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2018年12月21日から28日まで、クリスマス休暇を利用してギリシャを訪問してきました。
12月28日、今回のギリシア旅行の最終日です。
起床してすぐにパルテノン神殿が見えるのは、素敵な一日の始まりです!
この朝は少しのんびりと過ごし、8:40にホテルを出て、シンタグマ広場まで歩きました。
国会議事堂前の「無名戦士の墓」の前で、9:00から行われる、衛兵の交代式を見に来ました。
この衛兵交代は毎正時に行われており、日曜日の10:50からは大規模な衛兵交代式が行われるそうです。
ギリシア独立戦争を初めとする幾多の戦争で亡くなった兵士を祭った「無名戦士の墓」。
そこを警護する衛兵の交代式です。
ギリシアの民族衣装で身を包んだ兵士の行進は、おとぎの国のようです。 衛兵交代式を見た後は、地下鉄でオモニア駅に移動し、そこから北上して「国立考古学博物館」に行きました。
ここでは、ギリシアで発見された古代からの出土品が展示されています。
ギリシアと言えば、人物像。(?)
まずはアルカイック期(紀元前9世紀〜前480年頃)の彫像が並びます。
この時代は、正立した人物像が多く作られています。
なお、紀元前480年は、ペルシアのクセルクセス1世の30万の兵に対し、スパルタ王レオニダスが300人を率いて奮戦した後玉砕したテルモピュライの戦いのあった年です。
ペルシア戦争後、アテナイを筆頭にギリシアの諸ポリスが経済発展し、芸術も大いに進化します。
この時期はクラシック期(紀元前480年〜前323年)と呼ばれています。
なお、紀元前323年は東方大遠征を成し遂げたアレクサンダー大王が亡くなった年で、彼の死後ヘレニズム期と呼ばれます。
写真の「ゼウス(またはポセイドン)像」は、紀元前460年頃の作ですが、写実的で躍動感にあふれています。
展示は変わって墓石のコーナーです。
右の写真はワインの壺をかたどった墓石。
いずれも、紀元前420年ー410年ごろの作。
左:紀元前400年頃のアフロディーテ像。
右:同じく紀元前400年ごろの女性像。
いずれも、服のひだまで細かく描写された、躍動感のある像です。
彫像は、この時代で完成していますね。
メイン展示室の横に、アテナ像を集めたエリアがありました。
やはり古代アテナイの祭まつわれた、ったアテナ女神は別格なのでしょう。
左;パルテノン神殿に建っていたアテナ像のコピー。(紀元3世紀前半の作)
右:別のコーナーにあった像で、アテナ像と思いましたが、アルテミスに捧げられた像だとの事。
これも紀元3世紀前半の作。 左:紀元5世紀の墓石。
右:紀元前300年ごろのオリジナルを、紀元前2世紀に模した女性像。
衣装のひだの描写が細かいです。
紀元前140年頃の「馬に乗る少年」の像。
躍動感溢れる像で、この博物館の目玉のひとつです。
でも少年、小さすぎない?
続いて、ミケーネ文明(紀元前16世紀―前11世紀頃)の展示です。
上の写真は、「アガメムノンのマスク」と思って写真を撮りましたが、違っていました。
こちらが「アガメムノンのマスク」。
でも、近世の研究では、これはアガメムノンの物ではなかっただろうとの事です。
牛の頭の形をしたリュトン。
頭頂部の花と角が金メッキとなっています。
美しい装飾の入ったダガー。
本当に、紀元前十数世紀のものなのでしょうか?
「The Countless Aspects of Beauty」という特別展示を行っていました。
「美についての無数の様式」みたいな意味かな?
