Levanteのミュンヘン滞在記

サイクリングや、ウォーキングなど、のんびり旅行を楽しんでます。ブログの更新が間に合っていませんが、3月9日に日本に帰国しました。

アメリカ旅行記

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アメリカ最後の日

1月10日にアパートを出てから、米国最後は、ホテル暮らし。
スーツケースがいっぱいで荷物の出し入れが難しいので、生活がやり難いです。

食べ残しの冷凍食も持ってきたけど、送別会が続き、結局かなりの部分を廃棄する事になりました。(もったいない。)
ホテルに移っても、結局ばたばたした日々となりました。

1月13日には、やり残していた(忘れていた)、郵便物の転送依頼を行いましたが、転送日を指定できるので、アパート退去前に手続きをすべきと思います。
その後、この日は事務所の片づけをしました。

1月14日も会社事務所の最後の片付けと、社内の挨拶回りを行い、最後まで多忙な中、オハイオでの生活は終了しました。
(全く私の計画不足のためですが・・・)

なお、アパートからホテルに移ってからは、なぜか毎朝4時に目が覚めるようになりました。
14日は、なんと朝の1時に起き、その後ほとんど眠れませんでした。
意識していないつもりですが、ドイツ行きで緊張しているのでしょうか?
おかげで、毎日昼間が眠たかったです。

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なお、この日1時に起きてやった事が、クウォーター(25セント)硬貨の写真撮影(笑)。
クウォーター効果の裏(表?)には通常、鷲の紋章が入っていますが、ある時期、各州を象徴する絵柄の硬貨が作られました。
(最近では有名観光地の絵柄も作られています。)
駐在中、各州の硬貨を集めてきたので(結局ミズーリ―州の物が入手できなかった)、最後に写真に撮って、硬貨は米国に残る同僚にプレゼントしました。
しかし、ホテルの部屋は、白熱電球の黄色い照明で、しかも暗い。
更に三脚も航空便で送ったので、撮影は手撮り(=手ぶれ)となり、非常に苦戦しました。
1時間ぐらい格闘した後に、最後に浴室で撮った写真が上のものです。
眠れないので仕方が無いとはいえ、疲れました・・・。
これも、もう少し早めに撮影していれば、これほど苦労しなかったのですが。

1月15日はシカゴに移動し、本社のメンバーにご挨拶。


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シカゴに向かう飛行機から撮ったオハイオの景色です。
畑しかないオハイオらしいショットが取れました(笑)。

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空港からシカゴの本社まではレンタカーで移動しました。
米国最後に運転したのはトヨタのカローラ。
それほどこだわる訳でもないですが、最後の車が日本車で何となく良かったです。

1月16日、いよいよ米国最後の日を迎えました。
ただ夕方発の飛行機まで時間があるので、最後のシカゴ観光に行きました。

行ったのは、これまで行きそびれていた、Route 66の起点。
Route 66はシカゴからLAまで走っていた旧国道です。
これまで、各地を観光に行き機会がある度に、少しずつ走っていましたが、何度も行ったシカゴにある起点は行った事が無く、これまで心残りでしたが、最後に行けてよかったです。

一方通行の関係で、Adams通りとJackson通りの両方が、かつてRoute 66に当たります。

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こちらはAdams通りの始点(シカゴ美術館前)にある「BEGIN」の看板です。
(通りの反対側の歩道にも同じ「BEGIN」の看板があります。)


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一本南側のE Jackson通り(Blvd)には、「END」の看板があります。
美術館の前ということもあり、Adams通りの「BEGIN」の看板では観光客が写真を撮っていましたが、こちらは誰もいなくて寂しかったです。


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ただ、Jackson通りは美術館の前を走るMichigan通りを抜けた後も、ミシガン湖まで続いているので(この区間はE Jackson Blvdでは無くなぜかE Jackson Driveになりますが)、Route 66の終点は、本当はLake Shore通りとぶつかる上の写真の部分になるのでしょう。

