Levanteのミュンヘン滞在記

サイクリングや、ウォーキングなど、のんびり旅行を楽しんでます。ブログの更新が間に合っていませんが、3月9日に日本に帰国しました。

イタリア旅行記

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1月11日に帰国の内示を受けましたが、2月は出張で多忙となるので、急遽、1月18日〜20日のヴェニス旅行を企画しました。

1月20日、ホテルをチェックアウトした後に、ホテルに荷物を預け散策開始。
まずはヴァポレットの停留所に行って時刻表を確認し、空港へは13:20の船に乗る事に決めました。
この時、時刻は11:30で、あと約2時間の時間があり、更に天気も良いのでヴァポレットでのんびりクルーズを行う事にしました。
ヴァポレットのシングルチケットの有効期間は75分。この時間で一周回れるかな?


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11:45、サンマルコ広場からヴァポレットの2号線に乗ってクルーズ開始です。
景色を楽しめるように、船の先頭席に座って、カナル・グランデを上流に向かいます。


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ピサ―二・グリッティ宮。
最初14世紀に作られ、16世紀に改築されました。
運河に面したのファサードは19世紀に完成したようです。


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コルネール家の邸宅として16世紀に作られた、コルネール宮。
コルネール家はリアルト橋のそばにも宮殿を持っていました。


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カナル・グランデに架かる4つの橋の一つ、アカデミア橋(左)が見えてきました。
右側に見える屋敷は、カヴァッリ・フランケッティ宮(中央)とバルバロ宮(右)。 


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ジュスティニアン宮(左)と、カ・フォスカリ(右)。
いずれも15世紀の建築。


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16世紀にバルビ家の邸宅として建築されたバルビ宮。


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逆S字型になったカナル・グランデの最初のカーブを曲がって、リアルト橋に向かいます。


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ベルナルド・ア・サン・ソロ宮。
14世紀にトレヴィーゾの貴族、ベルナルド家の屋敷として建てられました。


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16世紀に作られた、パパドーポリ宮。
現在はアマン・ホテルとなっていますが、住所がバヤモンテ・ティエポロ通りとなっているので、元はこの地に彼の屋敷があったようです。
なお、ティエポロ家はダンドロ家と並ぶ共和国の名門貴族で、13世紀にはヤコポ・ティエポロ(彼の曾祖父)やロレンツォ・ティエポロ(祖父)とドージェを出しました。
しかしバヤモンテは時のドージェ、ピエトロ・グラデニーゴと対立した上に反乱を起こしましたが(1310年)、鎮圧され、ティエポロ家はヴェネチアを追放されました。


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グリマーニ宮。
グリマーニ家がドージェを出すのは、16世紀以降なので、共和国の歴史の中では新興貴族です。


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リアルト橋が近づいてきました。
この辺りは比較的に海抜が高く(あくまでも他と比べてですが・・・)、早い時期から人が集まり商業の中心となりました。
船を横付けできるカナル・グランデ沿いに屋敷を持つのは、富のある家だけでしたが、リアルト橋の周囲には特に裕福な家系の屋敷が並んでいます。


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元々は木製で、船を通すために、中央が跳ねる形の橋が架かっていましたが、崩落や焼失を繰り返し、1557年に現在の石造りの橋に架け変えられました。
デザインの一般公募にはミケランジェロも参加したそうですが、彼の案が採用されていたら、今以上の観光資源になっていたのでしょう。どんなデザインを提案したのでしょうね。
結局、採用されたのはアントニオ・ダ・ポンテの案ですが、ニックネームにしろ「ダ・ポンテ(橋)」と呼ばれるぐらいなので、彼も多くの橋を設計したのでしょうね。

この時、時刻は12時でした。


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観光用でないゴンドラは二人で漕ぎます。
毎年9月に行われるゴンドラのレースも、このスタイルでの競技です。


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リアルト橋を抜けて、二番目のコーナーを回ると、左側に海産物の市場が見えてきます。


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少し進むと、カ・ドーロ(黄金の館)が右側に見えてきました。
ここは15世紀に、コンタリーニ家の館として建築され、かつては外壁に金箔と多彩色の装飾が施され、カナル・グランデで一番美しい建物と言われていました。


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ヴァポレットはローマ広場に向かって進んでいきます。


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サン・スタエ教会。
最初の教会は11世紀に建てられましたが、17世紀に改築され、この豪華なファサードは1709年に作られました。


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現在国際現代美術館となっているカ・ペーザロは、17世紀中頃からペーザロ家の屋敷として建築が始まりました。陸地側の建物は17世紀に完成しましたが、運河に面したファサードは完成が遅れ、1710年に完成しました。
17−18世紀の建築だけあり、他の宮殿とは大きさも、豪華さも異なります。


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サン・ジェレミア教会が見えてきました。
右手にはヴェネチアのカジノとして使われている、ヴェンドラミン・カレルジ宮があります。


