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本日、出国。
羽田空港のJALカウンターのスタッフさんが、大変気の利く有能な方だったので、スーツケースをパリで取り出すことなく、モロッコまでスルー出来ることとなりました。 その上、エアフラ(Air France)のチェックイン手続きも済ませてくださったので、明日のラバト行きは、ギリギリまでホテルでのんびり出来ます。 さて…。 私には、ちょっとした特技がありまして…それは、コレ! スーツケースの重量を23Kgスレスレにする、という技術。 25年間もやっていたら、量ることなく、感覚だけで合わせられるようになりました。 自分でもうっとり。 |
国際協力・国際情勢
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国際協力分野に関する記事
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モロッコの首都・ラバト市に『モハメッド五世大学』という最高学府があります。 その『モハメッド五世大学』には、日本語や日本文化を学ぶ日本語公開講座が存在し、 もう何年も前から日本人講師が現地の方々を対象に教鞭を執っておられます。 当初は国際交流基金から日本語教師が派遣されていましたが、 現在は、国際協力機構(JICA)からの派遣となっています。 モロッコには、この他にも日本語を学ぶ講座がありますが、 どの講座の受講生も日本に対する関心度が高く学習姿勢も意欲的です。 数年前、私は、彼等の「日本語スピーチコンテスト」を拝見したことがあるのですが、 その語学力の高さと優れたセンスには舌を巻きましたし、 何より、そのほとばしる「日本愛」には感動さえ覚えました。 先生方の日頃のご指導の賜物…と、感涙したものです。 (ホント、半端なく美しい日本語をスラスラペラペラ 実に流暢にお話するのですよ、彼等は。 その上、スピーチの内容も半端なく高度で学術的…。 手のひらが腫れるほど拍手しましたよ、ワタクシは。) 私が協力隊員としてモロッコに赴任していた当時(17年ほど前)、 『モハメッド五世大学』には年配の女性日本語教師が赴任していました。 国際交流基金から派遣された大ベテランの有能な先生でした。 ある時、その方とご一緒する機会があり、こんな言葉を頂戴しました。 「何事も意思を繋ぐことが難しいのよ…」 モロッコ初の「女性だけで組織する協同組合」を創設する為に 泣きながら東奔西走していたあの日の私にとって、この言葉は「真理」でした。 昨日、『モハメッド五世大学』の現役日本語教師の方からメールをいただきました。 「日本展」の会期中、日本語公開講座受講生を対象に「書道講座」を開講する予定で、 ちょうど、今、その打ち合わせをしているところです。 「現在、日本語講座は全体で250人の大所帯となっており…」 そんな文章に触れて、ふいに込み上げるものがありました。 彼(か)の日、ベテランのあの先生がつぶやいた「意思」が、今もちゃんと繋がっていること。 私が教え子達と必死で立ち上げた「協同組合」が、今もずっと続いていること。 一つの国に長く関わっていることの醍醐味は、こんなところにあります。 モロッコ王国でこれまで日本語教育に関わってこられた全ての方々のご努力に敬意を表しつつ、 書道文化の素晴らしさをお伝え出来れば…と、改めて、そう思っております。 お手数をおかけするとは思いますが、どうぞ、宜しくお願い申し上げます。
