オセアニアの旅

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  バヌアツの首都ポートヴィラの中心部は、海沿いの道路周辺にひろがっていて、地味。地味なんてもんじゃない。見所は市場と海ぐらいで、やることも無く本ばっかり読んですごした。このあたりはメラネシア人がすんでいるのだが、頭はチリチリで肌は黒く、鼻は横に膨らんでいて、アフリカ人とかわりゃしない。
 
 ソロモン諸島の首都ホニアラも海沿いの街でポートヴィラより少々規模が大きい程度。どちらも中国系が商店や食堂を経営していたりして、質の悪い雑貨を売っている。バヌアツで安いスニーカーを買ったら2日でだめになったし、パプアニューギニアで短パンを買ったら、ポケットが縫い付けられているわチャックは2週間で壊れるわ、酷い有様。イマドキの中国でも売ってないような粗悪品をこんな国で売ってるのか?あこぎな連中だ。
 
 タクシーをチャーターして、戦場跡や、朽ち果てた日本の対空砲や、アメリカの装甲車を見に行った。しっかり見物料をとられた。70年前にここで日米の激戦が繰り広げられたのだが、今はのどかな常夏の島、どうも実感が湧かない。
 
 オーストラリアのケアンズからパプアニューギニアに飛ぶと、悪い意味での別世界。物価はオーストラリアと変わらんのにこの遅れ具合はなんなんだ?街は汚いしろくな食べ物はないしやることもないし。それでも、マウントハーゲンではちょうど祭りが行われていて、泊まっていた安宿の主人や従業員が連れて行ってくれたのでありがたかった。ゴロカは街の中心に空港があって周囲は人々の憩いの場になっていた。レイでは目当ての宿が値上げしていたり閉鎖されていたりで困っていると、通りがかった人が安いキリスト教系の宿を案内してくれた。
 
 親切な人もいれば、通りすがりに時計を奪おうとした奴もいたり、行く先々の宿のベッドに体臭が染み付いていたりと、迷惑なことも。まあしかし、パプアニューギニアからオーストラリアに戻るとほっとした。先進国の便利さ清潔さ治安の良さはやはり快適だ。

ニューカレドニアへ

 オーストラリアのブリスベンからニューカレドニアのヌメアに。到着は真夜中。ミニバスに金を払えば希望する宿まで送ってくれる。私以外は白人観光客だった。彼らが泊まるリゾートホテルに先に寄ったあと、私が指定した街中のホテルへ。しかし夜中なので閉まっており、近くの別のホテルも満室。運転手とは言葉が通じず、私の身なりで判断したのかユースホステルて勝手に連れて行ってくれた。
 
 元々ユースに泊まる予定だったのだが、夜中は閉まっていると知っているので、わざわざ普通のホテルに行こうとしたのだが。運転手はそんなことお構いなしにさっさと去ってしまったので、仕方なく野宿を覚悟して門の前でごろ寝していると、門が開いてひょっこり人が出てきて中に入れてくれた。おかげでベンチで寝そべって朝まで過ごせ、一泊分浮いた。
 
 わずか4日の滞在ではニューカレドニアは楽しめない。週末はほとんどの商店は閉まってしまうので、ヌメアの街は閑散としていてつまらない。おまけに天気も、悪く観光客が集まるアンスバタに行ってもぱっとせず、市内の朝市に行くと雨が降って帰れない。せめて1週間ぐらいとって、周辺の島にも足を運ぶべきだった。
 
  「天国に一番近い島」 森村桂
 
 帰国後読んだ、ニューカレドニア旅行記の古典的作品。亡き父が語っていた「花が咲き乱れ果物がたわわになり神様がいる島」がニューカレドニアではないかと思い込み、東京鉱業に頼んで鉱石運搬船にのせてもらう。なにせ1964年の話だ。日本円は弱く、一般人は飛行機にはとても乗れない。それに当時ニューカレドニアは今のような観光地ではなく、ニッケルが採れるだけの土人の島だった。土人と言う言葉はいまでは差別的なので使われないが、この本の発売当時の副題は「地球の先っぽにある土人島での物語」だった。時代を感じさせる。
 
 着いてからももちろん大変で、ガイドブックなどは無いのですべて自分でどうにかしないといけない。ホテルに泊まり続けていたら、身内に借金までしてかき集めた金はどんどんなくなってしまうので、日系人の家に泊めてもらうことにしたのだが、これも最初は上手くいかず、おまけに盲腸にもなったりして大変。
 
 しかし徐々に日系人、原住民両方に友人知人ができ、楽しい日々を過ごすというお話。今の時代にこんなことをやっても本にはなりにくいし、ましてやベストセラーになってNHKの朝の連続テレビ小説でとり上げられたり、原田知世主演で映画化されるようなこともないだろう。1960年代半ばに女一人でよくこんな旅をやったものだ。その後は約30冊もの本を出し、ケーキ屋を始めたり絵を描いたりと多彩な人生を過ごすが、うつ病になって64歳で自殺してしまう。あのままずっとニューカレドニアにいたら自殺なんてしなかったんじゃないかと思うが、自分の人生もままならないのに他人の人生をあれこれ言うのはやめておこう。

