Leftyのひとりごと?

世の中穢れた人&事ばかりですね

神社さん

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城山八幡宮

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GWのときのことですが
名古屋の城山八幡宮に行ってきました。

末森城跡にあるとこらしく
参拝ついでに城跡を感じてきました。

公式ページはこちら
http://www.shiroyama.or.jp/

実際輪郭付近から普通の神社とかの造りじゃないなーと思いつつ、参拝。
なんじゃもんじゃが咲いてました。
なんじゃもんじゃですがどんなもんじゃw

いろいろな花が咲くみたいですし
また行ってみたいなーって思います。

祭神は以下の神々。
譽田別命(ほんだわけのみこと、応神天皇)
息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)
帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと、仲哀天皇)
合祀:木花開耶媛命(このはなさくやひめのみこと)、大山祗神(おおやまつみのかみ)、菊理媛命(くくりひめのみこと)、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)


どの神様がどんな御利益があるかはわかりませんが・・・いざなぎのみこと、いざなみのみことが縁結び系っぽいですね。
神功皇后とかは勝ち運とかかもね〜 わかりません。
どっかそういうのがひとわかりするサイトがあればいいのになーと思う今日この頃。

今度はどこ行こうかなー

事任八幡宮

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遠江の一之宮の事任八幡宮に行ってきました。
5/1に行きました。

   御 由 緒 


・創建時期は定かではないが、社伝では成務天皇(ジョウム)の御代(84年〜190年)としている。

 古くは真知乃神(マチノカミ)、任事神社(ママノコトジンジャ)などと呼ばれ、延喜式神名帳には遠江国

 (トオトウミ)佐野郡四座の1つとして「己等乃麻知神社(コトノマチジンジャ)」と記載されている。 

・大同2年(807年)、坂上田村麻呂が東征の折、桓武天皇の勅命にり、それまで鎮座してい

 た北側の「本宮山(本宮)」から現在地(里宮)へ遷座させたと伝わる。平安時代後期八幡信

 仰が広まると、康平5年(1062年)、源頼義が石清水八幡宮から八幡神を勧請、日坂八幡宮

 (ニッサカハチマングウ)や八幡神社とも称されるようになった。鎮座地が東海道沿いにあり、難所

 である小夜(サヨ)の中山の西側の麓にあたることや、「ことのまま」の名が「願い事が意の

 ままに叶う」の意味を持つことから、多くの人が旅の安全や願い事成就を祈るために立ち

 寄った。江戸時代になると、幕府より朱印高百石余りを献上されるなどの崇敬を集めた。

・明治5年には県社に列し「県社八幡神社」と称し、昭和22年に社格が撤廃された折には、

 由緒ある古来の社号「ことのままの社」に基づいて、「事任八幡宮」と改称する。しかし

 その頃はまだ御祭神として神社本庁に認められていたのは、八幡大神のみであった。  

・平成に入り、元々の御祭神である「己等乃麻知比売命」を再度里宮にお迎えする「ことの

 ままおこし」を神事を執り行い、本宮(現在も本宮山の小社で祭られている)におられま

 した己等乃麻知比売命さまを里宮にお迎えするとともに、神社本庁に主祭神として認めら

 れるよう申請し、平成11年に県知事の認証書の交付を受け、主祭神に「己等乃麻知比売命

 (コトノマチヒメノミコト)」と八幡大神三柱をお祭りする新たな「事任八幡宮」となった。     

・「己等乃麻知神社」は多くの書物に記されている。清少納言の「枕草子」にも《ことのま

 ま明神いとたのもし。さのみききけんとやいはれんと思ふぞいとをかしき》と書かれた項

 があり、また鴨長明も《さやの中山のくちにあるなることのまま社》と書かれたこと等、

 多くの和歌、鎌倉時代の吾妻鏡、そして江戸時代には十返舎一九の「東海道中膝栗毛」に

 も「願い事が叶う神社」として登場している。                   

こちらから引用。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~ALLURE/kotonomama.html

詳細はこちら。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8B%E4%BB%BB%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE
http://www.geocities.jp/kotonomachihime/iriguchi.htm


行ってきましたー。結構暑い日だったけど
神社の土地に入ってからはかなり涼しい感じがして、すごいよかったです。
雰囲気がすごいよかったですね。

願い事が叶うといいなー。

にしても杉もクスノキも大きくて壮大なスケールでした。

参拝してお祈りしてから、その願いが叶うかな?とお御籤をひきました。
そしたら大吉が出て叶うみたいでしたのでポジティブに頑張りたいと思います☆

挙母神社

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ゴールデンウィークに豊田に帰って今日浜松に帰ってきました。

で、地元で秋ごろに挙母まつりというのがあり
それが挙母神社で行われていて、昔はよく行ったんですが最近全く行ってなくて分からないことも多かったのと
自分が昔に比べていろいろ神社について少しずつわかってきたので昔とは変わった景色が見られるかも☆
ということで歩いて30分 行ってきました。

挙母神社の説明はここ
http://www.koromo-jinjya.skr.jp/

ちなみに「ころもじんじゃ」と読みます。

挙母の由来はもともと豊田市は挙母市だったんですよー
もともとは挙母藩というのがあってそれからみたいです。
なんで挙母と呼ばれるようになったのかはわからないんですけどね。