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ヴェンドラミン・カレルジ宮。
世界最古のカジノとしても有名で、今もカジノとして営業しています。


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これもコンタリーニ宮です。
コンタリーニ家は、カ・ドーロも加えて、カナル・グランデ沿いに、少なくとも3つの屋敷を構えています。


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サン・ジェレミア教会。
最初の教会は11世紀に始まり数次にわたって改装を受けましたが、今の建物は18世紀に着工され、19世紀初めに完成したそうです。


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カナルグランデの三番目の橋、スカルツィ橋です。


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スカルツィ橋の横に立つ、サンタマリアディナザレス教会。
17世紀末の建築で、ファサードが立派です。


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ヴェニスの陸からの玄関口のひとつ、サンタ・ルチア駅。
オーストリア帝国の治世下に鉄道線の建設が始まり、この地にあったサンタ・ルチア教会を取り壊して駅を造ったため、この教会の名をとって駅名がつけられました。1861年の開業。


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カナル・グランデの4番目の橋、コスティトゥツィオーネ橋が見えてきました。


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本土からバスや車でくる場合のアクセスポイントである、ローマ広場の停留所に到着しました。
ローマ広場とサンタ・ルチア駅を結ぶ、コスティトゥツィオーネ橋は2008年に架けられたので、それまではヴァポレットで移動していました。最初の駐在時代に来た時も、ここからヴェニスに入ったのですね。

この時、時刻は12:15。サンマルコ広場を出て、30分がたちました。(ヴァポレット2号線にて)


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ほとんどの乗客が、ローマ広場で入れ替わりましたが、私は、そのまま船に乗り続けました。


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本土と、ヴェニスを結ぶ、リベルタ橋です。
なお、これまで意識していませんでしたが、リベルタ橋とはムッソリーニ支配下の1933年に建設された道路橋を指すそうです。第二次世界大戦後にファシズムからの解放を祝ってリベルタ(自由)橋と改名されました。
なお、平行している鉄道橋はオーストリア支配下の1846年に開通しています。


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一般車の駐車場(拡張エリア)や、リド島へのフェリーターミナルのある、トロンケット島とローマ広場を結ぶ、ヴェネツィア・ピープル・ムーバーの駅。
2010年から開業しているそうです。


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リド島に向かうフェリーターミナル。
今回の駐在での、過去二回のヴェニス訪問はリド島に宿をとって、ここから船で行ったので、懐かしいです。


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ヴァポレットは、トロンケット島でUターンして、ジュデッカ運河に向かいます。
写真の奥に見えるのは、ヴェニスの外港で、シーズン中はクルーズ船で埋まっているはずですが、閑散期のこの時は一隻しか停泊していませんでした。


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ジュデッカ運河に入ります。
この運河はヴェニス内の他の運河と異なり、幅と水深があり、リド行きのフェリーや大型クルーズ船の航路となっています。


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サンタ・マリア・デル・ロサリオ教会です。


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ジュデッカ島と運河の出口方向の景色です。


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サンタ・マリア・デラ・プレゼンタチオーネ教会(右)と、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会(左)。


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そして、最後はこの景色でカナル・クルーズを終えます。
何度見ても美しい風景です。

13時にサンマルコ広場に戻ってきました。
クルーズを始めてちょうど75分。ヴァポレットのチケットの有効期間に帰ってこれました。
でも、船の先頭で75分も寒風を浴び続け、体も手も凍えました。(笑)


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クルーズの最後はダンドロ宮(ホテル・ダニエリ)です。
預けた荷物を受け取り、いよいよ帰国です。


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こちらはホテルの新館。


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最後に、サンマルコ広場を見納めます。


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そして、サンマルコ寺院も見納め。


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予定通り、13:20発のヴァポレットで空港に向かいました。
船は来た時と同じコース、サンマルコ広場を出た後、リド島から反時計周りにヴェニスを回って空港に戻ります。

14:00にアーセナルの東側を通過。


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遠くにムラーノ島が見えます。


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ヴェニスの墓所、サン・ミケーレ島です。


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アーセナル北側の城壁に開いた船の出入り口。
前回の訪問時も同じ写真を撮りました。(笑)


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だんだんヴェニスが離れていきます。


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14:45にヴェネチアのマルコ・ポーロ空港に到着しました。


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飛行機は予定通り、17:15に離陸しました。
飛行機から、ヴェニスの島は見えませんでしたが、ヴェネチアを囲むラグーナ(潟)が良く見えました。

二泊二日の駆け足の旅でしたが、ヴェネチア共和国の名残をたっぷりと堪能しました。
冬のヴェニスは寒かったですが、天気が良く、心配した高潮も無かったので良かったです。

海の都「ヴェネチア」は、ユニークで美しい町なので、何度来ても飽きませんね。

終わり

1月11日に帰国の内示を受けましたが、2月は出張で多忙となるので、急遽、1月18日〜20日のヴェニス旅行を企画しました。

1月20日(日)、ヴェニス旅行の2日目です。
いつものように、朝飯前の散歩のために7:40にホテルを出ました。


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夜明け前のヴェニスのラグーナ(潟)。
日の出を見るために散策に出ましたが、もう少し時間がありそうです。


