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ダンスを教える事
木野彩子さんというダンサーはブログでこのように書かれています http://saikino.blogspot.jp/2012/06/blog-post_26.html 僕はNOISMを辞めて5年が経った 週に4カ所くらいでダンスを教えている ダンスを教える意味は中々とらえどころの無いように思う 教える教えないは完全に個人の自由 プロフェッショナルという立場が存在しづらい(もしくはしない)この国で 教えた後その人の何処まで責任を教え側は背負い、当事者は何処に行くのかという疑問は確かに残る では、ニーズがあっても教えないのかという事にもなる ダンサーという職業が成立しずらい国でもダンスを学びたいというニーズはあるし、 コンテンポラリーダンスを見たい人も居れば、その道のプロフェッショナルになりたいという人も居る そんな職業ないのにプロフェッショナルになりたいと思う そこには途方も無く悲しい響きがある しかし実際にあるのだ ではなぜプロフェッショナルが無いのか それは僕はしっかりとした技術や舞台に立つ上での考え方を教える人が少なかったからなのでは ないかと感じる 技術とはテクニックの事だけを指してる訳ではないはず 例えばアカデミックなテクニック、舞踏、HIPHOPのテクニックなどなど 身体的な技術の鍛錬だけではなく、ダンスを介した他者とのコミュニケーション、洞察力、空間に対するコンポジション、新しいダンスの定義発案などなど舞台における必要な要素を把握させる事もテクニックだと思うし その中で個人のプライオリティを決めて行く事を磨かせるのも重要な役割だと思う それは空間把握に対する思想や哲学にも繋がる ダンスは現在ダンサーの物だけではないし ダンサーは逆にこれらを熟知し方法論として話せる存在でなければならないのだと思う そういった専門知識を持った人間の連なりがより専門的な強度を持った作品を産み プロフェッショナルダンサーという人達が生き残れる環境を作るのかもしれないという 夢を抱いて日々やっている 僕がダンサーになった時代はコンテンポラリーダンスの流行の波が急速に引き、誰でもがダンサーと名乗り舞台に上がれるようになった ダンスの大衆化は素晴しい事かもしれない しかしその結果専門家と呼ばれる人間は少なくなったのかもしれない 専門知識が無い専門家っていうのは存在し得ないと思うのにだ 金森穣氏がNOISMの芸術監督になってもう八年が経つが 彼から学んだ事はテクニック的な事の他にも、限りなくなくあったしまだまだ気づけなかった部分のほうが多いだろう 僕は彼に出会わなければここに居ない つまりこういった専門家をどんどん育てて行けばビジュアルアーツ、パフォーミングアーツのプレイヤーや作り手の強度が保たれ洗練専門的な知識と感覚を持ったダンサーとして成立し 様々な分野でその知識を活かせる時代が来るのではないかと思う 楽観的ではあるけどもそう信じてる そしてその人間は必ず生活をしていなくちゃいけないと思う これは当たり前の事だがダンスで生活をするという事に神経を尖らせ拘り成立させていかなくてはいけない そうやって無理矢理にでもでダンスで生活する人間が増えて行けば結果的にはダンスでも生活する事ができるという状況が作り出せるんじゃないかと思う なぜなら考える機会になると思うからだ 生活のどの部分にダンスが必要なのか、どこにニーズがあるのか 教育はダンスを通して何を社会に与えたいのか 社会は教育にダンスを用いて何を伝えたいのか、、、 とまぁ、なんか、もういいや、 長くなってしまった 夜は危険だ 僕はこの記事を多くの人に読まれたくないので残念ながらどっかのタイミングで消すとは思うが 最後に一つだけ ダンサーが絶対にしなくては行けない事が教えだとすら思っている 人が人に何かを伝えるのを辞めたらそれは途絶える 勿論盗める人間は盗めば良い だが教えるという事はコミュニケーションの始めだとも思うし そのコミュニケーションを止めては生活すら楽しくないのだ 子供がなぜと教えてを求めたらまずゆっくりと語りかけるのが先に生まれた者の宿命なのだ 平原慎太郎 |
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