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昭和12年11月14日〜18日
僅かに外出を許されて付近の市街を見る。勿論空家で一人として人影を見ない。徴発を禁じられてゐるので、珍しい品物を探して見るのを楽しみとした。
幾多灰色の建物が岸辺に軒を並べてゐるのが見える。まるで破壊されて見る影もないないものも少なくない。英国や米国の国旗を掲げた建物は流石に完全なものばかりある。斯く諸外国の建物が入り混じってゐては我が軍も空爆に如何に苦心したことだらう。
軍艦からは時々飛行機が発射されて空中に舞い上がるのが見える。幾機かが空を十文字に飛び回った。岸壁へは上陸の兵隊が小船で向かふ。湾内に集る我が運送船の威容に誰か驚嘆しない者があらうか。灰色の湾内に黒い姿を現はして点々と浮ぶ様は無慮二百隻と推定された。遥か向ふの陸地は炎々たる火災をあっちこっちに起こしてゐる。今我が軍は進撃しつ々あるのかと胸をおどらせる。
勤務にしても実際は暇で困った。弾薬箱を台にして郷里への音信を認めてゐれば、砲声は遠くながら頻りに聞える。我々の想像をいよいよ深め緊張を覚えしめる。
「何処へ行くだらう。」
「早く行きたいものだ。」
それが我々の常の会話である。
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南京はオープンシティにはなっていなかったので皆逃げた後なんですね。
これで大虐殺できましょうか?
2007/7/22(日) 午後 7:48 [ 太郎ともも ]
太郎とももさん、少なくとも上海は皆逃げてしまい虐殺どころではなかったということはいえますね。しかも上海市内は徴発も禁じられておりモノを取るということもできなかったようです。日本軍により治安は良く保たれていたということが分かります。
2007/7/23(月) 午後 9:45
すいません上海ですね。
2007/7/28(土) 午前 8:35 [ 太郎ともも ]
上海攻略に当たる日本軍にとって、最新鋭の戦闘機を揃えた中国の空軍戦力は侮りがたいものであった。戦力を無力化すべく、当時木更津・鹿屋航空隊に配備されていた最新鋭の96式陸上攻撃機38機の投入を決定、両航空隊をして第1連合航空隊を結成した。8月8日に九州・鹿屋航空隊所属の陸攻が本拠地を離れ、台湾に進出。これに先んじて中国空軍も南昌に集中する9個大隊の戦闘配置命令を下し、5日に空軍戦力を各地に分散させた。しかし、台風によって両者は睨み合いのまま足取りを阻まれていた。
13日、第三艦隊指令長官長谷川清中将は第1連合航空隊および大連港の加賀、鳳翔、龍驤に出撃命令を下したが、三隻ともに台風のため身動きが取れない状況となっていた。一方、中国空軍司令周至柔は同日に「空軍作戦第一号令」を発動。これは上海に上陸した日本軍、および長江に展開する日本艦艇を爆装した空軍戦力をして壊滅させる計画であった。
2017/2/4(土) 午後 3:10 [ 皆で街を安全にしましょう ]