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ブログ始めました!

恋の形

はじめまして。
私はバイセクシャルの女性で、今は学生をしています。アコギ(19)です。
10‘s Rainbow circleという未成年のサークルの代表をさせていただいています。

私が普通の恋愛に違和感を覚えたのは中学生の頃でした。
男の子からの性的な好意を受け止められかったことがきっかけです。それまでときめく相手が異性に限らないことを特に疑問に思うことなく過ごしていましが、次に女の子を好きになった時、たくさんの疑問が生まれました。
自問自答を繰り返し、一人で抱えて、色々なことを考えているうちにどんどん落ちこんでいきました。

「異性同士が正しい恋愛の形」という知識で自分を殺して、考えて、を繰り返しました。その時考えていた一番の自分の言い訳が「男じゃないと好きな子を幸せにはできないはず」でした。
本当はちゃんと気持ちを伝えておきたかったのにです。でも正直こんなこと考えてる時点で幸せにはできそうにないともわかっていました。最終的にはその子に恋人ができたことで、気持ちに踏ん切りをつけてあきらめました。

そして高校生の頃、異性と恋愛する機会が出来ました。
元々恋愛対象として意識していませんでしたが、人としての部分を好きになっていきました。
あれは上手く恋愛できていたのか、異性=魅力と思えない自分が付き合ってよかったのか、言い切れないことがたくさんありますが、性別を問わず人を好きになるのも一つの恋愛の形だと思えました。

話は変わりますが私はカミングアウトしたり、自己紹介したりするのが苦手です。
私にとって普通の恋の形に不安があるからです。
人と違うことで落胆されたり否定されたりするんじゃないか、誤解されるんじゃないか、と思えて無意識に構えてしまいます。

でも今は、視野も広くなっていろんな形があるのがむしろ当たり前だと思えています。
それよりあの時何も言えずに殺した自分を、次の時代の学生は殺さずにすむような世界になればなぁと思っています。
そのためにも少しずつ、10'sサークルの代表として、私の形を表現しようと思います。

これからどうかよろしくおねがいします。

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はじめまして。FTM35歳、大西陸登です。
三重県の津市が地元で、2016年の6月に静岡市の駿府城近くに引っ越してきました。

仕事で新たなチャレンジをしようと2016年の正月に思い立った私は、2月から準備して5月には住まいを決定。
静岡市民となりました!!

生まれは女性、名は理子(あやこ)。
幼稚園の時にあやこが嫌と親に主張し、
読み方だけ「リコ」にしてあげるということで何とか納得する。
数年後には、リコの名も嫌になるのだが(笑)
小学生では、男の子と遊び、もちろんスポーツ、サッカー大好きイタズラ大好きのやんちゃな小学生。

夢はオリンピック選手で、内容は決めてない
(笑)
幼稚園の時、小学校に入ってからと、好きになるのは年上の女性ばかりでした!! オマセさんっ。
幼稚園は保険の先生(めっちゃかわいかった♪藤田先生。名前、今降臨してきた!!)
小学校では歯医者の歯科助手の女性、高学年になると同級生の女の子に恋心を抱いてました。

サッカーが好きで、当時はまだまだ女子でサッカーをやってる子がおらず低学年の頃から入りたいと先生に懇願するも入れてもらえず、6年生になっても懇願する僕に根負けして、顧問の先生がサッカー少年団入部を許してくれる!! 1年間だけやったけど、めっちゃおもろかったし、どんどん上達もした。

中学校では、何が嫌って、セーラー服を着なきゃいけないこと。
同級生の男友達が、リコ大丈夫か?スカートで。と心配するほどだ。
嫌にきまっとるし、学ラン着たいけど、許されず。
できる限り、ジャージを着たり、部活の格好をしたり。
衝撃的な生理も中2できてしまう!!
嫌でしょうーがなかったのを覚えている。
膣の存在も認めるのは嫌だったが、血を見るのはもっと不快だったので
タンポンを使用していたのを覚えている。
懐かしい過去やな〜。 男でタンポン使ったことがあるのも貴重な経験やわな。

中3で部活に熱を出すこともなくなり、勉強一本になり、自分の中の自我との葛藤
性の葛藤、自分は何者?!の悩みなど出てくる

内に内に矢印→が向いていってしまって、ク
ローズtoハート。心を閉ざしていったことがその後のいじめにもつながっていったんかな。
人の目が異常に気になり、ある音が非常に耳障りになるようになり、学校でも塾でもメンバー変わらず、いじめにもあい、どんどん塞いでいった時代。
私服で通えるということで希望していた高校にいじめっこたちが行くのを知り一つランクが上の私服の公立高校に志望を変更して受けるも不合格。
くぅぅ〜っ!! 残念無念、今度はブレザーのかわいい制服のある仏教高校へと進学することに!!