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チョコレートの原料「カカオ豆」の最大輸出国である 西アフリカ・コートジボワール共和国が、 大統領選を巡る政争から「カカオ」の輸出を禁止しました。 その為、「カカオ」の価格が10%近く上昇しているのだとか。 そんな最中の今年の『バレンタインデー』です。 下々には、今のところ、実感はありませんが、 この状況が続くと日本でも徐々に影響が出始めるものと懸念されています。 (文末の関連記事参照のこと) さて、この頃は、「本命」「義理」にとどまらず「友チョコ」「自分チョコ」…と、 『バレンタインデー』本来の意味合いからかけ離れていく傾向が顕著。 そもそも、男性が告白する欧米の『バレンタインデー』と日本のそれは 全くの別物なので、何でもありで良いのかもしれません。 それが日本の『バレンタインデー』。 そんな中、近年注目されているのが「寄付チョコ」です。 例えば、1918年に日本で初めて「カカオ豆」からチョコレートを一貫製造した会社 として知られる「森永製菓」では、チョコレート1個につき1円を寄付する、 「1チョコfor1スマイル」プロジェクトを実施し、好評を得ています。 『バレンタインデー』に限らず、また、意識、無意識に関わらず、 いつでも社会貢献出来るという点が素晴らしいではありませんか。 森永「ダース」で作られた地球儀 CSR活動の一環として取り組んでいるこのプロジェクトは、 NGO「プラン・ジャパン」との連携によって推進されていて、 民間企業のNGO支援としても非常に意義深い活動といえます。 詳細は、Webで…。 チョコレートの原料「カカオ豆」を収穫する為に、 原産国では、子供を強制労働させているという事実もあるワケですし、 この「寄付金」が、そのような問題の解決にも役立って欲しいと切に願います。 勿論、バブル期に流行った企業の文化支援「メセナ」のように 尻すぼみにならないことを期待しています。 続けてこそ「意味」があるのですから…。 チョコっといいこと/1チョコfor1スマイル: [http://www.morinaga.co.jp/1choco-1smile/] イーココロ!: [http://www.ekokoro.jp/world/interview/c012_morinaga/] 今年、ワタクシが用意した品のひとつ。 「義理」以上「本命」未満の「お礼チョコ」です。 何の「お礼」かって?…焼肉です、焼肉。 忘年会でごちそうになった、その「お礼」。 『カカオ豆、禁輸延長の恐れ 最大産地コートジボワール』 (2011年2月14日付 英フィナンシャル・タイムズ紙) カカオ豆最大輸出国のコートジボワールで、国際社会が大統領選の勝者と認める元首相のアラサン・ワタラ氏は、対立するローラン・バグボ氏が2月23日の期限までに大統領職を離れない限り、1カ月間のカカオ豆輸出禁止を無期限に延長すると宣言した。 同国では昨年末の大統領選を巡り政争が激しくなっている。 この影響で、カカオ豆急騰にいっそう拍車がかかる可能性がある。 ■政権に居座る前大統領追い出す狙い ワタラ氏はフィナンシャル・タイムズ紙の取材に対し、政権に居座るバクボ氏を追い出すため、経済制裁を続けるとの決意を表明した。 コートジボワールは世界のカカオ豆の40%を供給し、金額では現在の価格で年間45億ドルに上る。 ワタラ氏が禁輸を行って以降、カカオ豆価格は10%近く上昇した。 禁輸が延長になれば、3月末〜4月初めに始まる雨期の収穫であるミッドクロップに悪影響を及ぼし、カカオ豆市場にさらなる混乱を招きかねない。 「バグボ氏が政権を明け渡せば、もちろん解除する。だが居座っている限りは禁輸を続行する」とワタラ氏は言明した。 同氏は昨年12月以来、国連平和維持活動(PKO)部隊の警備の下で主要都市アビジャンのゴルフホテルに活動拠点を置いている。 ■国内農家からの買い付けは継続 「禁止は輸出のみ。国内農家からの買い付けは継続する。 カカオ豆は長期保存が可能だから、輸出業者は在庫を積み増すべきだ。 カカオ豆が腐り始めるはるか前にバグボ氏が退去するのは明白だ」とワタラ氏は語った。 バグボ氏を支える公務員・軍人への給与支払いは1カ月でおよそ1億5000万ドルに上る。 同国ではカカオ豆に高率の税金が課され、同氏の重要な資金源となっている。 カカオ豆売買業者はコートジボワールにある保管倉庫がすでに満杯のため、同国での買い付けを停止・縮小している。 このため約80万のカカオ豆農家は大幅な収入減に直面している。 禁輸延長がワタラ陣営にとって裏目に出るかもしれないと懸念する見方も出ている。