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冬景色(この日は凍結していませんでした)のミシガン湖を見学後、シカゴの観光中心のひとつ、ミレニアム公園に行きました。
ここも何度も来ましたが、せっかくなので。
この日も多くの観光客が来ていました。


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その横には、シカゴ市民の顔を映したモニュメントがあります。
これまで来た際は晴天のために、画面が非常に見にくかったですが、この日は雲のおかげか、はっきり見ることができました。


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Adams通りに戻り、シカゴ美術館にもご挨拶。
と言っても、ここも何度も来ましたが、入館した事はありません・・・


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その後、Jackson通りを西に約2Km歩き、Lui Michell`sというレストランに行きました。
私も前の晩にネットで知ったのですが、この店は1923年創業でRoute 66と共に営業してきた有名店との事。
看板によると全米でNo1の朝食&昼食を出すレストランに選ばれたそうで、Route 66とのつながりも深いのであれば、一人旅ではレストランに入る事の少ない私も入るしかありません(笑)。

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そして食べたのは、アメリカの代表料理ハンバーガー!
これがアメリカ最後の食事です。
有名店だけあって、昼食時の店内は混んでいました。


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Jackson通りを東に少し戻ると、ユニオン駅があります。
Amtrackの駅です。

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更にJackson通りを戻ると、シカゴのランドマークの一つの、Willis Towerがあります。ここは2013年までアメリカで一番高いビルだったそうで、展望台からはシカゴの町が見渡せるそうです。

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高い所が好きな○鹿と煙の類なので、登ろうと思いましたが、この混雑で断念しました。朝一番に来ればよかったです。


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Jackson通りは何か所かRoute 66の看板が建っていました。
以前、ウェッブでシカゴはRoute 66関連の観光には熱心でないような記事を読みましたが、最近は少し力を入れているのかな?


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そうしている間に飛行機の搭乗時間が近づいてきたので、CTAのブルーラインでオヘア空港に戻ってきました。

いよいよドイツに行ってきます。
と言っても、全くピンときておらず、なんかいつもの出張のような感覚です^_^;

次はドイツからの日記となります。
(ブログのタイトルも変更しないと)

アパート最後の日々

アメリカ生活もあとわずか。
アパート退去の時を迎えました。

1月9日(土) アパート退去三日前
この日は、会社の皆が送別会を開いてくれました。
会場は私の部屋!

家具もほとんどない広いリビングは、宴会にぴったりなので以前から忘年会などに利用してきましたが、これが最後の宴会です。
次からは皆さん、新しい宴会場所を探してください(^o^)


1月10日(日) 退去二日前

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軽い二日酔いの中、目覚めると、一面雪景色でした。
今年は温かい日々が続いていましたが、ようやくオハイオにも冬がやってきました。


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風も強かったようで、ちょっとした樹氷状態になっていました。

先週の木曜日に別のメンバーと行った送別会で、Golf Galaxyのギフト券を頂いたので、何かを購入するため出かけないといけないのですが、雪が降ると出るのがおっくうになります。
土曜日の内に買っておけばよかった。

結局、パターを購入しました。
皆さんの心遣いに感謝です。
結局ゴルフは、アメリカの3年間で、全く進歩が無いまま出国することになりました。

次の日は、アパートから荷物を運び出す日なので、午後からは最後の荷物の整理をしました。
引っ越しは日通さんに依頼するので、梱包はやってもらえるのですが、自分で運ぶ荷物、航空便の荷物、船便の荷物の仕分け位は、やっておく必要があります。
前の日に宴会を行うので、あまり散らかすことも出来ず、この日の午後だけでバタバタ行ったので、仕分け漏れの可能性120%。


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この日の夜は、残ったひき肉と、ごはんを使った、マーボーご飯。
意外と美味しかった。

