|
長野県 大鹿村 (1990年11月)
|

>
- Yahoo!サービス
>
- Yahoo!ブログ
>
- 練習用
こんにちは、ゲストさん
記憶(1990年)
詳細
|
無事に閉会し、参加者を笑顔で見送った後ようやく安堵したとともにドッと疲れを感じました。
日もとっぷりと暮れ、スタッフの任からも解放されるという開放感に包まれて後片付けのために車を移動。
愛車のキーを捻ると・・・
・・・あれ!?、ウンともスンとも言わない。。。焦
サーっと血の気が引いていくのがわかりました。。。
何が起こったのか理解できず慌ててボンネットを開けてみると、バッテリーターミナルケーブルの先端が溶けて無くなっていました。。。 (そりゃー通電しないでしょう・・・泣)
このままでは置いて帰るしかないので、村に1軒だけあるガソリンスタンド(日曜祝日は閉まっているところをLCMのために開けてもらっていました)に牽っ張って行ってなんとかならないか頼み込みました。
スタンドのおじさんは、ケーブルの溶けた部分をキレイにして汎用品の先端を奥から探してきて無理矢理付けてくれました。おかげでなんとか京都まで乗って帰れるようになりました。
これの原因はごくごくシンプルなモノでした。バッテリーターミナルの咬ませがユルユルだった・・・。振動でなまって来てることに気が付かなかったのです。そのために細かいショートを繰り返しているうちに熱を持って溶けたという訳です。これ、昨日の本番中になっていたらと思うと震え上がりました。。。
・・・そういえばこの半年前に電気系トラブルでセルは回るのにエンジンがかからないでエンコしたことを思い出しました。この緩みに因る接触不良とショートが原因だった可能性も考えられました。あの時は原因を深く考えないで修理は車屋さんにお任せしたまま、何処の部品を交換したかなどよく知らないまま直って帰ってきたからと放っておいた自分がそこに居ました。
『・・・どうしてあのときにもっと原因を考えなかったのか・・・』自分が浅はかだったことを悔やみました。。。
それ以降、ボンネットを開けるたびにターミナルの緩みには気をつけるようになりました。。。
(愚痴・・・)
クローズドエリアではないランクルミーティング。
一般道を走り、キャンプを廃して温泉宿に泊まるカタチをとった4thLCMは4駆専門誌的にはインパクトのある格好のネタであったことでしょう。それは上記の記事を読めば分かります。
しかし自治体をも巻き込んだカタチでやるとなると必ず利害が絡み、社会的リスクも素人の手には荷が重過ぎる問題が山ほどありました。それを自分達のたかが道楽を一般社会に対し正当化を装うためにここまでしてやる事なのか???。その是非も含めたクラブ内での総括はけっきょく何もなされないままに、その5年後の9thLCMに続いていきました。
この4thLCMに関しては、クラブ員誰一人として家族を連れて参加することは事実上許されず、事務局A氏に至ってはクラブ内で噴出する反発を一手に引き受けて間を取り持ち、主催各クラブからの反発も一手に引き受けて辛抱強く説得に奔走し、いちばん手間な参加申し込みの受付と旅館の割り振りを奥さんとともに引き受け、挙句には自分のランクルでの参加さえも許されずレンタルの2tトラックにオークションの景品やテントなど必要な資材を積み込んで、独り参加しなければならなかったというのが実情でした。。。
LCミーティングなのに自分のランクルに乗って行けないなんて・・・なんてヒドイ話なんだろ。。。
それを当たり前のように素知らぬ顔で振舞っていた会長T・M氏に、違和感と憤りの念を抱きました。あの時の『犠牲』という言葉を発することさえ許されないような雰囲気、例えようの無い不公平感はいったいなんだったのか。。。ここまでやって参加者はほんとうに喜んでくれていたのだろうか?。
“前代未聞のLCM”をやってのけて、親分が他クラブに誇示したかっただけだったんじゃないのか?。。。
・・・しかしそれは9thLCMでまたしても、“個人的妄想”の片棒を担ぎ、『うちにしか出来ないLCM』という“甘い言葉”にほだされ、結果的に更なる無理をクラブの仲間に強いてしまったのは他でもない私自身だったのでした。
