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かもめは、
しんだのか…
とぶのか…
私はチェーホフがあまり得意ではなかった。
観客への要求が過度だからだ。
歌舞伎や能などのように観客はプロットについて悩まない方が楽だ。
しかしソーントン・ワイルダーの舞台の意味が何年か経って偶然分かった時は嬉しい。不条理劇も含めて、そんな楽しみは現代演劇が与えてくれた「全く別の快楽」なのだろう。
だから今回、その「全く別の快楽」を求めてみようと思った。
そうするには能のように事前に本を読んでおくことが必要だ。
開幕の30分ほど前に小屋に入ると、発声練習のようなエチュードが行われていた。役者がほぼ全員舞台に立っていて、動き回り相手を見つけてはセリフを言う。あるいはひとりで発生練習をする。その間に場内注意がはさまれ、観客は否応なくその舞台に巻き込まれる。場内注意もやけに観客に関わろうとし、いつもと違う。
エチュードが「日常化」したと思われた頃、突然スポットがヤーコフにあたり芝居はすでに始まっていたというプロローグ。観客に心の準備をさせない「つかみ」。
舞台には仮設舞台とベンチにいくつかのイスのみ。背景は暗幕。ヤーコフの説明により湖畔の別荘地の夕暮時であることがわかる。
まずマーシャのセリフ
「人生の喪服なの。不幸だから」
このセリフは観客を突き放す。プロローグでつかんでおいて、突き放す。もう蟠り感ができる。そしてメドヴェジェンコのセリフを遮り、ばかばかしいとまで言う。
コンスタンチン(コースチャ)の創作劇に出演予定のニーナが遅れて到着。美しく可憐。ニーナの役どころは大変重い。自由がないこと、この鄙である別荘地から離れられないことが分かる。少なくともコンスタンチンとニーナはお互いが好感を持っているが、ニーナは女優への憧れやコンスタンチンの母親である女優のアルカージナの愛人である作家トリゴーリンにも興味を持っている。それは「セレブ」だからである。読んで関心があると言うよりコンスタンチンの母親に近い関係があるから読んだのかもしれない。
ニーナはまだ会ったことの無いトリゴーリンに対する興味や関心をコンスタンチンに言う。だからニーナは難しいのだ。普通のヒロインではない。純真さの他に無遠慮さや、軽薄さや、時として愚かさまで伴うからだ。
庭にしつらえた仮設舞台ではコンスタンチンの「新しい」演劇が始まる。
ニーナが日本語のセリフ(沼野充義訳)をロシア語風に言う。これは日本語とそれに似た発音のロシア語を対位させたいかにもTUFSらしい工夫かと思ったが、そうではなかったらしい。それでなくてもチェーホフの幻惑に対峙しようとしているのに、別の困難を与えてくれる。
この「新しい」演劇が女優である母親から揶揄されコンスタンチンは途中で打ち切ってしまう。彼は傷つきやすく、神経質で弱い中途半端な若者であることがわかる。中途半端とは居場所がないのだ。仕事も金も無い。
慰めるべきニーナは、関心がすでにトリゴーリンに移っている。
アルカージナの揶揄ですら、若く美しいニーナへの嫉妬と、愛人のトリゴーリンがニーナを好きにならないかという危惧からであろうと思わせる。
ニーナはトリゴーリンの関心を引こうとして「変な芝居だったでしょ」と卑下する。もうこれは完全にコンスタンチンを葬り去った言葉だ。それに対しトリゴーリンのセリフがいやらしい。「さっぱりわからなかったが、楽しかった。君の演技には心がこもっていた」と言う。つまりコンスタンチンはつまらないが、ニーナはいいと言っているのだ。
ニーナはこんなあからさまな歓心の買いかたに簡単に籠絡される。というより、籠絡されるためにここにいて、舞台にあがったのだ。
ここでニーナはトリゴーリンに手紙を渡す。
これは本には無いシーンだ。手紙の封筒が印象に残る色をしている。
その後、トリゴーリンとニーナの浅はかな会話が続く。誘惑しようとしている有名人と、それに取り入ろうとする若い女性。今までの人生で何回か聞いた類の会話だ。(無論私は有名人ではないので、ソデにされた方)
トリゴーリンが「釣りはいいなあ」と言うとニーナは「創作の楽しみを知った人にはそれ以上の楽しみはないのでは?」と作家を持ち上げる。トリゴーリンだって「釣り」を言う事にたいし自分の忙しさ、つまり人気度を誇っている。歓心、誘惑、自己アピール、等々の権謀術策。美しく可憐なニーナがだんだん愚かになっていく、切ないシーン。
これは思春期という名の発情期を体験した男性なら経験したことのある怒りだろう。好きになった女性を自分の中で偶像(アイドル)化したものの、現実のその人はそうではなかったという経験だ。なぜなら「好きになる理由」が全く分からない(これは多分に内分泌が原因と思われ神の領域)のに、その感情を自分に正当化せねばならないために代替行為として発生する偶像化だからしょうがない。