食料のマネージメントも完全に失敗し、この1週間残りの食材を消費するために、頑張りましたが(毎日食べ過ぎ状態)、結局、食材を色々捨てないいけない羽目となりました。
昨年末から、メキシコ出張や日本への一時帰国が続き、米国にいなかった事が痛かった。
(いずれも事前に判っていたので、単なる計画不足です。)


1月11日(月) 退去1日前


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朝から日通さんが荷物の梱包作業中。
梱包はやってもらえるので、便利ですが、私はやることが無く暇です。
時々問い合わせがあるので、家を離れる訳にもいかず・・・
(暇なので、待っている時間に、ここまでのブログを書きました。)

なお、車はすでに売却済みで、現在はレンタカー。
スバル アウトバックの走行距離は37,000マイル(約6万キロ)以上でしたが、ディーラーにUS$21,000で売れました。
米国は中古市場が高めとはいえ、人気車で良かった。
(個人売買なら、US$23,000位になるようです。)


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レンタカーはKIAのSOULでした。
特徴のあるボックス型の車体ですが、あまり見かけない車です。
オハイオ最後の車がKIAのSOULとは、って言うか、本当にSoulって全く知らなかった。
自分で運ぶ荷物がスーツケース1個とキャリーケース1個、大型のバックパックにビジネス・バッグと大量なので、荷台の小さいSoulは不便そう。

荷物の運び出しに時間がかかり、午後7時半過ぎに終了。
家の掃除が必要ですが、1時間ほどしてやめました。

この日からホテル暮らしになります。


1月12日(火) アパート退去日

昨日は夕方遅くまで、荷物の運び出しが終わらず、アパートの最後の掃除が完了しなかったため、この日も朝7時から掃除を続行です。
先日の宴会もあり、特にコンロ回りの掃除に手間取りました。


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11時ごろには、ようやく部屋の片づけが終わりました。
何も無くなった部屋です。
3年間、生活した場所なので、ちょっと寂しい気もします。

アパート退去の手順を、これまで二度、管理人に確認したのですが、ただカギを返せばよいとの事でした。
本当かなと思いながら、管理棟に行きましたが、本当に鍵を返すだけで終了。
本人立ち合いの上での部屋の確認は必要ないのでしょうか?
非常にあっさり退去完了!

そのあと、スバルのディーラーに、車の売却代金のチェックを受け取りに行きました。
(本当は前日行く予定でしたが、時間が取れませんでした。)

行った際、担当がいなかったですが、営業が担当者の机の上にあるチェックを勝手に探して、渡してくれました。
高額のチェックなのに、受け取りのサインも何も無し。
これも、あっさりし過ぎでは???

そのチェックを持って銀行に行き、口座に入金。
これも、名前を言って、チェックの裏にサインするだけで速攻で終了。
流石に、住所やソーシャル・セキュリティ番号の下4桁等の本人確認は有りましたが、高額の金額の受け渡しとは思えないほど、あっさり完了。

最後に、TV・インターネットの契約をしている、タイム・ワーナー・ケーブルに行き、解約手続きを行いました。

これらの手続き全てで1時間かかりませんでした。

ガスと電気は事前にネットで、この日に解約するように手続き済み。
水道は、アパート側が解約してくれます。

アメリカは住民票登録が無いので、役所関係の手続きも不要なので、退去の手続きは、すべて完了です。
本当にこれでいいのか???

後は、会社関係の手続きを行い、ドイツに旅立つだけです。

アメリカ生活も、いよいよ、あと3日です。


・・・・
やはり、手荷物が入りません。
スーツケースに入りきれない荷物は、ホテルに捨てていくしかなさそうです。

プレーンズ・オブ・フェイム編の続きです。


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第475戦闘航空団とPー38のハンガー。
太平洋で日本軍相手に活躍した、第475戦闘航空団を記念した展示棟です。


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飛行機の展示は無く、装備品類が展示されており、日本への物も展示されていました。
ここには、38小銃と99小銃、寄せ書きなどが展示されています。