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サンマルコ広場に行くと、新婚さんが写真撮影をしていました。
でも、ウェディングドレスは、とても寒そうです。


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あるブログで、アカデミア橋からの夜明けが素晴らしいとあったので、端まで移動しました。
上の写真は、サン・ステファノ広場にある、「サン・ヴィダル教会」。


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サン・ステファノ広場に立つ、「ニコロ・トッマセオ(Niccolò Tommaseo)」。
彼は19世紀初めの言語学者、ジャーナリストおよびエッセイストだそうです。


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アカデミア橋から見る、日の出・・・。
建物に隠れて太陽が見えません。
これなら、サンマルコ広場で日の出を見れば良かった。


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橋から見たカナル・グランデ。


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アカデミア橋です。


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少し時間もあるので、アカデミア橋を渡って、カナルグランデの対岸を散策しました。
ヴェニスに来るのは6回目だと思いますが、この辺りを散策するのは、初めてだと思います。


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対岸から見たカナル・グランデです。
朝日を浴びて美しいです。


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そのまま歩くと、サンタ・マリア・デラ・サルーテ教会に出ました。
これまではヴァポレットで来ていたので、歩いて来れるのは新鮮な驚きでした。
(陸続きなので、当たり前ですが。)


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ジュデッカ運河を挟んで、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会を望みます。


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ヴェニスらしい運河の景色。


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ジュデッカ運河沿いを散策。


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せっかくここまで来たので、アカデミア美術館を見学しようと、開館時間を待って散策していました。
ここも、今回の駐在期間中では、3回目の訪問で初めて来ました。


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入り口を入って、二階の広いホールから展示が始まります。


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かつては教会だったようで、祭壇の跡が残っています。


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  左:ティントレットの「聖マルコの遺体の盗難」(1575年作)。
    ヴェネチアの商人がエジプトのアレキサンドリアから聖マルコを遺体を盗み出す逸話を描いています。
  中:パオロ・ヴェロネーゼの「聖カテリーナの神秘の結婚」(1575年作)
  右:カナレットの「柱廊の景色」(1765年作)
    カナレットって、サンマルコ広場以外の絵も描いたのですね。(笑)


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ジャンバティスタ・ピット―二の「受胎告知」。(1757年作)


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ジェンティーレ・ベリーニの「サン・マルコ広場の行列」。


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ヴィットーレ・カルパッチョの「リアルト橋での十字架の遺物の奇跡」。
木製で中央が開閉する構造の、古いリアルト橋が描かれています。

ヴェネチア派の画家の作品が多く見れるはずでしたが、残念ながら、改装のために半分閉まっており、9:30には見学を終え美術館を出ました。


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美術館を出るころには、すっかり明るくなっていました。


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ホテルに帰る途中で見た、美術店。
リアルな女性の像で、本当の女性かと思ってびっくりしました。


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帰る途中で、中国人の団体がゴンドラで周遊していましたが、狭い区画を列になって回るだけで、テーマパークのアトラクションのようでした。
そう言えば、私は、これだけヴェニスに来たのに、結局一度もゴンドラに乗っていませんね。


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サン・マルコ広場につながる繁華街、「3月22日大通り」です。


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9:50にホテルに戻り、朝食へ。
ホテル・ダニエリは朝食も豪華です。
私は新館に宿泊したので、新館の屋上階で朝食を取りましたが、本館に泊まる人は別のレストランがあるらしい。そちらはもっと豪華なのかな???


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思わず、食事をたくさん取ってしまいました。
なお、飲み物も搾りたてのジュースで美味。


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イチゴがとても甘く、日本で食べるイチゴのようでした。


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隣は、ドゥカーレ宮殿で、レストランの窓から鐘楼も見え、景色も素晴らしいです。


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更にテラスに出ると、カナル・グランデやジュデッカ運河の入り口の景色から・・・、


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リド島や、アーセナル方向まで、見渡すことができます。

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サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会。


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ドゥカーレ宮殿も海側の建物は横から見ると、赤いレンガが残っているのですね。


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名残惜しいですが、11:00にホテルをチェックアウト。


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スキアヴォーニ河岸を少し散策。
写真はイタリアを統一し、初代国王となった、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の像。


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女神の像。


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ドゥカーレ宮殿と牢獄を結ぶ、ため息の橋。
有罪判決を受けた囚人が投獄される前に、最後にヴェネチアの町を見ることができる場所で、皆ここでため息をついた事からこの名前がつきました。


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サンマルコ広場で、名残を惜しんでいます。(笑)


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サンマルコ寺院も、これで見納め。


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1499年に完成したムーア人の統計塔。
この時代は、イタリアの本土領やダルマチア、キプロスまで獲得して共和国が領土を最大まで広げた時代で、その勢いを、この時計に表現したのかもしれませんね。


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ヴァポレットの停留所に翻る、ヴェネチア共和国の国旗。
私も家に飾っていますが、先の駐在時に購入した時は売っている店を探しまわりました。
今回は歩いているだけで、数件売っている店を見つけました。
知る人は知る、ですが、少しはポピュラーになったようです!?

