Levanteのミュンヘン滞在記

サイクリングや、ウォーキングなど、のんびり旅行を楽しんでます。ブログの更新が間に合っていませんが、3月9日に日本に帰国しました。

日本旅行記

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2018年11月7日、仕事絡みで日本に一時帰国した際に、休みを取って、北九州市の黒崎を散策しました。
黒崎の町は、地元である事から、これまでも何度も歩きましたが、今回は江戸時代の黒崎宿の跡を歩いてみました。


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長崎街道は、江戸時代に整備された脇街道の一つで、豊前国小倉の常盤橋を始点として、肥前国長崎に至る路線です。
鎖国をした日本で唯一外国に門戸を開いていた長崎と江戸を結ぶ重要な街道で、57里(約230km)の道程で、途中に25の宿場が置かれました。


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長崎市馬町のシーボルト通りの入り口です。
長崎街道の終わり(始まり)の地点は明確になっていませんが、この辺りと考えられているようです。
今回の一時帰国中に、息子に会いに長崎に行った際、ここで最初に紹介した長崎街道の看板を見つけた事が黒崎散策のきっかけになりました。


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黒崎宿から木屋瀬に向かう街道です。
今でも黒崎の曲里には、当時の松並木が残っています。


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黒崎の西にある乱橋。
橋の架かる撥川は、昔は干潟となっており、人は、この辺りから現在のふれあい通りにある西構口辺りまで、丸太や板で作った約120mの橋を渡ったそうです。牛馬は潮がひいた際に渡ったそうです。


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ふれあい通りにある、西構口跡。
黒崎宿の西の出入り口で、石垣と白壁で高さ約2m、長さ20mの壁を作ったそうです。


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黒崎宿にある岡田宮は、神武天皇が東征した際に一年滞在したと古事記に記されている、由緒ある神社です。
慶長10年(1605年)に、黒田家による黒崎城築城の際に、現在地に移築されたそうです。
以来黒崎熊手の総鎮守として、福岡藩主はもとより、長崎街道参勤の九州の諸大名からも崇敬されたそうです。


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岡田宮の拝殿です。


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拝殿と本宮。


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拝殿の左側には、湊天満宮、須賀神社、伊勢大神宮、蛭子神社の祠が並んでいました。


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岡田宮の見学を終え、再び長崎街道に戻ります。
写真は熊手通りアーケードの入り口。


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いつもは、夜、酔っぱらって歩いているこの道も(笑)、昼に歩くと新鮮に見えます。
この辺りは黒崎宿の下市でした。


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アーケード街にあった、興玉神。
永禄八年(1565年)に、伊勢の猿田彦大神総本社から分霊しここに祀ったそうです。


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熊手通りに交わるように街道横丁があり、その上には黒田二十四騎の絵が描かれていました。
この横丁も、この看板も、これまで全く気付きませんでした。


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かつてここには中川が流れており、橋が架かっていました。
今はダミーの欄干のみがあります。


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中川を渡ると、黒崎宿の上市になります。
左の看板のある辺りに、かつては代官所がありました。


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粉たりは、昔の宿場を思わせる町並みです。


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黒崎宿の真ん中に伽藍を構えている、正覚寺。
寺が建てられたのは寛永九年(1632年)とのことです。


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街道が北西に折れる所に、かつては人馬継所や、関番所、制札場などの宿場の機関が置かれていました。


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更にそこには黒崎宿・藤田の鎮守神、春日神社があります。
中世には当時の領主・麻生氏の崇敬が篤く、近世には黒田氏により崇敬されました。
後に藩祖の黒田如水、および初代藩主の黒田長政を祀り、黒田宮とも呼ばれました。


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春日神社の拝殿です。


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拝殿内部には、黒田長政の兜や、黒田二十四騎の絵が飾られていました。


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拝殿と本殿。


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春日神社の横にある東光寺。
薬師如来を祀っている小さなお寺です。