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日本兵に関する展示です。
パイロット服と、寄せ書き、写真などが展示されています。

次の展示棟は、ジェット機とエアー・レースのHangerです。


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壁際には、各国の飛行機の模型が並んでいました。
写真は、日本機の模型で、結構マイナーな飛行機も並んでいます。
飛行機好きが、この博物館を運営している事がわかります。


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ハンガー内にはジェット機がびっしり並んでいます。
写真を撮りにくいので、撮った写真は、二枚だけ。
(興味が薄い事もありますが。)
下の写真は、ソ連のMIG−21Rです。


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ここには、エアー・レースに参加した機体も展示されています。

ジェット機の棟の隣は、外国の飛行機のハンガーです。


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入ってすぐに、ドイツ機がぎっしり。
手前の機は、ハインケル He−110D、奥にはV−1ロケットが展示されています。


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その隣にはメッサーシュミット Me−163B コメートがいました。


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メッサーシュミット Bf109 E1/E7。
先ほど、この記し方が適していないかもと書きましたが、やはりこちらの方がしっくりきます。
それにしても、この機はボロボロです。
説明によると1942年の東部戦線で氷結した湖上に胴体着陸した後、機が湖中に沈んだそうです。


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ハインケル He−162−1a フォルクスイェーガー。


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ホーテン Ho−IV。
全翼機のグライダーです。


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ソ連のYak−18。

天井の飛行機は、ブリティッシュ&コロニアル F.2B。
同盟国なのに、なぜか英国の飛行機は複葉機のみでした。


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そして、日本の陸上攻撃機の「一式陸上攻撃機」。
この機は復元せずに、ジオラマ状態で展示されています。
山本五十六の殺害のシーンでも再現しているのでしょうか?


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大日本帝国海軍の局地戦闘機「雷電」です。
敵の迎撃に特化した戦闘機で、急加速/急上昇を行うための巨大なエンジンが搭載され、ずんぐりした機体が特徴です。雷電も、この博物館にある機が唯一の現存機です。

なお、手前の魚雷は酸素魚雷のレプリカで、映画トラ・トラ・トラで制作されたそうです。
看板には「World's best WWII Torpedo」と書かれていました。
敵国の物でも、良いものは良いと書けるアメリカの懐の深さを感じます。


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ドイツのフィーゼラー Fi−156C シュトルヒ。
指揮/連絡用の機体で、短距離での離着陸ができたそうです。


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ドイツのフォッカー Dr.1 ドライデッカー。


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日本海軍の艦上爆撃機「彗星」です。
この機は、世界中で現存する4機のうちの一つです。
なお、この博物館、狭い建屋にぎっしりと飛行機が入っているので、写真撮影には苦労します。


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ドイツのフォッケウルフ FW-190と、天井から吊られた機は、日本海軍の特攻兵器「桜花」です。
世界初の対艦ミサイルと言えますが、誘導装置が生身の人間だったため、悲惨ですね。
しかも、戦果も高くは無かったようですし。


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ドイツより供与されたMe163の設計図を基に開発されたジェット戦闘機「秋水」ですが、試作機の段階で終戦を迎えました。
この機も、終戦時に鹵獲された現存機としては唯一のものです。
(小牧市に復元機があるようですが。)


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ソ連のYak−3U。


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フランスのハンリオ HD−1。

この博物館、貴重な機体が多く、約1時間半の見学でしたが、お腹いっぱいになりまた。
午後から時間があったので寄ってみましたが、来て良かったです。

レシプロ機の音が好きなので、できれば、5月のエアー・ショーも見たいものです。

最後に、お土産屋によって、Tシャツと2014年のエアー・ショーのDVDを購入しました。


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Tシャツの表。


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Tシャツの裏。
零戦の機体と漢字の書体、日章旗の組み合わせのデザインが格好良いと思いませんか?

