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モーリス・ユトリロ(1883〜1955) 彼が描いたパリの街は、白壁と人影のない路地に降り積もった雪。或いは、狭い石段、建物の間を曲がって見えなくなる道。行きかう人は皆風景に埋没しています。空気の流れが止まったままの静寂な世界。ユトリロの描く街は、佐伯祐三や荻須高徳が描く風景画より繊細で寡黙です。 わたしのポストカードより 「モンマルトルのサン・ヴァンサン通り」 1914年 諸橋近代美術館 ラパン・アジルの前の通り。ユトリロの墓も近くにあります。 「ラパン・アジル」 1910年頃 美術館不明 ピカソ、ブラック、アポリネールなど常連の芸術家達のたまり場でした。ユトリロは酒乱のため何度も出入り禁止となりました。 「コタン小路」 1911年 パリ、国立近代美術館 急な階段をのぼりつめるとサクレ=クール寺院の裏手に出ます。これを描いた時はまだ寺院は完成してないかもしれません。 母親の「マリー=クレマンチーヌ・ヴァラドン」は10代半ばで、数々の職業を経て画家のモデルになりました。大御所のシャバンヌやルノワールのモデルを勤め、しかも愛人で、18才で父親不明の子供を出産しました。その子供がモーリス・ユトリロです。その後はロートレックと同棲し、彼に「シュザンヌ」という名前をつけられ、それからは生涯を通して「シュザンヌ・ヴァラドン」と名乗りました。エリック・サティの友人と突然結婚し、安定した生活をゲットしたにも拘らず、息子ユトリロの友人で、20才も年下の男と恋愛し、13年連れ添った夫と離婚しました。 一方、私生児として生まれたユトリロは、母親の育児放棄が原因で中学生でアル中、10代後半で精神病院に送られました。 そこで治療の一貫として始めた絵が類いまれなる才能を発揮、画家として生きる道を与えられました。 しかし、自由奔放な母親に振り回されっぱなしの彼は、精神病院を出たり入ったりで、アル中生活は相変わらずでした。 ユトリロが画家として絵を描き始めたころは、ピカソとブラックのキュビスムが興ったときです。 イタリアではマリネッティの未来派宣言、ドイツではカンディンスキーが「抽象芸術論」を出版し、絵画とは、外面的な自然から受ける「印象」、内面的な自然から直接受ける「即興」、意思的に研究、構成し感情により決定する「コンポジション(構成=作曲)」が、究極の到達点であると主張しました。 美術界が抽象表現に大きく変換している時に、ユトリロは、療養生活をしながら、ポストカードからモティーフを写し取ってせっせとパリの風景画を描いていました。 第一次世界大戦後、ユトリロの風景画は大評判を呼び、一躍画壇のトップに躍り出ました。 彼はついに巨匠の仲間入りをしたのです。 母親の再婚相手である自分の友人が、マネージメントを一手に引き受けてくれたおかげで、画業は順調にいきました。 そして、勲章まで受章し、パリの名誉市民賞も授与されました。 しかし、ユトリロは相変わらずのアル中で、71才で死去しました 母親のヴァラドンの晩年は、若い夫に捨てられ、孤独な最期だったようです。彼女も72才で亡くなりました。 二人とも意外と?長生きでしたよね。存命中に有名になったことが幸いでした。 モディリアーニもロートレックも30代で亡くなっているのに、ユトリロは母親から強い身体ももらったようです。 では、絵の才能は誰からでしょう。シャヴァンヌ?それともルノワール?未だに謎です。 「シュザンヌ・ヴァラドンと呼ぶわが母は、気高く、美しく、善良な女である」 ユトリロにとって、母は女神であり、理想の女性だったのでしょう。 寂しい少年時代を送ったユトリロですが、自分達親子の為に必死に生きた母を愛おしいと思っていました。この詩は、母親が亡くなったときに書いたものです。 「29才頃のシュザンヌ・ヴァラドンの自画像」 わが最良の年1894年と書き込みがあります。
彼女は浮気性で見栄っ張りで、一見とんでもない女のイメージが付きまといますが、男たちは皆、彼女に親切だし、優しいし、鷹揚な態度を見せていますよね。 男性はシュザンヌのように気性が激しいけど、どこか危うい雰囲気を持っている女性に惹かれるのでしょうか。 たまにいるんですよね〜〜!こういうタイプの女が! わたしの周りにも二人ほどいます。二人に共通していることは、負けず嫌いで向上心が強いこと。そして、話がおもしろくて、いっしょにいて楽しいことです。 まあ、一番大事なのは、色気があること。あるときは男に媚びるために、あるときは自分を魅せるために、変幻自在に自分を演出できることかしら。 当方は真似、できませんわ〜〜(^_^ ![]() |