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街道が北西に折れ、現在の国道3号線を渡った所には、かつて旅籠「櫻屋」がありました。
薩摩藩の定宿になり、「薩摩屋」と称していた事もあったそうです。
幕末には薩摩、長州、土佐の勤王の志士が多く投宿したそうです。
この旅籠で、日本の未来について、熱く語っていたのでしょうか。


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現在のJR鹿児島本線の線路を渡ると、道は再び東に向かいます。
海蔵庵ある所に、かつて黒崎宿の東構口がありました。
天和元年(1615年)に、一国一城令により黒崎城を排した後、城の南の濠を埋めて街道、および構口を作りました。


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かつての黒崎宿の街道です。


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黒崎湊の常夜灯。
かつては、黒崎城の西側に黒崎湊があり、その入り口に、嘉永二年(1849年)に航海の安全を祈願して、この常夜灯が建てられました。


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街道から見た黒崎城のあった城山。


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黒崎宿の散策後は、黒崎城跡を訪問しました。
車道は九十九折りで山を登りますが、歩行者は途中まで階段を上がれます。


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城跡にあった黒崎城の古地図。(左が北側)

慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦後に筑前国に入封した黒田長政は、六端城の一つとして黒崎城を築き、家臣井上之房を二万石で城主としました。 この城は豊前国の細川氏への備えとして築かれましたが、元和元年(1615年)に、幕府の一国一城令によって廃城となりました。


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駐車場から入った部分には当時の石垣の一部が残っています。
しかし、石垣のほとんどは、元文3年(1738年)頃に、新田開墾の為の護岸整備に転用され、当時の遺構はほとんど残っていません。


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石垣の一部。


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石垣の一部。


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現在、駐車場がある辺りに二の丸があったと思われます。


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駐車場の先は、三の丸でしょうか?!


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本丸部分は、広い公園となっています。


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黒崎城の南西部は、黒崎を見渡せる展望台となっています。
先ほど歩いた黒崎宿と、春日神社や岡田宮の森も見えています。


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本丸から、若松から戸畑にかけての東側の景色も見えました。
現在は若戸大橋が見えますが、かつては六端城の一つ、若松城が見えた事でしょう。


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城山の散策を終え下山中、車道から山を囲むように平地が延びていました。
黒崎城の曲輪かと思って入り込みましたが、良く判りませんでした。


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黒崎城のあった城山の全景。
江戸時代は、写真の左端に黒崎湊がありました。


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最後に、昔撮影した、北九州市の小倉にある常盤橋を紹介して終わります。



日本一時帰国

公私で要件が重なり、7月、10月、11月と立て続けに日本に一時帰国しました。
日本に帰るのは家族と会えるのでうれしいのですが、流石にこれだけ続くと疲れますね。

以下は2018年10月13日〜20日に一時帰国した際の写真です。
この時は東京での仕事が多く、福岡の家族の元には長く滞在できませんでした。


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10月19日に停まった竹芝のホテルからの景色です。
目の前に東京タワーが見えました。


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竹芝桟橋からの夜景です。


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同じく竹芝桟橋から見た、お台場とレインボーブリッジの風景。
ここからの夜景は、都会を感じる事ができ、好きな風景です。


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帰りの飛行機ではブロッケン現象が見えました。


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ロシアの台地。
何か所も煙が上がっていますが、火山?蒸気?


以上


2016年、散歩始め

日本に一時帰国中、食べてばかりで運動不足。
運動不足解消のために、元旦から少し散歩をしました。


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まずは、行橋の長井浜から登る初日です。
予報は晴れでしたが、東の空は雲に覆われており、日の出が見れるか危惧されましたが、調度雲が無い部分から日が昇りました。


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雲のおかげで、旭日旗のような風景が撮れました。
今回Kissを持ってきましたが、やはり一眼レフは綺麗に撮れます。


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西の空には雲が全く無く、月が綺麗でした。

午後から、家族と初詣に出ました。


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行ったのは今井神社。
正式には今井津須佐神社と大粗大神社の二つの神社が併設された神社です。


