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毎年夏に大変な思いをして家族で出かけていたオヤジの理想宮でした。
子供だった私にはちょっと奴隷小屋の様に感じられていたのにも拘らず、成長するにつれて価値のあるものに思えてきました。
一つには自然の中でドップリと不自由な生活に浸ることに面白みを感じられるようになったからでしょう。
高校時代にサイクリング部に所属して、群馬・長野・山梨などの山中を走り回っていたことも無関係じゃないはずです。
気が付けば山のある風景、牧歌的生活、自然が醸し出す都会とは違う時間の流れにホッとするようになっていました。。
両親の両親の時代から東京に住む私の家系では、「お隣が数百メートル先」とか「ウチの前の土地は放牧地」とかいった状況はありえませんでした。
雄大な山に見守られてユッタリと時間を過ごしたり、時には自然と格闘したり、ありえない程の数の星をずっと見上げていたり、そんなことがとても楽しいことに変わったわけです。
この小屋の別の魅力は、築30年を経てもまだ未完成なこと。
行く度に「こうしたらもっと快適じゃないか」「あれをこう変えたら便利にならないか」とアイデアがいくらでも出てくるのです。
もっとも折角の「不便な」空間ですから都会的改造はしたくないし、あまりお金もかけられないから多くはアイデアで終わってしまうのですが。
常にハプニングが付き物なのもこの小屋に飽きない理由の一つです。
年に数日しか使われない井戸は弁が簡単に干からびたり痛んだりするので、常に悩みの種です。
いつだったか、雨戸の内側で越冬をしたコウモリにビックリしたこともありましたし、ネズミ害やアリ害に苦労したこともあったし。
先日のゴールデンウィークでは、屋根にキツツキが巣を作っていて仰天しました。
どれも東京でならあり得ないか大変迷惑な話ですが、非日常での出来事なので「困ったなぁ」と言いながらもつい楽しんでしまえるのです。
オヤジはここを「タイムカプセル」なんだと言います。
確かに私と同い年のこの小屋には時々しか来れないぶん、出来事が記憶に鮮明に残り思い出となっています。
窓から見える山を少しずつ隠す防風林の成長も見守って来ました。
電気がないので、小屋にある道具は全て電気がなかった時代に考案されたものです。
壁には記憶にないほど小さな頃に兄弟3人が描いた風景の絵が貼ってあります。
驚くほど古い漫画や雑誌もワザと残して、小屋が出来上がった当時が伺えます。
つい最近まで、いつの時代のかもわからない様なとても良い状態の高島屋製の自転車が、移動の手段になるかも知れないと置いてありました。
この小屋が私に及ぼした影響は計り知れないという気がします。
他にも要因はあるでしょうが、東京で育って東京の大学を出て就職をしたにも拘らず私が全く都会的ではなく、むしろ田舎志向が強くスローライフの実現を試みているのもこの小屋があったからこそだと思うのです。
そう考えると、オヤジの教育の成果というかオヤジの策略にまんまと嵌ったというか…。
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