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流れ星

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 僕が小さい頃は夜が長く、満天の星をよく眺めた記憶があります。小学校で夏祭りがあり、よく流れ星

を見ました。これも、定かではありませんが、その星が校庭の暗がりに落ちたこともありました。それ

は、流れ星ではなく、人魂(ひとだま)だったと、皆が騒いだのを記憶しています。昔は、この様なこと

がごくごく普通に、生活の中に在りました。それでいて、余り騒がない。

 
 僕が生まれた市の市制○十周年の花火大会があり、実家のある小高い丘からその花火を見ていたとき、

その花火の何十倍も明るい花火が、打ち上げている方向の北とは違う、西の方に上がりました。いえ、上

がるのではなく、落ちてきました。いわゆる流れ星の大きなもの=「大火球」で、大きな空気との摩擦音

をドーンドーンと発しながら、摩擦熱で燃える煙状のものを出しながら、地上に落ちたか、燃え尽きたか

は忘れましたが、そのようなこともありました。(写真は大火球、地表に対して平行に飛行していま

す。)


 あるときは、天空で二つの星が衝突して砕け散ったのも見たことがあります。この確率を考えると本当

に少ない確率のはずですが、親の話では、その時は僕が大騒ぎをしたらしいようです。


 流れ星を見ることは少ない明るい夜空の都会生活ですが、流星群のあるときの夜空を1時間も見上げれ

ば、幾十、幾百の流れ星をみることができます。屋根にのって寝ころんで、夜空を見る。こんな至福の時

を楽しむ余裕はいつやってきましょうか。

The Sound of Music

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The Sound of Music

The hills are alive with the sound of music
With songs they have sung for a thousand years
The hills fill my heart with the sound of music
My heart wants to sing every song it hears

My heart wants to beat like the wings of the birds
that rise from the lake to the trees
My heart wants to sigh like a chime that flies
from a church on a breeze
To laugh like a brook when it trips and falls over
stones on its way
To sing through the night like a lark who is learning to pray

I go to the hills when my heart is lonely
I know I will hear what I've heard before
My heart will be blessed with the sound of music
And I'll sing once more


サウンドオブミュージックの冒頭の部分ですね。この歌をザルツブルグの山を背景にジュリー・アンドリ

ュースが歌います。

響きわたる音楽、とでも訳すのでしょうか。簡単すぎる言葉というのは訳すのが難しいんですね。

丘は響き渡る音楽とともに生きている

幾千年も歌ってきた歌とともに

丘は響き渡る音楽とともに私の心を満たし

私の心は耳にするあらゆる歌を歌いたい..................

青い鳥

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アオイトリ

青い鳥

メーテルリンクの「青い鳥」のお話を知らない人はいないでしょう。でもちゃんと読んだことのある人も案外少ないのではないでしょうか。私も初めて読みました。
メーテルリンクはノーベル文学賞の授与にふさわしい、真に偉大な詩人です。

この物語を通して「本物の青い鳥は決して人間には捕らえることができない」ということが所かしこで示唆されます。
青い鳥は檻に入れて飼いならすことなどできないのです。
この「青い鳥」は読み手によっていかようにも読むことができる作品だと思います。

「夜の御殿」には青い鳥が何百といるけれど、それは日の光のもとでは死んでしまう、偽の青い鳥でした。

「森」のカシワの木の精は病気の娘を救う為に青い鳥を探しているというチルチルに、
「万物の秘密と幸福の秘密を奪いとろうというのだな」と責めよります。

「幸福の花園」では沢山の見せかけの「幸福」たちに会います。「お金持ちである幸福」「虚栄に満ち足りた幸福」「ひもじくないのに食べる幸福」「何もしらない幸福」「もののわからない幸福」「なにもしない幸福」「太った大笑い」等です。
そして本当の幸福や、大きな歓びたちにも会います。
「家の中の幸福」や「小さな子供たちの幸福」。
「正義である歓び」「ものを考える歓び」「美しいものを見る歓び」「ものを愛する歓び」「母の愛の歓び」「まだ知られない喜びたち」。
しかし、「光」と初めてあったこの「幸福」や「歓び」たちは、ベールをかぶって本来の自身の光を現さない「光」に自分たちはまだ知らないことが沢山あるから、そのベールをとって欲しいといいます。
光は悲しい顔で「まだときがこないから、それはできない」といい、歓びや真の幸福たちは、光と抱擁しながら共に涙をながします。
チルチルにはその涙のわけがわからないし、「光」も説明はしません。

