愛されたい(天使ヨハネのハートフル・ワールド)

愛を見失い愛を求め、迷路を彷徨う女性のための救愛軍

心と身体

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「女性ということ: 中村うさぎVS見城美恵子」

今朝放映された
テレビ朝日のニュース番組で、
コメンテーターの見城美恵子が
中村うさぎへのインタビューを放送していた。
中村うさぎは「私という病」という単行本を最近発刊した。
非常に興味を惹かれ、
発売直後、
私も直ぐに手に入れた。

見城美恵子も私と同じようにして
この本を手にしたのであろう。
見城女史という人は、
真面目に生きてきた女性の代表のような女性(ひと)である。
多分、
中村うさぎに対して批判的な疑問を沢山浴びせかけるのであろうと想像していた。
案の定その通りであった。

この本の執筆に当って、
中村うさぎは、
デリバリーヘルス、
通称デリヘルという
ホテルなどへ訪問して、
男性のセックス処理を行う風俗サービス業である。
1時間1万5000円から3万円位の間で、
男性が指定するホテルや自宅を訪問し、
見知らぬ男性客とセックスをするという商売だ。
最近、
身障者や高齢者向けのセックス介護ということでも、
このデリバリーヘルスというものが注目され、
それに関しての体験者の本も出たりしているが、
中村うさぎの「私という病」に関しては、
これとはまったく別ものと思った方が良い。

見城女史の質問は、
正直言って
まったく面白くなかった。
女性を美化し、
上っ面だけの話をしていた。
何故?
という質問を連発していたが、
偽善的な発想や気持で、
中村うさぎの本を理解しようとしても無理。
丸裸になって
女ということを受け止めなければ、
作者である中村うさぎに失礼であると、
私は少々憤りを感じた。
というか、
作家とかエッセイストとかコメンテーターだのと、
文化人面している見城女史に
少々呆れたというのが正直な印象かもしれない。

確かに、
真面目に家庭を守り、
主婦をこなし仕事もこなしている
自立した女性からすれば、
見城女史のような思いが生まれるのかもしれない。
女性はこうあるべき。
身体を売るなどということは、
女性が女性自身の価値を下げる行為。
何も身体を売らなくても
という考え方なのであろう。

中村うさぎ女史は言っていた。
自分の価値を数字でしりたかった、と。
これの答えに対しても、
見城女史は、
矛盾してる理解できない、
何故お金で身体を売って、
それで数字で自分の価値を知るのか、
と反論していたが、
それは建前の綺麗事でしかない。

私は男性だから、
100%女性のことを理解してるといったら、
大きな嘘になってしまう。
ただ、
私には、
中村うさぎ女史の文章や言葉の方が、
見城女史の言葉や文章よりも素直で正直に聞こえた。
確かに、
嘗てはブランド物を買いあさり、
ホストクラブに通いつめ、
美容整形で美を求め
今度は売春を体験、
と表向きは非常に派手でケバケバシく感じられるのかもしれない。
しかし、
内に秘めたる心の部分は、
非常に素直に表現されていると思った。
ある意味、
多くの同世代の女性達の秘めたる気持を代弁しているのでは、
とさえ思えた。

閉経が目前にせまり、
女であることの時限装置が爆発寸前にまできている女性にとって、
どれだけ精神的に大きな悩みや苦しみやプレッシャーがあるのかは、
決して男にはわからないことかもしれない。
限られた可能性の中で、
女を捨てたくない、
女を忘れたくない、
女を再確認したい、
しかし、
男性は、
そんな女性の気持にも気付かず
愛するものへのセックスさえ等閑にしてしまい、
大切なパートナーを不安のどん底へと突き落としている。
そんなに難しいことではない。
手を差し伸べ
優しく抱きしめ、
愛を確かめ合えば救われるはずなのである。
しかし、
そんな簡単なことに、
男性は気付くこともなく、
思いの丈は外へと向けてしまう。
絶望した女性達は、
人肌恋しい思いにかられ、
自分が女性であることを再確認したく、
悪いこととはしりながら、
自分を癒し、
優しく包んでくれる男性を追い求め徘徊しだす。
時として不倫という形にも発展してしまう。
独身の女性でも、
このことはまったく同じである。
自分が女であることを再確認できる
一番手っ取り早く確実な方法は、
男性に愛されることである。
男性に愛させることである。
自分の身体を女性として認めてくれる、
即ち女性として自分のことをセックスの対象として見てくれる男性を
探し出すことである。

世の中では、
人妻の不倫などと、
とんでもないことだとか、
不謹慎も甚だしいとか、
最近の女性は、
などと色々なことを言う人々が多い。
しかし、
人間は建前や体裁だけでは生きていけないのである。
人は生身の人間なのである。
そして、
生まれながらに、
異性を求め、
セックスをし感じることをDNAとして埋め込まれているのである。
確かに、
その目的は、
人類の滅亡を防ぐための子孫繁栄ということかもしれないが、
実際にその子孫繁栄を継承していくために、
セックスという手段で
男性は女性を
女性は男性を求めるということが、
本能として生まれながらにインプットされているのである。
異性を求め愛し、
肌を合わせることは、
太古の時代から繰り返されている当たり前の行為なのである。
それを近代
人間の頭で
決まりごとを決め、
まるで罪悪のように抑え込んできたのである。
このことの方が、
不自然なことであり、
非常に不健康なことなのである。
問題は、
セックスということを罪悪ではなく、
健全な行為として受け止め、
正しいこととして行えるシステムと社会規範を確立することであるのでは、
と私は強く思う。
さもなければ、
健全なる子孫繁栄もありえず、
その結果
国の宝である健全なる青少年の育成もならず
結局のところ国は滅びてしまう。
少々、
拡大解釈的発想になってしまったが、
要は
中村うさぎが表現したかったことは、
見城女史が疑問として投げかけたような
偽善ではなく、
中年の女性達が抱かえる心の内の密かなる問題を
辛辣に表したものであり、
同世代の女性の本当の気持を代弁した
貴重な
話であり、
体験であり、
文章である。
この中村うさぎの「私という病」という本が、
そんな悩める女性達の思いを解きほぐし、
社会がこのような女性の心の中に潜む問題を解決するべき動きになるキッカケになれば、
素晴らしいことである。

確かに、
問題を履き違い
誤解し、
ご都合主義でセックスに溺れ、
家庭を崩壊させるケースなども生まれるかもしれない。
しかし、
どんなことでも、
そのような例外的なケースが登場するのも自然な流れである。
大人の女と男が判断してしたこと、
例え答えがどうであれ、
それはそれとして仕方のないことであり、
他人がとやかく言えることではない。

ただ、
如何なる理由があろうとも、
子供達を巻き込み苦しめることだけは、
絶対に慎むよう行うことが、
最低限の大人のモラルではないか。
どのようなことになっても、
結局苦しむのは子供達なのであるから。
だからと言って、
全てを放棄して、
我慢して、
ということも不健全なことである。
そのために、
人には「愛」という感情が与えられたのであるから。
私はそう信じる。

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