ちなみに自分の母校は挙母小といって今135周年くらいだと思います。

とおまけはおいといて

今見たら子守大明神ということで子供関係の神様なのか。
縁がないですので場違いでしたかねw

でも馬のがあるのも昔は気づかなかったし、ほんと無知だったんだなぁって思いました。
ちなみにおみくじはやりませんでした・・・・

楠はほんとでかかったです。

子守大明神で検索したりするとまっさきに挙母神社がでてくるのですが
全国でも珍しいものなのかなー??
ちがった意味で神秘的でした。

ちゃんと祈ってきましたよ☆

五社神社

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五社神社(ごしゃじんじゃ)・諏訪神社(すわじんじゃ)は、静岡県浜松市中区利町、JR浜松駅の西北西約1kmの中心市街地にある神社である。

隣接して鎮座していた五社神社と諏訪神社とが、昭和35年(1960年)に法人格を一つとして五社神社・諏訪神社と称したものである。合併の後に神社本庁の別表神社に加列された。現社殿は昭和57年(1982年)の再建である。両社ともに徳川秀忠の産土神とされたことから、子守り、子育ての神として人々の崇敬を集めている。


[編集] 五社神社
五社神社は、太玉命、武雷命、斎主命、天児屋根命、姫大神の五柱の神を主祭神とし、ここから「五社神社」という社名になっている。元々は太玉命を祀る神社であったものに、春日大社の祭神四柱を勧請して現在の五柱となったものと見られている。相殿に応神天皇、徳川家康を祀るほか、菅原道真、大鷦鷯尊、稲倉魂命、大日女命、素戔嗚命を合祀している。

戦国時代初期の曳馬城(後の浜松城)主・久野越中守が城内に創建したのに始まるといわれる。後に徳川家康が浜松城主になり、天正7年(1579年)に三男長松(後の徳川秀忠)が誕生すると当社を産土神とし、現在地に社殿を建立して天正8年(1580年)7月に遷座、社領15石を寄進した。慶長15年(1610年)に秀忠から100石が寄進された。寛永11年(1634年)の家光上洛の際、東照宮(徳川家康)を勧請し、200石が加えられ、以降、300石の朱印地を領することとなった。明治6年(1873年)に県社に列格した。

かつての社殿は寛永18年(1641年)に家光の命で再建されたもので、大正3年(1914年)に国宝に指定されたが、昭和20年(1945年)に第二次世界大戦の戦災により全焼した。


[編集] 諏訪神社
諏訪神社は、建御名方命、八坂刀売命、事代主命を主祭神とし、相殿に徳川家康を祀る。

延暦10年(791年)に坂上田村麻呂が東征の折に敷智郡上中島村(現在の浜松市天神町)に奉斎したのに始まるとされる。幾度かの変遷を経て、弘治2年(1556年)に神託により浜松に遷され、五社神社と同じく徳川家の崇敬を受けた。寛永11年(1634年)の家光上洛の際に、五社神社と同じく東照宮を勧請し、社領の加増を受け、以降300石の朱印地を領することとなった。寛永18年、家光の命により現在地の五社神社社殿の隣に社殿が造営され、遷座した。この時の社殿は五社神社社殿と同時に国宝に指定され、昭和20年の戦災により全焼した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E7%A4%BE%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%83%BB%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E7%A5%9E%E7%A4%BE
http://www.shizuoka-jinjacho.or.jp/shokai/jinja/14028.html

浜松駅から近い五社神社に行ってきました。
なんか独特の雰囲気がありました。
風流があるというわけではなく、何か豪快なイメージでした。凛々しかったです。

おみくじを引いてきました。
中吉でした。
最近大吉が出ないんですが何か??
願事は遅いが後に叶う。口舌を慎みてよしとあるということは
そこで願ったものは今すぐには叶わないけど後に叶うものなのでしょうか??

ご利益はいろいろあります。
でも合格祈願、安産祈願とか商売繁盛とかにいいみたいです
安産も合格も全然関係なしですw

ちなみにすぐ側にお寺と教会があって笑えましたW

小国神社

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先日誕生日だったので家から遠くないところにある小国神社に行ってきました。

縁結びの神社だけど、ソンナノカンケイネェ ソンナノカンケイネェw

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE

歴史
創建時期は不明だが、社伝によれば、欽明天皇16年(555年)2月18日、現在地より6kmほど離れた本宮山に神霊が示現したので、勅命によりそこに社殿が造営されたのに始まる。なお、このときに正一位の神階が授けられたと社伝にはあるが、国史での当社の初見である『続日本後紀』承和7年(840年)6月14日条では「遠江国周智郡の無位の小国天神(中略)に従五位下を授け奉る」と記されている。六国史終了時の神階は従四位上である。延喜式神名帳では小社に列している。皇族や武将の信仰が篤く、遠江国一宮として崇敬を受けた。当社を一宮として記載する史料の最初は、1235年の「当国鎮守小国一宮」という記述である。江戸時代には「一宮神社」と称していた。

中世以降、朝廷の衰退により勅使が廃れたが、室町時代、戦国時代を通じて祭祀が途断えることはなかった。元亀3年(1572年)、甲斐の武田信玄が遠江に侵攻した際、当社神職は徳川家康に味方した。天正3年(1575年)、徳川家康が社殿を再建し、江戸時代に入ってからも歴代の将軍が社殿の造営や営繕、社領の寄進を行っている。明治5年(1873年)に県社に列格し、翌明治6年(1874年)には国幣小社に昇格した。

・・・・
よく武田信玄に燃やされなかったなぁと思います。
ヨカッタヨカッタ

http://www.okunijinja.jp/

http://www.genbu.net/data/toutoumi/okuni_title.htm

樹齢1000年の楠とか家康公立ち上がり石とか、その他いろいろありました。

紅葉がすごい綺麗らしいので、秋とかに行ってみたいとこですね。
でもすごい混んでそう・・・

とりあえず写真とってきたのですが、デジカメを忘れて携帯の写メなので画質悪し・・・
ある意味KYw
いや自爆かw

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