最後に訪れる「未来の国」では青い鳥は見つけられませんでしたが、沢山の未来に生まれようとする子供たちに会います。そこでは全ての未来の子供たちが、自分の運命を自分で決めていることを知ります。
英雄となるべく子、罪を犯すべく子、発明家になる子、あっという間に死んでしまう子。
その中で、「恋人たち」と呼ばれる子がいます。
一緒に生まれることが許されないこの二人は引き離される間際にこういいます。
「しるしを残していって。たった一つでいいから、どうやってあんたをみつけたらいいのか教えて。」
「ぼくはいつだって君を愛しているよ。」
「あたしは一番悲しいものになるでしょう。それであんたは私をわかるはずよ。」

こんな旅を終えて、我が家に帰ってきたチルチルには見るもの全てが美しく見え、幸せに浸ります。
そしてその青い鳥は見つけたその瞬間に手から離れて去っていく。

この物語は「幸福は遠くに探して見つけられるものではなく、すぐ近くの自分の生活の中(心の中)にあるんだよ。」
ということを語っている作品だとよく言われます。それも確かにそうですが、それ以外にももっと深い英知が美しい言葉でいたるところで語られています。

この物語の最後で、自分のかっていたキジバトが青い鳥だったと気付き、隣の病気の女の子にあげるのですが、ただのキジバトだったときは、いくらその女の子にねだられてもチルチルは絶対にあげようとしませんでした。ちっとも大切にしていたわけでもなく、ただ「自分のものだから」という理由なだけで。
でもそれが散々探し回って見つけられなかった青い鳥だと知ったとき、チルチルはいとも簡単に約束どおりにその女の子にあげてしまいます。
そして、その鳥をもらい元気になったその女の子を見たとき、チルチルは一緒に青い鳥を探すために、導き手となってくれた、大好きな「光」とその子がそっくりだということに気が付き、その子に新しい感情が芽生えます。
そんなときに、青い鳥はするりと二人の手をすりぬけて、飛び去ってしまいます。泣いている女の子に、
「いいよ。泣くんじゃないよ。ぼく、またつかまえてあげるからね。」
そしてこういいます。
「どなたかあの鳥を見つけた方は、どうぞぼくたちに返してください。ぼくたち、幸福に暮らすために、いつかきっとあの鳥がいりようになるでしょうから。」
これが物語の最後のセリフです。

この物語の全てを読んで、それぞれの「青い鳥」の意味を考え
て見ることをお薦めします。
この物語は読む人その人によって必要な様々なテーマを見せてくれることでしょう。

(引用:関心空間)


メーテルリンクの蒼い鳥は読んだことがあると思っていましたが、今このように解説されると、かくも複

雑な構成になっているとは思いもよりませんでした。

単なる子供向けの小説ではないんですね。かといって、アラフォーでもアラサーでもない。もちろんアラ

カンでもない。

やはり多感な青少年期の大人と子供たちに読んで欲しいと思います。

小説の読み方はその作者を通して小説を見るのか、純粋に文章を通じて描写された世界を追体験するの

か、方法は様々です。あなたの好きな方法で、また、解釈で読めば良いと思います。作者に、より接近し

たければ、作者のことを調べ、原作を読むことをおすすめします。日本語訳が、すばらしいことを発見で

きるかも知れません。その逆を騒いで、誤訳の本を出版する人もいますが、あまり感心できません。

メーテルリンクの蒼い鳥、改めて読んでみたいと思います。

青い鳥

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メーテルリンクの青い鳥はこの国ではポピュラーだと思いますが、意外と情報は少ないのです。青い鳥の

フランス語版です。この説明は時間をかけて、ということで........