今回、空港でも売っていたので、性懲りも無く、また買ってしまいました。(笑)

カナル・クルーズに続きます。


1月11日に帰国の内示を受けましたが、2月は多忙となるので、急遽、1月18日〜20日のヴェニス旅行を企画しました。


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「海事博物館」の見学の後、同じチケットで見学できる、「船の歴史博物館」にも寄りました。
ただ、ここのしょぼさは、最初にヴェニスを訪問した際に経験済みなので、期待はありません。(笑)


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19世紀前半にアルセナーレで作られた儀典用の船。


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船首の横には、中世のイタリアの海洋都市国家、アマルフィ、ピサ、ジェノバおよびヴェネチアの国旗を並べた、イタリア海軍旗が描かれています。


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アーセナルの入り口です。


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サンマルコを表す有翼の獅子像もありました。


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アーセナルから西に向かって歩きました。


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リアルト橋に出ました。
橋から見た、カナル・グランデです。
ヴェニスのメイン・ストリート(運河)で、運河沿いには共和国時代の有力貴族、商人の屋敷が並んでいます。


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リアルト橋から更に西に歩きました。
サンタルチア駅に向かう主要道路にあるこの橋は、これまでの訪問で何度も歩きました。
3年前に来た時も、この赤と青のゴンドラの写真を撮っていました。(笑)


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今回の駐在での3回目のヴェニス訪問にして、初めて来た「ゲットー(ユダヤ人居住区)」。
1516年にヴェネツィア本島の新鋳造所跡にユダヤ人居住区が建設され、それまで小島に隔離されていたユダヤ人が本島に住むことが許されました。
鋳造所はヴェネツィア語で「Getto」といい、これがユダヤ人居住区を意味する「ゲットー(Ghetto)」の単語の語源になったそうです。


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この地区は、四方を運河と塀に囲まれています。
塀には、第二次世界大戦での、ユダヤ人の悲しい歴史が描かれていました。


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サン・ジェレミア教会横の運河。


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カナル・グランデに架かる三番目の橋、スカルツィ橋から見た運河の夜景です(リアルト橋方向)。


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同じく、スカルツィ橋から見た運河の夜景です(サンタルチア駅方向)。


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駅まで歩いた後は、ヴァポレット(水上バス)に乗って、サンマルコ広場に戻りました。
なお、私の乗ったヴァポレット2号線は停留所も少なく早い事と、船の先頭に席があるので観光に最適です。

上の写真はスカルツィ橋です。


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リアルト橋です。


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運河沿いの夜景。
なお、カナルグランデは、「その4 〜 カナル・クルーズ」で、改めて紹介します。


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サンマルコ広場に到着しました。


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この日の晩御飯は、ホテルから北側に入ったところにあった、「Ai Tre Leoni」。


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選んだのは、海産のフリット。
カラマリのフリットが食べたかったのですが、いっしょに魚も食べれて満足です。


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世界で一番美しいと言われる「サンマルコ広場」の夜景です。
本当に美しい景色ですね!
今回は、夜景を撮るために三脚も持ち込みました。


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サンマルコ寺院の夜景。
この景色も、しばらく言葉を失って見ていました。


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広場の沖にある、サンジョルジョ・マッジョーレ寺院の夜景です。


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スキアヴォーニ河岸。

この後、ホテルに戻りましたが、その後もダンドロ家の屋敷(ホテル・ダニエリ)を散策し、ヴェネチア共和国の名残を堪能しました。

二日目に続く。

1月10日に帰国の内示を受け、あわてて最後の旅行を計画しました。
欧州の最後は、やはりヴェネチアです!!!

前回の駐在でも最後にヴェニス旅行に行って、パスポートを盗まれるといった大波乱を経験したにも関わらず、1月18日〜20日に、性懲りもなくヴェニスに行って来ました。(笑)

1月18日(金)、仕事を終え一旦アパートに戻った後、ミュンヘン空港に移動しました。
今回の飛行機は22:05にミュンヘン空港を出発します。


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ラウンジで夕食を取るつもりで早めに空港に行きましたが、今回のキャリアはエア・ドロミテで、スターアライアンス・グループでないのでラウンジは無し(笑)。
久しぶりに、ミュンヘン空港のレストランで食事しました。

ヴェネチア空港に23:05に到着し、空港から、ホテル「ティティアン・イン・ベストウェスタン」まで歩きました。
近いと思ったのですが、実は空港から1.7kmあり、夜+車道の脇を歩く(歩道が無い)ので、少し不安に感じながら20分歩きました。