オーストラリアへ

 シドニーはいかにもオーストラリアに来たと実感できる街だった。なんといってもあの有名なオペラハウスがある。多くの観光客が記念写真を撮っている間をすり抜けて見物。でもオペラには興味ないので中には入らず。駅の近くのバックパッカーズに泊まったら、すぐ近くにチャイナタウンがあったので、ラーメンや餃子を買い込んで宿のキッチンで作って食べた。3食外食すると金がかかって仕方ないので、こうして節約しないと金がもたん。
 
 エアーズロックには飛行機(ヴァージン)で。当初はバスや鉄道を使って移動しようかと考えていたが、国土が広すぎるので時間がかかりすぎる。料金も、格安航空会社のサイトから早めに買っておけばあまり変わらないので、ほとんど飛行機を使っての移動となった。今回の旅で、オーストラリア、ニュージーランド、ニューカレドニア、バヌアツ、ソロモン諸島、パプアニューギニアを訪れたのだが、合計17回飛行機に乗っている。すべて前もって予約しておいたので安く飛べたが、いつものように行き当たりばったりの旅になならなかった。
 
 エアーズロックとマウントオルガ(風の谷)とあわせた現地ツアーに参加した。日本人ガイドのいるツアーに参加したので客は日本人ばかり。バスの中では皆行儀よくガイドの話を聞き、到着すると行儀よくガイドの後を歩き、皆同じところで同じように記念写真を撮り、といった姿を見ていると、まるで羊の群れのように見えた。
 
 シドニー−メルボルン間のみバスで移動。AC/DCレーンを訪れると、落書きだらけの汚い小道でがっかり。オーストラリアに来た記念にAC/DCの旧譜でも買って帰ろうかと思ったが、イギリスのアマゾンの方が安かったので、オーストラリアのネットからイギリスのアマゾンに注文し日本に送ってもらって、自分への土産とした。
 
 タスマニアは寒かった。真冬に行くもんじゃない。
 
 ゴールドコーストで泊まったバックパッカーズの斡旋で、一日だけ倉庫で働いた。店舗用の陳列棚の整理だが、これが大変な肉体労働。約6時間で150ドルもらったが、筋肉痛が取れるのに一週間もかかった。ゴールドコースト?きれいなとこだね。
 
 ブリスベンやケアンズあたりになると、すっかりオーストラリアに飽きてしまい、またドミトリーに泊まるのにも飽きてしまった。先進国は安全で清潔で便利だけど、何をするのにも金がかかるし、ハプニングが起こらないので物足りない。若いころにワーキングホリデーで来ていれば、もっと楽しめたのかもしれないけど。今回時間と予算の都合で西部は訪れなかったが、もうこれぐらいで十分。あ、コアラもカンガルーも動物園で見たよ。

ニュージーランドへ

 安く行きたい私は、関空からオーストラリア経由でオークランドへ。もちろんジェットスターだ。最近徐々に日本にも格安航空会社が浸透してきていて、これは良い傾向だ。
 
 6月だったので結構肌寒い。寒い時期に旅するのと暑い時期に旅するのとでは、当然ながら印象もかわってくる。バックパッカーズのドミトリーに泊まったので、宿ではそれなりににぎやかだったが、街は少しさびしい雰囲気。
 
 続いて北島中部のタウポへバスで移動。ニュージーランド国内の移動は基本バスだった。車窓から見える風景は非常にのどかで、ヨーロッパの田舎を旅しているよう。タウポ湖の近くのバックパッカーズに泊まったら、同室になったのは中国人の女性。ワーキングホリデイでやってきてピアノの調律をやっているそう。へえ、中国人もワーホリできる時代になったんだなあ。
 
 ウェリントンは港町。綺麗。雨にたたられた。季節はずれの旅はしかし、宿が探しやすかったり航空券が安かったりバスや列車が空いていたりするので、悪いことばかりじゃない。
 
 南島のピクトンへはフェリーで移動。ピクトンには2泊したが雨ばかり。ここは静か過ぎるぐらい静かな村だった。
 
 クライストチャーチは破壊された街だった。日本人語学留学生も命を落としたカンタベリー地震から4ヶ月もたっているのに、街の中心部はほとんど修復されておらず、立ち入り禁止のままだった。仕事が遅い。おかげでバックパッカーズも満員のところがいくつもあって、ちょっとあせった。街の中心部を川が流れていて風情のあるところなんだけど、それどころじゃない。滞在中にも大きな余震が二度あり、一度目はちょうどマクドナルドで昼食を済ませて出てきたところでグラグラときた。通行中の女性がショックで泣き出すほど。二度目は宿で寝ころがっていて。ベッドがひっくり返るんじゃないかと思うぐらいの揺れに布団をかぶるぐらいしか出来なかった。キッチンの棚にあった皿が大量に落ちて割れた。マオリ人の宿の経営者は、リビングルームの壁に備え付けているテレビが落ちなかったことを喜んでいた。地震後付近を散歩すると、近所にあった古い木の電信柱が折れて車を直撃していた。
 
 クライストチャーチからシドニーへはジェットスターで。早朝空港に行ってみるとフライトはキャンセルになっていた。当時チリのプジェウエ火山が大噴火、火山灰が南半球を覆っていたのだ。仕方なく宿にとんぼ返り。オーストラリアに無事飛べたのはその二日後だった。

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