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退院から5日後の2月9日に、再び榊原記念病院の外科外来に訪れました。
採血は、ワーファリンを服用しているため、止血の確認までしてもらいます。加えて胸部レントゲン撮影と心電図を行い、外科の先生と診察していただきます。術後の創傷は、問題なかったのですが、不整脈がでていると言われ、さらに来週も来ることになりました。 同16日、同じような流れで検査を行うと、やはり不整脈。そこでさらに翌週。一泊二日の入院が決定しました。これは、電気ショックで不整脈を治そうプロジェクトのためです。 同23日。皇太子殿下のご生誕された日に、またもや入院。採決と心電図、レントゲン撮影を行い、経食道心エコー(胃カメラのように装置を飲み、胸部よりも鮮明に心臓を診るエコー検査)を行うためにエコー室へ。これで三回目になるこの検査は、血栓がないかを診るためだそうです。もし、ある状態でショックをかけると、血栓がどこかへ行ってしまい、最悪は脳梗塞などになりかねないからです。 ベッドに仰向けに寝ると、心電図をつけられ、指には体内の酸素量を測る洗濯ばさみみたいなものをつけられて、口の中にゼリー状の苦味とトロピカルな味の入り混じった麻酔をたれ流されて、それを喉に溜めて麻痺させてるときでした。 「あれ?不整脈なくね?」的な声。そうなのです。まさかのここにきての自然治癒されてたパターンです。本来ならば飲み込む麻酔を吐き出し、病室へ戻り、再び心電図を計りました。30分後には麻酔がとれたか水を飲んで試し、問題なし。さらに内科医の先生が来て、やっぱり問題ないということで、入院より四時間で退院しました(外来扱い)。 震災以来最高でも二週間分しか出されなかった薬も、1ヶ月分出せるようになったらしく、1ヶ月分頂き、次回は地元の病院で処方していただけるようになりました。 |
僧帽弁閉鎖不全回復への道
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私が患った「僧帽弁閉鎖不全症」という病気の闘病に関する記事はこちらに分類されます。
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2012年2月1日。月が変わり、この日は経食道心エコー(胃カメラのように機材を飲み込み、食道からとる心臓エコー)を行うため、起床した6時になると、すぐに投薬されました。
実際の検査は、これで二回目になりますが、術後間もないために呼吸がしづらくて、やや辛いという印象でした。その結果は、良好で血液の逆流がなくなり、順調ということでした。
リハビリは、エアロバイク15分を行いました。これは(たぶん)50グラムほどの負荷をかけて行いました。
この日内科主治医の先生により、4日の退院が決定しました。
翌2日。心電図の電池が切れたため、耳鳴りの様な警告音で目が覚めました。この日は、とくに検査などもなく、リハビリは昨日の15分が20分となり、シャワーも浴びられました。
夜に出張から戻られた執刀医のS先生にお会いでき、傷の様子を診ていただけました。
翌3日。この日はちょっと予定が詰まっていました。
10時前に手術に立ち会っていただいた高梨先生に訪問いただきました。旨の傷や音を聞いていただきました。続けて内科の主治医の先生によって、明日抜歯すると宣告されました。
ちなみに術後の傷は…
このような感じです。
上部の縦の傷が実際に手術で執刀した創傷です。下の二カ所並んだ傷は、ドレーン(心臓と肺の周りの水を抜くためのチューブ)をいれていた傷の後です。翌日の抜歯はこちらのもので、創傷のほうは糸を使用していません。尚、入浴時、創傷部は手でなでるようにして強めに洗い、テープがとれるようにとのことでした。
また、栄養士さんによる術後の食生活指導をしていただきました。
昼過ぎ、手術前と同じ体力テスト(両足のつま先をそろえて直立不動10秒、片方を足半分前に出して直立不動10秒、両足を縦一直線にして直立不動10秒、椅子に浅く腰をかけて立ち座り5回×2セット)を行いました。術前とくらべて、直立不動系はバランスをとりづらく、立ち座りは太ももにだいぶつらさがきました。
さらにリハビリは、前日同様エアロバイク20分を行い、机に腰をかけて、机の足と自分の足を計測器で固定して計る、脚力テストを行いました。