高校1年では、中学3年で人間不信になったので、ひとりで何でも行動し、休み時間は伏せて寝たふり。人を避け一匹狼で過ごす。が、思い返せば、その高校生活で一生の友達といえる人に出逢え、その後カミングアウトして人生を生きていくようになってからも応援しつづけてくれてる仲間、ターニングポイントを与えてくれた人物、
サッカーを再開することでも繋がった人々とのご縁もあったなぁ。
高校3年間は、試行錯誤しつつも、ぶつかりつつも殻をやぶりこころを少しずつ開いていった、あらゆることにチャレンジしていった切り開いていった時代や。

大学で、初めて静岡の藤枝市の地にやってくる。
4年間勉強そっちのけで、サッカーとバイトと飲み会と恋愛に明け暮れる(笑)
好きになった女の子に人生初の告白をしたのもこの頃だ。

思いを抑えきれずに、思いが溢れ、当時、好きになった子には好きな男がいたの
を知っていたが。
諦めず、何度もアタックして、見事つきあうこととなる!!
この告白する前に、人生初、他人にカミングアウトした。
実は、、、女の子が好きで、その気持ちは、自分自身が男としての自認で、
好きなんや!!と。幼馴染みの友達に泣きながら思いを溢れさせたのを覚えている。
リコはリコでええやん!!リコのまんまでいけばええやん。
受け入れてもらえたことが、めっちゃうれしくて電話しながら号泣したのを覚えている。
私の人生の宝、ご縁で繋がってきた人たち。
しみじみ思う。

母、父、妹、家族にカミングアウトしていくのはその後社会人になってからの出来事である。
スポーツクラブに新卒で採用。働きながら、社会に出れば男女関係なく気にせず働けると思ったが、社会に出てからの方が女性ということを気にするようになってしまう。
今、思えば、これは自分自身の心の状態が片寄っていて、すごく狭い考え方になってしまっていただけで、性別のことはあまり関係なかったんやなぁと気づくのだが。
やはり他人(純男)と自分を必要異常に比べていた時代。

スポーツクラブの後、藤枝市の洋風居酒屋で働きその頃に東京のクリニックに毎週高速バスや帰り新幹線で通う日々を経て、親にもカミングアウト。自分史を書き、リアルライフテストなる男として社会的に生
きることもしながら性同一性障害の診断くだり、ホルモン投与も始まる。
現在で、ホルモン投与しはじめて11年目となるわけだ。

名前を理子から陸登に変更する時には、親に男やったら、名前何てつけた?
とたずねて、「類」と言っていたけど画数が良くないわ!!と自分で考え出した「陸登」という名前に決定する。勝手に(笑)
そして、それで戸籍改正のため簡易裁判所に出向くのだが、前例がないということで
一度、断られる。 ならば、前例をつくってみせる!!来年もっかい来ると言って、
次の年に、戸籍の名前変更を認められた。25回目の誕生日頃やったな。
なつかしい〜。

その後、色々あり、一度三重に帰ることを決め、実家で暮らす。
27歳の年だ。イタリアンのサービスや引っ越し助手したりらーめん屋のサービスやったりと、今までに働いてきた企業は30を越える(笑)
1つのとこに3年以上在籍したことはない!!色々やりたくなる時代やった!!
その中で最愛の女性とも出逢い、色んなセラピーや自分と向き合うこともしつつ
自分の性の殻も壊し、認め、ゆるしていく時代に突入していく。

仕事、プライベート通じて、自分と向き合うこと、他人と向き合うことを通して、
本当に沢山の人との出逢いの中で気づきを得てきた。
変わってきた自分と変わらない自分。両方が今の私の魅力である。
ありのまんまを愛せない日は、今でもあるけれども、それでもまた新たなチャレンジをすること、人生通じてオープンハートなあり方で生きていくこと、俺が俺らしく生きることで、私に触れた方々が勝手に(笑)
自分の可能性に気づき、心開き、人生をその人らしく楽しんでいく。
そんな生きることがヒーラーな人間として生きるのもおもしろいなと感じている。

そんなことを日々思いながら、一生は短い!!その中で、何をして、誰と生きていきたいか。
仕事(飲食店サービス)の中では、お客さんやスタッフとの中で、プライベートでは家族やパートナーや友達、仲間との中で、
どれだけ心の許容範囲を広げていけるか?自由な心で自由な発想で、壁に見えるものをひょうひょうと越えていけるかを考え行動しながら、まだまだ書ききれない性のことも含め私の経験が誰かのサポートや、ナニかのお役にたてるなら幸いやなぁと思い、自己紹介を書こうと思いました。
浮かんだまんまに書いているので時系列バラバラはご愛敬で♪最後まで読んで頂きありがとうございます!! 大西陸登

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他県から参戦!

