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少年ゲルマンは後ろを振り向かず、前だけを見ようと顔を上げた。
「母さん・・・。」 あれからどのくらい時間が経ったのだろう。「さあ・・・行くぞ。」 カニスルプスはゲルマンをちらりと見て、すぐ前方に顔を向けた。 ゲルマンの父、カニスルプスはヴォルフガングと呼ばれる狼使いで 現存する最後の狼使いとも呼ばれていた。 この世界の狼使いは、狼を番犬代わりに調教し、家畜や自分達を 守らせていた遊牧民の種族だ。交易に欠かせない遊牧民だが、 常に山賊や猛獣からの脅威に晒されていた。その為、遊牧民の中には こうした狼使いと呼ばれる者達が存在していた。 ゲルマンはいずれ自分も父の跡を継ぎ、狼使いになる事を思い描いて
いた。しかし、現実は厳しい。母フロイラインが先日流産で命を落とした。 その時、体から排出された胎盤めがけて狼が襲ってきた。 忠実だったはずの家畜の狼。その狼が空腹に耐えきれず、生まれ損ねた 胎児と胎盤に齧り付き、食べ始めた。「な、なんという・・・。」 ゲルマンは驚き、声も出ない。 驚いたのはゲルマンだけではない。カニスルプスは呆然としてその様子を 見ていたが、剣を取りだし、狼の頭上に突き刺した。「・・・な。」 ゲルマンは足が竦む。カニスルプスは狼の返り血を浴びながらも何度も 突き刺し、絶命するまで繰り返した。 「・・・父、さん・・・?。」 ゲルマンはやっとの思いで声を絞り出した。 「よく見て置くのだ。人の血の味を覚えた狼はいつかきっと主人である 人間さえ襲うだろう。人を襲う前にこの手でその命を絶たねばならない。 情に負けてしまえばこちらも命が危ない。これが、狼使いの掟だ。」 その言葉にゲルマンは唇を噛みしめた。 狼が母を襲った理由もゲルマンには分かっていた。普段は物々交換で
鶏など狼の小動物を手に入れ、それを狼の餌としていた。 狼も腹がすかなければ家畜を襲わない。そう言う事で定期的に餌を 与えていたのだが、ここ何カ月の間、どういう訳か鶏が手に入らない
日々が続いていた。
親しい商人の話によると、最近、鶏を買い占めていく集団があって、 それも高値で買って行くというのだった。商人に言わせれば、幾らか
でも儲けが多い方が利益になるとの事でその連中に売り渡してしまう。
その為、カニスルプスにまで回ってこないというのだった。
鶏が手に入らなければ、狼の腹を満たすことは出来ない。危険を冒して 森の中の小動物を襲わせたりもするが、とても間に合わない。空腹を我慢 させながら次々に集落やバザーを回るが、狼達ももう限界に来ていた。 父の話し振りから、父と自分が他の遊牧民達から嫌がらせを受けている ようだという。 「何故だ!!。」 そう叫んだ父の声がゲルマンの頭の中から離れない。 カニスルプスの財産はロバ三頭の他に、羊が四頭、ヤギがつがいで二頭、 そして狼が三頭だった。しかし先日の出来事で一頭の狼を殺処分した為、 狼が二頭に減った。そしてその狼達も空腹の為体力も尽き始めていた。 それから間もなく、もう一頭の狼も力尽きた。この狼は雌で、お腹に子を 抱えていたが、出産の際に体が持たず、子を産むとそのまま亡くなって しまった。 産み出された子狼も栄養不足の為、生まれる前に死んでいた。 「どうして・・・。」 悔やんでも悔やみきれない。自分達が何をしたというのか。父が言うには、 狼使いを良く思っていない連中が居る。その者達が狼使いを陥れる為、 嫌がらせをするのだと。狼を使って巧く商売をしている狼使いが気に 食わないのだと。 「そんなの・・・ただの逆恨みじゃないか。」 ゲルマンは父に食って掛かるが、カニスルプスは首を横に振った。 「・・・けど、我々にはどうする事も出来ない。」 その言葉に、ゲルマンはもう何も言えなかった。 * * * * * *
「・・・今にして思えばだが・・・、遊牧民の間では、私は神童と 呼ばれていた。彼等に言わせれば私は頭の回転が速く、賢い子だと
恐れていたらしい。」
「 賢いとか・・・自分で言うなよ。」 「商人達の間では、子供だと思って数をごまかしたりしようとしたが、 そんな事は通用しない。それを良く思わない者もいたという。そうなれば
そんな狼使いは滅ぼしてしまえ、そう考えたのだろう。」
ゲルマンは暫く遠くを見つめ、そして立ち上がった。 「やっぱり、行くのか?。」ゲルマンの一人息子が声を掛けた。「ああ。」 「父を失っても、最後の狼使いとして使命を果たしたい。それに大陸の 神からも与えられた宿命を成し遂げる為にも。」
ゲルマンは年老いた体を庇うようにして空を見つめ、口笛を吹いた。 一頭の狼が駆け寄って来る。その姿に息子は戸惑う。 |
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2018年10月30日
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