プレーンズ・オブ・フェイム編、終わり。


プレーンズ・オブ・フェイム博物館は、LAのダウンタウンから約40マイル東方のチノ市にある航空博物館です。
ダウンタウンからは、I10号線か州道60号線を東に走り、最後に州道71号線か83号線でChino空港を目指します。博物館の入り口は、空港入り口を通り過ぎ、少し奥にあるので注意。

ここは私設の博物館で、第二次世界大戦の飛行機のコレクションが多く、しかも飛ばせるように整備された飛行機が多いです。
毎年5月には航空ショーが行われており、レシプロ機の飛びかう航空ショーは、一部の人には有名なようです。


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展示棟が6棟(3棟は隣接して一つの棟に見えます)もあり、それなりの規模の博物館です。
上の写真の建物から入場します。
なお、左手の星条旗の後ろには、B17が屋外展示されています。

建物を入ると、すぐにお土産屋があり、そこで入場料$11(大人料金)を払うと、シールをくれます。
それを貼って、各展示棟を見学するのですが、監視員もいないので、正直シールが必要とは思えませんでした。
それほど、のんびりした雰囲気の博物館です。

お土産は帰りに見れば良いので、そのままお土産屋を抜け展示棟に入ります。
ここは、Maloney Hanger、Pond Hanger、USS Enterprize Hangerの3つの棟に分かれています。
(3棟の縦の長さが同じなので、一つの建物に見えますが。)


イメージ 4

Maloney Hangerに入ると、ドイツ軍の4号戦車が迎えてくれます。
なぜ、ドイツ軍の戦車なのかは不明ですが、個人的にはテンション増大!(笑)
本物を見てみたいなぁ。

このハンガーは広い建屋に、古い時代の飛行機が展示されています。
他の建屋と比べると、空きスペースも多く、エアーショーなどの時は、イベントエリアになりそうです。
この日も、ハロウィーン(?)のランチ・パーティが行われたようで、飾り付けされたテーブルが並んでいました。

ちなみにMaloney氏とは、この博物館の設立者とのことです。

なお、私は飛行機に関しては全く知識が不足しているので、以降の説明に不足や誤りがあるかもしれませんが、その際はご容赦願います。


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ボーイング P−26A ピーシューター。
世界初の全金属製の飛行機で、オハイオの空軍博物館にも展示されていました。


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ボーイング FB−5。
米海軍および海兵隊向けの、空母で運用をするために専用設計された、最初の飛行機との事です。


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この赤い飛行機は、機種が不明です。
後方右手の複葉機は、ボーイングP−12/F4B、左手の単葉機はSeversky 2PA−204a/AT−12です。

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ここには飛行機の原点であるライト・フライヤーのレプリカも展示されています。


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また、なぜかアポロ11号の帰還船のモックアップも置かれていました。


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また、この建屋のトイレの案内表示は爆弾でした(笑)。
モックアップと思いますが、ここだったら本物かも。

隣のPond Hangerには第二次世界大戦中の米軍の飛行機が展示されています。
なお、Pond氏は、この博物館への最大の出資者との事。


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ベル P−39N エアーコブラ。


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ダグラス A-1 スカイレイダー
第二次世界大戦にはギリ間に合わなかった機体です。


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リパブリック P-47G サンダーボルト


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ノースアメリカン P−51A ムスタング

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カーティス・ライト P−40N ウォーフォーク


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ノースアメリカン P−51D ムスタング

Pond Hangerと、エンプラ Hangerの間から一旦外に出ると、B−17が展示されています。

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維持費がかかるのか、ここでは個別に寄付の依頼や、関連グッズの販売を行っていました。
B17商店みたいな感じです。
(でも、特に勧誘はありませんでした。)

B17は、内部も見学できます。
(日本だったら、ここだけ特別料金にして資金を稼ぐかも?)