左:アフロディーテの誕生(紀元前4世紀頃のものを模した製品。紀元2世紀頃)
右:若い女性の立像(紀元前175年ー150年頃の作品)
シビ○ではなく、昔の香油を入れた容器。
ミケーネ時代に書かれた製法で作ったそうです。
香り一つの美の様式と言うわけですね。
左:キクラデス文明の女性像(紀元前2800年―2300年)
中:デロスで発見された若者の像(紀元前100年ごろ)
右:マラトン沖の海で発見された若いアスリートの銅像(紀元前340年−330年)
美の様式の展示はここで終わり。
クレタで発見された出土品をイメージして作った洋服。
右は紀元前18世紀、左は紀元前15世紀の出土品からのイメージ。
テラの遺跡で発見されたフレスコ画(紀元前1700年頃)のイメージから作った船の模型。
この模型は、国立考古学博物館の設立150周年の記念に、ドイツのハイデルベルグ大学によって作られたそうです。
右はアンテロープ(レイヨウ)の壁画。
鮮やかな色が残っていると思いましたが、よく見ると、出土した部分は少しで、ほとんどが想像図ですね。
このフレスコ画の出土場所を控えてくるのを忘れてました。
アクロポリスで発見されたマイナス(ギリシア神話)の像。
マイナスはワインと泥酔の神であるディオニソスの女性信奉者で、酩酊と酩酊から来る狂乱のイメージです。
この像は、酩酊し寝ているのでしょうが、色っぽい。(笑)
古代ローマのハドリアヌス帝の時代(117年―138年)の作。
この像は、エーゲ海で発見されたそうです。
11:40に考古学博物館を退出しました。
9:40に博物館に着いたので、2時間の見学時間でした。
飛行場に行く時間が近づいていましたが、飛行機に乗る前にオモニア駅からピレウスに行って来ました。
12:25にピレウス駅に到着。
ピレウスはアテネの南西約10kmに位置し、古代からアテネの外港として栄えた町です。
古代には城壁で守られた街道でアテネと結ばれていました。
現代のピレウスは古代のイメージは全くなく、大型クルーズ船が停泊する近代的な港町でした。
このまま、船に乗ってどこかに行きたいです!!!
これが高層ビルの並ぶピレウスの町。
駆け足で、ピレウスの港と、その風景を見て、アテネに戻りました。
オモニア駅に戻り、荷物を取りにホテルに向かいますが、いつも歩くアティナス通りではなく、一本東のエオルー通りを回ってみました。と、コツィア広場で古代ギリシアの遺跡を発見!
古代アテナイの城壁跡のようです。
広場の東側の建物。市庁舎かと思いましたが、何かの博物館のようです。
近代的なビルの入口に、アテナイのみどりを至急結果をまとめます。
なお、市街の「アーレニアン門」の遺跡がありました。
エオルー通りにはガラスで覆われた遺跡が並んでいます。
中央市場を抜けて、ホテルに向かいました。
中央市場の東側は、肉屋が並んでいましたが、豚やら鶏がそのままの姿で吊るされており、ちょっとエグかったです。
中央市場の西側は、野菜や果物の屋台が並んでいます。
ホテルで預けていた荷物を受け取り、13:20にモナスティラキ駅から地下鉄で空港に向かいました。
長かったギリシア旅行もいよいよ終わりです。
予定を少し遅れ、17:00過ぎにテイクオフしました。
飛行場で見かけたアントロポフ輸送機です。
初めて見ましたが、やはりでかいです。
(もしかしたら会話はロシアで見たかな?)
ギリシア半島と、その先にネグロポンテ(エヴィア島)が見えています。
ネグロポンテは、かつてヴェネチア共和国が統治していた時代の呼び名。
15世紀のオスマン帝国との戦争時にオスマンに奪われました。
ギリシア北部には頂に雪の残る、高い山が連なっていました。
その先にはネグロポンテの島が続いていました。
ギリシア北部の山岳部。
意外と(失礼)、飲みやすかったです。
アドリア海東岸の風景。
もう少しでドブロブニク上空と思いカメラを構えていましたが、丁度手前で日没→暗くなり撮影は出来ませんでした。
飛行機は18時過ぎにミュンヘン空港に着き、この度も終わりました。
今回は古代ギリシア〜ローマの歴史を持つアテナイ、中世の軍事拠点であるロードス、コルフと、塩野七生ワールドを堪能した旅行でした。
冬で天気が心配でしたが、寒さはとも角、雨がほとんど降らずに良かったです。
これでギリシア旅行の紹介を終わります。
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その他の欧州旅行記
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2018年12月21日から28日まで、クリスマス休暇を利用してギリシャを訪問してきました。
12月27(木)、12:50にアジア美術館を出て、美術館の西側の門を抜けて、町の北側を歩きました。
美術館の西側にある門。
美術館の裏側です。
この二つの翼が、各々「聖マイケル(ミカエル)」と「聖ジョージ(ゲオルギウス)」だったのでしょうか?