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私の展覧会デビューは、国内ではなく海外でした。 北アフリカ・モロッコ王国の首都・ラバト市内にある「文化省ギャラリー」。 当時の配属先であった「メクネス伝統芸術学校陶芸科」の生徒作品と 在モロッコアメリカ大使館関係者の華道作品、そして、 自身の書と陶芸作品を展覧しました。 西村特命全権大使はじめ日本大使館関係者、アメリカ大使館関係者、 モロッコ国工芸省関係者、JICA関係者…と、多くの方々にご賛同いただき、 非常に盛況であったことを覚えています。 1995年2月のことでした。 開催日が近づいたある日のこと。 赴任地・メクネスから車で1時間ほどの距離の イフランという街の協力隊員から突然の電話がありました。 「今、衛星放送を観てるんだけど…神戸が燃えてる」 それは、16年前の今日、1月17日の『阪神・淡路大震災』をさしていました。 急いでイフランに移動し、NHK、米国CNN、英国BBC…のニュースを夢中で観ました。 (このニュースは、モロッコでも大きく取り上げられ、 赤く燃える街の映像は、何度も繰り返し放送されました。) 海外のニュース番組を観ていた時のことです。 崩れた家屋の屋根に乗り、黙々と片付けをしている年配の女性に 特派員が声をかけました。 「…がんばります。」 女性は、穏やかに答えました。 次に登場した男性も同じようにこう答えました。 「…がんばります。」 その後、被災者の方々が、一列に並び食事を受け取っている映像が流れました。 これらを受けて、アンカーマンは、こう締めくくりました。 「こんな時にでも〜がんばる〜と言い、一列に行儀良く並ぶ真面目で勤勉な国民性。 これが、あの悲惨な敗戦からたった50年で現在の経済大国に成長した日本の姿です。」 「日本」を正しく理解していない人々の中で 「中国人、中国人」と野次られながら暮らす日々に 強いストレスを感じていた当時の私にとって、 この言葉は、救いであり、また、誇りでもありました。 その当時発表されていた死者数は、およそ5,500人。 急遽、展覧会に出品する書のテーマを「La larme(涙)」に変更し、 「命」に擬(なぞら)えた5,500文字の「涙」を祈る気持ちで書きました。 壁面いっぱいに展示した「涙」。 傍らには、フランス語と日本語の解説文も添えました。 「がんばれ! がんばれ! 日本人、がんばれ!」 …最後の一文にこう記しました。 私のブログの中に「がんばれ! がんばれ! がんばれ! 私!」と、 自分を励ましている場面が度々見受けられるかと思いますが、 それは、この解説文が起源です。 (ちなみにモロッコの青年海外協力隊「隊員機関誌」の 「Courage!(クラージュ)」という名称は、 この解説文の「がんばれ!」からとって私がつけたものです。) ※「Courage!(クラージュ)」は 「がんばれ!」という意味のフランス語。 さて…この展覧会は、モロッコ国内三ヶ所を巡回しました。 首都・ラバト、古都・メクネス、砂漠のオアシス・ワルザザート…。 メクネスでは、北アフリカ最大の門として有名な「マンスール門」のギャラリーで、 ワルザザートでは、名所「カスバ・タウリット」のギャラリーで、 それぞれ「歴史的建造物」を使って開催させていただきました。 ワルザザートでのこと。 初日、二日目は、男性が一人で来廊する姿が目立っていたのですが、 最終日が近づくに従い、親子連れが一気に増えていきました。 小さな子供の手をひいて作品のひとつひとつに立ち止まり、 丁寧に説明していた父親達の姿。 それは、一度訪れた父親達が、子供達を連れて再訪し、 遠い日本の『阪神・淡路大震災』の様子を話して聞かせていた姿でした。 地域間で経済格差の激しいモロッコ。 この街の人々は、都市部の人々とは異なり、 非常に慎ましく驚くほど質素に暮らしていました。 が、しかし、その「情操」は、素晴らしく豊かでした。 「日本」を正しく理解する機会が乏しい国の皆さんに、 自分の作品や行動を通して本質を伝える…。 それをライフワークのひとつにしようと決めたのは、 16年前の、この経験がきっかけでした。 「文化協力」の中に「経済協力」とは異なる確かな可能性を直感したのです。 1月17日が来ると、あの遠い国で観たニュースと、 生まれて初めての展覧会のことを鮮明に想い出します。 亡くなった方々のご冥福とご遺族の方々のご健勝をお祈り申し上げますと共に 復興に携わってこられた方々のご尽力に深く敬意を表します。 今年も、AM 5:46に黙祷を…。 冒頭の写真は、「文化省ギャラリー」で開催された 第1回作品展のオープニングで撮影したもの。 日本大使館小田一等書記官(左から二人目)、