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機内、尾翼方面です。
この部分は、がらんどうで何もありません。


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主翼の手前には銃座があります。
横に設置された機銃だけで無く、床にも下部の機銃座があります。
この先は爆弾庫になります。


イメージ 18

爆弾庫です。
機の大きさに比べると、爆弾の搭載量が少ない気がしました。
この先が操縦室につながりますが、中には入れません。


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外から見た、下部機銃座です。
左の説明書の赤い部分が射撃する人ですが、よくこんな狭いところに米人が入るものです。

建物に戻ると、次はエンプラ(USS Enterprize) Hangerです。
ここは、名前の通り、米空母のエンタープライズ関連の展示棟です。


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新旧エンタープライズの模型。
ここのハンガーは、第二次世界大戦時のCV−6(手前の模型)に関する展示がされています。


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ここは、建物横の通路からの見学となり、フロアーに降りることはできません。
左手から入ってきますが、そこには、グラマン F9F−5P パンサー、ライアン FR−1 ファイアーボール、ダグラス A−4 スカイホークが、ぎっしり詰め込まれており、写真が撮りにくい。

手前のレシプロ機は ダグラス SBD−5 ドーントレス。


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ノースアメリカン T−6/SNJ テキサン。
映画「トラ・トラ・トラ」で零戦や九七式艦攻に改造された事で有名(?)。
特に零戦としては、その後も、「ファイナル・カウントダウン」や、「エイセス(私は見たこと無い)」でも活躍しています。
また、映画「遠すぎた橋」ではP−47としても出演したとの事。
(今回Wikiして知りました。)


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シコロスキー F4Uー1A コルセア


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グラマン TBM−3 アベンジャー


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右側がエンプラ Hangerで、左がPond、左端がMaloney Hangerです。


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ロッキード P−38J ライトニングが屋外に置いていました。


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エンプラ Hangerの向かいはFriedkin Hangerですが、そこはレストア−用のハンガーです。


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ゼロ戦52型が飛行可能な状態で整備されているはずでしたが、私が見学した際は、オーバーホールされており、完全にバラバラの状態でした。
完成機は、色々な所で展示されているので、ある意味、この姿の方が貴重ですね。


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ハンガー前と中に、ノースアメリカン F−86 セイバーが置かれていました。
The Horsemenアクロバット飛行体の機体で、整備中なのでしょう。


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ノースアメリカン B−25 ミッチェル。


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ノースアメリカン L−17A ナビオン。


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ノースアメリカン O−47


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ベル P−59A エアラコメット。
米国発のジェット戦闘機との事です。
アメリカも大戦中にジェット機を完成させていたことは、今回初めて知りました。


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ドイツの Me−109。
一般にはBfー109と知られる飛行機ですが、博物館の説明文にはMe−109と書かれていたため、改めてWikiで調べると、Me−109と書かれたり、Bf−109と書かれたりするそうです。
ただ、Bfというのは、メッサ−シュミットの前身であるバイエルン航空機製造社の省略となるので、日本で一般的な呼び方、メッサ−シュミット Bf−109と言うのはおかしい表現となるのでしょうね。
それにしても、メッサーシュミットもバイエルンの会社だったのですね。

バイエルン発動機製造 = BMW
バイエルン航空機製造 = BFW (メッサーシュミット)

有名企業の2社が、バイエルンの企業とは、バイエルン好きの私としては嬉しいです。


イメージ 33

ノースロップ N9MB。
第二次世界大戦中に、全翼機の長距離爆撃機、XB−35/YB−35の開発が行われる際、全翼機の特性を確認するために、1/3スケールの試作機として作られた機体です。


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ここでは、エンジン始動機も整備中でした。


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博物館北側の建物。
左手はレストア用の建物で、その裏には屋外展示がされています。
右手の建物は、手前から海外の飛行機の展示棟、ジェット機の展示棟と続き、一番奥にP−38 ライトニングと475飛行隊を記念した建物があります。


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レストア用の建物にはバラバラになったF−86セイバーがありました。
ただこの建物、今ネットで調べると、一般人立ち入り禁止の建物でした。
確かに、見学者が入れるような雰囲気が無かったです・・・


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レストア用建物の外には日本軍機の翼が置かれていました。
一式陸攻の翼かな???


