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数年前に話題になった本ですが、今さら読みました。
このブログのいつものノリとはちょっと違うけれど、読んで思ったこと書いてみます。
梅田さん本人もネットに書かれた感想は全部読まれると言うことらしいし。
この三冊を読んで僕が一番感銘を受け考えさせられたのが、ウェブ進化によって市井の市民がみな表現をする「総表現社会」の到来が訪れるということ。
そして「ウェブ時代をゆく」の終わりらへんに書かれているジョナサンコールトンという当時36歳のアメリカ人が、メジャーや、インディーズのレコード会社にすら頼らずに、自らネットとライブのみの音楽活動をして、音楽だけで飯が食えるようになったという話。
僕自信音楽で表現をしたいという気持ちがあるものの、20前後ぐらいで精神的に凄く調子を崩して、音楽家として発展していく機会を何年間も棒に振って、いま27歳になってしまいました。
でも、今の世の中は、別にメジャーのレコード会社と契約しなくてもネットで表現はできるし、そこに金にならなくてもある程度の表現欲求をぶつけることはできるはず。
また、ネットから音楽が盛り上がるという図式がこの後進めば、歳を取っても、若い人ばかりと契約したがるレコード会社の意図とは違うところで、遅咲きで花開く人は出てくるだろうと、最近は思っています。
実際Mr CHILDRENのようなどメジャーなアーティストにしても、歳を取ってからでも若いファンがいるのだし、歳を取ってからデビューして売れる、というケースもこの先増えるだろう、と考えたからです。
だから「いくつになってもひたむきに表現を続けよう」と思っていました。
そんなことを考えていた時、ジョナサンコールトン氏の話を読んで、「やはり海外ではすでにこんな例があるんだ」と凄く勇気づけられました。
しかしこの三冊の他の部分で、総表現社会の到来と、ロングテールと言われる、マイナーな商品の蓄積こそが,ベストセラーの本やCDよりも、この先利益になっていくという話を読んで、マイナーな人が横並びに、それだけでは食えない表現を、それなりの充実感を得ながらするようになる未来を想像し、「多くの人が表現を不特定多数に放つことができても、表現だけで食う人は減少していかざるを得なくなるのではないか」と感じて、「そのとおりだったら少し切ないな」と思うようになりました。
たとえばYOUTUBEなんかでどんどん無償で音楽を聴き漁ることができるようになると、メジャーな表現者にしてみたら金を取れずにどんどん音楽が聴かれていくわけで、営業妨害でしかない。
でもマイナーな表現者にしてみたらとりあえず自分の認知度だけは広げれるいいツールなので、非常にありがたい、というような話ですけれど。
そしてこれから先はマイナーなアーティストの蓄積で商売が成り立って行く方向に世の中が動くかもしれない、という話で書かれてあったということで間違いないんですかね?僕の誤読だったら誰か指摘してください。
でも本当にそんな都合よくよのなか進むのかなぁ、という危惧はあるんですよね。
「いろんな音楽がタダで聴けて、それでより音楽に対する興味が深まって、その後音楽に金をかける人が増える」とかそういう前向きな話は確かにあると思います。
僕自身、高校時代にMDが普及し始めて、レンタルショップでCD借りまくる青春を過ごて、今はマイナーなアーティストの作品とかをちゃんと3000円とか出して買うようになったし。
でも何に金をかけるかは別として、人々の余暇の時間には限りがあるので、金をかけずにある程度音楽を聴くことができるようになれば、「音楽以外に趣味がありながらも、片手間で聴く音楽はやっぱり好き」みたいな人は、金をかけないで音楽を聴くスタイルに満足しちゃうんじゃないのかなー、思うんですよね。
「テレビを見るしか趣味がない人に対して、YOUTUBEなどで積極的に音楽の趣味を広げさせて、金をかける音楽ファンを増やす」という話なら凄く発展的ですが。
今現在世の中に「余暇にする具体的な趣味がない」という人がどれぐらいいるかという所が僕には全く見えないので、いろいろなものをどんどんオープンにしていってロングテールで金もうけをする、という図式が成り立つのか疑問なんですよね。
やはりそこには「余暇の時間の限界」というものがあって、その限界内である程度金をとる方向に話を進めないと、音楽も本も産業として成り立たなくなるんじゃないのかなぁ、と思ってしまうのですけれど。
まあいろいろ社会の未来に危惧はしてしまうのですが、いくつになってもどこかの誰かに届く表現ができるという点に関しては、今の時代は素晴らしいなぁ、と思います。
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