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2011年 岩手県陸前高田 |
東日本大震災を忘れない
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詳細
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三陸海岸沿いを行く、JR東日本 山田線の宮古〜釜石間が、3月23日に三陸鉄道リアス線として運行が再開される。三陸鉄道が同区間の運行をJR東日本から引き継ぐのに合わせて、接続する南リアス線と北リアス線を統合。盛〜釜石〜宮古〜久慈間の「リアス線」へ一本化される。このことにより三陸鉄道は総延長163kmの日本で最長の第三セクター路線になる。
しかし、これで山田線改めリアス線の将来が保証されたわけではない。沿線の人口は震災後、大幅に減少。岩手県の統計資料によると、山田線(リアス線)の陸中山田駅がある山田町の場合、2011(平成23)年3月1日が1万8506人だったのに対し、2015年4月1日は1万5696人で、震災前に比べ約15%も減少した。人口が減れば鉄道の利用者も減るわけで、上下分離方式を導入しても、その経営は容易ではないだろう。
また乗りに行くか!
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村山さんにはインタビューもさせていただいたのですが、村山さんは全く経験もないし、危機管理に備えているわけでもなかった。とにかく朝起きてテレビをつけて大変な映像が入ってきている、村山さんの言葉を使うと「私はどうすればええんじゃ」と、本当にそういう状況になったと言っていました。大きな混乱の中で何をして良いかわからず、初動が遅れました。
1995年に発生した阪神・淡路大震災から今日で23年になる。
大災害が発生した時に国のリーダーである首相はどのように行動すべきなのか、当時の村山首相の超法規的措置を例に、ジャーナリストの鈴木哲夫氏に話を聴いた。(聞き手 ニッポン放送『あさラジ!』高嶋ひでたけ)
初動が遅れてしまった当時の村山首相
高嶋:
阪神淡路大震災から今日で23年ですね。23年前の今頃は、もう大変な騒ぎでした。
たまたまあの時は”自社さ政権”である村山富市さんが首相で、福島の大地震のときは”民主党政権”でした。
なんだか、地震に自民党が噛んでいなくて、いろいろ感じます。あの時、首相は全く蚊帳の外で、最初は大変だったそうですね。
鈴木:
何度も私は危機管理の本を書きました。村山さんにはインタビューもさせていただいたのですが、村山さんは全く経験も無いし、危機管理に備えているわけでもなかった。とにかく朝起きてテレビつけて大変な映像が流れている。村山さんの言葉を使うと「私はどうすりゃええんじゃ」と、本当にそういう状況になったと言っていました。大きな混乱の中で、何をして良いのか分からず、初動が遅れました。
高嶋:
びっくり仰天してしまったんですね。
鈴木:
これは村山さんも認めていて、ずっと”自分が被害を大きくした”と反省しています。
高嶋:
最初、テレビで観たというのは本当なのですか?
鈴木:
本当ですね。
連絡を受けて「とにかくテレビをつけてみてくれ」、つけてみたらすごいことになっていたと。
ただ、私も憶えていますが、まだ朝の時間で何が起きたかわからなくて、テレビも「地震起きた」「大変なことが起きてるようだ」という状況でした。
「天災は仕方ないが、その後のことは全て人災」
高嶋:
長田区の大火事、すごく燃え盛っている光景を各テレビ局のヘリが映し出して、sれを見て皆びっくりしたんですよね。それから村山さんはどうされたのですか?
鈴木:
そんな中で1人アドバイスをした人がいました。後藤田正晴さんです。
村山さんは、自分の危機管理の知識があるわけでは無いけれど、責任をとることができる。実はこれがリーダーとしてものづごく大切な事なのです。
総理大臣にしがみついてということではないですから、そういう座を捨ててなんでもやれる、と。
それで何をやったかというと、自民党の小里貞利さんを現地に派遣して「現場で全部決めてくれ、現場がいちばんわかるんだから。法律であろうがなんであろうが、それをひっくり返してでも必要だと思うものは全部私が責任を取るからやってくれ」と、こういう体制をとったのですね。
高嶋:
その辺が村山さんの良いところですよね。
鈴木:
座にしがみつくのではなく、自分が責任を取るから現場に任せるということは、実はリーダーにとっていちばん大切なことなんです。この体制をとってから、石原信夫さんや役人のメンバーを全員送り込んで、つまり、阪神・淡路大震災のあの場所に、”もう一つの政府”ができたようなものです。それで上手く行き始めたのです。
高嶋:
超法規的措置で、いろいろと「あれもやれ、これもやれ」といっぱいあったみたですね。
鈴木:
そうなんです。東日本大震災のときはそれができなかったでしょう。だからその辺がいろいろと遅れていったのですが、やはりあのときは村山さんの決断は、ある種の危機管理のひとつの教訓。
すべて現場に任せる、責任は自分がとる、法律ではない、現場で何をすべきかを最優先する、その腹を決められるのは、やはりトップの首相しかいないのです。
高嶋:
あれから危機管理が、いわゆる内閣の方にも官邸にも「危機管理室」等のいろいろな体制をとったのですね。
鈴木:
自衛隊の出動の仕方もそうです。そういうものが残ったけれども、その後の災害を見る限り、まだ十分に活かしきれていないように思えますね。
当時の自分の政党の党首の不始末を、
後になってから自民党のせいにしているバカがいる。
ふざけるな! と言いたい。
野党だった政党の党首が国政や危機管理を担った結果がこれだ。
枝野は性懲りもなく政権を獲る気でいるらしいが、アイツらが東日本大震災のときにどうだったか、よく思い出してみるがいい。
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