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私は すぐに手術室に運ばれた。
麻酔が効くまで 待てず すぐにメスが入れられた。
たいそう痛かった。
それでも やっと 子供が外に出してもらえた。
産声が聞こえない。 隣室に連れていかれ しばらくして 大きな泣き声が響いた。
「よかった…! 生きてた」
私は 意識が遠のいていった。
さて 子供はすぐに 子供の専門病院へ搬送された。
私は 主治医が 輸血をしない主義でもあったので
大量出血後 約一年 超貧血で 具合が悪い日々を過ごした。
子供は 子供病院の担当医が
「なぜだか わからないけど 元気になりました。 普通は2〜3ヶ月はかかるんですけど」と
言いながら 1週間で退院させてくれた。
初めて見る我が子は お腹の中に 43週と3日もいたからか しっかりした顔をしていた。
夢で見た子に似ていた。 そして やはり 男の子だった。
これは さんざんな出産だったようだ。
1000人は立ち会ってきたという看護婦さんが
「あんな踏んだり蹴ったりな出産は 初めて見た」と言った。
私は『前置胎盤』だった。
先日 紀子さまが 前置胎盤で帝王切開で出産した。 あれと同じだった。
しかし主治医は 性別を知られないよう エコーをあてても そちらにばかり 気をとられていたのだ。
前置胎盤は 普通なら 妊娠3ヶ月くらいでわかる。
そして 帝王切開でないといけない。 自然分娩だと 先に胎盤がはがれ 死産になる。
また母体も 大量の出血でショック死するのだ。
なのに 陣痛促進剤を投与したのだった。
二度目の妊娠の時 娘の主治医が 息子のカルテを見て
「この子 今どうしてるの? 生きてるの?」と聞いた。
「…はい。この子です」と 膝に抱いた息子を指すと
「普通なん?! なんともない?」と聞く。
「今のところは…」
医師は 息子になにやら いろいろ質問などして
「……奇跡や」と言った。そして 小さな声で「…こわっ」と言ったのを 私は 聞き逃さなかった。
そんなにも恐ろしい事態だったのか…。
父親譲りの石頭が 脳みそを守ってくれていたのもよかった。
息子に なにかあったら 訴えていたかもしれない。
けれど手術の同意書には 私が自然分娩を強く望んだ結果の事態だと 書いてあった。
慌てていたので 読まずにサインしてしまった。
医療事故の裁判が難しいのは こういう事かぁ と体験した。
しばらくは 主治医に対して 怒りがおさまらなかったが
息子が 元気に過ごしているからか 呆れはしているが 怒りは 薄れてきている。
その頃は まだ 前世療法も ヒプノも知らない時だった。
最近 ふと この出産には 何か意味があったのだろうかと 思った。
瞑想してみると イメージが流れ込んできた。
山の中なのか ジャングルなのか 木々の間を
二人の 若い兵士が ヨロヨロと歩いている。アメリカ兵?のようだ。
一人は 瀕死の重傷を負っている。 これは息子だった。
重傷の兵士を 抱えている兵士が 私だった。
抱えている兵士が 泣きながら 「帰ろう。生きて帰るんだ!」と言っている。
瀕死の兵士は ニコニコと笑顔で 途切れ途切れに なんでもない話をしている。
「死ぬな!一緒に帰ろう!」と言う兵士に
瀕死の兵士は 「また(一緒に)生きよう!」と言って 笑顔のまま 息をひきとった。
同時に 主治医の姿も見えた。
同じ隊かは わからないけれど 主治医は軍医だった。
死に行く命を前に 何もできない自分の無力さに うちひがれていた。
そうか だから今生では 産婦人科医になったのかな。
それで アメリカのやり方が好きなんだな。(アメリカではね…が口癖だった)
私たちの 再会のために 手助け?してくれたのか。
それにしても なにも 瀕死の状況から やり直さなくても
もっと 楽に再会できたんじゃないのだろうか。
そこにも意味があったのかな。
でも それ以上のイメージは来なかった。
もう クリアしたことだからかな。
まあ いいか。 こうして 私と息子は 今生 元気にやっている。
要領の悪い 私達らしい 再会の仕方じゃないか。
ほんとに 要領が悪いったらない。
そう思ったら 可笑しくなって ぷっと笑った。
あの日 看護婦さんが動揺しても 心音が途切れ始めても
焦りはしたけど 心の奥底は静かだった。
確かな感触だった あかちゃんの夢と 病室から見た 観音様と龍が
「大丈夫だよ。 無事に生まれるから」 と言ってくれていたから。
そして なによりも 私たちは 約束していたから。
「また 一緒に 生きよう!」と。
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