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歴史話

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鳴かず飛ばず

紀元前614年、父親の死によって楚の国の後を継いだ、荘王は、まったく政治を顧みず、日夜飲めや歌えの騒ぎをして享楽を楽しんでいた。
家臣には「もし、私を諌めるような輩がいたら、即刻首をはねる」
そういわれると、だれも王の享楽を諌めることができない。
ちょうど三年たったころ、家臣の伍挙というものが、遊びを装って
「王様、なぞかけ遊びをしましょう」と、近寄った。
「ある鳥が3年もの間まったく飛ばず、まったく鳴きもしませんでした。この鳥の名はなんというのでしょう?」
王は、
「その鳥は、一旦飛び立てば天まで届き、一旦鳴きだせば人々を驚かすであろう。お前の言いたいことはわかる。さがれ」と、退けてしまいました。
このままでは、王の享楽は、国を滅ぼすと心配した、蘇従が、死を恐れず「王ともあろうものが遊びほうけていていいのか。政をして王の責務を果たしなさい(とこのようにいったかどうかはわからないが)」諫言した。
王は
「もし、私のやることに文句を言ったら即刻首を切る、ということを忘れたか」と、言うと

「それは覚悟のこと。」と首を差し出す。荘王は「よし」と刀を抜いて、蘇従に近づいてから、くるっと反対を向き、楽器の弦を切り、それから政務に向かったという。
その後の荘王の処置はすさまじい。それまで荘王と一緒に遊びへつらっていた者数百人の役職を解き処刑して、伍挙や蘇従のような賢臣を取り立てて、国を作っていく。こうして力をつけた楚の国は、荘王のもとで春秋五覇の王といわれるまでの強国になるのである。
これは「史記」にある有名な逸話で、その話を信長が参考に当時の信長の教育係りである沢彦に聞いたのでしょう。
斉の威王の時にも同じような逸話がありますが、楚王の話のほうが有名だし、自然だと考えています。

信長の「うつけ」は?

おおうつけ

信長は、16,7,8歳のころ、町をいわば暴走族のようないでたちで馬駆けした様子から、「うつけもの」といわれるようになりましたが、なぜこのような行動をとったかに関して、小説家の想像は諸説あります。
 山岡壮八は、必ずしもうつけの仕業でなく、若い家来を引き連れて、模擬戦闘をしていたのだと考えています。腰に巻いた縄も、戦場の地理状況を測定するメジャーとして扱い、それらは皆長さが決まっていたというのです。
 津本陽は、小説のある場面から、家来の「あの信長では、織田家を隆盛させることはできないだろう」というひそかな話を聞いて、それがきっかけでうつけものになったと、書いています。
 宮城谷昌光は、「史記の風景」の「大うつけ」の章で、「田経仲官世家」の中の斉の威王の話を載せて、信長がそれを参考にしたという説を載せています。
 私は、中国春秋時代の五覇に数えられる、「3年鳴かず飛ばず」で有名な、楚の荘王が参考だと思っています。この話が史記の中では著名で、沢彦(たくげん)辺りから聞かされた内容をヒントにしたのでしょう。

「藤原氏の正体」 関裕二 新潮文庫

この本は、私たちが学んできた大化の改新を改めて考えてみる
実に興味ある本でした。

大化の改新でクーデターを起こした
中大兄皇子(後、天智天皇)と中臣(後の藤原氏)鎌足は、その後律令政治を確立する立役者として英雄視してきましたが

彼によると、律令政治の最も盛んに主張したのはほかならぬ蘇我氏だったというのです。

本の大筋の結論から言うと、藤原氏の謀略と虐殺の歴史は
従前の大和人和を強調する合議制とは異なって、

大陸的である、という視点から、

中臣鎌足は、和人ではなく、当時新羅と唐の連合軍に滅ぼされ
大和朝廷と親交深かった百済の王、豊璋(ほうしょう)であった、という仮説です。

豊璋はもともと百済から人質とした日本に滞在しており、
王として百済に呼び戻され、
新羅と唐の連合国相手に戦いますが敗れて、その瞬間から歴史上の姿を消してしまいます。(三国志)

その時期と日本書紀に中臣氏が現れる時期が一致するそうです。



蘇我氏の天皇をないがしろにする独裁を排除して、
律令政治を打ち立てた英雄にしては、当時の記録から
民衆はそれを評価するどころか、政情や社会情勢は不安定であったとのべています。

それは、おそらく、私たちが学んできたとは異なる背景があったという視点から
関は、様々な歴史的状況証拠を示して、藤原氏の正体を暴いています。

大化の改新は、律令政治の抵抗勢力を打ち破って、中大兄皇子や中臣鎌足が起こしたというより

百済救援は、それに消極的であった蘇我氏を滅ぼさない限り
不可能であったために、起こした外交問題を背景にしたクーデターだと見るのです。

関が言うように、藤原氏が勢力を握ると、藤原氏の勢力を維持するために

多くの勢力を、謀略や虐殺を繰り返します。

その最たる事件として、壬申の乱、大津皇子、長屋王、薬子の変、など藤原氏の影を帯びた事件は数多くあるのです。

そのために、藤原氏は、忙殺した彼らの祟りにおびえ続けます。そのなかでも、最も恐れた人物が、菅原道真です。

こうした謀略虐殺の限りを尽くして、氏族を守ろうとした背景には

もともと大和誕生やそれに協力した大和およびそれに近い日本的勢力ではなく

他国の亡命皇子だったからこそと関は主張します。政敵は打倒さない限り、氏族の繁栄はないという
意識が最初から根底にあったと見るのです。

こうした展開を読みながら、確かにそうだなあと思うことがあります。

それは、かつての日本の頂点に立ったそのほとんどが、
それまでの敵を懐柔して、その配下に入れています。

日本人には、縄文時代から続いた、アニミズム的な宗教観や思想、東海の孤島という国土や風習などがあって、聖徳太子が唱えたような「和」の思考がが根底に流れているからです。

ところが、とくに中国大陸を観てもわかるように、
一つの勢力を倒す場合には、根こそぎ滅ぼしてしまいます。
大陸では、そうしないと自分の政権が維持できないことを、身にしみてわかっているからです。

平家が源頼朝や義経を生かしておいたなんて言うことは
あり得ないのです。

この本を読んで、明瞭になったことが一つあります。
それは、蘇我氏の名前についてです。

それは私見ですが、次のブログの記事にします。

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