また、弁形成手術とはいえ、特殊器具を心臓に入れているため、特定医療機器登録用紙などに名前などの記入を行いました。
さらに薬剤師さんによる今後服用する薬についての説明など、退院前日はやることてんこもりでした。
翌4日。退院当日。
9時に退院後の薬が届き、会計の準備ができると、1階予約受付でまず1年後の診察予約をします。それから会計がはじき出され、総額は、約16万でした。
傷跡よりも懐を痛めながら帰ったのでした。
おわり
ですが、通院は続きます。
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2012年1月31日。月の終わりです。
6時に起床し、検温を行いました。
体重は81キロにまで落ち、1日4回の検温が3回に、トイレ歩行可から病棟歩行可に、ストレッチャー移動から車いす移動へとかわっていました。(実際には前日まで病棟内はうろついてましたし、歩行で移動してますけどね)
この段階で体に付けられているものはなく、術後につけられたリモートタイプの心電図のみがつけられていました。(これがよく外れて、就寝中などに起こされました)
さらにこの日あたりから毎日レントゲンを撮影しました。
投薬は、朝にバイアスピリン、パリエット、メインテート、酸化マグネシウム。
夜にはワーファリン、酸化マグネシウム。
酸化マグネシウム以外は、退院している現在でも服用しています。
担当医によれば「すこぶる良好」とのことで、早ければ2月2日にでも退院できますとのお達しをいただきました。
そして、この日から術後初めてのシャワーが許可されました。
創傷は、軽く撫でるようにして洗いました。
つづく
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2012年1月30日、6時起床。
前日の消灯時間からもちょくちょく小水のために起きては、500mlの計量カップで計り、記録して捨てるを4、5回は繰り返したでしょうか。
89キロもあった体重は、85キロまで落ちました。
利尿作用が目に見えてあると判断できたので、測量は解除されました。
またロキソニンをもらってリハビリも行いました。
理学療法士の方が午前中にやってきて、付き添いの元フロアを3周ほど歩きました。
付き添いの時には、酸素チューブをつけて歩きましたが、午後に自分で歩いた時にはそれを外して歩いてみました。
やはりまだ、6割くらいしか呼吸が出来ていないイメージでした。
さらに、手術で骨も切っているため、胸帯を巻いてサポートもしていました。
実際にどういう動作の時に痛みを感じるかというと、寝起きです。寝る時も体を起こす時も鎖骨部分から胸にかけてが非常に痛みます。
昼になり、アルダクトンとラシックスというむくみをとる薬を投薬されました。
夕食には普通炊きの白米がでるなど徐々に回復食から一般食への移行が始まり、2月には術前と変わらない食事になるという予告もありました。
この日から、ワーファリンが5錠から4錠へと減りました。
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2012年1月29日。
6時起床。
この時点で、のチューブ類は、
ヴィーンF(細胞外液の補給、細胞外液の補正など)
ノボヘパリン(血液の凝固防止など)
心臓まわりの排水ドレーン
肺まわりの排水ドレーン
の四つにまで減りました。排尿ドレーンは、前日に抜いたのですが、20センチも入れてしまった管を一気に引っこ抜くという荒業によって引っこ抜かれた次第であります。
【排尿のチューブ。イヤホンジャックは体温などをみるときに使用するそうです】
あまり利尿効果も期待できず、体重は89キロ台と変わらず、痛み止めはロキソニンを処方してもらいました。
さらに、7時20分には、内科の先生がやってきて、胸部と腹部のちょうど間に刺さっていた日本のドレーンも抜きました。これら全て、大きく深呼吸し、3回目に大きく息を吸ったところで抜くというのが決まりになっていました。
リハビリは、一周約80メートルのフロアを3週ほどし、排尿のチューブを抜いたこともあってか、利尿がかなり促進され、2500mlほどは出たでしょうか。
【むくんだ足】
術後は痰が出やすいらしく、その痰を輩出しないと肺などに負担がかかり、肺炎などの合併症にもあるそうてせす。肺の圧迫面積を少なくする種にも横になっているよりかはイスなどに座った方がいいようです。
つづく |