アメリカ大使館ピーターセン報道官ご夫妻と。 関連記事『阪神・淡路大震災』: [http://blogs.yahoo.co.jp/le_petit_prince0903/29117121.html] |
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昨日、無事、ブルキナファソ共和国に到着し、 本日、早速、日本大使館へ表敬訪問。 在ブルキナファソ日本国大使館 杉浦 勉 特命全権大使 『大使表敬』を終え、 いよいよ本格的に「仕事モード」となりました。 実り多き滞在となるよう精一杯励みたいと思います。 西アフリカを訪れたことがない方々の為に、 ここでフランスからブルキナファソまでの道程を ざっくりおさらいしておきましょう。 27日(水)21:55、成田空港を飛び立った飛行機(JL5055便)は、 翌28日(木)早朝4:13、パリCDG(シャルル・ド・ゴール)空港ターミナル2Eに到着。 日本からのフライト時間は、13時間17分でした。 日本からブルキナファソまで「エアフラ(エールフランス航空)」のチケットを購入していれば、 預けた手荷物を取り出すことなく、最終目的地のブルキナファソまで行けますが、 ワタクシの場合は、日本〜フランス間を「JAL」のチケットにしたので、 パリCDG空港で、一旦、手荷物を受け取り、改めてチェックインをする必要がありました。 次のチェックインまで数時間の余裕があったので、 手荷物預かり所にスーツケースを預け、 朝食をいただく為、パリ市内へ向かいました。 いつもはバスを使うのですが、今回は珍しくRER (B線)を利用。 「早朝・深夜のRER利用は危険!!」と書かれたガイドブックもありますが、 他にも利用者が多く、手ぶらに近い状態で乗車していたということもあり、 全く問題はありませんでした。 (寒い季節の早朝・深夜は、窃盗グループも休みたいのでは…?!) ※とはいえ、大きな荷物を持ち、いかにも旅行者…という方は充分にご注意を!! 向かったのは「北駅」。 外は、まだ、薄暗かったのですが、人通りは多く賑やかでした。 何度か訪れたことがあるカフェで、 温かいカフェオレとクロックムッシュをゆっくりいただき、 長時間のフライトと寒さでガチガチに固まったカラダをほぐしました。 気分転換を終えたところで、再びRERで空港に戻り、チェックイン。 「出国審査」を受け、ワガドゥグ行きの搭乗口へ。 到着と同じターミナル2Eからの出発ですが、 アフリカ方面行きの搭乗口はちょっと遠くにあるので 連絡用のモノレールで移動します。 出発時刻まで搭乗口付近でのんびり… そして、11:00。 ワタクシを乗せたニアメ経由ワガドゥグ行きの飛行機(AF548便)は、 パリCDG空港を景気良く飛び立ったのでした。 ニジェール共和国ニアメ空港 28日(木)16:40、ニアメ経由でワガドゥグ空港に到着。 パリからワガドゥグまでのフライト時間は6時間40分。 建物は、すぐ目の前なのですが、わざわざバス移動をして… 改築工事中の空港施設へ。 (天井のあちこちから配線コードがダランと垂れています。) 熱気ムンムンの「入国審査」を経て、 晴れて四年ぶりのブルキナファソ共和国ワガドゥグ市に辿り着きました。 10月27日(水)10:00に自宅を出発し、 最終目的地に到着するまでにかかった時間は39時間40分。 只今の率直な感想…アフリカは遠い。
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