旧市街の北西コーナーから見た「旧要塞」。
ヴェネチア共和国統治時代は、ここも主要な港でした。
海に向かって開いた、「聖ニコラス門(ポンタ・サン・ニコロ)」。
ヴェネチア共和国統治時代の1576年―1588年に作られたので、この門の上にも「有翼の獅子像」が掲げられています。 かつてこの門は、軍事病院の一部だったので、この港も軍港だったのでしょう。
そして、軍事病院のほとんどは、「聖マイケルと聖ジョージ宮殿」の建築時に破壊されたそうです。
なお、ここの看板によると、ヴェネチア共和国統治時代、市街の城壁には、ここを含めて4つの門があったそうです。
4つとは、「聖ニコラス門」、「旧要塞に向かう門」、「新要塞のロイヤル・ゲート」と、「オールド・ポートに面したスピリア門」かな?
海辺から見た「旧要塞」。
本土との間に横たわるヴィド島。
コルフの北側を守るため、19世紀初めのフランス帝国統治時代に、この島も要塞化されたようです。
コルフ北側の景色。
「オールド・ポート」の桟橋から見た「新要塞」。
そこにあった、かつてのコルフの城壁の絵。
現在の姿よりも遥かに強固な稜堡が築かれていたのですね。
「オールド・ポート」沿いを歩いていると、コルフでもシマノの名前が店の前に掲げられていました。
この店は釣具店ですが、まさに世界のシマノですね。
夏場はクルーズ船で賑わう「ニュー・ポート」ですが、シーズンオフの冬場は静かです。
先ほど見た看板の稜堡が見れないかと、「ニュー・ポート」の南にある丘の西側を歩いて見ましたが、城塞の片鱗もみえませんでした。
この丘を城塞化したのではないのかな?
上の写真は「カポディストリア墓地」のヴェネチア風の鐘楼。
自転車でも、シマノの看板を見つけました!
この店はシマノのサービスセンターだそうです。
そろそろ、コルフ市街に戻ります。
この道を歩くと、「サン・ロッコ広場」に出ます。
旧市街の「アニュンチア―タ教会」。
旧市街の「ヴラヒリオッティ広場」。
「ヴァシリオス・ケ・ステファノ教会」。
元々、このまま「スピアナダ広場」に戻るつもりでしたが、寄り忘れた所を思い出して、ここから北西に戻りました。
イタリアを思わせる「ニキフォロウ・テオドキ通り」を北西に歩いています。
途中、通りを外れて寄り道しました。
町中の地図に「レモニア広場」とありましたが、広場には、本当にレモンが植わっていました。
最後に来たかったのは、「聖スピリア門(手前)」と、「ヴェネチアン・バラック(奥)」。
地図に「ヴェネチア」の名前が載っていれば、やはり来るしかありませんよね。(笑)
「聖スピリア門」は、1576年―1588年にかけて作られた、「オールド・ポート」に向かう門。
残念ながら、ここには「有翼の獅子像」がありません。
「ヴェネチアン・バラック」は、旧市街の城壁沿いに建てられた兵舎です。
「スピアナダ広場」に戻る途中の道には、サンタの洋服が干されていました。
クリスマスも終わったので、洗濯したのでしょうか?(笑)
時刻は15:30になっていたので、遅い昼食を取りました。
今回入ったのは、レストラン「リストン(Listón)」。
今回も地元のビールを頼みました。
お水は無料で、レストラン名前入りのビンで出てきましたが、恐らく水道水でしょうね。
メインは「カサレッチェ・アルフレッド」。
カサレッチェにチキンとパルメザンのクリームソースのあえたもの。
見た目がおしゃれです。
ゆっくりと、一時間かけて食事をしましたが、まだ少し時間があるので、再び散策に出ました。
向かったのは、「新要塞」から続く稜堡の南翼。
ここには「レイモンド堡塁」が築かれています。
一番南側の稜堡部分。
なお、右側の建物は「コルフ・パレス・ホテル」です。
そして、ようやく見れた「考古学博物館」の建物。
道を歩いていると、あちこちに案内の看板があったのですが、途中で案内がなくなり、何処にあるのかよく判りませんでした。このため、何とか場所を見つけようと、変に意地になっていました。
すでに閉館していましたが、展示物に興味は無いので問題ありません。(笑)
