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5月26日は、先述の通り、「八重の桜」が始まるころは、
静岡駅のプラットホームにいた。
・・・ので、土曜日の再放送、日曜日と連続で視聴した。
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「八重の桜」・・・2日の放映では、錦の御旗をもって追われた容保たちが会津へ帰藩
するところから始まった。
弟の三郎は伏見鳥羽の戦いで戦死、
兄の覚馬は京都の薩摩藩に捕らわれて幽閉された。
さて、ドラマにたびたび出てくる「日新館」というのは会津藩の藩校のことで、幕府
の学問所である昌平坂学問所を参考にして設計され、創建時の規模はおよそ24000㎡と
いう広大な敷地であった。
昌平坂学問所跡・湯島聖堂
湯島の地に、林家(江戸時代の儒学者の権威)の廟殿と家塾が移されて湯島聖堂とな
り、その後、100年を経た寛政9年(1797)幕府直轄学校として、「昌平坂学問所」が
建設されました。当時の建物は、関東大震災によってほぼすべて焼失しました。
江戸時代末までに実に155の藩校が開設されたという。
世に知られた藩校として、庄内藩の致道館、水戸藩の弘道館、長州藩の明倫館、佐賀
藩の弘道館、熊本藩の時習館があるが、なかでも日新館は全国で一・二を争う屈指の
藩校であった。各藩校では、徳川幕府の官学とされる朱子学を基本として、それにさ
まざまな学問を加えて独自性を出していた。
会津藩の藩士子弟教育で特筆すべきは、幼年教育の徹底にあり、『幼年者心得之廉
書』という十七か条からなる心得集を配布され、6歳になったら近所の子弟たちで組
織する「什」という組(班)の一員となり、そこで集団生活の心得を学び、日新館に
入学するのは10歳になってからというのがきまりであったこと。もう一つの特徴は、
人間の心は頑健な身体によって支えられていると考えられていて、武芸が重視された
こと、である。
八重の兄覚馬は。日新館において剣術・弓術・馬術・槍術・柔術・水練などの武芸は
どれも奥義に値する腕前だったらしい。八重は何でもこなせた兄を尊敬し、兄に自身
の理想の姿を重ねていたのであろう。
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JR田町駅から5分ほど、都営地下鉄三田駅から1分ほどのところに
「江戸城開城の会見の地」がある。
私が手話を勉強している東京都障害者センタ−のすぐそばにこの碑が建っている。
手話講習が始まる前にi-phon撮影!(^^)!
ドラマで勝海舟が西郷隆盛に、「江戸を火まみれにしていいのか。江戸を戦場にする
と、ここにいる大勢の無辜の人間が犠牲になるのだぞ」と
江戸決戦回避をうながしたとされる所だ。
江戸城は無血で開城されたが、徹底的に幕府側をたたきたい考えの西郷は、その矛先
を会津へと向けたのだった。
☆ 余談ですが、これから日本VSオーストラリア戦が始まります。
ここで底力をみせて、ワールドカップの出場権を手にしてほしいな〜〜
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だからでしょうね 日本の源氏物語を昔から読めたのは
江戸城解放を見届ける西洋人 字が読める日本人が多い事を
だけど酒と女に だらしないとも書いている( ^)o(^ )
2013/6/4(火) 午後 10:17
トラッキー様。寺子屋での読み書きそろばん教育もすばらしいですね。藩校は+「論語」や躾、武術、女性はお針なども。どの藩がどのような教育をしていたのか興味があるので、調べてみたいと思っています。明日香より
2013/6/5(水) 午後 6:58 [ 明日香 ]
内緒様。コメントありがとうございます。会津藩の方は、自藩への愛が強かったと思います。藩祖の保科正之公が素晴らしいひとでしたから・・・! 明日香より
2013/6/5(水) 午後 7:03 [ 明日香 ]
明日香さま。
幕末は「竜馬伝」を見て、だいぶ勉強しました。
やはり、メディアで見ると理解が速いような気がしますね。
余談の方のサッカーですが、やきもきしながら見ていました。本田がPK入れたときは飛び上がってしまいました〜
2013/6/5(水) 午後 11:32
海音様。いつもコメントありがとうございます。その日、ブログを書き込んでからは、もうテレビに釘づけでした!
W杯出場をかけた試合は、何かしらありますね。悲劇でなくてよかったわ〜〜。明日香より、
2013/6/7(金) 午後 7:19 [ 明日香 ]
はい。ありがとうございます(^o^)丿
けれど、読み取ることができないのですが。。。。。^_^; 明日香より
2013/6/12(水) 午後 6:15 [ 明日香 ]