Maurice Maeterlinck


L'oiseau bleu
(Labor, 2006, 189 pages)
Tyltyl et Mytyl sont frère et soeurs, deux enfants issus d'une famille pauvre à la campagne, approchés par la fée Bérylune qui leur demande de ramener l'oiseau bleu, indispensable pour la guérison de sa fille malade. Pour les aider dans leur quête, la fée confie aux enfants un précieux diamant qui permet de voir l'âme des objets, de se promener dans le pays du souvenirs et de l'avenir. Longue quête qui passe par différents mondes, autant d'univers parallèles destinés à apprendre des leçons de vie aux enfants. A la fin, les enfants pensent avoir rêvé, il ne s'est rien passé de ce qu'ils racontent à leurs parents, ils pensent être partis une année entière alors que la maman leur explique qu'ils se sont paisiblement endormis la veille et que le matin vient de se lever. Rêve ou réalité?

Ce n'est sans doute pas là le plus important. Cette pièce de théâtre, difficilement adaptable à cause de son côté surréaliste et métaphorique (le cinéma s'y est essayé mais je suis peu convaincue par le résultat), importe avant tout par le message philosophique qu'elle recèle. Le texte peut se lire comme un joli conte, première lecture primaire qui raconte un joli rêve enfantin et ne va pas plus loin. Cela serait tellement insatisfaisant, même si la tentation du silence peut être grande face à une telle beauté de prose théâtrale. Un peu comme devant un paysage grandiose, les mots sont inutiles.

Le contenu philosophique de "L'Oiseau bleu" est cependant trop grand pour être réduit au mutisme. Cet oiseau tant recherché n'est qu'un leurre, un animal après lequel courent deux enfants naïfs et volontaires et qui, toujours, leur échappera. Il doit soi-disant "révéler le grand secret des choses et du bonheur", il demeure insaisissable et cause de profondes tristesses chez Tyltyl, courageux petit garçon qui affronte tous les dangers avec beaucoup d'espoir. Cet oiseau n'est qu'un prétexte pour faire progresser les enfants (et nous) sur le chemin de la vie. Nous promenant de monde en monde, nous découvrons à chaque fois un nouveau mystère de la vie. Nous apprenons à voir, à écouter, à parler et surtout, à réfléchir au-delà des apparences.

Grâce à leur diamant magique, les enfants explorent les diverses faces du monde, notamment celui de l'âme des choses. Ces objets inanimés pourtant doués d'une âme si chère à Lamartine. Au fil de leurs pérénigrations, on s'aperçoit que ce n'est pas tant l'oiseau bleu qui compte que les vérités qu'il nous permet d'approcher. Ce thème de l'âme du monde est précieux aux yeux de Maeterlinck mais également à ceux d'autres auteurs et philosophes. C'est le principe même de l'animation de l'ensemble de la Création. Chaque objet, chaque création possède une âme, ces âmes jointes les unes aux autres formant un vaste ensemble intelligent et coordonné. La révélation de cette âme permet de constater que les objets et les animaux n'aiment pas ou peu les hommes, car ceux-ci ont oublié le grand principe de hiérarchie solidaire entre les entités au profit d'une hiérachie de domination et de profit. L'animal est tué et mangé, l'objet utilisé sans aucune considération, l'Homme est vil, la perception de l'âme des choses offerte par le diamant permet de s'en rendre compte.

Autre thème qui m'a beaucoup touchée, c'est celui de la mort et du sort des défunts ailleurs et dans nos têtes. En lisant "L'Oiseau bleu", on constate que la mort n'existe pas, si ce n'est dans nos têtes. Il existe une continuité entre le monde des vivants et celui des morts, ces derniers n'étant d'ailleurs des morts qu'aux yeux des vivants! C'est un passage, une étape et le souvenir des morts dans l'esprit des vivants permet à l'autre monde de vivre et de respirer en parfaite harmonie.