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☆よっちゃんさま
おはようございます〜♪ユトリロもお好きなのですね。分かるようなきがします(*^_^*)静けさの中に安らぎがあるユトリロの絵、わたしも美術の教科書で初めて見たときから好きになりました。
悪女的なイメージのヴァラドンですが、彼女に係わった男性たちがみな好意的なのが印象的でした。
いつも大切な言葉を補うコメントをありがとうございます(^_-)-☆
2008/8/10(日) 午前 10:17
☆五節句さま
さすが〜、興味ある観点がたくさんです〜(*^_^*)
確かに画家は天性によるところが大きいんでしょう。ヴァラドンも画家ですが、ユトリロの才能は母親からの遺伝だけではないだろうというのが大方の見方らしいです。
そう、子供は親を選べないから、わたしも今があるんだわ(笑)
でも才能はなくても今のところ平穏ですが。
美人かどうかは主観が働きますから、いろんな印象がありますよね、きっと。
いつも考えさせられるコメントをありがとうございます(^_-)-☆
2008/8/10(日) 午前 10:28
☆Mammoさま
おはようございます〜♪
ルノワールのダンスの女性は、可愛いイメージですよね。わたしは、ルノワールは良く知らないので、このブログを書いてモデルのことなどを知りました。ルノワールは、とにかくモデルを美しく描こうとしたそうですね。だから、ルノワールの女性はどれも豊かな表情をしてますよね。いつかは、ルノワールも記事にしていきたいです。
わたしはね〜、負けず嫌いじゃありません。マイペースなものですから(笑)いつも素敵なコメントをありがとうございます(^_-)-☆
2008/8/10(日) 午前 10:37
「ラパン・アジル」は何枚描いているのでしょうかね。
この作品をこめて何枚も見ているのですが、時代によって出来が違いすぎますね。
アル中の時が一番魅力的だったというのもユトリロだからこそなのでしょうね。
2008/8/10(日) 午後 3:17
☆haruさま
こんばんは〜♪何枚描いているのでしょうね。何しろ、24才の頃は1年で600枚ぐらい描いたそうですから。どおりであちこちの画廊でユトリロを見るわけです。やはり、1910年前後の白の時代が最高でしょう。晩年は、題材の焼き直しが多いですね。
haruさまにはいつも勉強させていただいています。コメント、ありがとうございます(^_-)-☆
2008/8/11(月) 午前 0:01
ユトリロの母親と私の母とがダブッテしまいます(笑)私の母も奔放でしたが短命でした。この手の女性は苦手です、母でこりているかもしれません。
あのパリの街をこんなに静かに描くユトリロの心象に興味がわきます、一種の危うさを感じますね。
2008/8/12(火) 午後 6:40
☆CAVEさま
こんばんは〜♪そうですか〜。CAVEさまのお母さまらしく?奔放だったのですね(笑)
ユトリロのパリは、訪ねてみたくなりますよね。路地裏の壁、坂道、建物の窓、日常の風景の中にユトリロを探すのは楽しいことでしょうね。いつもコメントありがとうございます(*^_^*)
2008/8/12(火) 午後 11:14
ヨーロッパにはユトリロのようなタイプの画家は多いのですねー・・・
2008/8/15(金) 午前 7:24 [ 夢想miraishouta ]
ユトリロ母子は有名ですね。気が強くて頑張りやだったのでしょう。
やはり彼の絵は綺麗ですね。
2008/8/19(火) 午後 0:33
☆夢想miraishoutaさま
こんばんは〜♪コメントありがとうございます(*^_^*)
お返事がかなり遅れてごめんなさい。
芸術家は破滅型が多いですから、そういう人種はヨーロッパだけではないと思います。でも、破滅型なのに結構長生きしてそれなり本懐を遂げた芸術かも多いですよね。ユトリロもその一人です。傍からの感想だけですけど。