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ホテルに入ると、いきなりヴェネチア共和国の象徴「有翼の獅子像(サン・マルコ像)」があり、テンションが上がりました!
でも、夜中にチェックインした直後に、この像を写真を撮影している日本人を見て、ホテルのスタッフは笑ってました。

空港からヴェニス本島に渡るには、バスまたは鉄道でローマ広場に行く方法と、船で行く方法があります。
ホテルのスタッフも安いのでバスを勧めていましたが、私は「海の都」を堪能するために、船を選びました。
今回私は、飛行機が遅いことから空港近くのホテルを選びましたが、船は深夜まで運行していたので、そのままヴェニスに向かう人もいました。


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1月19日(土)、7:30に空港ターミナルを出発しヴェニスに向かいました。


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7:35、空港の先が白んできました。


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ヴェニスの本島が見えてきました。
この杭もヴェニスの象徴で、周りの潟の中で船が進める航路を示しています。

かつて、ジェノバとの闘いで本島に追い詰められたヴェネチア共和国は、この杭を抜くことでジェノバ船の潟への侵入を防ぎました。


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いよいよヴェニス本島が近づいてきました!
「海の都の物語」の始まりです。


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ヴェニスの夜明けです。


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中世のヴェネチア共和国は、海洋国家として東地中海(Levanteの海)を制する事で莫大な富を築きました。
その力の源、アーセナル(造船所)です。
潟で守られたヴェニスは、中世の都市国家では珍しく城壁を持ちませんが、このアーセナルだけは城壁を持っています。


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アーセナルの東側の出入り口。
アーセナルは現在は海軍基地として使われており、残念ながら中に入ることができません。


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船は一旦リド島に立ち寄った後、ヴェニスの中心である「サンマルコ広場」に向かいます。


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この景色、何度見ても、鳥肌が立つほど感動します。


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「サンマルコ広場」の東側には「スキアヴォーニ河岸」があります。
かつて、この彼岸は大型船の船着き場となっており、船乗り、特にガレー船の漕ぎ手として重用されたダルマチア地方のスラブ人が集まったことから、この名が付きました。

なお、中央の赤い建物が、今回泊まったホテル「ダニエリ」です。
共和国時代の有力貴族だったダンドロ家の屋敷で、今はヴェニスの最高級ホテルとなっています。
私は普段は中級ホテルしか泊まりませんが、欧州最後の旅行は、お金を気にせずダンドロ家の屋敷に宿泊しました。


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まずはホテルにチェックインして荷物を降ろします。

二階から豪華なカフェを見下ろします。
この駐在で最初に来た時は、この雰囲気を楽しむために、ここでコーヒーを飲みました。


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豪華な、二階のホール。
共和国の名門貴族のダンドロ家の屋敷は、まさに宮殿です。


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三階のホールも豪華です。


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  左:屋敷の吹き抜けの中庭。
  中:私は本館ではなく、新刊の方でした。
  右:私の部屋のバス。美しい大理石で覆われています。


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そして、私の部屋です。
部屋も立派で、使うのが恐れ多い気がしました。


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中央の家具はタンスです。


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ホテルのエントランスの中庭の夜の姿です。


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9時半過ぎにホテルを出た後、「デュカーレ宮殿」の見学に行きました。
「デュカーレ宮殿」は、かつてのヴェネチア共和国の政庁舎であり、ドージェ(元首)の住居です。


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宮殿の中庭は、サンマルコ寺院につながっています。
実質的には共和国の大聖堂ですが、バチカンからの距離を置くために、公的にはドージェ個人の礼拝堂となっていました。


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「巨人の階段」。かつてはここで新任のドージェの就任式が行われたそうです。


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「黄金階段」を上がって、宮殿内に向かいます。


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「元老院の間」。
元老院は13世紀中頃に成立し、当初60人、後に120人が大評議会(後述)によって選ばれました。
職務は、財政と重要なj法令の可決以外の権限を握る、事実上の最高権力機関でした。
元老議員の任期は1年でしたが、再選も可能でした。


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「10人委員会の間」。
この委員会は、元老院からの10人と、ドージェ、ドージェ補佐官6人から構成され、国家に対する反逆の情報に対処し、その罪人を裁きました。国外に逃亡した罪人に対しても容赦はなく、誘拐による本国送還や暗殺も厭いませんでした。
現代の「国家公安委員会」ですが、15世紀には、今の日本の同職からは想像もつかないほどの権限を有していました。


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「大評議会の間」。
縦54m横25mと、この宮殿内一番広い部屋で、1500名〜2000名がここに集まりました。
大評議会は、重要な法を認定する機能と、10人委員会を含む、政府の要職を決定する機能を持ちました。
他のイタリアの共和国(都市国家)が、寡頭制や僭主制に移行する中、ヴェネチア共和国は最後まで大評議会を維持しました。


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「大評議会の間」で一番大きな絵、ティントレット作の「天国」です。