"L'Oiseau bleu" est à lire au moins deux fois, à mon avis, pour mieux apprécier les subtilités qui se dégagent du texte et de pousser la réflexion le plus loin possible, nous faisant nous interroger sur nous-mêmes et sur la vie. Histoire de se rendre compte que tout n'est que question de regard et de perception et qu'en changeant, même un brin, notre manière de voir les choses, le monde est différent. Complètement.

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The Sound of Music

誰もが知っている、ドレミの歌をはじめエーデルワイスなど日本で知られる歌の多くがこのミュージカル

映画です。ミュージカルは映画ではない?はい、結構です。

私のブログでは今までで見た映画の中から、楽しく面白くためになる映画を取り上げたいと思います。

その第一弾、この映画は高校1年の時に見た、そしてこの後も、これ程すばらしい映画は無いと思える映

画なのです。映画は時代とともにあり、その時の社会情勢や流行、そして何よりも自分の置かれている立

場によって、好き嫌いが変わるものです。この、ジュリー・アンドリュースの歌と背景とストーリーをあ

なたもきっと..............




ストーリー  ----------------------------

オーストリアのザルツブルク。1938年のナチス党政権下のドイツによるオーストリア(アンシュルス)及び第二次世界大戦の前夜。

オープニング《The Sound of Music》

マリアは修道女見習い。おてんばでまわりの修道女にたしなめられている《Maria「マリア」》。ある日、院長に、トラップ大佐の7人の子供たちの家庭教師をするように勧められ、大佐宅へ向かう《I Have Confidence in Me「自信を持って」》。

トラップ大佐(ゲオルグ)はオーストリア=ハンガリー帝国海軍の退役軍人。数年前に妻を亡くし、以後、子供たちの学習の世話をする家庭教師が居つかなくて困っている。大佐は、子供たちを軍隊的に厳しくしつけているが、子供たちはいたって快活。早速カエルをマリアのポケットにしのばせるいたずらをする。

夕食。席に置かれた松かさの上に知らずに座ったマリア(勿論子供達のしわざ)は悲鳴をあげるが、大佐には「持病のリウマチの発作で」と誤魔化し、子供たちに朗らかに「歓迎の意」のお礼を述べる。

大佐に電報が届き、翌日からウィーンに大佐が出かけることになる。長女リーズルは、電報配達のロルフと密かな恋仲だ。さっそくロルフに会いに行くリーズル。ふたりは互いの愛を確かめ合い、甘やかなひとときを過ごす《Sixteen Going on Seventeen「もうすぐ17才」》。だが、時を忘れて締め出され、部屋に戻れなくなるリーズル。彼女はマリアの部屋の窓からからそっと入ってくる。外は雷鳴が音高く轟き、雷を怖がる弟妹たちも次々にマリアの部屋に集まってきた。雷鳴と電光におびえる子供たちにマリアは、「哀しいときやつらいときは楽しいことを考えましょう」と教える《My Favorite Things「私のお気に入り」》。すっかり打ち解けたマリアと子供達だったが、就寝時間を守らなかったことでトラップ大佐にたしなめられる。

マリアは海軍の制服のような子供たちの衣服をかわいそうに思い、部屋のカーテンで遊び着を作って山に遠足に出かける。子供たちがいたずらや悪さをするのは父であるトラップ大佐の気を引きたいからだと聞かされたマリアは、歌を歌って気を引いてはどうかと提案するが、母を亡くしてから長く家に音楽がなかったため知っている歌はひとつもないと聞き驚く。そこでマリアは子供たちに歌を基礎の基礎、ドレミの階名から教える《Do-Re-Mi「ドレミの歌」》。

数日してマリアと子供たちが川遊びをしているところに、大佐が婚約者のエルザ男爵未亡人と友人マックス・デトワイラーを連れて戻る。奇妙な遊び着を着ていることで大佐は激高するが、マリアは子供達に目を向けて欲しい、寂しさに応えてあげて欲しいと必死で訴える。取りつくしまもなく大佐はマリアに解雇を言い渡すが、子供たちの合唱する声に吸い寄せられ、自らも長い間忘れていた歌を歌う《The Sound of Music》。自分の教育方針は独りよがりだったと大佐は詫び、マリアは引き続き家庭教師としてトラップ邸に留まるよう依頼される。