夕暮れのコルフの通り。
夕暮れのレストラン街。
この時の時間は17:50でした。
そろそろ、空港に行く時間なので、ホテルで預けた荷物をとって、18:00にタクシーに乗って空港に行きました。
18:10(!)に空港に到着。
市内からコルフ空港は3km弱なので、歩いても行ける距離です。
帰りは19:40発のオリンピック航空で、残念ながら(笑)ジェット機でした。
20:40にアテネ空港に到着し、地下鉄でアテネ市内に向かいました。
アテネのホテルは前回と同じ「アテネ・センター・スクエア―・ホテル」。
22時前にチェックインしました。
部屋に入ると、なんと窓から「アクロポリス」が見えました。
ラッキーでしたが、今回は一泊しかしないのです。。。。
部屋から見えても、やはり屋上からの景色にはかないません。
せっかく、このホテルに泊まったのだから、屋上にカメラを持っていきました。
アテネ旅行の3日目に続きます。
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2018年12月21日から28日まで、クリスマス休暇を利用してギリシャを訪問してきました。
12月27(木)、この日はコルフの最終日で、飛行機の時間までコルフの町を散策しました。
8:40にホテルを出て、旧市街を散策しながら、まず「新要塞」に向かいました。
初日も見た、「聖スピリドン教会」です。
今回は中に入ってみました。
コルフにもヴェネチア共和国の富が流れていたと思いますが、中は意外と質素です。
「オールド・ポート」に面して建つ「スピリオティッサ教会」。
「オールド・ポート」の前にある「第10憲法の広場」と、「新要塞」。
東側から「新要塞」に上る道。
「新要塞」の入り口ですが、安全上の問題で、内部の公開はしていないと書かれていました。
3日連続ここに来ていますが、過去2日は、朝早すぎたり、夕方遅すぎるので門が閉まっていると思い込み、説明の文書を読んでいませんでした。
「3度目の正直」ならぬ、「3度目の真実」ですかね。(笑)
「ゲオルギオ・テオトキ通り」。
この通りは、この3日間で何度歩いたか判りません。
通りにあったおもちゃ屋さん。
店の名前が「ハイジとペーター」。日本のアニメがコルフにも進出しています。
でも、この絵は、きちんと使用許可を得ているのだろうか?
市営の劇場です。
先ほどの「ハイジとペーター」の店は、この劇場の裏にあります。
劇場の前の広場から見た、「「聖アタナシオス堡塁」。
「スピアナダ広場」の南の端に立つ、「カポディストリアス像」。 イオアニス・カポディストリアスは、1821年に始まったギリシア独立戦争の中で、1827年に独立勢力によりギリシア大統領に選ばれました。
彼はヴェネチア共和国支配下のコルフ島(ケルキラ島)の貴族の家の生まれです。
なお、カポディストリアスの姓は、イタリア語のカーポ・ディストリア→イストリアの先端の意味→現スロベニアの都市コペルに由来しているそうです。現在仕事でスロベニアやコペルに関係しているので、少し縁を感じました。
「スピアナダ広場」の南の端に建物に「ヴェネチアン・バラック・グリマーニ」の看板がありました。
グリマーニ家はヴェネチア共和国の有力貴族で、最初グリマーニ家の屋敷かと思いましたが、バラックとあるので、グリマーニ家の建てた兵舎なのでしょうね。
この建物に気づいたのは、入口に「有翼の獅子像(聖マルコ像)」があったから。
町中で、この像をこれほど見ることが出来て、ほんと、コルフっていいな。(笑)
「新要塞」の見学ができなかったので、「旧要塞」でリベンジです。(笑)
上の建物は、メインゲートを抜けた先にある、英国統治時代の1843年に建てられた兵舎。
コルフは要衝であったため、多くの兵舎(Barrack)が残っています。
なお、メインゲートへと向かう橋の手前に、入場券売り場(のように見える)があるのですが、入場券を買おうとしたら、そのまま行けと言われました。ネットを見ると要塞の見学は有料そうなのですが、冬場は無料なのかな???