(最低限、ランクルに乗って行けないなんて馬鹿げた事は誰ひとり出ないようにはしたけれど。。。4th同様に何人かのメンバーには寝床もまともに与えてあげられなかった。。。) |
|
The 4th LANDCRUISER’'s MEETING
1990年11月3〜4日
於 静岡県天竜市〜長野県下伊那郡大鹿村
11月3日の早朝、それは開会式ではなく、『ドライバーズミーティング』から始まりました。 頭は冴えまくり、けっきょく一睡もできないまま先発隊出発の時刻になってしまいました。。。
何度も走ったコース、1週刊前に行ったリハーサル、道も段取りもすべて頭に入っていましたが、前日からぞくぞくと集まってくるランクルの大群を前にしてなんとも言いようのない緊張というか重圧を感じていました。。。
スタート地点からゴールの大鹿までの距離は約113km。でもそのコースは山越えの連続です。せっかくの景色を楽しんで欲しかったので、無理のない速度で途中での休憩を考慮してだいたい7時間くらいでゴールしてもらう計算で作ったコースです。
長い道中で心配だったことは事故や迷子は勿論のことでしたが、それよりもランクルが交通渋滞を招き地元に迷惑が掛かることをいちばん恐れました。そのため5台一組に分けて10分間隔でスタートをするという方法をとりました。それもクラブ単位や仲間単位に固まらないようにわざとバラバラにして。。。こうすることで少しでもスローペースを一定化しようとしたのですが・・・現実はそう甘いものではありませんでした。
私は先発して南信濃村の第1ポイントでスタンバイ。迷わず辿り着いてくれることを願いつつ待ちました。
想定していたよりは早い目に第1陣のランクルがやって来ました。「善かった。迷子にならずに着いてくれた」とホッとしたのも束の間、ランクルの列は途切れる事無く“長蛇の列”になってしまっていました。。。汗
南信濃村の第1ポイントは広い河原。河渡りを1つ入れたことでランクルイベントらしくなりました。
ここで休憩をとってもらってから再スタートです。当日は河も程好い水量でスタックの心配はありません。
大鹿村にあるレストランにお願いして用意してもらった大量のお弁当をしらびそ峠で配る事になっていました。
しかしここで心配していた事が起こってしまいました。。。5台一組で再スタートしたランクルの集団が林道内で繋がってしまい、いっぺんにしらびそ峠になだれ込んでしまったのです。。。当日のしらびそ峠は天候に恵まれ、行楽の一般の観光者と車がたくさん上がってきていて・・・とても100台以上のランクルの集団を受け入れる余裕などありませんでした。峠は大混雑になり参加者の皆さんは『絶景を見ながらの昼食』どころではなくなってしまいました。見知らぬ一般客からは怒りの罵声を浴び、スタッフは参加車1台1台に謝りながらお弁当を渡してそのまま通過してもらうのがやっとでした。。。
これは我々スタッフの大失態でした。いちばん拙かったのは南信濃の河原としらびそ峠のスタッフ同士が連絡を取る術を持たなかった事が招いた事態でした。後になって考えると100台以上もの参加車の安全を預かる立場でありながらなんて程度の低い我々だったかと恐ろしくなります。
1週間前のリハーサルの時も天候に恵まれ、たくさんの一般車両が上がって来ているのを見て嫌な予感はしていたのです。それなのに今更そこに充てるスタッフと無線車両をどうすることも出来なかった我々の力不足、準備不足によるものでした。
大鹿村に入ると国道から川の対岸にある大西山公園(造成地)へ逃がし、最後のタスクをやってゴール。
これは、100台以上のランクルで村が混雑するのを避けるための方策でした。 ゴールした人はあらかじめ決められている旅館別に分かれてもらい、ある程度集まったらその都度スタッフが旅館まで誘導します。事故も迷子も無く1日目を無事に終えることができ安堵しました。
私は最終の追い上げとして最後に大鹿入り、そのまま明日の準備のため村の小学校へ。。。
明日は村の小学校を借り切ってランクルを運動場に整列させて行います。参加車両を40〜80まで年式や形式、エンジン別に「完璧に分けよ」との会長T・Mの指示。。。
