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昔、私が在籍していたクラブには、年間行事の中に『駅伝のオフィシャル』 『祭りのパレード参加』 『ミニバイアスロンのオフィシャル』 そして 『ラリーのレスキュー』 があった。これは70年代の終わりごろから始まった全日本ラリー選手権として始り、排気量でクラス分けがされて、アマチュアとプロが混ざったような競技が日本各地で行われていたもので、近畿圏内でも年間を通して各地で行われ、昔は広大な高野山界隈の林道で行われたこともあったらしい。 2000年代に入ると、日本でもWRCラリーを開催する機運が高まり(2004年WRCジャパン開催)、2006年には大幅なレギュレーションの変更もなされ、現在にいたっている。我々が関わったのは、京都の団体が主体となった 『京都ラリー』 と 呼ばれていた。やがて 『マッコーレ・ラリースピリッツ』 や 『シンフォニー・ラリー日吉』 など色々な名前に変わりながら京都の北部〜福井の県境辺りの林道で、主にナイトラリーというカタチで行われていた。 我々は全て本部からの無線により統括され、ラリー競技が行われる林道の出口と入り口に陣取り、SS内に部外者が入らないように張り込む事と、コース内で走行不能になった車両のレスキュー及び撤去という仕事が与えられていた。“仕事の無線”が入るまでの長い待ち時間を、焚火をして暖をとりながら過ごすのも楽しかった。
我々は四輪駆動とリカバリーーツールを駆使して、自走不能になったクルマの引揚げや公道までの牽引作業を朝までやっていた。 自分たちのクルマでそういう事に貢献できることが嬉しかったし、これこそが大人が集うクラブの存在意義であると信じていた。
夜が明けると、バラバラに散っていたランクルたちが仕事を終えてゴールに集まってくる。 壮観な眺めだった。
そして、ささやかなバイト代が出た。
そのバイト代でみんなでモーニングコーヒーを呑んで帰るのが楽しみだった。
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記憶(1994年)
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詳細
京都RALLY(1994年 秋) 本栖ハイランド モビリティーパーク 7月10日(1994年 大鹿) 第8回LCM 祖父谷にて(1994年) 祖父谷 大平スノートレイル スペクター・オフロード訪問 パウダースノー
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THE 8th LANDCRUISER´s MEETING
日時 1994年5月3〜4日
於 奈良県十津川村
京都からだとさほどでもないが、関東方面や西日本方面から来る人はたいへんだった。遠くからやって来るメンバーもいるからなにか温かいものをみんなで食べようという話になり、私は大鍋にテールスープを作った。そのスープは翌日にはカレーに化けた。しかし、カレーにするために用意してきたルーを私が間違えてレトルトものを持ってくる大ポカをやらかし、仲間はカレーのルーを求めて会場中を駆けずり回って集めてくれて “ お昼 ” に間に合わせてくれたのだった。いつも最後の詰めが甘いのは昔も今も変わらない。
クラブもこの頃になると、九州の熊本から参加する熱心な人も現れ、
その人を中心に『熊本支部』ができ、東北からも「FJ21持ってます!」と入会希望者が現れ、いよいよ全国区の様相を呈するようになってきた。
翌年にはLCMの主幹を控えていた。
いまにして思えば、このころがピークだったな。。。
憧れの ACP横田さんとパリダカから帰ってきたランクルにも会えました。
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