英軍の兵舎を抜けた先。
要塞の中庭は一段高くなっており、両側にある階段を上ります。
前にも紹介しましたが、ここに3枚の「有翼の獅子像」が残されています。
中庭です。
正面の石垣の部分に、かつて、ヴェネチア共和国の弁務官邸が建っていましたが、1943年のドイツ軍の爆撃で破壊されました。
弁務官邸の横にあった井戸には、「有翼の獅子像」がありました。
(見つける度にブログで紹介して、ちょっと、しつこいですか。。。?)
中庭から山城部分に入る門(カンパーナ要塞)。
山城の頂上部分。
日本式に言えば、本丸ですね。
山城の頂上からは、コルフの町を見渡すことができます。
上の写真は南側。
前の日に行った「アキレイオン(奥の山の麓)」や「カノニ(手前の半島の先)」が、この方向にあります。
西側は、コルフ旧市街や「新要塞」が見えています。
また、「旧要塞」の西の稜堡構造がよく判ります。
「新要塞」の拡大写真。
複雑な構造をしています。
「旧要塞」の東側。
旧要塞の兵舎跡と、イオニア海やギリシア本土が見渡せます。
「旧要塞」の南側に建つ、「聖ジョージ(ゲオルギウス)教会」。
英国統治時代の1840年に建てられた、新古典様式の建物です。
要塞の南西側の城壁。
ヴェネチア共和国の統治下、ジョルジョ・パスクアリーゴによって1721年に建てられた「パスクアリーゴ兵舎」。
ヴェネチア共和国海軍を支えるガレー船の漕ぎ手であるダルマチア兵を収容していたとの事です。
この建物も、第二次世界大戦中のドイツ軍の爆撃で破壊されました。
奥に建つのは、1850年に建てられた「英国士官宿舎」です。
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要塞の北側には小さな港があります。
ヴェネチア共和国統治時代は、ここにガレー船が並んでいたことでしょう。
要塞の北側には港に抜ける門があります。
稜堡化される前の要塞は、ここがメインゲートだったようです。
(アキレイオンにあった絵によると。)
「旧要塞」の見学の後は、「アジア美術館」を見学しました。
この建物は、英国統治時代に、高等弁務官のサー・トーマス・メイトランド長官の命により、彼の住まう「聖マイケルと聖ジョージ宮殿」として1814年から建築が始まりました。
(英国統治時代なので英語表記しましたが、「聖ミカエルと聖ゲオルギウス宮殿」方が私にはしっくりきます。)
建物の建築(増築?)はイオニア諸島が英国からギリシア王国に引き渡される1864年まで続いたようです。
最初は中国の展示。
仏像も日本とは趣が違います。
漢字が違和感のないフォントで書かれており、センスを感じました。
日本コーナーです。
写真が見にくいですが、日の丸と「日本」の文字の組み合わせたデザインもセンスが良くないですか?恐らくアジアに造詣の深い方が、美術館を監修したのだと思います。
日本の甲冑は当然展示されています。(笑)
平家物語の那須与一のエピソードの衝立。
日本の女性の生活様式も紹介されていました。
「武家の女性は、夫を助けるために戦場で敵と対峙できるように、弓やなぎなたで武装し、恥を受けた場合に自害ができるように懐剣を持っていた。」とありました。前半は少し誇張し過ぎな気もしますが、良く調べていると思います。
江戸時代(19世紀)のかんざしとポーチ(左)と、懐紙用ポーチ(右)。
いずれも、芸者の持ち物と紹介されていたと思います。
江戸時代の肥前焼きの陶器。
柿右衛門様式の陶器は欧州の博物館には定番です。
明治時代のコオロギのケージと香炉。 コオロギのケージは特に細工が細かく、日本人として誇りが持てます。
茶室も展示されていました。
質素で詫び錆びを感じます。(茶道は全く判りませんが。)
この美術館で一番期待していた浮世絵は、どこかに貸し出されているのか、全く展示されていませんでした。
残念!!!