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拝殿は共同で、左が今津須佐神社、右が大粗大神社ですが、本殿は別になった、珍しい造りの神社です。

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しかし、私がこの神社で一番好きな部分はこの高石垣。
しかも石垣の上には渡櫓(櫓ではないのですが)が作られ、立派な城郭構造となっています。


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主参拝道は左手の階段で、攻城のためには(笑)、渡り櫓からの矢玉を浴びないといけません。
(神社なので狭間は無いですが。)


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最後は急な階段を上り、渡櫓門(門は無いけど)を抜く必要があり、非常に攻めにくい構造となっています。
その分、参拝者には不評です(笑)。

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二の鳥居からも急な階段となっています。


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ここが本丸です。
城ではないので、渡櫓ではなく、単なる渡り廊下。


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参道の最後も櫓に守られています。
本来はこの後に渡櫓門があるのでしょうが、やはり城とは少し構造が違います。


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拝殿横の部隊では、天岩戸が演じられていました。
岩戸が開き、麗しい天照大御神が出てくるかと期待しましたが(笑)、岩戸が開いて終わりでした。


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最後は、餅まきで終わりますが、餅、お菓子は兎も角、最後はキャベツや大根等のお供え物もまかれていました。当たった人は痛そうです。


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初詣の後は家族と別れて、散歩をしました。
今井神社の前には立派な家が多いです。
この屋敷は由緒がありそうです。


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向かいには赤レンガ造りの倉庫が並んでいます。


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秡川まで出た後は、河口に向かいます。
河口が近づくと、漁船が増えてきます。
この辺りは沓尾という地域ですが、漁師の集落なのですね。

沓尾には、守田家旧宅があります。
でも、守田家って何???
看板を読むと、大内氏の重臣杉氏の家臣で、江戸時代の初めに、沓尾に居を構えた後、代々庄屋や大庄屋を務めた家系との事。
その当時の建物を復元したそうです。


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建物はいたって普通の屋敷でした。
正月休みで閉館中でしたが、フェンスに隙間があるので、勝手に庭内に入ってみました。


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画面中央に置かれた巨石は、徳川家が大阪城を再建した際に、細川家が提供した石垣の残りとの事。
それより、後ろの石垣は何だろう?
内部には空間があり、左側には石垣の切り欠きがある。
倉庫としては立派すぎるし、まるで天守台のようでした。
まさか、観光の目玉として建てるの?


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龍日賣神社です。
と言っても、歩いてて、たまたま見つけたので由来も何も知りません(笑)


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でも、本殿もあり立派な神社でした。


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その後は、海岸線をあるきました。
ただ、この道は工事中で立ち入り禁止でしたが、やはりフェンスに隙間があるので、そのまま歩きました。
ここは2012年の100kmウォークで歩いて依頼なので、懐かしいです。
上の写真は英彦山神社の塩取り場です。


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この道は海沿いの立派な道なのですが、通行止めのままで、もったいない。


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この立派な長寿大橋を通り、人口港湾に向かうのですが・・・


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橋の手前は未舗装のままです。
橋は平成15年3月に竣工しており、13年間、ほぼ放置状態(工事は続いているのでしょうが)。


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そのまま抜けると、県道25号に続いており、解放して共用すれば良いのにと思います。


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長井浜に到着。
浜で写真を撮っていると、娘が犬の散歩を終えて帰って来たので、一緒に帰りました。

今回はKissとEF-S 24mmの習熟を兼ねての散歩でした。
実は撒き餌レンズと言われる、EF50 F1.8も以前購入したのですが、APS-Cカメラには望遠よりで風景撮影には使いにくかったです。
やはり、24mmはKissとはベストマッチですね。
ただ、旅行では18mmぐらいの広角も必要なので、レンズ選びが続きそうです。



今、年末年始で日本に一時帰国中で、家族や旧友との楽しい時間を過ごしています。
今回は休暇での帰国ですが、11月末〜12月初めにも、その時は仕事で、一時帰国していました。
その時は、九州だけでなく、東京でも仕事があり、1日休暇を取って、江戸城を散歩しました。
この日12月4日(金)は、前日まで続いた雨も上がり、晴天となりました。


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東京駅から歩くと、和田倉門跡を抜け、巽櫓に出ます。
上の写真は、巽櫓から大手門方面の写真です。


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巽櫓から桔梗門方面です。
奥には富士見櫓も見えています。


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桔梗門です。正式な名前は内桜田門と言うようで、横の看板には「内桜田門(桔梗門)」と書かれていました。
三の丸への西の入り口です。


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右手は二の丸。奥は坂下門。


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坂下門です。
西の丸の南側の入り口です。
ここだけ他の江戸城の門と異なり、枡形門となっていないので、不思議でしたが、皇居になった際に利便性を高めるため高麗門を除いたそうです。更にこの渡櫓門も90度向きを変えたとの事。


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次の日から始まる皇居の一般参賀に備えて、警察が順路の整備をしていました。
一般参賀では、多くの人が来るようで、ここも何重もの通路が出来ていました。


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二重橋。
ここも右手の橋のそばには、近寄れなくなっていました。


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一旦、巽櫓に戻ってきました。
ここから、東周りに歩きます。


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大手門です。
他の門同様に、立派な枡形門となっています。
この日は一般公開がされておらず、中には入れませんでした。
明日からの一般参賀のためかと思いましたが、単に金曜日は定休日との事。


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大手門を正面(高麗門側)から見たところ。


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大手濠にある震災銀杏が綺麗に色づいていました。
この銀杏は、かつて一橋に生えていましたが、1923年の関東大震災で一面焼け野原になる中、奇跡的に生き残ったとの事。
その後の復興のための区画整理で切り倒される計画だったのを、この地に移設したそうです。


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三の丸東側の景色です。


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三の丸東側の入り口、平川門です。
木の橋で結ばれていますが、橋の正面ではなく、90度曲がった方向に高麗門が設置されています。


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平川門側から見た、三の丸東側の石垣です。
屈曲した石垣が続き恰好良い石垣なのですが、カメラの絞りを間違え、暗くつぶれてしまいました。

更に進むと竹橋(今は普通の車道となっています)を通って北の丸に入ります。


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本丸北側の入り口、北桔橋門です。
北の丸で守られているせいか、ここは石垣づくりの通路で北の丸と結ばれています。


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北桔橋門を正面から見た所。
ここも、かつては枡形門だったそうですが、渡櫓門が撤去され、高麗門のみの入り口となっています。
入り口で警官がしっかり守っており、近くに寄れませんでした。


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西の丸北側の入り口となる乾門です。
西の丸は皇居となっているので、この門も警備が厳しいです。

私はここから、北の丸を抜けて移動しました。


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北の丸公園は、紅葉が見どころを迎えていました。


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ここには、紅葉を撮影するため、多くのカメラマンが来ていました。
少し見にくいですが、上の写真ではカラスが水浴中でした。


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北の丸は、西側が日本庭園を中心とした公園、東側には色々な設備が設置されています。
その中で、一番有名なのは、武道館でしょう。


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北の丸を北に抜けると、田安門があります。
ここは、普通に通れるので、枡形門の構造が、ゆっくり見れました。
上の写真は、北の丸から見た、田安門の渡櫓門。


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枡形内から見た、高麗門。


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枡形内から見た、渡櫓門。


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高麗門外側。


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高麗門東側の堀。
この部分は一部土塁が残っています。


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田安門の外には、高燈籠があります。
戊辰戦争の戦没者供養で建てられた燈籠だそうです。


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歩道橋を超えると、靖国神社に入ります。


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この日は、銀杏並木が綺麗でした。
前日まで雨だったので、晴れてくれて良かったです。


