duHkha-aaryasatya(苦諦)

「人生が苦である」ことは仏陀の人生観の根幹であり、人間の生存がもつ必然である。

08/9/7〜09/5/18

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Penne all'Arrabbiata

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あと、何回、彼のために料理を作ることができるのかな?
と、思いながら
ペンネアラビアータのソースを作る自分

彼女にもらったナポリのお土産のペンネ
そういえば彼女もふられたばっかりで相当辛いんだったね
アラビアータのソースには、
鷹の爪が入ります。
「辛い」という字は「からい」と「つらい」と両方読めます。

ナポリは南イタリアの街
あたしは見たことがないけれど
きっとかんかんと照りつける陽の下で、
真っ赤で太陽のようなトマトが、
そこら中で売られてるんでしょう

でも、あたしの今日のペンネは
まるでロシアの曇った空のよう
救いがなく、荒涼としてて、神が不在。
ごめんなさい、あんまり美味しくできなかった。


                     (Ivan Kramskoy; "Portrait of a Woman")

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『もし学芸会でこのお芝居をやるなら
 君には子豚の役をお願いね。』
あたしの大好きな王子さま。王子さまと醜い子豚。

あたしの役は醜い子豚、まるで滑稽な道化のよう
王子さまと、あの可愛らしい小鳥のお姫さまの幸せを見守るための
そしてあなたは王子さまの役
どうぞもっと明るいこの表舞台にでていらっしゃい
王子さまとお姫さま。

担任の先生はお芝居の当日に
婚礼のシーンで使う花冠をもってくるわ
つややかなビーズ玉と鮮やかな折り紙で出来た花冠を
王子さまとお姫さま。

魔物の手先の醜い子豚は、お芝居の最後で死んじゃうわ
あたしは天国にのぼるのよ、王子さま
小鳥の笛が鳴り響き、そしてお芝居はハッピーエンド
王子さまとお姫さま。

もしお墓に入ったあたしの想いが甦るならば
醜い子豚と王子さま
ちょっとでもいいから台詞も与えられないこの子豚の鳴き声を思い出してね
王子さまとお姫さま。

あたしたちのほんの少し昔を、時々思い出してね王子さま
あたしたちが短い間、愛しあっていたこと、それもすべてお芝居だったとしても
王子さまとお姫さま。



 
           (Aubrey Beardsley, "Frontispiece for Venus and Tannhauser" 1895)

L'amour au Berceau

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 桜ふぶきの 墓地のなか
 盲いた婆さん 座りおる
 人形いれた 乳母車
 押したり引いたり 唄いおる
 盲いた婆さん 唄いおる


 盲した婆さん 今日も云う
 この子が泣くから 唄いおる
 唄えば泣き止む どぅどぅと
 静かな静かな昼下がり
 子の泣く声は 聞こえぬが
 盲した婆さん 今日も云う
 この子が泣くから 唄いおる


 桜ふぶきの 墓地のなか
 盲した婆さん 座りおる
 人形いれた 乳母車
 押したり引いたり 唄いおる
 盲した婆さん 唄いおる

 
 あの日 戦がやってきた
 空から弾が降ってきた
 すべてが炎に包まれて
 炎のなかの乳母車
 叫ぶ女を取り押さえ
 掘った穴へと庇い込む


 そして 戦が立ち去った
 空から花びら降ってきた
 すべてが花に包まれて
 焼けこげ跡の乳母車
 盲いた女は気がふれた
 盲した女のなぐさめに
 誰かが人形入れたとさ
 盲いた女は笑うてる
 この子かわいや笑うてる 
 すべてが桜に包まれて
 桜のなかの乳母車


 あの日 戦がこなければ
 空から弾がこなければ
 すべてが桜に包まれて
 桜のなかの乳母車
 盲いた女は気がふれて
 何度か春が巡り來た


 ある日桜の 墓地のなか
 盲した婆さん 死んだとな
 人形いれた 乳母車
 その脇横で 眠るよに
 盲した婆さん 死んだとな

uterus

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女が子宮で物事を考えるようになるとだいたいロクなことが起こりません
しかしそうわかっていながら
最後は結局子宮で物事を考えてしまうのが女の愚かな性であり
そこに本来の叡智の入る隙間はなかなかなく
なんとも厄介なものでございますこと
女たちはどれもこれも必死に考えて必死に今を生きているわけですが
にもかかわらず
すべての結果が悪い方へ悪い方へ
破滅する方向へしか物事が進まなくなってゆきます

いっそこの子宮という物体を切り離し
そして自由な思考を取り戻すことができましたらばどれほど救われますことでしょう
男でも女でもない、ただの神の子としての人間として
その叡智を取り戻すことが出来ましたらば

まったくこの、
女、という、愚かな生き物は






                (Frida Kahlo ; "Two Nudes in the Forest" 1939)

孤である個

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失恋がなんで辛いか考えてみた。

その相手にとって、自分はもう必要とはされていないのだ、と知るから。
そして
自分はもう、その相手を必要としてはいけないんだ、と知るから。

あたしはそして、何度も何度も、恋を失いました。
そのたびに、毎回毎回しつこく繰り返されるこの、同じ悲しみ。
あたしはそして学びました。

そうだ。
『自分は誰からも必要とされてないんだ』っていうことを受け入れよう。
それからもう1つ。
『自分は誰も必要としていないんだ』っていうことを認識しよう。

それはもはや、充足を知るとか知らないとか以前の問題で
そもそも最初から「無い」、ということを知ることでした。

あたしはそうしていつしか、
岩盤のように強くなりました。
自分は誰からも必要とされておりません。
自分は誰も必要としておりません。
それが前提になってしまうと、自分はどんどん岩になる。
岩であることに慣れてくると岩であることが当たり前になる。
そのうちに自分が岩であることはもはや既成事実になる。

私はそして、孤、であり、
私はそして、個、であり、
私はそして、岩、であり、

そうしているうちに、いくつかの希望も、すべて見過ごし、すべて無駄にし、
あたしは本当に岩になってしまったのでした。

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