それでFJ40/FJ55の列、BJ40/43の列、BJ41列、BJ42の列、BJ70/73の列、LJ70の列、BJ44/46の列、PZJ70の列、PZJ・HZJ73の列、PZJ・HZJ77の列、FJ/HJ60の列、角目のFJ・HJ60の列、そしてHZJ・FJ80の列に分けて駐車するスペースを用意します。ここでは土木建築を仕事としているクラブの先輩K氏が運動場の寸法を測り、参加車両の種類と各台数から割り出した『升』を考えて運動場全体のレイアウトを作ってくれていました。私は図面のとおりに白線をひくお手伝い。。。
その後は体育館に集めてあるチャリティーオークション用の品物や荷物を朝まで交替で荷物番。。。
そして迎えた第2日目。 (↓こうなりました。)
当時有名だった2台のFJ40。
毎年、手塩にかけた愛車でやって来ては張り合っていた御2人も今はもう天国に行ってしまわれました。。。寂 クラブ単位、仲間単位で固まる普段のミーティングと違い、年式、形式ごとに並べることでランクルオーナー同士がぐっと近くなり、あちこちでマニアックな話に花が咲いていました。
↑このBJ41も当時有名だった1台。派手なドレスアップもこのくらいで止めて
おけばまだ善かったのにこの後だんだんとエライコトになって行きました。。。
2日目は大鹿村を挙げてLCMにご協力をいただきました。おばちゃんお手製の大鍋いっぱいの豚汁や五平餅、チーズや漬物などの特産品が並びました。村の人々は入場料無料!たくさん来て貰うことができました。
クラブ対向ゲームは『ムカデ競争』。これにはLCMで初めてクラブ以外の一般の人が『大鹿村チーム』として参戦しました。。。
お天気もなんとかもってくれて閉会。写真の中心にいらっしゃるのは村長さん。
達成感よりもメンバーや参加者に事故や怪我も無く終えられた安堵感のほうが印象に残っています。
第4回の記念品は傘でした。この傘は短めなのでヨンマルに載せておくのにはとても重宝しました。しかしさすがに傷んできたので今は使わずに大切にとってあります。
※ この記事を書くにあたりまして、ポンコツ屋さんからたいへん貴重な当時の資料をご提供いただきました!。
まことにありがとうございました! m(_ _)mm(_ _)mm(_ _)m。。。 |
|
古き良き時代、ず〜っと憧れていたイベントがありました。
『ジャパン フォーホイラーズ ジャンボリー』通称“JJ”と言ってましたね。。。
第一回目のJJを“1JJ”と呼び、以降も始めに数時が付く『○JJ』の呼び名で語られています。
4駆乗りの先輩たちからは「○JJで出会って以来の仲間で・・・」という話をよく聞きました。4駆乗りのベテランになるほどに、○JJのアルミプレートを愛車に貼り“あそこに何回目から行ってる”って事がひとつのステイタスのように思われていたと思います。
私がクラブに入ったばかりのころ(1987年)は、このJJへ行く事が年間行事の中にちゃんと組み込まれていました。「とにかくJJには行っとかんと話にならん。。。」というセリフをよく聞きました。そのくらいJJは4駆乗りの間に浸透していたのですね〜。
クラブでは、団体で行って向こうで過ごすために必要な大きなテーブル、ブルーシート式タ―プ、プロパンガスボンベとそれを使った大型の鉄板焼きコンロがクラブの“備品”としてありました。それらを分担して持ち運ぶ相談とか、何処かのサービスエリアに集合してズラ〜っ列なって行く相談なんかをミーティングでやっていたのを羨ましく聴いていたのを憶えています。
いつも専門誌などでその模様を垣間見て「いつかは俺も!」と想い続けていましたからもの凄く行きたかったのですが、当時の私にとってJJはまだまだ“敷居が高い”ものでした。。。まずなんといっても遠い!、そんな距離を先輩たちに付いて行く自信が無い。。。そしてLCMの参加に加えて長距離遠征が増える事は日程的に無理で
JJの機会をまた1回また1回と逃すうちに、一方ではJJ自体が「すっかり俗っぽくなって面白くなくなった」とクラブ内で論ぜられるようになり次第にランクルだけの集まりと、当時流行っていた『トライアル競技』にクラブ行事そのものが傾倒して行きました。LCMも第2回、第3回と回を重ねて定着しつつあったこともありクラブぐるみでのJJ参加はなくなりました。
1990年、JJはもう15回目を数える長寿イベントになっておりました。
(たしか前の年の14JJは昭和天皇の崩御で自粛、“幻のJJ”になったんじゃなかったでしょうか???)