「天国」以外にも、部屋一面に共和国のエピソードが、ヴェネチア派の画家によって描かれています。
宮殿内は、写実的で躍動感にあふれるヴェネチア派の画家の絵に覆われており、圧巻です。


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大きな絵画に目を奪われますが、その上段に、歴代ドージェの肖像画が描かれており、今回は各ドージェの肖像画もゆっくり見学しました。

上の右の絵は、第41代ドージェ、エンリコ・ダンドロ(在任1192年 - 1205年)の肖像です。
晩年の長い髭を蓄えた肖像が多いので、髭の無い肖像が間違いないか何度も確認しました。

エンリコ・ダンドロは第4回十字軍にヴェネチア船団を率いて参加しました(当時は盲目に近かったそうです)。
キリスト教国のザーラを占領したり、コンスタンチノープルを占領してラテン帝国の成立に関わった中心人物で、バチカンからは評判が悪い人です。
しかし、ヴェネチア共和国側から見れば、約束の対価を支払えない十字軍に対する、救済措置としての提案であり(そもそもの非は十字軍側にあり)、この結果、アドリア海からコンスタンチノープルに至る多くの拠点を抑える(塩野七生女史曰く「高速道路」を築いた)事で、共和国の興隆の基礎を築いた英雄です。

彼は1205年にコンスタンチノープルで死去し、ハギア・ソフィアに埋葬され、今でも墓石が残っています。

この功績から、息子のラニエリを後継元首に推す声が高まりましたが、ラニエリは「共和国で親子が続けて元首となった例はない」としてこれを拒否し、ピエトロ・ヅィアニのドージェ就任を支持しました。
独裁を嫌い、共和制を堅持したヴェネチア共和国の良き時代のエピソードです。

なお、ダンドロ家はその後も何度もドージェを出し、「スキアヴォーニ河岸」に屋敷を構える(現在のホテル・ダニエリ)ほどの名門貴族です。


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独裁を嫌う共和国の唯一の汚点が、「マリーノ・ファリエロの乱」。
マリーノ・ファリエロは、1354年9月に第55代ドージェに選ばれましたが、1355年4月にドージェ世襲を目指してクーデターを実行しました。
しかし、ドージェ就任から半年強のクーデターは稚拙で簡単に鎮圧され、彼は処刑されました。
事の善悪は横に置いても、この衝動的で稚拙な行動は、冷静さも計画制も無いので、全くヴェネチア人らしく(ともすれば冷酷で狡猾と思われた)なく、共和国の面汚しです。
彼の肖像があるべき所(右側)には、ラテン語で「ここはマリーノ・ファリエロのスペースで、犯罪によって斬首された」と書かれています。


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ゆっくり見学したので、「デュカーレ宮殿」を出た時は、12:30になっていました。
(約3時間、見学してました。笑)


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一人旅の時は、まともに昼食を取らないのですが、今回は食も含めてベニスを堪能しました。
昼食は「スキアヴォーニ河岸」から少し奥に入ったところで見つけた、「AL VECIO PORTAL」。
小さな店で、地元民が多く、雰囲気が良い店でした。


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続いて行ったのは、今回の主目的の一つである「海事博物館(Museo Storico Navale di Venezia)」。
約20年前、最初の駐在の時にここを訪れ感銘を受けたのですが、前回、ヴェニスに来た時は改装中で閉まっていました。


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ヴェネチア共和国と言えば地中海、特に東地中海での交易で栄えた海洋都市国家。
その交易を支えたのが、オスマン帝国が地中海に進出するまで、東地中海の制海権を握った海軍力です。
この博物館は、中世から現代(イタリア海軍:笑)に至る海軍の歴史が展示されています・・・。


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まずはヴェネチア共和国の制海権を支えた、地中海の拠点の模型です。
二十年前に来た時は、塩野七生女史の「海の都の物語」で記された場所を、ビジュアルで見ることが出来たことで感動しました。(インターネットが無く、文字情報が主体の時代です。)

上の写真はクレタ島(中世はカンディアと呼ばれた)。
1204年の第4次十字軍の遠征時に共和国が獲得してから1669年にオスマン帝国に奪取されるまで、東地中海の重要な拠点でした。
地中海の不沈空母として、現代でも重要な拠点で、第二次世界対戦でも英軍の支配に対し、ドイツ空挺部隊が強襲をかけ占領しました。(米英に空挺部隊の重要性を認識させた戦いです。)

オスマンに奪取される際も、長く悲惨なクレタ戦争を戦いました。
1645年にオスマン帝国は350隻からなる大軍でクレタ島を攻撃。初年にカネアの町が占領され、続く3年余りのうちにクレタ島のほぼ全域がオスマン帝国に制圧されました。
しかし、首府カンディアは占領を免れ、そこから1669年の敗戦まで、24年間にも及ぶ長く悲惨な包囲戦が戦われました。
共和国は、正に死守の構えで戦いましたが、西洋諸国の支援も散発的で、最後は力尽きました。


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城塞化されたカネア(ハニア)の図。


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スピナロンガの城塞。
なお、スピナロンガ島、ソウダ島、グラムヴサ島は、カンディア陥落後も1715年までヴェネツィアの手に残りました。


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ファマゴスタ(キプロス島)。
キプロスは、1489年にキプロス女王からの割譲によりヴェネツィア共和国領となり、東地中海の拠点となりましたが、1571年にオスマン帝国により占領されました。


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第四次十字軍の力を借り攻略したザーラの模型。


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そして、アドリア海からイオニア海に抜けたところにある重要拠点、コルフです。
先日、行ってきたばかりですが、新要塞の外側に、今は無い稜堡があります。


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そして、いよいよヴェネチア海軍を支えたガレー船の模型が・・・、これはマルタ騎士団のガレー船です。
館内を探しましたが、ヴェネチアのガレー船の模型はありませんでした。
ライバルだったジェノバの博物館には、実物大のガレー船の模型があったのですが、非常に残念です。

ヴェネチア共和国の船を見たかったら、サンマルコ広場にある、コレール博物館の方が充実してました。


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ヴェネチア関係の船で目立つ展示は、ブチェンタウロ(Bucintoro)です。
共和国が海との結婚式の式典の際にドージェの乗る船として造られました。
この模型は、1727年に製造された、歴代で最も豪華だったブチェンタウロの模型です。


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ブチェンタウロの後ろ姿。


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船首の正義の女神像も美しいです。


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1526年に制作されたブチェンタウロの船首を飾っていた、正義の女神像です。


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16世紀にヴェネチア共和国によって作られた、ガレアス船。
中世の騎士の戦いに終止符を打った大砲を、海戦でも活用すべく作られた大型ガレーの砲艦です。
ヴェネチア共和国は、1571年のレパントの海戦で6隻のガレアスを参加させましたが、海戦の最初こそ敵に損害を与えましたが、ガレー船の機動力に対応出来ず、中盤以降は戦闘に関われませんでした。

博物館には、この後、近代から現代にかけての、イタリア海軍の展示がされていましたが、私は、あまり興味がありませんでした。


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イタリアのネタが無くなったせいか、世界の艦船の展示がされていました。
写真は韓国の亀甲船。


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織田信長が作った軍船だそうです。

このほかにも、日本の千石船や屋形船も展示されていました。


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18世紀に作られた、セレモニー用の船。


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ついに海軍とは関係ない、世界の貝の展示となりました。


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とても美しいですが、ここは、あくまでも「海事博物館」のはずです。

非常に期待して博物館に来ましたが、ヴェネチア共和国のガレー船の模型も無く、最後は世界の貝の展示となり、残念な気持ちで見学を終えました。


その2に続きます。

2018年3月29日〜4月3日に、ナポリ〜アマルフィに行って来ました。

4月3日、ナポリ観光の3日目(最終日)です。

この日も、中央駅で1日券を購入して地下鉄に乗りました。


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ムニチピオ駅で降りて、プレビシート広場に来ました。
初日の夕方に、この広場に来た際に王宮に寄ったのですが、チケット購入を待つ列が長くて入場を諦めました。
最終日に、朝ダッシュで再チャレンジです。

9時開場なので、少し前に来て広場で待ちましたが、9時を過ぎても中央の門が開きません。
(上の写真は、4月1日のものです)


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暇なので、王宮の表の彫像を見て回りました。
ノルマンからヴィットリア・エマニュエーレ二世まで、各時代にナポリを支配した人の像が立っています。

左から、ホーエンシュタウフェン家のフェデリコ(フリードリッヒ二世)(在位1197年-1250年)、アンジュー家のカルロ(在位1282年-1285年)、アラゴン家のアルフォンソ(在位1414年-1435年)。
一番左のルッジェーロの像は工事の足場で隠れていました。


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左から、ハプスブルグ家のカルロ五世(在位1516年-1554年)、ハプスブルグ家のカルロ六世(在位1720年-1735年)、ジョアシャン・ミュラ(ナポレオン軍元帥かつナポレオンの義弟)(在位1808年-1815年)
一番右のヴィットリア・エマニュエーレ二世の像は工事の足場で隠れていました。

それにしても、ミュラの像は、左もっこりまで再現していますが、ここまで写実に徹する必要があったのでしょうか?(笑)

9時半になっても、中央の門が開かないので、ガッレリアの前のツーリストインフォメーションに行って確認しましたが、この日は9時に開いているはずとの事でした。


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ガッレリアの前にあるサン・カルロ劇場。
この横にカフェがあるのですが、トイレを借りるために入った所・・・


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トイレの横から劇場内部に入れました。
正規の入場方法では無いと思いますが、中を見学出来て良かったです。

カフェの出口の斜め前に、王宮への通用口があり、観光客らしい人が入っていたので私も付いて行くと(車を停めるゲートがありましたが、無視しました)、チケット売り場に行けました。