仮設舞台にコンスタンチンが戻ってくる。そこには医師のドルンしかいない。ドルンは彼を慰めようと優しい言葉をかけるが、コンスタンチンはニーナにしか関心がない。あの新しい演劇だってニーナがいなかったら書かなかっただろう。彼はその時点で敗者に決められているのだ。
ニーナを探しにコンスタンチンが去ると、今度はコンスタンチンを探していたマーシャが、コンスタンチンが好きでたまらないとドルンに告白する。この告白の意味、これが観客への過度の要求のひとつだ。なぜマーシャがドルンにそんなことを言うのか?自分の立場の公表にしか思えない。そう公表することによって立場の普遍化を企図したもの。周りが認めれば、相手にされなくても立場は保証されるという代償行為?この蟠りを引きずったまま第二幕に移る。
第二幕に入り、ニーナはコンスタンチンとの訣別を確定させる。マーシャに「コンスタンチンの戯曲を何か朗読してほしい」と言われ「あんなつまんないものを!」と吐き捨てる。ニーナは当初コンスタンチンに思慕の念があったのは、彼が表現する芸術家に見えたからなのだろう。それは本物の作家の前では実に軽薄な存在でしかない。
ドルンとポリーナがへんな会話をする。
「わたしを奥さんにして」「嫉妬で苦しいの」前幕でポリーナの娘ミーシャがドルンに自分がコンスタンチンを好きなことを告白したのは、ドルンが父親だったのでは、と思わせるシーンである。
コンスタンチンが前幕でニーナがトリゴーリンに渡した手紙を持って、放心した表情で出てくる。彼は、トリゴーリンが使っているだろう部屋に入り盗み見たに違いない。内容はラブレターとまではいかないとしても、かなりそれに近いもののはずである。ところがその手紙を撃ち落とし死んだカモメだと言う。ここでのシンボライズは、ニーナの手紙と死んだカモメに集約される。ニーナの手紙はニーナの心を表し、飛んでトリゴーリンの所に行き、コンスタンチンに盗み見られて(撃たれて)死んだのだ。
コンスタンチンはニーナの変心も衝撃だろうが、嫉妬のあまり手紙を盗み見るという卑劣な行為をしてしまった自分に対しても衝撃だったはずだ。自分が信じられないのが恋なのだ。だから恋が邪魔だとマーシャが言っていたのだ…
ここのシーンが巧みなのは、ニーナがトリゴーリンに結果として心情を吐露したことと、その手紙をコンスタンチンが盗み見てニーナの変心を知る事と、実際に撃ち殺したカモメがコンスタンチンにとってはニーナの手紙だ、ということである。
コンスタンチンは「ぼくもこんな風に自分を殺す」と予言し、ニーナは「人が変わったみたいね」と冷たく言う。変わったのはニーナであり、ニーナの変心によって落胆したコンスタンチンは変わらざるをえなかったのだ。
トリゴーリンの登場でコンスタンチンは退場する。コンスタンチンは「本物の才能のおでましだ」とか「お邪魔はしませんよ」というもう誰にも同情されないほどの嫌味を言う。敗者が確定したコンスタンチンは、今度は孤独も加わる。
ニーナはトリゴーリンに新聞記事について尋ねる。トリゴーリンは「けなされたらその後二日間は気分が悪い」と言うのにニーナは「すばらしい世界ね!」と言う。すでにニーナはトリゴーリンの心情にすら心を寄せようとしない。ニーナが関心があるのは、トリゴーリンが作家であることだけであって、小説を書いているトリゴーリンではないのだ。
しかしトリゴーリンもそれを知っていてそれを原資に誘惑する。それに続くトリゴーリンの長セリフは、作家としての自分をアピールしているだけである。しかもいかにもニーナが食付きそうなことを話す。ニーナはとうとう作家か女優になる幸せのためだったら自分はどうなってもいいと断言する。ここにはふたつの意味がある。ニーナの欲求はもう暴走しているということと、現役の作家であるトリゴーリンに付け入る隙を自ら与えたということである。
それにしても「作家か女優」という言い方はあまりに乱暴ではないだろうか?彼女は作家でなくとも、女優でなくともいいのだ。「有名(セレブ)」であればいいのだ。ニーナを愚かにするものは何だろう?
トリゴーリンはコンスタンチンにとってはニーナの手紙であるカモメを見て「きれいな鳥だ」と言い、「本当に帰りたくない」と言う。さらに、短編の題材を思いついたと言い「湖のほとりに若い娘さんが住んでいて、カモメみたいに湖が好きで、カモメみたいに幸せで自由だ」と言いながら、手紙の紙をヒラヒラさせ、まるでかもめが飛んでいるようにする。
死んだかもめが美しいという言い方は軽薄さを表している。そして手紙をヒラヒラさせることによって、この手紙によってニーナが自由に飛び立てるという錯覚を惹起させている。ところがそれに続くトリゴーリンの言葉はこうだ。
「(カモメのように自由にしていた彼女が)たまたまやってきた男が彼女を見て、ヒマつぶしのために、破滅させてしまった―ほら、このカモメのように」
トリゴーリンは、ニーナの破滅、手紙(死んだカモメ)が破滅を予知していることを言う。
三幕へ。
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