|
まさか 熊本であんなに大きな地震が起こるなんて…。
被災された皆さまには お見舞い申し上げます。
南海トラフ地震を警戒して
そろそろ 水や保存食などを
用意しておいた方がいいかな なんて考えていたところなので
14日の地震速報に 一瞬ヒヤッとしました。
けれど 想像もしていなかった熊本だったので
まさか熊本で?!と驚きました。
しかも 何度も何度も 大きな揺れに襲われて
1回目の地震では平気だったのに
2回目で倒壊してしまったお宅も多く
やりきれない思いです。
避難所までもが危険とされ
建物内にいられなくて
何日も 屋外や車内にいなければいけない状況に
置かれている方々の健康面が心配です。
水分を摂って 軽い運動をするようにと
テレビで医師が言っていました。
ただでさえ 心身ともにクタクタでしょうけど
なんとか今を乗り切ってください。
やがて ボランティアの受け入れ態勢も整い
物資の物流も動き出しますから
それまで 悪い方向に考えずに 待っていてください。
さきほど ボランティアについて専門家が言っていたのですが
被災地に出向くよりも まずは募金をお願いします との事です。
いきなり 現地には出向かないでください。
今はまだ ボランティアを受け入れる体制が整っていません。
そんな時に 勝手に現地入りすると
余計な手間を増やすだけなのだそうです。
ボランティアの人達の宿泊する場所や
どこで何をしてもらいたいか などが決まり次第
募集が始まるので それまで現地に行くのは
待っていてください。
それらは HPなどで告知するので
被災地の自治体などに 電話をしないでください。
全国から ひっきりなしに電話が入り
それを受けるだけで 大変な手間です。
その分 他にしなければいけない事が
被災地には山ほどあるので
余計な手を煩わせることはしないでください。
また物資を送る場合も
うちには たくさん○○があるから送ってあげよう
と 送るのはやめてください。
不足している物 必要な物が何かを
HPなどで確認してから送ってください。
それまで 私たちができる事は「募金」なんだそうです。
地元の物産展などで
熊本の物産を買うのも一つの方法です。
・ 募金をする
・ ボランティアは募集が始まってから
・ 被災地の役所に電話をかけない
・ 物資を送る時は HPなどで何が不足していて
必要なものが何かを確認してから送る。
まずは 募金で被災地を応援しましょう。
被災者のみなさん
必ず 阪神淡路や東日本のように 乗り切ることができますから
今はしっかりと ご自分を守ってください。
私も できる範囲で コツコツと募金をさせていただきます。
|
つぶやき
[ リスト | 詳細 ]
|
昨日 2月19日は
|

- >
- エンターテインメント
- >
- 占い
- >
- その他占い
|
先日の12月22日の冬至は
19年ぶりの『朔旦冬至(さくたんとうじ)』でした。 太陽の復活の日『冬至』と 月の復活の日『新月』が重なるのが『朔旦冬至』です。 『朔』は新月を 『旦』は昇る太陽を表していて これが『朔旦冬至』の由来となります。 『朔旦冬至』には『復活』という意味もあります。 次の朔旦冬至は38年後の2052年なので とても貴重な日でした。 今年は 個人的には あっという間感がなかった1年でした。
そう思っていたら ある読み物に
「変化する時は時間が速く進む」
という内容のことが書いてありました。
ここ数年 やたら あっという間に1年が過ぎていき
明日には 80歳くらいになっているのではないかと
思ったものです(笑)
しかし 周囲からも同じように感じているという声を聞きました。
時代が大きく変化しているからなのでしょうね。
私たちは 変化の激流にの中にいたのでしょうね。
朔旦冬至を機に 流れが変わったようです。
しかし 変化は10月終わりごろから始まっていました。
みなさんも 何かが その頃から変わったなとか
心境の変化などを 感じていたのではないでしょうか。
来年の変化に向けての 準備段階にあったはずです。
そんなことを言うのには 理由があります。
別ブログでさせていただいている『夢解析』で
そのように感じたからです。
そして 先日の朔旦冬至の意味を知って
それは確信となりました。
2015年は復活の年になります。
再スタート 再挑戦に適した1年になります。
『昔 諦めた夢や目標を
新しい視点でもって再挑戦する』
『学び成長してきた今 もう一度 昔に返って
やめていた好きな趣味や遊びを再開してみる』
ことが 2015年の運気を上げるポイントになるでしょう。
『楽しむことを思い出す』
そういうメッセージが送られています。
ここ最近 長らく忘れていた わくわく感が
胸の奥にムズムズと湧き上がっている方も