イメージ 42

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屋外展示場には多数の飛行機がありますが、状態が悪い機が多く、展示というより放置に近い気がします。

屋外展示場には、陸上兵器も展示されています。


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M4A1 シャーマン。
大戦中のアメリカ軍の主力戦車です。


イメージ 45

M3A3 スチュアート。


イメージ 46

M114装甲偵察車(右)と、ジープ(左)。


イメージ 47

M3ハーフトラック。
修理中なのか、ボンネット・カバーが外されていました。


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フェンスの向こうには、更にゴミ宝の山が広場に置かれていました。


イメージ 49

更にジェット機が屋外展示されています。


その2に続きます。
艦内最後の見学コースは、兵員用の食堂です。


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戦艦だけあって、食堂も広い。
ここはキッチン&給食場所です。

イメージ 2

パンも自家製。
焼きたてパンが食べられます。


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食堂の横には、海兵隊の武器庫がありました。
多くの兵員が通る食堂の横にあるのは、少し不用心な気がします。
まあ、テロでも起きない限り、問題は無いでしょうが。
(沈黙の戦艦を見たくなった)


イメージ 16

その横には、電気機器の修理室がありました。


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そして食堂です。
食堂の横には、お土産屋があり、実質的には、ここが見学コースの最後です。


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これは給水装置では無く、ミルク供給機です。
米兵には、牛乳も必須なのでしょうね。
真ん中の蛇口は、チョコレート・ミルクとあります。
なんと贅沢な。


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更に驚くのは、アイスクリームの供給機もありました。
と言っても、実は最初の士官用の食堂でボランティアの女性に聞いていたのですが、本当にありました(笑)。
若い兵には人気だったそうです。

この後、お土産屋で、Tシャツと、ピンバッジを買いました。


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お土産屋の後は、解説のパネルや展示品が並んでいました。
そこには、我らが戦艦「大和」の模型がありました!
アイオワのライバルNo1の存在ですが、それにしても美しい艦です!


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アイオワ級の模型もあったのですが、なぜか同型艦のミズーリの模型でした。


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ハープーンの模型(たぶん)も、さりげなく展示されていました。


イメージ 9

そして、主砲のライフリングです。
甲板上の主砲は栓がされているので、内部は見れません。
ライフリングが見れるのは、ここだけです。


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退艦は後部から。
後部甲板を回って下船口へ行きます。
第三砲塔から見た左舷の様子です。


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そして、後部甲板から見た、LA港の入り口です。
正面の橋は、Vincent Thomas橋。


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手すりにかかっていた、アイオワの名前の書かれた浮き輪。


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そして後部甲板から見た右舷側です。
左舷側と異なるのは、内火艇の配備と、それを上げ下ろしするためのクレーン装置です。


イメージ 13

降りる前にあったトイレ。
チラッと見ると、アメリカらしくない、狭いトイレだったので写真を撮りました。
戦艦といえども、無駄なスペースは省くのですね。


イメージ 14

下船後、船尾の写真も撮りました。
前述ですが、就役時には、ここに飛行機のカタパルトや収容用のクレーンがありましたが、今は係留用の設備と広い甲板のみです。
(並んだクレーンはLA港のもので、アイオワの設備ではありません。)

開場と同時に入ったため、見学客も少なく、ゆっくりと見学ができました。
(2時間、見学していました。)

第二次世界大戦での航空機の台頭で、その存在意義をほぼ失った戦艦を見ることができるのは、今はアメリカだけなので(三笠を除く)、貴重な体験でした。
(近年では宇宙人相手の戦争で活躍したようですが;笑)
特に主砲の圧倒感はすごいですね。
できれば、エンジン室とかも見たかったな。

アイオワ編、終わり。

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