2008/8/20(水) 午後 9:49
☆shishi5235さま
こんばんは〜♪ユトリロの絵は癒しですよね。shishiさまのおっしゃるとおり文句なしに綺麗です。そう意味では父親はルノワールだったのかしら〜(゜o゜)
ヴァラドンは可愛い女性だったのでしょう。でも、同性からは総スカンのタイプよね(笑)
コメントありがとうございます。
お返事が遅れてごめんなさいねm(__)m
2008/8/20(水) 午後 10:00
les fleursさん おはようございます。
早朝ブログを開いて、貴女からメッセージいただいたこと知りました。
ヴァラドン、ユトリロの展示会は、ずいぶん昔にみたことがありますが、それぞれの画面に感情がにじみ出ている絵だった思い出があります。
ヴァラドンの生きざまから学ばられること多いですね。
時代を超え、人の生きざまに触れることは、きっと将来において参考になると思います。
2008/8/22(金) 午前 6:49
☆mimiranさま
こんばんは〜♪ご丁寧にコメントありがとうございますm(__)m
わたしはヴァラドンの絵は見たことがないと思います。もしかしたら記憶にないだけかも。今見たら、きっとブログに書いてたでしょうね(笑)知ったかぶりで。
わが身と子供の運命を必死に切り開いた母親がいてこそ、ユトリロという息子があるのでしょう。ユトリロもその辺は良く分かっていたのでしょうね。
ユトリロの作品は、実生活の臭いがありませんよね。そういう意味ではコローにも似ていると思います。
これからもよろしくお願いいたします(*^_^*)
2008/8/22(金) 午後 10:30
十代のころ(どんだけ昔なんだ^^)、ほんの短いあいだだけユトリロが大好きな時期がありました。「静寂で繊細で寡黙」な絵が好きになるといのは、何かそういう低いトーンの時期が十代にはあるんだなあと、・・・今は賑やかでダイナミックで饒舌な絵の方が好きなような気がします^^
2008/8/27(水) 午後 9:27
☆月の骨さま
こんばんは〜♪十代の低いトーンの時期は、わたしにもありましたよ。そういう風に演じてたのかも知れませんけどね。
賑やかでダイナミックで饒舌な絵!なんでしょう?是非教えてくださいな(^_-)-☆コメントありがとうございます。
2008/8/27(水) 午後 11:56
こんばんは〜
ユトリロの白は誰にも出せない郷愁がありますね。
私もオランジュリー美術館で去年じっくり鑑賞してきました。
アル中で最後は絵も絵ハガキを見て描いていたというテイタラク振りでしたがそういう人生しかあの強烈な母親の強い影響圧力のもとではできなかったのでしょうね。
ポチ☆
2010/11/6(土) 午後 10:42
ユトリロ関連の記事TBさせていただきました。
またお暇になったらゆっくり見ていただけたらうれしいです。
2010/11/6(土) 午後 10:55
☆絵描きのたあちゃんさま
こんばんは〜♪
ユトリロの白は誰もが惹かれますよね。行ったこともないパリの街並みであっても、何故か懐かしさを感じます。
オランジュリー美術館のユトリロは、白の時代の作品が多く圧巻でした。国内でも展覧会ありましたよ。京都に巡回したようです。
正直、風景画ばかりで飽きちゃいました。やはり、数点だけの方が印象深いです。
ポチ☆もありがとうございます(^_-)-☆
2010/11/7(日) 午前 0:05
☆たあちゃんさま
続きです。トラバありがとうございます(*^_^*)
どれも魅力的なタイトルですね。後でゆっくりおじゃまします。
アル中だったわりには長生きし名声も手にいれたユトリロ、一見破滅型のようで、実際はそうではなかったところが興味深いです。
彼は自分の絵そのものに表現など根本的な悩みがなかったのかしら?
2010/11/7(日) 午前 0:13
突然にすいません、、
たまたまシュザンヌヴァラドンをネットで探していましたら、こちらにたどり着きました。。
このページにヴァラドンの描いたとの画像を載せておられますが、こちらの画像はどこかの図録か画集などからのものですか⁉
また有名な自画像かでしょうか、、
お分かりになる範囲で教えていただけれはありがたいです〜
2016/7/9(土) 午後 8:39 [ mur**asa77*7*7 ]