ガンダーラ文明の展示もありました。
トイレの手洗い場にあった装飾。
こういった何気無い装飾に、センスを感じました。
浮世絵意外は、あまり興味が無く入ったのですが、浮世絵が無くても、この美術館のセンスが楽しめました、
美術館を出た時、時刻は12:50になっていました。
もう少し、コルフ市内を散策します。
三日目 その2に続きます。
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2018年12月21日から28日まで、クリスマス休暇を利用してギリシャを訪問してきました。
12月26(水)、13:00に「アキレイオン」からコルフ市街に戻り、バス停から「スピアナダ広場」まで歩きました。
日中は暖かいので、「スピアナダ広場」のレストラン街は人でいっぱいです。
広場にある「アジア美術博物館」。
美術館の前に停まっていたクラシカルな車。
「旧要塞」。
「旧要塞」の西側にある、「マンドラキナス教会」。
「旧要塞」の前に建つ「マティアス・フォン・デア・シューレンブルグの像」。
ヴェネチア共和国に雇われたドイツ人の将軍で、1716年のトルコ軍のコルフ襲撃を撃退したそうです。
「旧要塞」の入り口。
この後、13:40に「スピアナダ広場」のバス停から、カノニ行の2番のバスに乗りました。
バスから見た、「モン・レポス宮殿」の入り口。
英国女王エリザベス2世の夫である、エディンバラ公フィリップは1921年に、この宮殿で生まれました。
彼はなんと、ギリシャ王子アンドレアスとアリキ妃の末子として生まれましたが、1年後にギリシアでクーデターが発生しフランスで亡命生活を行いました。
1928年に渡英し、第二次世界大戦中は海軍士官として活躍。
1947年2月イギリスに帰化し、7月にエイリザベスと結婚しました。
ローマ時代の浴場跡(?)
14:00にカノニに到着。
崖の上のカフェから見た景色です。
右がヴラへルナ修道院で、左に見えるのがポンティコニシ島。
崖を下って海辺に降りました。
ヴラへルナ修道院の内部。
礼拝堂は、こじんまりとしています。
修道院から見たカノニの崖。
カノニから対岸のぺラマまで堤防がつながっています。
地元の人は、ここで釣りを楽しんでしました。
私の目的はこれ。
コルフの飛行場の滑走路の先に出る事ができます。
ちょうど飛行機が着陸してきました。
堤防の中央まで行くと、飛行機が真上を通過していきます。
カフェに戻って来ました。
カノニの名前は大砲に由来するのでしょうか?
カフェ・カノニは1864年の創業。
古いなあ。
14:40発のバスに乗ってコルフに向かいましたが、途中下車し、コルフの湾の南側にあるアネモミロス地区に立ち寄りました。
上の写真はアネモミロス地区のランドマークの風車です。
(アネモミロスとは風車の意味のようです。)
この時、時刻は15:00になっていました。
海では地元の人たちが海水浴や日向ぼっこを楽しんでしました。
なお、右に見えるのは、コルフの「旧要塞」。
冬でも美しい、イオニア海の海。
先ほど水着だった人たちも、陸に上がるとダウンジャケットを着こんでいます。(笑)
この時、気温は8度ですから仕方ないですが、この気温で海水浴をする?