4thLCMの主幹を控えていた我がクラブでは“LCMの宣伝”を目的に久しぶりに有志だけでJJに行こうという話が持ち上がりました。このチャンスを逃すまいと私は手を挙げました。京都から出発する先輩方とは出発時間がぜんぜん合わないので、私一人が大阪の高石から追いかけて走って行く事になりました。でも以前のような不安はもうありませんでした。春から“東名→浜松→大鹿→中央道”という長距離を繰り返していた私はずいぶん鍛えられていた・・・というより感覚がすっかり麻痺していたのでしょう(笑)。
(この1990年以降私のヨンマルの走行距離は飛躍的に伸びました。。。)
JJには「絶対に雨になる」というジンクスみたいなものがありました。今から考えればあの場所の気候と時期の問題だと思いますが…(笑)。で、出発の日の夜はやっぱり途中から大雨。。。大雨の高速を独り御殿場へ。。。御殿場を下りても雨は止まず。。。霧の中をFISCO特設会場を探して探して行きました。。。
初めて訪れたJJ。夜中にもかかわらず入口は4駆の大渋滞。。。恐ろしい規模のイベントでした。
会場は雨でどろどろ・・・水浸しで長靴がなければたいへんでした。
このイベント中は、中部から参加されていた東海ランクルファミリーさんにご飯をごちそうになりました。
相変わらず抜群のチームワークで大テントに大鍋&機材を設営し、レストランのような豪華料理をサラッと用意する熟達ぶりでした。それも家族みんなで参加して楽しんでいる。凄いクラブだなぁと思いました。
雨の中“魔の30度バンク”に座ってJFWDA戦を観ました。実際に見たJFWDA戦は専門誌で観るよりも地味でした。遠くて迫力もあまり分からなかった。。。レースよりも『伝説の30度バンク』に自分の足で立てたことのほうが感慨深かったです(笑)。
広いイベント会場には専門誌や有名なショップさんの露店が並びたいそう繁盛していたのが印象的でした。
ジープセンターのブースでウィリスオーバーランドの焼印が入った革手袋を買い、4x4MAGでは『LANDCRUISER』ロゴ入りヘルメットと刺繍ワッペンを衝動買いしてしまいました。。。
初めて参加して、そのあまりに大規模で煩雑なお祭り騒ぎを目の当たりにし・・・私にはどう楽しんだら良いのか分からないイベントでした。もう少し行き慣れればそれなりに楽しめるようになったかも知れませんがその後は “ ランクル教 ” のほうが忙しくなり(苦笑・・・)、ふたたびに行く機会が無いままJJは終わってしまいました。
JFWDA戦やマッドボキン・・・あんな馬鹿騒ぎはもう無いでしょうねぇ。。。(遠い目)
※写真はネットからお借りしたもので当時のモノではありません。
差し支えがありましたらすぐ削除いたしますので。。。m(_ _)m
|
|
(1990年10月末 本番1週間前に行ったリハーサルの時の写真。 しらびそ峠にて)
1990年3月、大鹿村へ赴き役場の方々と面会。村中の宿泊施設を挙げてご協力をいただける事となりました。
そして、村の小学校をメイン会場として使わせてもらえる事になりました。
これで拠点はメドがたちました。あとはロングツーリングのコースをどうするか。。。
大鹿を中心にした北側のエリアは前年の夏〜秋に調査済みで現実的に難しいと判断されました。北がダメなら南はどうかという話になります。これについては会長T・M氏が秘策を持っていました。このクラブは1980年ごろから中部〜関東の方々を走り倒してるツワモノ揃いでして、八ヶ岳〜丸山林道を経て井川雨畑林道〜静岡ICまでの縦走、そして諏訪〜静岡の浜松間のいわゆる“中央構造線”に沿ったエリアを集団で縦走した経験もありました。つまり南アルプスの裏にも表にも地の利があったわけです。
