アオイトリ
青い鳥
メーテルリンクの「青い鳥」のお話を知らない人はいないでしょう。でもちゃんと読んだことのある人も案外少ないのではないでしょうか。私も初めて読みました。
メーテルリンクはノーベル文学賞の授与にふさわしい、真に偉大な詩人です。
この物語を通して「本物の青い鳥は決して人間には捕らえることができない」ということが所かしこで示唆されます。
青い鳥は檻に入れて飼いならすことなどできないのです。
この「青い鳥」は読み手によっていかようにも読むことができる作品だと思います。
「夜の御殿」には青い鳥が何百といるけれど、それは日の光のもとでは死んでしまう、偽の青い鳥でした。
「森」のカシワの木の精は病気の娘を救う為に青い鳥を探しているというチルチルに、
「万物の秘密と幸福の秘密を奪いとろうというのだな」と責めよります。
「幸福の花園」では沢山の見せかけの「幸福」たちに会います。「お金持ちである幸福」「虚栄に満ち足りた幸福」「ひもじくないのに食べる幸福」「何もしらない幸福」「もののわからない幸福」「なにもしない幸福」「太った大笑い」等です。
そして本当の幸福や、大きな歓びたちにも会います。
「家の中の幸福」や「小さな子供たちの幸福」。
「正義である歓び」「ものを考える歓び」「美しいものを見る歓び」「ものを愛する歓び」「母の愛の歓び」「まだ知られない喜びたち」。
しかし、「光」と初めてあったこの「幸福」や「歓び」たちは、ベールをかぶって本来の自身の光を現さない「光」に自分たちはまだ知らないことが沢山あるから、そのベールをとって欲しいといいます。
光は悲しい顔で「まだときがこないから、それはできない」といい、歓びや真の幸福たちは、光と抱擁しながら共に涙をながします。
チルチルにはその涙のわけがわからないし、「光」も説明はしません。
最後に訪れる「未来の国」では青い鳥は見つけられませんでしたが、沢山の未来に生まれようとする子供たちに会います。そこでは全ての未来の子供たちが、自分の運命を自分で決めていることを知ります。
英雄となるべく子、罪を犯すべく子、発明家になる子、あっという間に死んでしまう子。
その中で、「恋人たち」と呼ばれる子がいます。
一緒に生まれることが許されないこの二人は引き離される間際にこういいます。
「しるしを残していって。たった一つでいいから、どうやってあんたをみつけたらいいのか教えて。」
「ぼくはいつだって君を愛しているよ。」
「あたしは一番悲しいものになるでしょう。それであんたは私をわかるはずよ。」
こんな旅を終えて、我が家に帰ってきたチルチルには見るもの全てが美しく見え、幸せに浸ります。
そしてその青い鳥は見つけたその瞬間に手から離れて去っていく。
この物語は「幸福は遠くに探して見つけられるものではなく、すぐ近くの自分の生活の中(心の中)にあるんだよ。」
ということを語っている作品だとよく言われます。それも確かにそうですが、それ以外にももっと深い英知が美しい言葉でいたるところで語られています。
この物語の最後で、自分のかっていたキジバトが青い鳥だったと気付き、隣の病気の女の子にあげるのですが、ただのキジバトだったときは、いくらその女の子にねだられてもチルチルは絶対にあげようとしませんでした。ちっとも大切にしていたわけでもなく、ただ「自分のものだから」という理由なだけで。
でもそれが散々探し回って見つけられなかった青い鳥だと知ったとき、チルチルはいとも簡単に約束どおりにその女の子にあげてしまいます。
そして、その鳥をもらい元気になったその女の子を見たとき、チルチルは一緒に青い鳥を探すために、導き手となってくれた、大好きな「光」とその子がそっくりだということに気が付き、その子に新しい感情が芽生えます。
そんなときに、青い鳥はするりと二人の手をすりぬけて、飛び去ってしまいます。泣いている女の子に、
「いいよ。泣くんじゃないよ。ぼく、またつかまえてあげるからね。」
そしてこういいます。
「どなたかあの鳥を見つけた方は、どうぞぼくたちに返してください。ぼくたち、幸福に暮らすために、いつかきっとあの鳥がいりようになるでしょうから。」
これが物語の最後のセリフです。
この物語の全てを読んで、それぞれの「青い鳥」の意味を考え
て見ることをお薦めします。
この物語は読む人その人によって必要な様々なテーマを見せてくれることでしょう。
(引用:関心空間)
メーテルリンクの蒼い鳥は読んだことがあると思っていましたが、今このように解説されると、かくも複
雑な構成になっているとは思いもよりませんでした。
単なる子供向けの小説ではないんですね。かといって、アラフォーでもアラサーでもない。もちろんアラ
カンでもない。
やはり多感な青少年期の大人と子供たちに読んで欲しいと思います。
小説の読み方はその作者を通して小説を見るのか、純粋に文章を通じて描写された世界を追体験するの
か、方法は様々です。あなたの好きな方法で、また、解釈で読めば良いと思います。作者に、より接近し
たければ、作者のことを調べ、原作を読むことをおすすめします。日本語訳が、すばらしいことを発見で
きるかも知れません。その逆を騒いで、誤訳の本を出版する人もいますが、あまり感心できません。
メーテルリンクの蒼い鳥、改めて読んでみたいと思います。
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私も多感な青少年期の大人に入るのでしょうか?
2009/7/20(月) 午後 9:20
そう尋ねる人は多感ですね。きっと。
2009/7/20(月) 午後 10:08
青い鳥
是非 是非 読みたいと思います。
いかに 自分では 読んだつもりでいて 読んでない本があるか…
最近 そんな本を 少しずつ読み返したいな って思ってたところです。
アラフォーでもアラサーでもアラカンでも
読む世代で感じ方は 様々…。
あたしは アラフォーの感じ方を感じたいと思います。
『青い鳥』 こんなに素敵な本だったのですね。
傑作 ぽちっ凸
2009/8/16(日) 午前 11:53
是非、読んでください。
2009/8/16(日) 午後 10:53