稲妻のゆたかなる夜も寝べきころ 中村汀女寝は「ぬ」と発音する。遠くの夜空に、音もなく雷光のみが走る。
稲妻は「稲の夫(つま)」の意で、稲妻によって稲が実る
という俗説から秋の季語となった。その稲妻を
「ゆたか」と受け止めている感性に、まずは驚かされる。
私などは目先だけでとらえるから、とても「ゆたか」などという表現には
至らない。作者は目先ではなく、いわば全身で稲妻に反応している。
他の自然現象についても、そういう受け止め方をした人なのだろう。
汀女句の「ふくよかさ」の秘密は、このあたりにありそうだ。
昔の主婦は、格段に早起きだった。だから「寝べきころ」とは、
明日の家族の生活に支障が出ないようにセットされた時間だ。
このことについても、作者が全身でゆったりと受け止めている様子が
句からよく伝わってくる。その意味では「ゆたか」を除くと凡庸な作品に
思えるかもしれないが、それは違う。私たちが、いま作者と同じ
立場にあると仮定して、はたして句のように些細な日常を
些細そのままに切り取れるだろうか。ここに隠されてあるのは、
極めて犀利なテクニックが駆使された痕跡である。
『汀女句集』(1944)所収。
--- 『増殖する俳句歳時記』 (清水哲男) ---
今年の盆帰省の時に、婚家の従兄会に出席しました。
久しぶりに再会した最年長の従兄と話すうちに、俳句の話題となり
ふと思い出したように従兄の口から「清水哲男氏」の名が出たのです。
私が『増殖する俳句歳時記』のファンだと伝えると、
清水氏は従兄の学生時代の先輩で、以前お目にかかった時、
体調の事もあり、今はその記事を休止していると伺ったそうです。
残念なことだと思いましたが、私が俳句を始めるよりずっと以前から
連綿として続いていた記事が終了しても、ネットで検索すれば、
いつでもこうして読むことが出来ます。
それにもまして従兄の先輩ということを知り、遠くの存在
だった氏が私の中でぐんと身近な方にも思えて参りました。
たったそれだけのことと言えばそうなのですが・・・
最近あった「ワクワクした話」でした。
稲妻や城山天守は怒り肩
稲光一閃原始にさかのぼる
洋上の闇をたばしる稲光
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自然
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フェルメールの光を曳いてゆく螢 金子敦
自身を取り巻く環境が少しずつ変わり、日々の気持に
ゆとりがなく、それに囚われそうになっていました。
そんな中、有りがたいことに夫や友人たちと
自然に触れたり、音楽に触れる時が持てたり・・・
ふっと、これはしあわせなことと
素直な気持ち、感謝のことばを
心の中で呟いていました。
鵜開きの神事かしこむ遠巻きに
歓声の昴まりゆくや初鵜飼
並走の舟をちら見の川鵜かな
篝火の火の粉散らして鵜飼舟
鵜飼果て星の増えゆく夜空かな
語らひのとぎれ澄みゆく河鹿笛
船べりに背なをあづけて夕河鹿
手のひらの蛍かすかに息合わせ
蛍火のいと静かなるたなごころ
この闇の奥にいるらし姫蛍
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春来たと相好崩す鬼瓦
玉椿高きに咲かせ虚子の句碑
紅椿光りをかへす瓦塀
水温む雁木造りの船着場
青饅や格子の古りし宿場町
水仙や文書く葉書買ひにゆこ
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ひとごゑのさざなみめける秋彼岸 森澄雄
2015年の秋彼岸
9月20日 : 彼岸入り
9月23日 : 彼岸中日(秋分の日)
9月26日 : 彼岸明け
春分と秋分の日は昼と夜の長さがほぼ同じになる日。
その日は、悟りの世界の彼岸と煩悩に満ちた此岸が
最も通じやすくなると考えられ、
ご先祖供養をするようになったそうです。
お彼岸は「日願」でもあるため、
太陽の神を信仰する神道と結びつきやすかった
という説もあるそうです。
彼岸の中日である「春分の日」「秋分の日」は国民の祝日で
・春分の日=『自然をたたえ、生物をいつくしむ日』
・秋分の日=『祖先を敬い、なくなった人々を偲ぶ日』 という趣旨のにも基づいているのですね。
老の家を清潔にして秋彼岸
老犬のうるむまなこや秋彼岸
ここよここ一際高き虫の声
秋の宵犬に聞かるるひとり言
もう母とけんかはすまじ衣かつぎ
秋彼岸語尾のやさしき父なりき
昨日けふ句碑につどへる彼岸花
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コスモスの風の撫でゆく石仏
とんぼうや石仏の肩まろきかな
赤とんぼ橋を渡ればわらべうた
木洩れ日に紛れて消ゆる秋の蝶
吹く風にほつとひと息九月かな
身を飾るものを外して秋さやか
九月になりました。
暑さ厳しく慌ただしかった八月が終わり
日常の生活に戻りつつあります。
台風の被害が心配ですが、
無事通り過ぎてゆけば
風も光もさやかなる秋の色に
徐々に徐々に染まってゆくことでしょう。
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