今回のルートは『秋葉街道』と呼ばれ、国道152号線が南北に通ってはいるものの途中青崩れ峠と地蔵峠で国道は寸断され当時はまだ所々ガードレールも無い非舗装の林道を併用してやっと繋がっているような秘境のようなところでした。LCMルートとして使えるのかどうか…もし使えなければLCMそのものの大幅なプランの変更が必要になる。。。とにかく7月に主催クラブを招いて行う現地説明会までにカタチを決めてしまわないといけませんでした。
4月、雪が融け切らないうちからコースの調査を始めました。土曜日の夜、仕事が終わってから集まって…メンバーが揃うのがだいたい9〜10時ごろ。現地のことはまだ分からない事だらけなので大挙して行くことは避け、経費節約のため5〜6人のメンバーが2台のランクルに分乗して名神高速に乗る。。。小牧で大鹿へ通じる中央高速ではなく、東名高速で浜松を目指しました。マップルで見る静岡県の浜松と長野県の大鹿。。。このかけ離れた土地の間には途方もないくらいの山々が横たわっていました。真夜中に浜松ICを下りて天竜川に沿って北を目指します。am3〜4時ごろに真っ暗な道の止められそうな場所に停めて夜が明けるまで座ったままで仮眠…(泣)。。。明るくなるとすぐ傍に天竜川が滔々と流れていました。そして朝の7時ごろから行動開始。
先ず、大鹿をゴールにしてスタート地点をどこに設定するか。。。
浜松インターを下りてから出来るだけ近くて分かりやすい場所となると天竜市 (現在は浜松市天竜区ですね) の外れの辺りで集合&スタート地点に使えそうな広い河原のような場所があればいちばんベストと当りをつけて探し回りました。結果、使えそうな河原を2〜3ヶ所見当をつけてから今度はその辺りをスタート地点に見立てていよいよ大鹿村まで縦走を開始です。実際にどれくらいの時間がかかるのか走ってみるより他はありませんでした。。。可能な限り正確な距離と平均速度をとるために、2台のうちの1台はノーマルで新車のPZJ70vを使いました。
初回試走ルート
※注)1990年当時の国道152号線は、青崩峠に草木トンネルはまだ無く、水窪の中根山の先で行き止まりになっていました。そのため水窪川に沿って山王峡を上がって行き兵越林道に至るルートしかありませんでした。
朝、天竜を出発して国道152号線でゆっくり走って大鹿まで。。。所々ガードレールも無い林道を併用してのルートになり、100台以上を想定し安全に通し無理のないペースで考えると平均速度はだいたい20km/hとして考える必要がありました。。。退屈しそうな速度で走り続け、それでも夕方のまだ明るいうちに大鹿に着けるという事は分かりました。途中の景色や風情は最高!。「へえ〜〜〜こんな道があったなんて!。。。」私は甚く感動したのでありました。。。朝、浜松の辺に居たのに夕方には中央高速に乗っている自分がなんだか新鮮に感じたのを憶えています。
その次の下見では気田川に沿って山住峠を経由するコースも試しました。こちらのルートはひらけた362号線の風景と明神峡の渓谷美のギャップが面白いルート。普通であればとても良いコースに思えましたが明神峡〜山住峠間の道幅が狭い。。。 100台が対向車を上手くクリアできるかどうか。。。ちょっと難しいと思えました。 その次の下見の時には天竜スーパー林道を使いました。このスーパー林道は国道152号線と362号線の間の山中を縦断しているとても長い林道。雲名橋を起点にちょうど秋葉山〜竜頭山=井戸口山を結んだ線に沿うように山住峠まで続いています。 山住峠から延びる水窪ダムを経由する林道ルートも試しました。
よかったらこれ↓の続きを探してみてください^^。
当時はまだほとんど非舗装で道幅も広くロケーションも最高!。そのうえ一般車の通行が少なくてコースには打って付けでした。しかし距離が長く時間が掛かり過ぎる事、枝道が多くて迷子車が出る恐れが高いという理由で残念ながら採用を見送りました。。。
次に中間地点の設定です。100台規模ともなると必ずどこかで一旦集めて休憩&再スタートをする場所が必要になると考えました。そして参加者の昼食ポイントの設定です。
