ところで、反政府のストライキが高まる最中、一部では流血も見られ、7名の死者と100余名の負傷
者が出ていた。死者のうち一人はプラインベールの情報局本部に侵入し、長官等幹部を襲撃しようと図り
射殺されたものだった。
それから十年の歳月が流れた。多くの国々はズーラ国の植物研究の成果と緑化援助などにより、進行し
つつあった砂漠化をくい止めることができた。その過程は歴史上、世界緑化革命と定義され、独裁制の
国々での国内改革とも軌を一にした。
アッシーラ国の革命もまた歴史の流れを大きく変えた。人々は失われていた基本的な自由と権利を回復
し、政治は人々の意志を十分に反映するようになった。緑化計画は七年で予定通りに達成され、第二次七
ケ年計画に取り組んでいた。全ては順風満帆のようだった。
科学と人間との関係はどうなったろうか。技術革新による省力化は変わることなく進み、かつての労働
概念は完全に変わっていた。短縮しきった労働時間と省力化された労働が逆戻りすることはなかったし、
そうする必要性も議論されなかった。額に汗して働く、などの言葉はとうの昔に死語になっていた。
人間の生命創造もいったん科学の手にゆだねられた後では女性側の性の負担として再神話化すること事
はなかった。
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