何かの理由で表の門は開いていませんでしたが、どうやら9時から王宮には入れたようです。
なお、チケット売り場に着いた時は、表の門も開いていました。


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9:50に、ようやく王宮に入場。
幸いにも、まだ観光客は少なく、ゆっくり見学できました。


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1768年にフェルディナンド四世と、マリア・カロリーナの結婚を記念して作られた劇場。


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第一の前室。
前室だけで、これだけ豪華です。


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窓からはプレビシート広場と、サン・フランチェスコ・ディ・パオラ聖堂が見えました。



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青を基調とした、第二の前室。


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玉座の間。


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大使たちのホール。
天井にはナポリ王国の主要なエピソードが描かれています。


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王妃の間。


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マリア・カロリーナの回転式の書見台。
別の本を読む際に、本を取り換える手間を省くためですが、ここまでする必要があるのでしょうか?


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王の礼拝堂。


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ムニチピオ駅からムゼーオ駅まで地下鉄で移動しました。
ここからバスでカポディモンテ美術館に行く予定でしたが、次のバスまで15分以上待つことが判り、歩いていく事にしました。


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考古博物館横のサン・テレーザ・デッリ・スカルッツィ通り(Via S. Teresa degli Scalzi)を真っすぐ北上すると美術館に着きます。
 サン・テレーザ・デッリ・スカルッツィ通りは、小さな商店の並ぶ、昔ながらの商店街でした。


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サン・テレーザ・デッリ・スカルッツィ通りを歩くと現れるロータリー横の階段を上ります。


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すると、カポディモンテ美術館が・・・、これは別の建物です。
私の前を歩いていた、老夫婦の観光客も同じ間違いをしていました。
この建物を見ながら老夫婦と話をしていると、そばを歩いていた地元の老人が親切に美術館の位置を教えてくれました。


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階段の上から見たマードレ・デル・ブオン・コンシグリオ教会(Madre del Buon Consiglio)。
この教会の周囲には、いくつかのカタコンベがあるそうです。


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南国ナポリのミカンの木。


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これがカポディモンテ美術館です。
博物館から、約30分歩いてきましたが、時間の都合で、このナポリの著名な美術館には入らず、18世紀の旧王宮を外から見学しました。(笑)


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展望台からナポリの町が見渡せます。


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庭園では、イタリア人たちが剣術(?)の練習をしていました。
ミュンヘンの日本人祭りでは、忍術と紹介されていましたが・・・。


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噴水の池では、亀が日向ぼっこをしていました。


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この宮殿の特徴の一つが、ベルサイユのトリアノン庭園をモデルにした、大きな庭園。
宮殿の前にも小さな庭がありますが、私は最初、それが庭園と勘違いしました。
宮殿から少し北に行った所に、庭園の入り口があります。


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樹々の間の小道が、庭園内に放射状に広がっています。


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庭の入り口にあった彫像。
頭を落としているのは、古代の遺跡をイメージしているのでしょうか?
庭園も奥までは入らず、カポディモンテ美術館の見学はここで終了しました。


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美術館からの帰りは、バスで、ダンテ広場に来ました。


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ダンテ広場の東側を囲むように建物が立っていますが、その左端には、ナポリ旧市街の西の出入り口、アルバ門(Port` Alba)があります.。


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ダンテ広場には多くのレストランやカフェがテーブルを出しています。
その中の一軒「Dante 43」 でナポリ最後の昼食を取りました。
数あるお店の中から、この店を選んだのは、メニューを見ていた際に声をかけたウェートレスの愛想がとてもよかったこと!
ドイツに住んでいると、店員の愛想の良さはとても貴重です。(笑)


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昼食後は、ダンテ広場から地下鉄で中央駅に戻ってきました。
ホテルで預けた荷物を受け取り、中央駅からバスで空港に向かいます。

空港行きのバスは、中央駅から広場に向かって左端、地下商店街の入り口に向かった場所に来ます。

15:10にバスに乗りました。


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約20分で空港に到着。


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滑走路の奥に雪を抱いた山々が見えました。
南国ナポリでも、この時期には、まだ雪が残っているのですね。


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ターミナル内に、イタリア空軍をイメージしたショップがありました。
フィレンツェにはイタリア海軍をイメージしたショップがありましたが、イタリア軍がサイドビジネスをしているのでしょうか?
だとすると、陸軍も店を出しているのかな?


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ヴェスビオ火山とナポリの町も見納めです。


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結局、荒天のために行く事が出来なかったカプリ島。
アウグストゥスやティベリウスの愛でた、この島は行ってみたかったです。


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アルプスにも雪が残っていました。


今回の旅行では、中世イタリアの四大海洋国家のアマルフィ、古代ローマの町並みがそのまま残ったポンペイ、更にはフリードリッヒ二世の育ったナポリ王国の王都と、古代から中世を堪能しました。

終わり。



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