はじめまして、先日入会いたしました

「ようけん」といいます。

LGBT当事者であり、教育関係に携わっているものです。

私は生まれは他県で、そこでは3年前からカミングアウトをして生活していました。
LGBTをはじめ、いろいろな人たちが生きやすい社会になるように努めていきたいと思い、日々現場で奮闘しています。

しかし一人でやることの限界を感じてもいたため、参加いたしました。

みなさんとのご縁を大切にさせていただきながら、自分の中の答えを一つずつ見つけていけたらと思います。

どうかよろしくお願いします。

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はじめまして。
富士宮市出身、沼津市在住、FTMの理玖(22)です。

自己紹介させて頂きます(^^)
家族は、母、4つ上の兄、1つ下の妹です。
兄妹3人、学生時代は色々とありましたが…|ω`)
今は、それぞれ大人になったからかいい関係を築けています。

覚えている限りで、私が性別に違和感を感じ始めたのは小学生の頃。赤いランドセルが嫌で、石で壊して兄の黒いランドセルを使いました。
小学1年から少年団に入り、野球に熱中しました。
周りはいつも男の子だったので、それが自然で違和感を感じなかったのですが。高学年になり、中学校に入ると、男女の区別がハッキリするようになり…自然に生活する事すら辛く感じるようになりました。

私が中学校に通ったのは、ほんの少し。中学時代のほとんどを、学校には行かず1人で過ごしました。長く、辛い3年間でした。

高校は、受け入れてくれる高校に出会い、多くの人に支えられて過ごしました。キラキラ輝いていた3年間でした。

大学に進学したものの、中学時代から不眠が続いていた私はうつ病を発症し、退学。そこから長い間、入院したりして闘病生活を送りました。

今でも、完全に復帰した訳ではありませんが…
少しずつ、元の生活を取り戻しています。


18歳の時、改名、治療をはじめ。
20歳の時にタイで性別適合手術を受け、今は戸籍も男性となり生活しています。

でも、やっぱり日常生活の中で完全に性別のことで困らなくなった訳ではありません。

だからこそ、今は 同じように悩み困っているかもしれない人たちの力になりたい、一緒に考えていきたいと思っています(^^)

そんな私は、 昨年、兄とRainbow DooRというカフェをオープンしました。お店では沢山の出会いがあります(^^) それが楽しみの1つでもあります!!♡


今までの私は、挫折ばかり…
情けなくなります( ˃ ⌑ ˂ഃ )
でも、その分成長出来ているのだと思うようにしています。

この先もきっと、そんな事の繰り返しなんだろうなぁと思ったりしています。


それも、それで「私らしい」と思えたらいいな。



そして。性別なんて関係ない!全部含めて「あなたらしい」と言い合える社会が「当たり前」になったらいいなと願っています!


長くなりましたが、
簡単に私の自己紹介とさせて頂きます!(^^)
ありがとうございました〜。

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あけましておめでとうございます。
新年初ということでドキドキ。

匿名ですが自己紹介します。
私は自分を女性だと認識していて、これまでつきあった人は女性ばかりです。
でもレズビアンというのにはなんとなく違和感があって、これから男性を好きになることもあるような気がするし、モテないのでこれまで機会がなかっただけのような気もする。そして男性を好きになって相手の同意も得られるならその方が幸せな気もするけど、それもただの妄想なのでは?というもやもやした状態のままで30代を迎えました。

そんな中で前につきあっていた人と別れてなにか新しい出会いがないかと感じていたところ、LGBTしずおかを見つけて参加させていただくようになりました。

真面目なミーティングにはなかなか予定があわなくて行けていないのですが、その後の飲み会に参加させてもらうことが多いです。
飲み会ではジェンダーやセクシャリティーの事も、それ以外のこといろいろ話をします。話したくない事は話さなくて良いし、本名を名乗っても名乗らなくてもOK。いろんな人の話を聞くと「人の数だけいろいろあるなぁ」とか「焦らずいくしかないよね」とも感じます。
もちろん出産についてとか老後についてなど気になることや不安はたくさんあって、抱える問題は解決していない訳ですが、その事を話せる人がいるというのはありがたいです。

なんだか自己紹介というよりはLGBTしずおかへのお誘いという感じになってしまいました。
今年もよろしくお願いします。
それでは!

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