(中間地点。これは本番の模様。当時の専門誌に掲載されたひとコマです。 写真提供 ポンコツ屋さま)
休憩&再スタートをするためのポイントは兵越峠を下りてすぐの南信濃村の河原になりました。ただ、ここでは時間的にお昼はまだ早過ぎました。そこでいろいろ検討した結果、しらびそ峠に昼食ポイントを設定しました。
可能性のある道はすべて走り、“時間的制約”と分かり易いルートにすることを優先し最終的にはいちばんリスクが低い国道152号をメインルートに設定しました。
本ルート
コースが決まればオフィシャルの配置です。無線の運用が必須です。クラブで標準装備だった430MHzの10w機でどうやってカバーするか。。。先ずは天竜のスタート地点から南信濃の中間地点までONコースでの電波のロケーションの調査です。電波が届かないエリアを把握して万が一に備え中継する要員を配置することにしました。当時やっと出始めた自動車電話ではない『ポータブルの無線電話』を持っている人がクラブでに1人だけ居られて(NTTにお勤めでした) 電波と電話が両方いける山の上の電波塔近くに待機してもらいました。
ただ、南信濃の中間地点からしらびそ峠までは電波事情が悪く、しらびそ峠に待機しているスタッフに先行車の無線が届くまで状況を伝える術がありませんでした。
(・・・それが本番で予想を超えた困った状況を招いてしまう結果となりました。。。)
私はこのコース設定に参加していました。これだけの距離とコース内容・・・。
もしどこかに無理があって一昨年の自分(http://blogs.yahoo.co.jp/lcbj42004906/5010585.html)のように参加者に事故や怪我が出たらLCMが台なしになる。それどころかオフィシャルをしている自分自身が耐えられない…などと考えると、やればやるほど手を抜けなくなっていきました。。。 コーススタッフとしてやるからにはとにかく地の利を叩きこまなければならなりません。横に乗せてもらってるだけでは道を覚えられないし不測の事態にどの地点からでも最短で迂回できるだけの道と時間は自分で把握しておきたい。そうなると通過する町村の役場や警察、いざとなったら必要になる診療所の場所の把握。それにはやっぱり自分で走ってみないとムリだと思い単独でも出掛けて行って調べました。春〜本番の11月までの間にかれこれ8回は“通し”で走りましたか。。。
1990年はこの4thLCMを通してずいぶん鍛えられたと思います。。。 当時は大阪の高石に住んでいたので、自分で乗って現地入りする時には名阪を使いました。あの当時、まだ近畿道が松原までしか無かったので時間が掛かり、東名阪 は清州東までしか無かったので国道22号を一宮まで下道走って名神に乗り・・・時間掛かりました。。。それでも吹田へ回るよりは早かったんです。
今は松原以南にも阪和道が整備され、名阪の先には名古屋JCまで繋がり、新たに伊勢湾岸道〜豊田JCまで整備された事を思うとまことに感慨深いです。
ずいぶん楽になったものです。そして・・・そんな私も古くなったなぁ、なんて考えてしまいます。。。苦笑
|
スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!
| 日 |
月
|
火
|
水
|
木
|
金
|
土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | |||||
| 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
| 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
| 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
| 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |