Levanteのミュンヘン滞在記

サイクリングや、ウォーキングなど、のんびり旅行を楽しんでます。ブログの更新が間に合っていませんが、3月9日に日本に帰国しました。

ドイツ旅行記

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2019年3月3日(日)、ドイツ最後の週末です。
元々泊りがけの旅行を計画しましたが、諸事情で中止にしたので、慌てて週末の予定を再計画。
今回の駐在で最初に行ったレーゲンスブルグで、最後の旅行を閉めることにしました。


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大聖堂のファサード。
この教会は、1275年に着工し、尖塔以外の建物が完成したのは1634年。
尖塔の完成は1869年との事で、完成まで実に約600年!
よく続いたものです。


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教会の内部。


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誰かな???

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教会の前にある建物は、かのナポレオン皇帝が1809年4月24日―25日に司令部を置いたそうです。
時は、第五次対仏大同盟に対して、4月のエックミュールの戦いでオーストリア軍を破った直後で、意気揚々とこの町に入った事でしょう。


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大聖堂のすぐ東側にはかつての城壁の門(と思われる)があります。


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大聖堂の東側にはニーダーミュンスター教会(Dompfarrkirche Niedermünster)があります。
739年には、この教会に司教座が置かれたそうです。


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教会内部です。
天井の装飾は大聖堂より美しいです。


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ドナウ川に架かる石橋(Steinerne Brücke)は、1135年から1146年に架けられた橋。
第二次十字軍と第三次十字軍の騎士たちも、聖地エルサレムに向けた行軍の際に、この橋を渡ったそうです。
世界遺産レーゲンスブルグの見どころですが、三年前は改装中で、帰国前に美しい姿を見れて良かった。


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橋の門の下流側(ツーリスト・インフォメーションの裏側)に、世界最古と言われる歴史的なソーセージ屋があります。


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今回もここで食べました。
今回新しい駐在員たち3人と一緒にきましたが、最初に私が、ゼンメル(パン)入りのソーセージを注文し、残りの人には、ソーセージのセットを注文しました。
しかし、ソーセージのセットは店内のレストランのメニューで、更にゼンメル入りのソーセージはレストランには持ち込めないとの事。
このため、私はみなと別れて店の外で一人寂しく(笑)食べました。


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石橋の上ですが、上部の石は明らかに新しいものです。
最古の部分って、基礎部分だけなのでしょう。


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石橋の見学後、ガイドブックに載っていた、町の北側の、聖エメラム(St. Emmeram':s)教会に来ました。


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教会の外側は中世の趣きの建物ですが、内部はロココ!
内外のギャップが大きな教会です。


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旧市街の中心に戻って、イタリアンレストランで昼食を取りました。
私は海鮮スパを頼みましたが美味しかったです。

これでレーゲンスブルグの見学は終了。


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レーゲンスブルグを出た後、ヴァルハラ神殿を訪問。
バイエルン王ルードビッヒ1世が、1842年にパルテノン神殿を模した新古典主義の宮殿、ヴァルハラ神殿を作りました。ヴァルハラとは、戦死者の魂が集まるとされる北欧神話の神オーディンの宮殿ですが、レーゲンスブルクのヴァルハラ神殿に祀られているのはドイツの偉人です。


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在りし日のパルテノン神殿を想像させる威風堂々とした建物です。


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今回、一緒に来たメンバー。
私は2回目なのでのんびり景色を眺めていました。


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ヴァルハラ神殿の後は、レーゲンスブルグから西に30kmの所にある、解放記念堂に行きました。
解放記念堂は、ドイツがナポレオンの支配から解放されたことを記念して1842年から1863年にかけて建設された建物です。

前回来た時は、ここも改装中でカバーされていましたが、この日は太陽を浴びた美しい姿を見ることができました。


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建物の周りにはドイツの各地方を象徴した女性像が立っています。
中央はバイエルン地方の像です。
でも、ナポレオン戦争中、バイエルンはナポレオン側についていたのですがね。


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内部は美しいモザイクで覆われています。


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上から見たところ。
床のモザイクと、それを囲む女神の像が美しい。


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大きな建物で反対側が遠い。


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屋上からドナウ川とケルハイムの街並みを見渡せます。


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反対側は自然あふれるドナウの景色です。

これで、本駐在での最後の旅行は終了です。
まだ、行きたいところは残っていますが、仕方ありませんね。

帰国まで、いよいよあと1週間です。

終わり。

2018年10月6日にバンベルグを訪問しました。

大聖堂や司教宮殿が建つベルクシュタット(山の町)から、市民の町であるインゼルシュタット(島の町)に向かいました。
インゼルシュタットは、その名の通り、レグニッツ川が二股に分かれた島の中にあります。

なお、二股に分かれたレグニッツ川は、西側の流れを左レグニッツ支流(Linker Regnitzarm)、東側の流れを右レグニッツ支流(Rechter Regnitzarm)と呼ばれています。
(以下、左レグニッツ川、右レグニッツ川と呼びます。)


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ベルクシュタットからインゼルシュタットに渡る、ウンターレ橋(Untere Brücke)から見た、左レグニッツ川沿いの美しい景色。
19世紀以降、漁師たちの住居並ぶ一画で、「小ヴェネチア」と呼ばれています。
赤い屋根の家が立ち並び、川幅も広く、それでもヴェネチア?って気はしますが、美しい景色であることは間違いありません。


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「小ヴェネチア」には、ヴェネチアのゴンドラもいました。
各地の観光地で動いていますが、需要はあるのでしょうか?


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ウンターレ橋に建つ、クニグンデ皇后(Kaiserin Kunigund)の像。

ここで、クニグンデ皇后に関して調べてみました。
彼女は、アルデンヌ家のルクセンブルク伯家から、999年にハインリヒに嫁いできました。その際に、贈り物としてバンベルクを与えられたそうです。
彼女は、政治にも積極的に関与し、夫の良き助言者だったそうす。
さらに彼女は皇帝軍を指揮し、1012年にポーランド軍を打ち破ったそうで軍事面でも才能があったようです。
1014年に夫がローマ皇帝ハインリッヒ2世となり、彼女もローマ皇后となりました。
彼女は1040年に亡くなりましたが、1200年に教皇インノケンティウス3世によって聖女に認定されました。
バンベルグの守護聖人なのでしょうね。


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ウンターレ橋から一旦ベルクシュタットに戻り、左レグニッツ川に架かるもう一本の橋、オーベレ橋(Obere Brücke)を渡ります。この橋は1455年に建設されました。

この橋の中ほどの人工島の上に、旧市庁舎 (Altes Rathaus) が建っています。
現在の形態の建物は、1461年から1467年の間にゴシック様式で建てられました。
その後、1744年から1756年にかけてバロック様式とロココ様式で改装されました。

門の上のテラス上部にあるのは、聖ゲオルグの紋章です。英語名のジョージは大地で働く人を表し、ここから先が、市民の居住区である事を表しています。


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司教区側の壁面には、司教フィリップ・アントン・フォン・フランケンシュタインの死去の場面が描かれています。

なお、上の写真はウンターレ橋からオーベレ橋側を見た景色です。


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市庁舎の反対側のテラス上部の楯は、司教コンラート・フォン・シュターディオンのもので、ここから先が司教区である事を表しています。
また、壁のフレスコ画は、新司教のバンベルク入りの場面が描かれています。


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オーベレ橋からみたウンターレ橋。
橋には人の顔が描かれていました。


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オーベレ橋を渡り、インゼルシュタットに入りました。
道の両側に商店が並び、ベルクシュタットとは雰囲気が変わります。


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バンベルグの幹線であるランゲ通り(写真)を渡って、グリューナー・マルクト(Grüner Markt)に入ります。


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グリューナー・マルクトにある、ガーベルモーの噴水(Gabelmoo)。
中央に建つのはネプチューンの像。


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グリューナー・マルクトにある、聖マルティン教会(St Martinskirche)。
下教区教会(Untere Pfarre)とも呼ばれています。

なお、グリューナー・マルクトの通りには、野菜の屋台が並んでいました。
野菜の屋台ばかりで、過当競争にならないのでしょうか?


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聖マルティン教会の内部。


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その豪華な祭壇。


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教会の中央のドーム部分は、だまし絵になっていました。


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祭壇には野菜が供物として捧げられていました。
収穫祭の時期ですね。


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マクシミリアン広場(Maximiliansplatz)と、今の市庁舎(Rathaus)。
この広場には1880年に作られたマクシミリアンの噴水があります。
この噴水にはバイエルン王マクシミリアン1世、皇帝ハインリヒ2世夫妻、皇帝コンラート3世、バンベルク司教の聖オットーらの彫像が附属しているそうですが、写真を撮り損ねました。


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13:30を回ったので、昼食を取ろうとレストランを探して、オプストマルクト(Obstmarkt)まで戻って来ました。
今回は連れがいるので、きちんと昼食を取りました。(笑)
その広場にあった、レストラン・ツァイス(Restaurant Café Zeis)に入りました。
特に下調べも無く入ったレストランでしたが、とても美味しく大正解でした。


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私の選んだ「グーラッシュ」は、塩気の押さえた味で、パスタ(スペッツェルでは無い)に合いました。
一応ドイツ料理ですが、イタリア料理のようでした。


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連れの選んだ「カレー・ブルスト」。
普通の真っすぐなソーセージですが、変な形です。
ですが、皮はパリっと焼け、中は柔らかく、これも美味でした。


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更に二人でつまむために頼んだ「ニュルンベルガー・ブルスト」も肉が柔らかく、香味が効いて美味しかったです。


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昼食後、再びグリューナー・マルクトに戻り、右レグニッツ川に向かいました。
マクシミリアン広場を過ぎると、通りの名前は、ハウプトヴァッハ通り(Hauptwachstraße)となり、上の写真は、そこにあったハウプトヴァッヘ(Hauptwache)の建物。
1772年から1774年に、軍の衛兵駐屯所として建てられました。


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右レグニッツ川です。
当日は、これがドナウ川と勘違いしていましたが、正しくは、この川がマイン-ドナウ運河となっています。

この川を渡った先が、ゲルトナーシュタット(庭園の町)となりますが、今回は橋で引き返しました。


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同じく、右レグニッツ川の景色。
この数週間の急激な冷え込みが、木々を黄葉/紅葉させ、美しかったです。


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町の見学を終え、左レグニッツ川に戻って来ました。
写真は駐車場のある中州に向かうガイヤースヴェルトシュテク(Geyerswörthsteg)と、旧市庁舎。


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ツーリストインフォメーションから見たガイヤースヴェルト城(Schloss Geyerswörth)。


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ガイヤースヴェルト城は、14世紀にこの地に移って来て、この屋敷を建てたゲイラー家にちなんで命名されました。1580年に司教が敷地と屋敷をゲイラー家から買い取りました。
かつては、この館の南側に庭園があったそうですが、ツーリストインフォメーションの前の庭が、当時の庭の名残なのでしょうか?


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ガイヤースヴェルト城の赤い建物。


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城の横の小さい運河には、ヴェネチア共和国のサンマルコの旗を掲げた船着き場がありました。
先ほど見た、ゴンドラの発着所なのでしょう。


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運河沿いの風景。
「小ヴェネチア」かどうかは兎も角、バンベルグは、レグニッツ川に架かる多くの橋が、中世の趣を残す町並みと共に、美しい風景を作っていました。
特に大きな期待も無く行った町でしたが、世界遺産の名に恥じない、素敵な町でした。

15:30にバンベルグの見学を終え、ミュンヘンに戻りました。

終わり
2018年10月6日にバンベルグを訪問しました。

この町は、10世紀初頭はフランケン・バーベンベルク家が領有していましたが、903年にコンラート家に所領を奪われた後、911年にコンラート1世がドイツ王となった事により王領となりました。
ドイツ王であり初代神聖ローマ皇帝となるオットー2世が、973年に従弟のバイエルン公ハインリヒ2世にこの町を贈与した後、1007年にハインリヒ2世の息子である皇帝ハインリヒ2世によって、ここに新たな司教区が創設されました。
その後、1802年にバイエルン選帝侯領となるまで、司教区として栄えました。

バンベルグは第二次世界大戦の被害を避ける事ができ、中世の景観が残された歴史的な価値が認められ、1993年に世界文化遺産に登録されました。

バンベルグはミュンヘンから北に230km、ニュルンベルグからは北に60kmの所にあり、8時にミュンヘンを出発して、10:30に到着しました。
なお、この日は、日本から遊びに来た友人が一緒でした。


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レグニッツ川に出来た中州にある、Altstadtのパーキングに車を停め観光に出ました。
このパーキングはツーリスト・インフォメーションの地下にあり、観光のスタート地点として最適です。

写真は西レグニッツ川と、中央に町の象徴である旧市庁舎が見えています。(この時は気付きませんでしたが)


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橋の南側の景色。
この町は、二本に別れたレグニッツ川に挟まれた部分が、市民の街であるインゼルシュタット(島の町)、その西側が宗教施設が占めるベルクシュタット(山の町)、そしてその東側がてゲルトナーシュタット(庭園の町)に分かれています。
水辺と橋の多い町です。


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レグニッツ川を渡りベルクシュタットに入った所にあった、上教区教会(Obere Pfarre)。
1300年に建設が始まり、1535年に完成したバロック様式の教会です。
上教区教会は、グリューナー・マルクト(Grüner Markt)にある、下教区教会(Untere Pfarre)、別名:聖マーティン(St. Martin)と対になる教会です。


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  左:屋根の形が特徴の鐘楼と、教会のファサード
  右:教会内部。大聖堂に向かう途中でたまたま立ち寄っただけで、全く期待していませんでしたが、
    予想以上に豪華な内装でした。


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入り口の上にあるパイプオルガンも豪華。


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ベルクシュタットの中心となるドーム広場(Domplatz)。
この広場の周囲には、大聖堂(Dom)(左側)、旧宮殿(Alte Hofhaltung)(右側)、そして新宮殿(Neue Residenz)(右端に写った建物)が建っています。
ドームはミサのために中に入れず、まずは宮殿から見学しました。


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旧宮殿は、1591年にバンベルク伯の旧邸宅の敷地に建てられたもので、新宮殿が建つまで司教(Prince-Bishop)の居館になっていました。


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旧宮殿の中庭。


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建物は、美しい花に飾られていました。
最初の橋もそうですが、10月と言うのに、この町は花で溢れていました。


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同じく、旧宮殿の中庭。


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影の劇場(Theater der Schatten)。


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旧宮殿の入り口と、歴史博物館になっている建物(右端)。


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ドーム広場の北東にある幸運の泉(Fortunata Brunnen)。


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旧宮殿が手狭になったため、ヨハン・フィリップ(Johann Philipp)司教によって新宮殿は建てられました。
1602年から1803年まで、司教居館として使われました。
1802年からバンベルグはバイエルン選帝侯領に組み込まれ、1803年から、ここは王宮として使われました。


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新宮殿の中庭は、薔薇園 (Rosengarten)となっており、美しいバラを見る事ができます。
 

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「Nina Weibull」と言う名の深紅のバラ。


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薔薇園からは、バンベルグの美しい町並みが見渡せます。


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北西に見えるミヒャエルスベルグ修道院(Kloster Michelsberg)は、12世紀のロマネスク様式の教会を再現したもの。


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薔薇園西側の建物は1757年に建てられたものを、20世紀初めに再建したものです。


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新宮殿は大きく二つの建築様式に別れています。
奥にある二棟は、1604年から1612年にヨハン・フィリップ司教によって建てられたルネッサンス様式の建物(上の地図で言うゲープサッテル建築部分)。
手前の二棟は1697年から1703年の間に、ローター・フランツ・フォン・シェーンボーン司教によって建てられたバロック様式の建物です。

なお、このローター・フランツなる人物は司教(聖職)であると共にバイエルン選帝侯(世俗)も兼ねていたそうです。腐ってやがる!(笑)


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シェーンボーン棟にある入り口から入った階段。
天井のエンジとカーキの彩色がちょっとポップです。
白一色の方が美しいかも・・・


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内部の見学はドイツ語のガイドツアーだけでした。
ツアーの時間まで、中央の棟にある絵画の展示を鑑賞しました。

11:50にツアーが開始。
最初は一番奥の棟にある、「選帝侯の住居」の見学からです。


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上の写真は「第二控えの間」。
この前に「第一控えの間」がありましたが、写真を撮り忘れました。

なお、ガイドツアーは私と連れの日本人2名と、ドイツ人家族が1組のみ。
ドイツ語ツアーなので、ドイツ人家族の専属ガイド状態でしたが、要所要所でガイドが英語で説明してくれました。また日本語の解説のカードを持っているので、概略は判りました。


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「王女の間」。
元々、神聖ローマ皇帝の部屋でしたが、王女エリザベート・クリスティーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク・ヴォルフェンビュッテル(名前が長い!)が滞在した事から、「王女の間」と呼ばれるようになりました。
なお、彼女は後の皇帝カール6世婦人で、マリア・テレジアの母となる女性です。)


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「謁見の間」。


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「居間」。

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「寝室」。
一般に住み心地と暖房効率を考え、居間や寝室は小さく造られますが、この宮殿の居間も寝室も大きな部屋となっています。


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寝室にあった、1720年頃に作られたトイレ用のいす。


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続いてシェーンボルン建築部分の「皇帝の居室」の見学です。

まずは「皇帝の間」。
この宮殿の中で一番大きな部屋で、ローター・フランツの居室としてだけではなく、皇帝が訪れた時の客間としても使われました。


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内部の装飾も、皇帝と神聖ローマ帝国を称えたものとなっています。


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「第一控えの間」。
バイエルン王国最後の王太子ルプレヒトが朝食を取った部屋です。


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ユニコーンと共に描かれた天井画は、賓客の気持ちを落ち着かせる効果を期待したそうです(本当?)。


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「第二控えの間」
この部屋は皇帝の祝祭時に使用されたそうです。


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天井画はオリンポスに侵攻しようとした巨人族を撃退したユピテル=皇帝レオポルトと同一視した神を表しています。

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でも、私の関心はカナレットのヴェネチアの絵!
ヴェネチア共和国時代の絵画に囲まれ、至福のひと時でした。(笑)


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「謁見の間(王女の迎賓サロン)」にもヴェネチアの絵が掲げられていました。


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天井画は、皇帝ヨーゼフ1世の王位選定式を描いているそうです。
ウィーンでヨーゼフ1世の人となりに中てられていますが、それでも私にとってはヴェネツィア共和国の方が重要です。(笑)


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「居間(王女の小サロン)」。


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「寝室(王女の書斎)」。
室内の壁張りは再利用したもので、切り貼りした跡が残っています。


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「王女の洗面室」。
ここには、バイエルンの王位継承者であるルイトポルト(ループレヒト王太子の長男)(1901年に隣の寝室で誕生)の豪華な揺りかごが置かれています。

12:40に見学は終了しました。


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新宮殿の見学を終え、ミサの終わった大聖堂を見学しました。
この大聖堂は、4つの尖塔を持つ後期ロマネスク様式の建造です。

神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世の命により1004年に建築が始まり、1012年に献堂されました。
1081年の火災による損壊等を経て、13世紀に今の後期ロマネスク様式の大聖堂が完成しました。


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大聖堂の後陣です。


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大聖堂の祭壇方向の景色。


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この教会の建立者である、皇帝ハインリヒ2世と、その妻クニグンデ皇后の墓。


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他のバンベルクの騎馬像があります。
この像は、おそらくコンラート3世の時期の1200年頃のもの。


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手振れで見難いですが、地下にあったヘルメットのような容器。
王家の臓器を治めたものでしょうか?


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天井から下がった燭台=シャンデリア。


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大聖堂の横にある多くの彫像に囲まれた出入り口。

バンベルグ 〜その2 に続きます。
2018年9月9日(日)にベルヒテスガーデンとケールシュタインハウス(イーグルス・ネスト)に行って来ました。

バンド・オブ・ブラザースは、米国のケーブルテレビHBOが2001年に制作した、米軍の第101空挺師団、第506空挺連隊、第2大隊、E中隊(イージー・カンパニー)の訓練から終戦までを全10話で描くドラマです。
映画「プライベートライアン」のコンビ、スティーヴン・スピルバーグとトム・ハンクスの製作総指揮により、映画並みの1億2000万ドルの制作費をかけて作られました。

今年の4月から、バンド・オブ・ブラザーズゆかりの地を回って来ましたが、今回は最終回、「戦いの後(Points)」に出た地を訪問。

ナチス政権時代、ベルヒテスガーデン近郊のオーバーザルツベルグ(Obersalzberg)一帯をナチス党が購入し、ヒットラーを始めとするナチス高官の別荘が築かれました。
特にヒットラーの別荘はベルクホーフと改名され、改築・増築され、第二次世界大戦中には、東プロイセン(現ポーランド)のヴォルフスシャンツェに次ぐ総統本営として使われました。

このオーバーザルツベルグ(作中ではベルヒテスガーデンと一括されていましたが)が、第101空挺師団の大戦中の最後の攻略地となりました。

ナチスの復権を恐れて、当時の建物のほとんどが戦後に破壊されましたが、1939年に建てられ1940年にヒトラーの50歳の誕生日を記念して贈られた、ケールシュタインハウス(Kehlsteinhaus)は現存しています。
ここを占領したアメリカ軍が、イーグルズ・ネストと名付け、今は観光地となっています。


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ケールシュタインハウスは、標高1858mのケールシュタイン山頂の近くに建てられており、そこまでは細い山道しかないため、オーバーザルツベルグからバス(もしくは徒歩)で上る必要があります。

この日は9時半に到着しましたが、第1、2駐車場が満車(多分)で、バス停から約1km離れた第3駐車場に車を停めました。

第3駐車場は上の写真の奥にあります。また、正面の橋は駐車場からバスが上るための橋です。


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オーバーザルツベルグからケールシュタインハウスに行くための、バス停です。


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バスのチケット売り場は長蛇の列。
この時、10:10でしたが、10時20分発のバスに乗れるか焦りました。
(ちなみに、次のバスは30分後の出発です。)


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なんとか、10:20発のバスに乗れました。

途中の景色と楽しむにはバスの右側の列が良いと思いましたが、すでに満席で、左側にしか座れませんでした。しかし、山頂間際で道が180度曲がって、左側に座った私も、素晴らしい景色を見る事が出来ました。
中央にベルヒテスガーデン、左端にケーニヒス湖が見えます。


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約20分で、バスは上の駐車場に到着。
ここから、エレベータでケールシュタインハウスに上ります。

なお、往復チケットを購入した人は、バスを降りたらすぐに、帰りのバスの便を予約する必要があります。
私は13:20のバスを予約しました。
ちなみに、歩いて降りると下の駐車場まで約20分との事。


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この入り口から地下道を歩いて、エレベータに向かいます。


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エレベータ乗り場のホールです。
エレベータは黄金色の派手な作りですが、内部は撮影禁止でした。


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エレベータはケールシュタインハウス(写真中央)に直接上がって来ますが、まずはケールシュタインの山頂に上りました。


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これがケールシュタイン山頂(標高1858m)です。


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山頂を過ぎても道は続いています。


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先は断崖になっていました。
正面に見える山はホーハー・ゲール(Hoher Göll)(標高2522m)です。


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ケールシュタインハウスのアップです。
目の前には素晴らしいパノラマが広がっています。


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ケールシュタインハウスの看板。
ここの標高は1834mです。


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現在、建物内部はレストランとなっており、当時の様子はうかがえません。


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横の小部屋(Scharitzkehlzimmer)は、当時の様子を残しています。


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Scharitzkehlzimmerから、ドイツ・アルプスを見渡せるサン・テラスに入りました。

このテラスには、ケールシュタインハウスの歴史が紹介されていました。
面白いことに、米第101空挺師団とフランス第2機甲師団、さらには米第3歩兵師団までが、未だにケールシュタインハウスに一番乗りしたのは自分たちと言い続けているそうです。
(バンド・オブ・ブラザーズでも、E中隊が、仏第2機甲師団に後れを取るなと、ハッパをかけられていました。)


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12:00に見学は終了。
帰りのバスまで時間があるので、ここで昼食を取りました。
私にしては珍しいですが、せっかくの景色をもう少し堪能する事にしました。

車の運転があるので、ビールはアルコールフリー。


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そしてメインは、バイエルン料理のシュバイネ・ブラーテン。

食事の後は、エレベータ&バスで下に降り、オーバーザルツベルグを出ました。

後で知りましたが、ナチスゆかりの建物はほとんどが破壊されましたが、防空壕などが一部残っているようなので、少し寄り道すれば良かったです。


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オーバーザルツベルグを出て向かったのは、ケーニヒス湖(Der Königssee)。
14時に到着しました。
ここはバイエルンでも有名な観光地となっており、駐車場から湖までカフェやお土産屋が軒を連ねていました。


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湖の船着き場。
アルプスをイメージさせる木造りの家。


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ケーニヒス湖は「王の湖」との意味ですが、王家とは直接関係ありません。
でも、広場にはルイトポルト摂政(在職:1886年 - 1912年)の碑が建っていました。


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これがケーニヒス湖です。
ドイツで一番澄んだ水の湖と言われており(宣伝文句)、その環境を守るために遊覧船は電気モータで動きます。

ちなみに、バンド・オブ・ブラザーズでウィンターズが泳いでいたのは、ここではなく、オーストリアにある「ツェル・アム・ゼー」です。


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今回は遊覧船に乗る時間も無いので、湖の周りを散策しました。
正面が、先ほどの船着き場です。
なお、中央の山の上にケールシュタインハウスが建っています。


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湖は中央の隘路の奥に、約6kmも延びています。


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湖の横にあった、アイスリンク。


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湖が流れ出す川に架かった橋。

14:40にケーニヒス湖を出発しました。


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せっかくなので、ベルヒテスガーデンにも立ち寄りました。
写真はマルクト広場(Marktplatz)にある泉。


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同じくマルクト広場の景色です。


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マルクト広場の東にある、シュロス広場(Schlossplatz)。


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ベルヒテスガーデン城(Schloss Berchtesgaden)と、聖ペーターとヨハネ教会。
中央の入り口から、城に入る事が出来ます。


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入り口を入ると中庭に出ます。
この中庭から城内に入るのですが、残念ながら開館時間を過ぎていました。


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聖ペーターとヨハネ教会の内部。


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ベルヒテスガーデン市庁舎(Rathaus)の建物。


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市庁舎の横にある、ヴィッテルスバッハの泉(Wittelsbacher Brunnen)。
この町は、中世を通じて岩塩鉱により富んでいたので、他の地域に組み込まれず独立した扱いでした。
一方で、ザルツブルクやフランスなど、その支配者が移り変わった後に、1810年にバイエルンの統治下となりました。
この泉は1810年の統治から100周年を記念して、1910年に作られました。


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市庁舎の向かいにある聖アンドレアス教会。


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聖アンドレアス教会の内部。


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ノンタール(Nonntal)通りに、1360年に建てられた、宰相の屋敷(Kanzlerhaus)。


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マルクト広場に戻って来ました。
マルクト広場から見た、聖ペーターとヨハネス教会の尖塔。


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マクシミリアン通りの奥にある、フランチスカーナー修道院(Franziskanerkloster)

バンド・オブ・ブラザーズに出てきた、木組みの立派な建物が、ここにあるのでは?と思って散策しましたが無かったです。

16:00にベルヒテスガーデンを出発。

18時前には家に着けると思っていましたが、アウトバーンA8号が大渋滞。
ナビの勧めで、キームゼー手前で高速を降り、キームゼー沿いを走りましたが、湖の周りも湖水浴(?)の車で渋滞しており、結局家に着いたのは20時前になりました。

終わり

2018年7月15日にカルテンベルグの騎士祭りに行って来ました。

前回の会場内の紹介に続き、いよいよメインイベントの騎士トーナメントの紹介です。


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15:30から前座のイベントがありました。
最初は、傘を使ったパフォーマンスですが、雨のために客の集まりが悪く、ちょっとかわいそうでした。


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続いて、旗振り隊のパフォーマンス。


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賢者のリードで騎士のトーナメントが始まります。


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カルテンベルグの偉いさん(?)の挨拶。
---------------------------------------------------- 2018/0812追記 --------
カルテンベルグ城の所有者で、最後のバイエルン王であるルードビッヒ3世の子孫である
バイエルン王子ルイトポルド氏でした。
どうりで、観客の拍手が大きかったわけだ。
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この頃には雨が小降りになった事もあり、客席は満員になっていました。


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王様(左)と家老(右)の登場です。
なお、これから先の説明は、ドイツ語のセリフが判らなかったので、想像半分で書いています。


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トーナメントの前座は曲乗りパフォーマンスです。
アクロバティックな曲乗りが続き、観客を楽しませます。


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最後は曲乗りチーム全員で観客に挨拶。


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王女(左)と家老(右)のご挨拶。


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この王女の馬術が素晴らしく、劇中何度もソロ演技が行われました。


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いよいよトーナメントに参加する騎士の登場です。


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トーナメントは、左右に別れた騎士が中央に向かって走り、槍で相手を突き落とす競技です。


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前の写真のように、競技場の端の位置からスタートし、槍を構えて突撃するまでの動きが、勇ましくて恰好良いです。


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トップスピードで突撃しています。

なお、この黒騎士は、この劇の主人公である王子です。


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様々な騎士の突撃シーン。


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トーナメントはめでたく王子が優勝しましたが、そこに謎の白騎士が登場し、王子に勝負を挑みます。


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結局、王子が勝ち、白騎士を地面にたたき落としましたが、試合に乱入された怒りからか、地面に落ちた後も白騎士を追い回します。


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そこで白騎士が兜を脱ぐと、なんと王様でした。

王子 「父ちゃんとは知らず、無礼な事をして、ごめんよぉ。」
と平身低頭で謝りますが、

王様 「貴様のような騎士道精神にもとる奴は、親でも無ければ子でも無い!」
と勘当されてしまいました。


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家老 「でも、強引にトーナメントに割り込んだ、王様も王様だよね。」
家臣 「だよね〜。王子も少し可哀そうだわっ〜。」
と低レベルな親子喧嘩に呆れながら、皆退場します。(笑)
(後の展開を考えると、家老は、この時、別の事を考えていたのでしょうがね。)


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場面は変わって、森の中をさまよう王子に暗殺の手がのびてきます。

暗殺者「でも、こんな弱っちい王子を暗殺しても、後味が悪いよ・・・(´・ω・`)」
と、暗殺者は王子を殺さず去っていきました。(なぜ???)


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王子の勘当を祝って(冗談です)、お祭り騒ぎをする村人を暴徒が襲いかかりました。
(正直、この辺りの展開は、良く判りませんでした。)


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失意の王子の元に、王女が訪れました。

王子 「トーナメントでは、つい舞い上がって、取り返しのつかない事をしちゃったよ。姉ちゃん、親父の機嫌を取ってくれよ...。」

王女 「その腑抜けた考えが、ダメなんだ、貴方は。私の馬術でも見て、反省しろよな!」
と、王女は再び、素晴らしい馬術を皆に見せびらかします。(笑)


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王女 「こんな事も出来るのよ!」


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王女 「こんな事も出来るのよ。ほらっ、ほらっ、ほらっ!」


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王女 「馬何て、沓が無くても自由自在よ。」
と、コミカルに書いていますが、物語は真面目に進んでいます。

なお、ここで雨に濡れたためか、EOS Kissが沈黙してしまいました。(涙)
出来るだけカメラを濡らさないように気を使ったつもりでしたが、雨には脆かったです。
以降はiPhoneで撮った写真です。

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王女 「馬なんて、乗らなくても、自由自在。貴方には、こんな事出来っこないよね?!」
王子 「すげーや、姉ちゃん。オラ目が覚めただ!」


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と、改心した王子さまは、再びトーナメントに参加します。
今度は、父ちゃんの横槍も無く、王子が再び優勝しました。
心を入れ替えた息子を見た王様も、大喜びです。


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そこへ、親子の仲の復活を良く思わない家老が、闇の軍団を率いて乱入してきました。
そう、家老は、王と王子の仲を裂き、王位を狙っていたのでした。


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闇の軍団との激しい戦いが続きますが、王子の活躍で、無事、敵を撃退しました。


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「めでたし、めでたし」 と思ったら、中央にステージが運ばれてきます。


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最後は王子と家老のタイマン勝負で、勝負を決します。
(先の戦いで、勝負は付いていたのでは・・・?)


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息子の活躍に有頂天の王様は、これまでの自分の所業も忘れて、王子の復位を宣言します。


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王子の復位で、皆が大喜びして、物語はフィナーレです。


この日は、一時はカメラが壊れるほどの(痛い)、強い雨が降りちょっと残念でしたが、十分楽しかったです。


少しコミカルに描きましたが、王子も王女も、素晴らしい馬術を披露していました。
また、全速で激突する騎士の槍試合も迫力があるので、カルテンベルグの騎士祭りはお勧めです。

終わり


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