マラカニアン宮殿への突入が試みられ、軍隊と衝突して死者が出た。アロヨ大統領は非常事態宣言(反乱状態宣言)を出した。

 この宣言には、裁判所の逮捕令状なしに、大統領の命令で誰でも逮捕することができ、最長3日間まで拘留できる権限がついている。アロヨはこの権限を使ってエストラーダ派の有力者を何人か「クーデターを企てた」として逮捕した。これらの策が功を奏し、5月14日の選挙では、アロヨの勢力が何とか勝つことができた。この選挙では、両陣営が敵陣の活動家を殺したり誘拐したりする事件が頻発し、双方で100人以上が死ぬという激しさだった。

▼誘拐事件に軍も加担?

 このようにフィリピンでは半年以上にわたって政治不安が続いたため、混乱に乗じて犯罪が急増している。5月下旬には、イスラム教徒の反政府勢力が、西部のパラワン島のリゾート地から、アメリカ人を含む観光客20人を誘拐する事件が起きた。犯人グループ「アブ・サヤフ」はこの誘拐を、キリスト教徒中心のフィリピンからの分離独立を目指した「闘争」であると言っているが、政治闘争より、身代金を目的としている側面が大きい。

 この事件では、犯人グループが誘拐した20人を乗せてボートで長距離を移動しているのに、その間、海軍や空軍が犯人を検挙できず、その後も犯人が人質を連れて軍隊の駐留地の近くまでやってきて教会に立てこもり、銃撃戦になったものの、軍はジャングルに逃げ込む犯人グループをきちんと追尾せず、見失っている。

 犯人たちの挑発と、それに対する軍の無力さからみて、この誘拐事件には軍も犯人側に絡んでいるのではないか、とする地元雑誌の記事も出た。アブ・サヤフは昨年、隣国マレーシアのリゾートまで遠征して誘拐する事件を起こし、巨額の身代金を獲得したが、この際、身代金が犯人側に渡るまでの間に、軍や地元の政治関係者が身代金の一部を着服した可能性も、地元紙などで指摘されている。

 首都マニラの政治が、謀略と腐敗に満ちた暗闘が続いている状態では、地方の軍や警察の士気が上がらず、腐敗したとしても不思議はない。

http://tanakanews.com/b0709philippin.htm

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2001/09/28 11:18

 【マニラ28日共同】フィリピンは28日未明、下院を通過した資金洗浄防止法案を上院でも可決した。28日午後の両院協議会で細部を調整、アロヨ大統領が29日にも署名して法案は正式に成立する。

 フィリピンは、故マルコス元大統領やエストラダ前大統領の不正蓄財を許すなど、マネーロンダリングの温床といわれる。経済協力開発機構(OECD)加盟国などでつくる資金洗浄(マネーロンダリング)対策作業部会から、今月中に防止策を講じないと10月1日から金融取引を国際監視下に置くなど制裁措置に踏み切ると警告されていた。

http://www.shikoku-np.co.jp/national/international/article.aspx?id=20010928000178

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2001年4月10日

米陸軍管理の港湾施設・那覇軍港への米艦船の年間寄港数が昨年から2年連続で38隻を記録し、過去9年間で最高、15年間では五番目に多い寄港数となった。寄港しているのは米海軍海上輸送部隊(MSC)所属の事前集積船や大型輸送船で、アジア地域での合同演習に参加する在沖米海兵隊の軍事物資を運ぶのが任務。寄港数が増加傾向にあることについて専門家は「在沖米海兵隊が東アジアでの二国間演習を活発化させているためだ」と指摘している。

在沖米海兵隊は近年に入り、タイとの合同演習「コブラ・ゴールド」のほか、フィリピン、オーストラリア、ロシア、アセアン諸国、韓国などと年に一度の合同演習を実施している。
米艦船の動向を監視している佐世保軍事問題研究会の篠崎正人事務局長は「朝鮮半島情勢が安定した99年以降、在沖米海兵隊は二国間演習を活発化させた。フィリピンの米軍基地や韓国、グアムの軍港が閉鎖され、米軍はアジアで常時駐留なき安全保障への移行を進めている。このため事前集積船や大型輸送船を随時運航しており、これらの動きで那覇軍港への寄港が増えている」と分析した。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-111590-storytopic-86.html

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2001年7月2日

戦後、フィリピンから引き揚げた際、国によって強制保管された喜納ヨシさん(故人)の大日本帝国軍票が6月29日、約56年ぶりにヨシさんの長男・喜納信義さん(68)=宜野湾市=の元に返された。沖縄地区税関の山原恒夫税関長から軍票を手渡された信義さんは「親が苦労してためたお金。自宅に帰ったら仏壇に報告したい」と喜んだ。
軍票は、フィリピンで実際に使用されていたとみられ、百ペソ37枚、十ペソ一枚、一ペソ六枚の計44枚ある。総額3716ペソ。これまで神戸税関に保管されていた。
戦時中、喜納さん一家は、フィリピンのミンダナオ島ダバオで暮らしていたが、戦争で父親と兄弟四人を亡くした。1945年12月、ヨシさんと信義さん、その弟の三人で日本に引き揚げたが、その際現在の広島県大竹市に入港。軍票の保管手続きはそこで取られている。
ヨシさんは、引き揚げ後5年くらいして病気で亡くなったが、「母が亡くなる前に『なくさないように』と言われて保管証を渡された」と信義さん。保管証は大切にしまっておいたが、「戦後、強制保管されたものが返却されたという新聞記事を見て、もしもの思いで問い合わせてみた。本当に軍票があったのでびっくりした」と話した。
同税関によると、今回の返還は、当時の保管証があったためスムーズに進んだという。また、「返還作業は53年から実施されているが、戦後、米軍施政下にあった沖縄ではほとんど知られていない。心当たりのある人は問い合わせてほしい」と呼び掛けている。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-109375-storytopic-86.html

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