多いのではないでしょうか。
理性や社会的概念で抑えている
あるいは諦めていたことが はっきりと顔を出してきます。
2015年は それを育てていくのに最適です。
楽しみながら 昔追った夢を再開したり
諦めていたことに挑戦してください^^
そんなことを書いた記事がこちら。
よかったら読んでやってください〜^^
『夢が告げる来年のメッセージ』 http://moriyume.blog108.fc2.com/blog-entry-239.html
『流れに乗るのがポイント』 http://moriyume.blog108.fc2.com/blog-entry-244.html
さて これで今年最後の記事とさせていただきます。
今年も みなさん遊びに来てくださって
コメントやナイスをくださって
ありがとうございます。
来年も よろしくお願いします。
みなさん よいお年をお迎えください(^O^)
|

- >
- エンターテインメント
- >
- 占い
- >
- その他占い
|
2006年10月6日に開設して
当ブログも 満8年となりました〜
遊びに来てくださっている皆さま
ありがとうございます(*´∀`*)
ブログをしていなかったら 出逢えていなかったであろう
地域の方や職種の方たち 年齢の違う方たちと出逢い
知らなかった世界や教養 知識を教えてもらい
様々な考え方を知り 目からウロコだったり
違う視点や考え方に刺激を受けたり 気づきをもらえたり
私にとって とても有意義な場所となっています。
ありがとうございます
このブログ名『Simple』とは このカードからつけました。
〜単純 シンプル〜
『宇宙には 単純明快なものしかありません。
恐れや考えすぎで複雑にしなければよいのです』
ブログを始める前の頃
初めて買ったカードを引くたびに このカードが出ました。
なので 単純(Simple)に生きていこう
そんな決意をこめての命名です
単純明快に生きていける人って
すべてにおいて 豊かに生きていける人のように思います。
しょうもないことを あーでもない こーでもないと考えては
結局 小さく縮こまって しょーもない生き方になってしまう。
考えすぎても 何も生み出さないし 進展もないのに。
単純明快に生きていけるようになろう。
と 毎年 開設記念になると思うようになりました。
ブログの開設記念日は
私の決意表明の記念日にもなりました。
これからも Simpleを目指しながら
みなさんから色々 学ばせてもらいながら
楽しませてもらいながら 続けていきたいと思います^^
なんの変哲もないブログですが
これからも どうぞ よろしくお願いしますm(_ _)m
|

- >
- 生活と文化
- >
- 祝日、記念日、年中行事
- >
- その他祝日、記念日、年中行事
|
これは 2008年8月9日に撮影した雲です。http://blogs.yahoo.co.jp/laughlaughdays/35098371.html
この頃 こんな雲が多かったのを覚えています。
この時は 夕日に染まって より一層印象的だったので撮りました。
1945年(昭和20年)人類史上最初の原子爆弾が
広島(8月6日)長崎(8月9日)に投下されました。
話変わって
先日 父の一番下の妹にあたる叔母が亡くなりました。
69歳でした。 とても細くて小さくて 声も細い叔母でした。
69歳というと ちょうど終戦の頃に生まれています。
私の祖母は 戦時中に妊娠し 戦火が激しい頃に出産して
産後すぐの体で 生まれたばかりの叔母を抱き
上の子供4人を連れて 戦火を逃げ回ったということですね。
すごい。 私にはできない。
私は「戦争」というワードに過敏です。
なぜ私が「戦争」というワードに
過敏に反応するのかをお話します。 私の父は、昭和9年生まれで、小学生の時に戦争を体験しています。 神戸の人で、神戸の大空襲↓を体験しています。 神戸は海と山に挟まれている形なので
東西から攻めれば一網打尽だということで
東と西 両側から挟むように爆弾を落とされたと聞きました。
逃げ場がなくなった人々は
空襲が来るたびに、それこそ命からがら逃げていました。 その時、子供だった父が見た光景は
大人よりも足が遅い子供たちを突き飛ばし 転んだ子供を踏みつけて逃げる大人たちの姿でした。 父は、足に火傷を負いながらも、必死で大人たちについて行きました。 祖母は、叔母を出産した直後で、乳児を抱き
父の兄と 父と下の弟と妹、5人を連れての避難でした。
だから父は一人で逃げなければいけませんでした。 ケガをしながらも必死についてくる子供を まわりの大人たちは誰も手助けはしませんでした。