アネモミロス地区から見たコルフの旧市街。
アネモミロス地区からコルフの町まで景色を楽しみながら歩きました。
(途中からは昨日と同じルートですが。)
この日も「新要塞」の周りを散策し、「オールド・ポート」に到着。
この時、時刻は16:00になっていました。
昨日も来た、「新要塞」の東側の門。
前の写真の門の南東側にも別の門がありました。
現在、ギリシア海軍の基地として使われており、近づいて門を撮影しようとしたら、撮影禁止と言われました。
門の横の展示品は撮影して良いそうです。
旧市街を散策しながら、「スピアナダ広場」に戻って来ました。 16:30は過ぎていたので、少し早いですが、晩飯にしました。
この日に入ったのは、ピッツェリア「ゴンドラ」です。
この日はワインではなく、ローカル・ビールを飲みました。
メインに選んだのは海鮮のフライ。
このギリシア旅行中に一度、イカのフライを食べたかったのですが、魚もセットになっており、大満足です。
17:30にホテルに戻って来ました。
少し早いですが、この日はホテルで大人しくしていました。
ホテルに屋上がありそうだったので階段を上ってみましたが、ドアのカギがかかっていました。
写真は、窓越しに見た景色ですが、屋上からの景色は綺麗なのでしょう。
外に出れずに残念。
なお、部屋のトイレに、この看板がありました。
この看板、ギリシアに来た時からよく見ていたのですが、てっきり「便器にトイレット・ぺ−パー以外は捨てるな」との注意書きと思い込んでいましたが、よく見ると「トイレに紙を捨てるな」とあります。
ネットで調べると、ギリシアでは使ったトイレットペーパーは便器に捨てずに横のゴミ箱に捨てるそうです。
使ったペーパーをゴミ箱に捨てるのは違和感を覚えますが、これ以降は実践しました。
コルフ散策 三日目に続きます。
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2018年12月21日から28日まで、クリスマス休暇を利用してギリシャを訪問してきました。
12月26(水)、8時にホテルを出て、新市街側にあるバス停に向かいました。
旧市街の中央部分にある「アニュンチア―タ(受胎告知)教会」は、旧市街のランドマークになっています。
「ゲオルギオ・テオトキ通り」に出ました。
「新要塞」の堡塁に挟まれたこの部分には、かつて旧市街への門「ロイヤル・ゲート(ポルタ・レアレ)」がありました。
当初は、朝一番で、カノニ行く予定でした。
「サン・ロッコ広場(ゲオルギオ・テオトキ広場)」のバス停で時間を調べると、9:00にバスは出る事になっており、そのまま待っていましたが9:10になってもバスが来ません。
切符売り場の係員に聞くと、時刻表は始発地点の時刻で、この広場には、その20分前に来るとの事。
(そんな事、判るか!!!)
9:20に来た次のバスに乗ったところ、バスは「スピアナダ広場」に戻ってしまいました。
なんと、「サン・ロッコ広場」はカノニからコルフに戻る途中による停留所で、カノニ行きのバス2番の始発地は「スピアナダ広場」でした。(どうりで20分前・・・)
予定外に時間をロスしたため、このままカノニに行っても時間が中途半端になる気がしたので、行先を「アキレイオン」に変更しました。
「アキレイオン」行きのバスは10:15に出るため、「新要塞」に寄り道してバス停に向かいました。
なお、この日はバスの一日券(5ユーロ)を購入。
途中で会った、コルフのネコ。 「新要塞」の「サランダリス堡塁」の南側に作られた「聖アタナシオス堡塁」。
コルフのメインゲートである「ロイヤル・ゲート」はこの二つの堡塁の間に設けられていました。
「アキレイオン」に行くバス10番は、「サン・ロッコ広場」から更に南西に歩いたところにあります。
(事前にホテルの人に聞いていました。)
田舎道を走って、約20分で「アキレイオン」に到着。
バス停のすぐ横に「アキレイオン」の入り口はあります。
建物は1891年10月に完成しましたが、シシィは1893年には、すでに飽きて売却も考えたそうです。
従弟の我らがルーちゃん(バイエルン王ルードビッヒ2世)に匹敵する放蕩ぶりですね。
