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こんにちは、ゲストさん
記憶(1989年)
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1989年クラブツーリング
9月、恒例のクラブツーリングで信州を巡りました。
前年のクラブツーリング 中(http://blogs.yahoo.co.jp/lcbj42004906/5010585.html)に転倒大破させて迷惑をかけてしまった私にとってはトラウマを抱えながら臨んだクラブツーリング。
“二度と失敗は許されない”という強い想い入れがありました。
このときは特に渋滞も無く、サービスエリアも空いていてとても走りやすかったと記憶しています。
中央道を松川ICで下りて小渋峡方面へ。
南伊那エリアはこのときが私にとって初めて。
小渋湖を折草峠を目指して北進。
とても気持ちの良い林道でした。
景色の良い陣馬形牧場でゆっくりお弁当を食べて再び北進。
標高1300m級の女沢峠を越えて長谷村へ。
杖突峠を越えると茅野市。ランドクルーザーの群は蓼科高原『三井の森』のど真ん中を突っ切りセレブな別荘には目もくれず登って行きます。その道はやがて林道になり、その行き止まりに『唐沢鉱泉』はあります。
唐沢鉱泉は野手溢れる自家発電のお宿。八ヶ岳連峰『天狗岳』のお膝元です。
ここの主人“シゲさん”と会長T・Mは旧知の仲。この人はもともとジープの人。しかしイノシシを追いかけて何処までも走るためにランクルにしたというお話を聞きました。観てくれとかドライビングテクニックとかチューニングなんかどうでもよくて、とにかくイノシシ狩りに使えて壊れなければいい・・・というツワモノです(笑)。
夕食後にシゲさん囲んで一杯やっているときに来年の4thLCMの話になり、それを聞いたシゲさんからこの界隈のオモシロそうな林道の情報と、「…それなら大鹿村っていう処の村興しをしてみる気はないか?」というたいへん有力な情報をいただきました。8月からコースを探し始めたものの、そんなに甘いものではないことを実感していたのでこの話を貰った途端会長T・Mの、そしてクラブ内の空気がパッと明るくなったのを憶えています。
翌日も絶好のツーリング日和。
シゲさんに教えてもらった林道を探しに早めに出発。
林道というより廃道の趣。写真の場所まで上がってくるまでにタイヤバースト&スタックの“犠牲者”が出ておりました(笑)。。。
帰路は茅野市から金沢峠を越えて入笠山を通って林道黒河内線で長谷村の美和湖へ抜けました。
黒河内林道
R152号を南進。分杭峠を経て大鹿を通り抜けて松川インターへ行くルートをとりました。
このとき初めて『大鹿村』という名前が私の中にインプットされました。
この翌年から、『前代未聞のLCM』に向けて大鹿村との“二人三脚”が本格的に始まることになりました。
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第3回の記念品はステンレスのマグカップでした。もう21年、ず〜っと私のキャンプのお供をしています^^。
The 3rd LANDCRUISER’s Meeting
1989年5月3日〜4日 於 大阪府河内長野市 プラザ坂下
『悪夢の転倒事故』からちょうど1年経った1989年のゴールデンウイークでした。
3回目のLCMの舞台は大阪は河内長野という処で、『ランドクルーザー of 関西』のお世話で開催されました。
“地球温暖化”などという言葉もまだ知らなかった頃ですが、この3rd LCMは過去2回とはまったく逆でとっても暑かったと記憶しています。
当時仕事の関係で大阪の高石に住んでいた私にとってこの開催地は“近場”でした。LCM前夜、喜び勇んで馳せ参じると我々のクラブに割り当てられたスペースにはまだ誰も来ていなくて私が一番乗り!。でも真っ暗でガラ〜ンとしていました。寂しいな〜と独りクルマに乗って待っていたらそこへたまたまやって来たのがジャーナリストのnanbaさんでした。彼は4x4MAGの取材で来られていて紙面でも時々お見かけしていた“憧れの人”。。。1stLCMの時からお見かけしていましたがこの3rd LCMの時に初めて親しくお話させていただきました。
(nanbaさんは現在GEOSCOOPEを主催され『The Toyota LandCruiser Legend』というDVDを出されています。)
LCMも3回目ともなるとだんだんと各クラブの個性が際立って来ていました。クラブそれぞれに集まって食べるご飯のスタイルにも違いが有ったりして面白かったです。
そのなかでも、家族での参加比率が高く食事が豪華で設営から撤収まで“ダントツの統率”を誇っていたのは中部の『 東海ランクルファミリークラブ 』でした。名前のとおり“ファミリー”をメインにされている印象でした。。。
一方でランクルのドレスアップや“夜の照明設備”が一番豪華なのは『 ランドクルーザー of 関西 』でした(笑)。ハイリフトや満艦飾のクルマが多かったように見えましたが。。。
そして老舗クラブらしく、走り重視な外観の車両が多いながらいちばん落ち着きがあり、どこか垢抜けているのは『 ランドクルーザークラブYOKOHAMA 』でした。。。
また、派手さは無いが静かな情熱燃やす個性的なメンバーが多かった『 静岡ランドクルーザークラブ 』。。。など、いずれのクラブにもそれぞれに“名物人間さん”が居ましたね。。。^^
私が居たクラブは・・・今にして思えば、ま〜なんだかんだ言ってもまだまだ“若かった”と思います。他クラブと気丈に張り合ってはいても未だ体制は落ち着かず、向こう気の強い“親分さん”に引きずられているような感じ・・・だったでしょうか・・・(苦笑)。。。
40系、70系、60系の参加比率と改造のパターンにも各クラブの個性が見受けられました。FJ40や55系はすでにコレクターズアイテムでした。
LCM会場で。私の42のすぐ横にある赤いのがnanbaさんの愛車。このLCMの間中いっぱいお話をしました。
この赤い41はオーストラリアまで行って帰って来たすごい個体です。
彼はこの41を船でオーストラリアまで送り現地での長期取材に使用されました。
私が居たクラブは、LCMでの『トライアル走行』の担当を受け持つことがなんとなく定着化しつつありました。
(これはトライアル競技に傾倒していた会長である先輩T・M氏の主義・趣向を多分に反映したものでした。。。)
このコースでは、4x4エンジニアリングの松本社長が手塩に掛けてレストアしたFJ40と、4WDオーナーズの前田会長が手塩にかけたFJ40の“一騎打ち”が繰り広げられました。ピカピカに磨き上げられた鶯色の2台のFJ40をトライアルコースに惜しげ無く持ち込んで“張り合う”両者の心意気に会場は大盛り上がりでした。
会場となった場所は市街地のすぐ傍でありながら山手の高台に位置しているため、まるで街とは隔絶されたような錯覚を覚えるようないい所でした。メイン会場にコレだけの数のランクルがすっぽり納まって、トライアルコースが作れてそのうえ奥には林道コースがありました。。。今はずいぶん様子も変わっているんだろうなぁ。。。
このLCMで、パリ・ダカールラリーで有名な横田紀一郎さんと初めてお会いしました。横田さんとはそれから後も不思議とご縁があってその数年後、別のイベント(LIVER RAID)で何度もお目にかかることになりました。
この3rd LCMの翌年(1990年)には我々のクラブがLCMのお世話をすることが決まっておりました。
TLCFC、LCCY、LCKと順番にお世話をしていただきいよいよ次は我々の番。いったいどんなLCMにするのか?・・・それは会長T・M氏の頭の中には既にあったようです。それがどんなに型破りでたいへんな事なのか、このとき私は知る由もありませんでした。。。
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