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1992年 11月 奈良県 野迫川村
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記憶(1992年)
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詳細
第1回40ミーティング 1992年 秋クラブ会報編 ルビコントレイルな気分で 例の場所1992年秋 四国へふたたび2、1話 気田川1992 1992年の夏 第6回LCM ブラッドレーカップ1992春 大平宿スノートレイル1992 駅伝(19921月) X'mas EXPRESS 1992 お山で
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日時 1992年11月7日〜8日
場所奈良県 野迫川村(野迫川温泉)
今に続く40meetingは関西が発祥です。
いつのころからか(いや2000年以降なんだけどね・・・笑)EAST/WESTとして定着し、年々押しも押されぬEAST(関東)の盛況ぶりのその陰で、関西の40meetingがその役目を終えて今年が最後になったと聞きおよび、昔を知る一人としてまことに感慨深いです。
1992年秋、40乗りの集まりは、老舗クラブである 『 アンクル4x4クラブ 』 会長のM氏、『 4WDオーナーズ 』会長の故M氏、そしてFJ40乗りではおそらく“ワンオーナー最長老”であった三重の老舗 『 FUNC4x4Club 』 のS会長、そしてアドベンチャーランドのT氏らのご尽力と呼びかけにより実現しました。
ちょうどこの年に、日本で最初の『自動車NOX法』が制定され、関西・関東のランクル乗り、とりわけヨンマル乗りたちの間で騒ぎになりました。
「何か始めないとここままでは淘汰されてしまう・・・」
皆そんな焦燥感の中にいたように思います。
40meetingの歴史はこの『自動車NOX削減法』の幕開けと共にあります。
ただ単に集まりたかったから始めたのではないのです。
40乗りの先輩たちが、かつて経験したことがない ❝ 得体の知れない法律 ❞ に対して見せた反骨精神が、40meeting発起の大きな原動力になっていたのです。
この40乗りの集会に、“ NOX法を免れた ” 私たち京都に棲む40オーナーも“お呼ばれ”にあずかり、クラブからは私と会長T・M氏の2台が紀伊山中は野迫川温泉へ出かけていきました。 私の居たクラブにおいても、この当時もう実働する40は少数派になっていましたから、40の集まりと聞き喜び勇んで行きました。
温泉宿で、、、宴会では酒を酌み交わしつつの40トーク。
照れくさそうに 「・・・20年乗ってまして・・・」 の挨拶に一同大いに盛り上がり!。
もしや、と思って帰ってから本をめくったらやっぱり!。。。私の憧れのオジサン三重のS氏でした。
そして風呂へ行けば長風呂しながらのヨンマルトーク。
ヨンマルの存続はいったいどうなる?どうする?・・・どこへ行っても話が終らん。。。(クドイ・・・笑) 翌日は、T氏のお世話で実現した絶景の渓谷を行くオプショナルツアー。
ニヤニヤしながら列んで待っていると、アンクルのM会長がお呼びとの事。。。曰く 「先頭を行って
「・・・・・・・
・・・わたくし、“ 切り込み ”を仰せつかりました。
(ノーマルの私のが行ければ皆もいける、いわば毒見役・・・
向田さんはじめ、アンクル、4WDオーナーズ、LCKのスタッフの方々、
ほんとうに長い間ご苦労様でした。
自動車NOx・PM削減法
「自動車から排出される窒素酸化物及び微粒子状物質の特定地域における総量の削減等に関する特別措置法」
通称・略称法令番号効力種類主な内容
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コメント(9)
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「・・・こんな場所がまだあったのか・・・」
初めてそこに立った時、その雄大さに唖然としました。
まるで日本じゃないみたい。。。 「 さあ!、どこでも好きなように走れ! 」 ・・・と言われたものの、皆どこをどう走ったら良いのか戸惑ってしまい、“ はじめの一歩 ” が踏み出せない。。。 会長T・Mは事前に下見をしていて、面白そうな場所の当たりをつけているらしく、さっさとフィールドへ分け入って行く。 能のない我々はノコノコと後に続きます。
・・・そして、先頭が豪快にハマる。。。↓
・・・人の不幸に能の無い我々が群がる。。。(笑)
そんな事を繰り返しながらだんだんとフィールドに目が馴れて行き、
少しずつ楽しめるようになっていきました。
最初はおっかなビックリ。。。
たいした傾きではありませんが、出口付近でさらに傾きます。
運転席側は奈落の底。。。脂汗で顔がテカってます。
運転技術よりも内面の弱さが出てしまいます。
こちらは助手席側が奈落の底。 見えない分怖さが増します。
↑の3枚は 『 箱庭 』 と名づけたお遊びセクション。
一番上のモノクロ写真がその全景。
好い場所だったけれど、数年後のある日に行くと
突然に山ごと切り取られて跡形も無くなっていました。
・・・悲しかった。。。
気分はすっかりルビコントレイルです。。。
最後は私のハイリフトジャッキがしっかりご奉公しました。。。
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