防空壕に逃げこんだ人が、みんな蒸し焼きにされて死んでいました。 あちこちに死体が転がっていました。 食べるものがないため 祖母のお乳も出なくなっていて 生まれたばかりの叔母は お乳を欲しがって泣いても
泣き声が聞こえないくらいに弱っていました。 子供ながらも 父は「この子は生きられないだろう」と思ったそうです。
そして戦況も悪化する中 昭和20年3月19日。 祖父の田舎へ疎開することになりました。
山陰の豊岡に向かう途中の汽車に
アメリカ機が上空から撃ち込んできました。 民間の一般人が乗っている汽車です。 父の目の前で、ドアを背に立っていた祖父が 弾に当たり死んでしまいました。 まだ45歳でした。
父はその時10歳でした。
まだ小学生の子供が、死の恐怖を抱えながら逃げ回り
目の前で、自分の親が撃たれて死んでしまう光景を見て どんな気持ちだったのかと想像します。 父はとても無口な人でしたが
折に触れ 子供の私に たびたび言いました。
「爆弾を落とされても 防空壕には逃げるな。蒸し焼きにされる。山に逃げろ」
「人に甘えるな。甘えた者から死ぬ」
そして、その後の貧困と混乱の中で生きていくことの大変さを ずっと聞かされて育ちました。 戦争はすべてを奪う。戦争は人を狂気にする。
弱い立場の者から死んでいくと聞かされながら 私は育ちました。 母も 今の大阪のアメリカ村の辺りに住んでいて
空襲で焼かれてしまい 焼野原になって
家財のすべてを失った子供の一人です。
私は父が34歳 母が30歳の時の子で
「欲しがりません勝つまでは」的な 我慢我慢の教育を受けました。
病気は気合で治す。病院には行かない。
(持病の喘息は 自然治癒はしませんでした^^;)
何事も人に頼るな甘えるな。
(社会人になってから、「なんでも一人でしようとしないで!」と叱られました^^;)
友達の親世代は ほとんど戦後生まれなので
病気になったら病院に連れて行ってくれるし 看病もしてもらえるし
困ったことがあれば両親に相談して 助けてもらってました。
羨ましかったなぁ〜。
父は戦争を憎んでいました。
だから、戦争は絶対的な「悪」であり「闇」であり 絶対にしてはいけないと思ってきました。 日本は憲法第9条がある限り 二度と同じ過ちを犯すことはないと学校で習いました。 それが、昨今あっさりと崩れてしまったことで 父の体験が、まざまざと蘇ったのです。 それを、今度は子供たちが経験するのかと思うと、絶望でした。 しかし報道などで、子供を守るために戦争もやむをえない という考え方の一般の人もいることを知り みんなが戦争を反対してるわけはないことを知り 私はショックを受けました。 勝手に、世の中の人全員が 戦争に反対していると思っていたんですね。 戦争って 終わった後も傷を残します。
戦後すぐの殺人事件は 現代よりも多いそうですね。
戦争で負った心の傷が癒えないまま
人間形成に重要な思春期を 戦後の貧しさや混乱の中で過ごした
若者が多かったからではないかと思います。
その当時の子供たちが やがて親となり
私の親世代たちは
子供に厳しい情勢でも生きていけるようにと
厳しく教育した親が多いのではないでしょうか。
それは現代の「愛されていない」という思いを抱えた大人たちを生み出し
子供を虐待するという方向や
現代のイジメや暴力などに繋がっているのではないかと思います。
私の両親が偏狭なのも 戦争の後遺症だと思われます。
母なんかは 孫である私の子供たちが
「おばあちゃんは(精神的に)おかしい」と言うほどです^^;
場合によっては 精神的な闇(病み)を
子供に連鎖させてしまう場合があります。
現代人に心の病が多いのは
親の心の傷を引き継いでしまっている場合もあるかもしれません。
原発もどうなんでしょう。
電気が無くても 文明は発展してきたのに。
アトランティス大陸は
一万二千年前にあったとされながら
現代よりも 科学力が発達していたとされ
そんなに すごい文明が一夜で崩壊してしまったという伝説は
ずっと疑問でしたが 現代のこんな状態だったのかもしれないと思うこの頃です。
反日の方々が 原爆の慰霊について
被害者面をしていると言っているらしいですが
違うでしょうと思います。
原爆がどれほどの被害を生むか。http://blog.livedoor.jp/tacodayo/archives/6576065.html
あんなものを 世界のどこにも落としてはいけない。
どこの国も保有してはいけないという日なのに。
今も戦争してる国があるけれど
公園に爆弾落としたりして 被害者は子供なんですよね。
戦争に なんの意味があるのだろう?
なにもないでしょうに。
こんなことばかり考えている最近です。
平和でいたい。
長い独り言を最後まで読んでくださってありがとうございます^^
|




