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ワシは普通やったら語られる事のない事情を…内情を知っている…。
それはワシが、知的障害児施設にナースとして勤務していたから…。
ほんの少しだけだけど、今日はそれを語らせて欲しい。
Rちゃんは、最初、相方ミシェルが鍼灸の資格を取るために在籍していた盲学校にいました。
もう9才の筈やけど、体格は幼稚園年少サン位しかありませんでした。
母親は
『この子は知的にも遅れがあって、目も見えなくて…それでネグレクト(育児放棄)をしてしまった…』
と、言うような事を言っていたらしいです。
Rちゃんは、固形物を“食べる”事さえ出来ませんでした。
離乳すら“為されてなかった”ようです。
ウィークディは、盲学校の寮に預けられることになり、寮母さんは色々なチャレンジをしました。
色々な栄養のある飲み物を与え、その時に色々な視覚的刺激も与え続けました。
少しづつ栄養が行き渡っていくうちに、Rちゃんは…本当に少しづつ…全くの闇の世界から…光等が認識出来るようになっていきました!
視力が無かったのは、栄養不良に拠る可能性?の疑いも出て来ました。
盲学校の寮母先生達は、土日の帰省時には、どのように、どんな食材を与えれば良いか…みたいなレシピまで作り、御家族に渡し、フォローをお願いしていました。
そんな折、Rちゃんの母親が、突然の癌で亡くなりました。
土日の帰省や介護も無理…と言う家族の意向で、Rちゃんは預けっ放しに出来る、ワシの勤務していた施設に入所して来ました。
ワシは担当ではなかったのですが、食事介助や入浴介助等で、Rちゃんと関わる機会が結構ありました。
か細く
『れー…れー…』
と、泣くRちゃんは…でも、盲学校時代のような、マンツーマンでのねんごろな介護…はしたくても出来ない状況になってしまいました…
Mちゃんと言う少女は、歩くことが出来ません。
(両手を付いて、お尻をずらしていざる事が少し出来る程度だったでしょうか…)
知的な障害と共に、視覚障害もありました。
14歳と言う年齢で、この施設に入所して来ました。
それまでは母親が介護をしていました。
父親はMちゃんを溺愛している様でしたが、殆ど仕事で介護を手伝う事はなく、注文ばかりが多く(入所してから職員達に対しても、かなり凄かったです^^;)母親はそれを受け止め切れず、心の病に罹ってしまいMちゃんの介護は困難…となり、入所して来たんです。
Mちゃんの両膝から下は、目を覆いたくなるようなケロイドでした。
母親が
『お湯の温度を確認せず、熱湯のお風呂にMちゃんを入れたから…』
と、言うコトでしたが…
一人で風呂に入る事も出来ない子供を、湯の温度も確認せずに浸けるワケないやんね?
…と、ワシ等職員達は話し合っていました。
そこまで熱い湯やったら、湯気や雰囲気でも判りそうなモンやんね?
…と…。
父親が“不憫だから…”と、甘やかしてきた所為もあるのでしょう。
Mちゃんは、氣に入らないと暴れます。
手が付けられない程です…。
原因が判る場合も、そうでない場合も…あります。
我々職員は、抱きしめる以外には術はありません…。
T君は二十歳。
幼児の時から、施設にいます。
全盲で、重度の知的障害もあります。
生後2ヶ月の時、泣き声がうるさいと…温泉場の板前である父親に蹴られ、障害を負いました。
不快な事があると、指を…血が出るほど噛み…“自傷行為”をします…。
実は、ワシ、勤務開始当初、彼等の魂に入っていったコトがあります…。
…
…
決して“天使のように美しく”はなかった…。
混沌とした闇だったり…
淋しさ、理由のない不安に満ちていたり…
エンドレスのその感情に、ワシも辛さしか見出せず…
深い“関わり”の難しさを味わい…
自分の“無力”を知りました。
でも、ある幹部職員から、ワシが辞める時
『あんたは、本当に入所者を“愛している”職員やった』
と、言って頂けました。
続けられなくて…辞めてしまったけど…また、彼等に逢いに行こうか…?
と、少し考えられる様になった昨今です。
先日、ムチュメが言ってました。
『アタシの同い年のママ友が、子供(1才)を良く叩くげん。
眠くなって泣いても叩くし…。
“泣き疲れたら眠るから…♪”
って、言っとった!!
…信じれん!!
アタシ、姫那を叩くなんて、可哀想過ぎて出来んわ…』
それを聞いて、安心したよ…。
こんなしょーもない母親やったんに、真っ直ぐに育ってくれてありがとう…。
でも…きっと、そのヤンママちゃんも、いっぱいいっぱいやねん…
もしかしたら、ものごっついのんに叩かれて育ったんかも知れん…
赤ちゃんポストの是非も問われているけど…
ちょっとでも不幸な子供を…そして親を…救う為ならアリやと、ワシは思う。
みんなが少しでも心穏やかに過ごせる様に…今日もワシは祈ろう…。
ワシに出来る事は…それしかナイから…
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