入り口に建つシシィ像。
彼女は、この身長172cm、ウエスト51cm、体重43〜47キロという驚異の体形を維持するために、お金と時間を費やしました。
入り口の「ホール」です。
左:ホールにあったアテナ像。
右:ホールの右側にある「礼拝堂」。
「礼拝堂「の奥にある「シシィの間」。
その奥にある「皇帝の間」。
ここで言う皇帝とは、オーストリア皇帝ではなく、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の事。
ホールの左側には、チケット売り場の部屋の奥に、「応接の間(?)」があります。
その奥の「居間(?)、もしくは執務室かな(?)」。
「居間(?)」にある高級な家具。
執務机。
その横には廊下があります。
隣(写真左)は、かつてキッチンだった部屋なので、主人の部屋と間を取っているのでしょうね。
かつての「キッチン」です。
今は、宮殿内の家具を集め「寝室」のように展示されています。
左:高級な家具。
右:高級な姿見。
装飾に飾られた階段を上って二階へ。
二階は、南翼の部屋のみが公開されています。
次の部屋。
外には大きなバルコニーが設けられています。
次の間。
横にある小部屋。
三階に上がる階段に掲げられた「凱旋するアキレウス」。
「イリアス」のクライマックス、トロイの王子ヘクトールをアキレウスが一騎打ちで倒し、その死骸を馬車で引きずり回している場面を描いています。
三階には「大きなホール」があります。
一般の宮殿では、ここでパーティーや舞踏会が行われたところでしょうが、社交性の無いシシィの性格だと、使い道が無かったのではないでしょうか。
ホールに中世のコルフの版画が掛けられていました。
稜堡式になる前の中世の城壁である事から、1500年前後の景色と思われます。
当時は、城内に入る門は北側(港側)にあったようです。
絵にはヴェネチア共和国海軍のガレー船が多数描かれています。
三階から中庭に出ます。
中庭は、古代ギリシアの女神像に囲まれています。
イオニア式の列柱。
古代の遺跡は塗装が落ち、大理石むき出しですが、往時はこのように彩色されていたのでしょうね。
中庭の端に設けられた、丸いベンチ。
この時期の彼女は、1889年の息子ルドルフ皇太子の自殺に非常に心を痛めており、この下の森の中に彼の慰霊碑を築きました。
このベンチに座って、息子を悼んでいたのでしょう。
中庭の横には一階に続く階段があります。
その途中にある展望台。
本来は中庭の見学の後に、ここから一階に降りるのでしょうが、私はまだ中庭見学を終えていないので、引き返しました。
丘の形状に合わせ、中庭には段差があります。
中央の中庭には「死にゆくアキレウス」の像が飾られています。
不死の体を持ったアキレウスはトロイア(トロイ)戦争で大活躍をしましたが、勝利の直前に唯一の弱点であった足の腱(アキレス腱)を射抜かれて命をおとしました。
なお、像が作られた時は、腱に刺さった矢がありましたが、今は失われています。
(パンフレットの写真にも残っているので、かなり最近の事のようです。)
更に中庭を進み、次の階段を下りました。
階段の前に建つ「アフロディーテ(だったかな?)」像。
この庭の中央に、巨大な「勝利を得たアキレウス」の像が建っています。
これはシシィが作らせたものではなく、後に、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世が作らせたもの。
ここからはコルフの町並みが良く見えます。
中庭からの階段にも多くの彫像が飾られています。
海から宮殿に上る階段に設けられた門(1889年製のオリジナル)。
今はコピーが置かれているそうです。
出口に向かう階段。
これで宮殿の見学は終了。
シーズンオフの宮殿は、観光客が少なかったです。(私も含めて、4〜5グループ。)
コルフからのバスの間隔が約2時間あったので、ゆっくりと見学出来ました。
土産物屋(チケット売り場)で買ったシシィ像。
13:00にコルフ市街に戻って来ました。 カノニとコルフ散策に続きます。
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