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第二鳥居と神門です。


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神門には、菊のご紋がありました。


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拝殿です。
混雑防止のため、正面通路で写真を撮ることはダメなようで、警備員に注意を受けました。


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拝殿と、左手には本殿の屋根も見えます。
特別な参拝料を払えば、本殿の参拝もできるようです。


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拝殿左手の、本殿に抜ける門です。
脇の門ですが、ここも立派な造りです。


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拝殿向かいにある能楽堂です。


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折角なので、遊就館も見学しました。
入り口にはゼロ戦52型が展示されています。


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沖縄で戦った、独立重砲兵第100大隊所属の八九式十五糎加農砲です。
砲全体の被弾後が激戦を物語っています。

奥にあるのは、太平洋戦争中にタイで活躍したC56機関車です。


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同じく沖縄戦を戦った、野戦重砲兵第1連隊所属の九六式十五糎榴弾砲。

遊就館内部は、日本の武人にまつわる展示がされています。
古代から江戸末までの歴史物(刀剣や甲冑、錦旗等)の展示を一通り見た後、明治以降は日清、日露から第一次、第二次世界大戦までの歴史が、かなり詳しく紹介されています。

見て回った感想。
まず、ここの目的は日本の軍事・軍人の歴史・遺物を一般の人に展示する事にあると思います。
それには、海外の人に日本の軍事史を紹介する事も含まれると思うので、もう少し英語の説明があっても良いかと思いました。
要所要所には英語の説明があるのですが、個々の展示品にも一行でよいので英語の説明があったら良いと思います。
次に、遊就館だけでなく、日本の博物館一般の話しとなりますが、館内の撮影禁止。
館内を撮影禁止にする理由は何なのでしょうか?
確かにカメラのフラッシュは、展示品の劣化を進めるため、海外でもフラッシュ禁止ですが、撮影そのものは認めています。特に、九七式中戦車チハや彗星などを展示した大展示場は、写真撮影を認めない理由が全く判りませんでした。欧米では博物館は公共性をかなり意識して運営されているのですが、日本の博物館では、何となく、けち臭さを感じてしまいます。
写真撮影が許可されていれば、独立して1ページ書くぐらいの貴重な展示がされているので残念です。


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昼食は、遊就館のレストランで海軍カレーを食べました。
甘みのある、懐かしい味のカレーでした。


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靖国神社から江戸城散策に戻ります。
北の丸の東北側の入り口である、清水門です。


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高麗門から見る、渡櫓門です。


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枡形内から見た渡櫓門。


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枡形内から見た高麗門。


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城内から見た渡櫓門。


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渡櫓門を入ると180度回って場内へ登っていきます。


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高麗門の外には、堀切(?)と言うか、堀に降りる所(?)があります。


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清水門から見た北側の景色。
中央の屋根は武道館。


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そして南側の堀(清水濠)です。

今回の江戸城巡りはここまで。
この後、秋葉原に出て、買い物をしました。


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大崎のホテルの窓から見たイルミネーション。
12月に入りクリスマスモードですね。


米国での愛車を紹介したついでに、日本でお世話になった愛車も紹介します。

日本ではトヨタのWISHに乗っていました。
17インチアルミに、スモーク仕様のテールランプ(車検対応ですよ)の仕様でしたが、今後妻専用機になるため、ホイールとテールランプを標準に戻して日本を旅立ちました。

変更前画像:

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変更後画像:

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新車時に交換してそのまま保管していたテールランプが傷だらけの車体に対してピカピカで、妙に浮いていますね(最後の写真)。

保管していた標準のホイール、空気圧が全く不足状態だったので、とりあえず走れるように、自転車の空気入れで空気をいれました。(もちろんすぐにスタンドに行って適正空気圧にしましたが。)
200回x4輪=800回のポンピングは、ホイール交換作業以上に、疲れた・・・

こんな事をやっているから、日本での最後の1週間は忙しくなってしまった(^ ^;。



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