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楽しいテレビ放送が

 
1963年(昭和38年)11月22日、アメリカ中部標準時間午後0時30分、 米国大統領ジョン・F・ケネディ(JFK)は、テキサス州ダラス空港からオープンカーで市内の演説会場に向かう途中、何者かに狙撃され病院に運ばれたが30分後に死亡した。アメリカ東部標準時間午後1時30分、日本時間では23日(土)午前3時30分のことであった。
 
ちょうどその23日朝(米国時間では22日夕方)、通信衛星を使った日米間初のテレビ宇宙中継(実験)を行うことになっていた。この時の実験放送は、米国から日本に向けて電波を送信するものであり、この計画の推進役であったケネディ大統領から日本へのメッセージをはじめ、すべての番組はあらかじめ録画されていた。
その実験放送で、リアルタイムで送られてきたのは、なんとケネディ大統領暗殺というショッキングなニュースであった。
11月23日(土)の実験放送は2回行われた。
第一回:午前5時27分42秒〜同48分(20分間)
第二回:午前8時58分〜9時15分(17分間)
 
実験放送には通信衛星リレー1号が使われた。この衛星は、約3時間で地球を一周する低軌道衛星であったため、日米双方から「見える」20分程度が中継の限度だった。
 
第1回目の内容
大統領はこの時すでに暗殺されていた。実験そのものは大成功だった。映し出されていたのは、米カリフォルニア州モハービー砂漠(米側電波発信基地)の模様で、一本の木、草まで細かく写っている。
 
第2回目の内容
ケネディ大統領暗殺というショッキングなニュースが飛び込んできた。
ありし日のケネディ大統領の元気な姿が映し出された。
大統領に選ばれた直後(2年10ヶ月前)の演説会の模様である。
テレビは、新聞スタンドに群がる人々、半旗を掲げたビルなど、悲しみと興奮に包まれたニューヨークの生々しい表情も伝えてきた。
これらの映像にナレーション(日本語)を入れた日本人がいる。前田治郎氏(当時35歳、毎日放送ニューヨーク特派員)である。前田氏は貿易商社から毎日放送に入り、アナウンサー、プロデューサーを経て、1963年2月からニューヨーク支局の駐在員となっていた。
 
イメージ 1
ABC国際部門のコイル社長は、当日の実験担当であったNBC放送に電話をかけ、日本に実験電波を送るテレビ映像と音声の回線を設定した。約1時間後 (日本時間午前9時ちょうど)、前田氏音声(日本語)は、そのとき全米で放送されていたNBCのテレビ映像にのせて日本に送られた。
日本に届いた映像は、NHKの全国ネットワークと民放全局を通じて日本全国に流された。「これは輝かしい日米テレビ中継の2回目のテストであります。その電波にのせてこのような悲しいニュースをお送りしなければならないのはまことに残念に思います」。前田氏の第一声である。
前田氏はコイル社長のデスクに座り、目の前にあるテレビに映るNBCテレビの映像を見ながら電話で話をした。映像そのものは、ケネディの就任演説の模様など回顧場面がほとんどであった。
前田氏は、テレビ画面とは別に次々と入ってくるニュースも生で電波に乗せた。 その内容は、そばに座っていたABC国際部門のスタッフがメモに書いてよこしたものである。
ケ大統領の遺体は、いまちょうどワシントンのホワイト・ハウスに送られました。ジョンソン副大統領が、飛行機の中で宣誓を行って大統領に就任した。
突然のことできちんとした原稿をつくる時間はほとんどなかった。“それこそアドリブでレポートしました” とはご本人のお話である。 前田氏の出演(13分12秒)はこうして無事終了した。
コイル社長がABCの東京事務所に国際電話(当時12回線しかなかった)をかけ、日本のテレビで確かに放映されたことを確認する。
 
国葬のもよう
11月26日(火)には二度目の実験放送が行われた。
午前4時から15分間
容疑者オズワルドが射殺される瞬間の映像
葬儀参列のため渡米した池田首相、大平外相を出迎えるラスク国務長官
など
午前7時50分から15分間
ワシントンで行われた国葬の模様(録画)が放送された。
ケネディ前大統領の葬儀は、現地時間25日正午からワシントン市内の聖マシューズ教会で国葬として行われ、ミサの後、遺体はアーリントン国立墓地に埋葬された。
 
 JFKは米国大統領であり、1963年に暗殺されたことを知らない人は少ないだろう。
 
 私はこの日米間のテレビ放送を見たことをはっきりと覚えている。我が家にナショナルのモノクロテレビが到着して初めて見たのが4チャンネルで放映していたローンレンジャーであった。「キモサベ、トントはインディアン。インディアンは嘘をつかない。」で有名な西部劇であった。トントは名前で、キモサベはだんなといった意味だったと思う。
 
 その翌日の朝早く、この記念すべき米国からの放送を父や兄弟と観たのである(父と私だけだったかもしれない)。覚えている映像は6頭か8頭の馬がひずめの音を響かせながら進む馬車がケネディーの棺を載せて、ホワイトハウス(その時は知らなかったが)の前を走る場面(たぶん)と「本日はこのような悲しいニュースをお送りしなければならないのはまことに残念に思います」というアナウンサーの言葉であった。
 
 眠かったこともあろうし、半世紀も過去のことゆえに、ほとんど忘れてしまっている。その後幾度かテレビ番組でこのときの状況を見たことがあるので、それらと最初に見たときの記憶が重なる部分もあるはずなのだが他の部分は覚えていない。当時、このテレビプログラムがそれほど大きな出来事を伝えていたとは知る由もなかった。
 
 彼の評価は難しいが、あくまでも米ソ冷戦下の米国の側の大統領であった。副大統領はニクソン、対するソビエト連邦側は共産党中央委員会第一書記フルシチョフであった。後にニクソンはウオーターゲート事件を起こして引退し。片やフルシチョフは国連総会で靴で机を叩き第一書記を下されることになる。
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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