マリアと子供たちは婚約者とマックスを歓迎する会を開く。その歌のすばらしさと人形劇のおもしろさに大佐は大喜び《Lonely Goatherd「ひとりぼっちの羊飼い」[1]》。マックスは子供たちを合唱団として売り込むことを提案するが大佐は一笑に付す。そこでマリアは大佐に「次はあなたの番」とギターを差し出す。大佐は照れて拒むが、子供たちに押し切られる形でギターを受け取り、昔を懐かしむかのように情感をこめて「Edelweiss「エーデルワイス」」を歌い上げる。

大佐邸で婚約披露のパーティーが開かれる《So Long, Farewell「さようなら、ごきげんよう」》。民族舞踊を踊るマリアと大佐。二人の目が合うと、マリアはそれ以上踊り続けられない。顔を赤くして立ち尽くすマリア。

マックスはマリアがパーティーの食事に出席するよう提案し、大佐も了承する。着替えのために下がったマリアに未亡人が、大佐がマリアに気があるのではないかと伝える。未亡人は大佐とマリアが互いにそれと気付かず惹かれあっていると感じており、2人の仲が進むのを危惧していたのだ。大佐の気持ちを本気にするなと言う未亡人の言葉に、これ以上大佐邸にいられないと思ったマリアは置き手紙をしてそっと修道院に戻る。

突然のマリアとの別れを寂しがる子供たちは修道院にマリアを訪ねるが、会えずに戻ることになる。一方のマリアは修道院長に励まされ、大佐の邸宅に戻ることに《Climb Ev'ry Mountain「すべての山に登れ」》。父親に叱責された子供たちのところに、マリアの歌声が聞こえる《My Favorite Things「私のお気に入り」》。

その晩、バルコニーで結婚を語り合う大佐と婚約者だが、大佐の目は夜の庭をそぞろ歩くマリアの後姿を追っている。大佐はすでに自分の心がマリアに向いていることに気づき、未亡人に婚約解消を告げる。大佐とマリアは、邸宅の庭で互いの愛を告白する《Something Good「何かいいこと」》。

二人は子供たちや修道院の修道女たちに祝福されて結婚式を挙げ《Maria「マリア」》、新婚旅行に出かける。

二人が新婚旅行をする間に、アンシュルスに伴いナチス政権下のドイツ軍がザルツブルクにも進駐している。ある日、いつもの様にリーズルに電報を託したロルフはナチスの突撃隊員になっており、ナチス式敬礼をした上に大佐も任務に就く様忠告する。一方、母国の不穏な雰囲気を察して急いで新婚旅行から戻った大佐の家にはナチス旗が掲げられており、激昂した大佐はその旗を引きずりおろす。リーズルから渡された電報は、有能な軍人であった大佐を欲するドイツ第三帝国海軍からの出頭命令であった。愛国者でありドイツのオーストリア併合に反対する大佐は、ドイツ軍の言うとおりに出頭する気はなく時代の大きな波を感じとり、電報を無視し一家の亡命を決意する。

家族はマックスの計らいで歌のコンクールに出場する予定があったので、この機に乗じて中立国であるスイスへの亡命を計画するが、その晩、トラップ一家が亡命する為に屋敷を出たところでナチスの官吏が待っていた。実は大佐邸の執事(フランツ)が亡命の計画を密告していたのである。ナチスの官吏は一家の外出を禁じ屋敷に連れ戻そうとするが、大佐は歌のコンクールを口実に外出を認めさせる。ナチス突撃隊らの厳重な監視の下、ザルツブルクの祝祭劇場で行われたコンクールで《Do-Re-Mi「ドレミの歌」》と、オーストリアの愛国歌(的表現で)《Edelweiss「エーデルワイス」》、《So Long, Farewell「さようなら、ごきげんよう」》を歌う一家。審査の結果、トラップ一家が優勝するが、その表彰式の隙に家族は逃げ出す。

家族は修道院に逃げ込むが、ナチス突撃隊も修道院を捜索する。その中にロルフがいた。一家が墓場に潜んでいることに気付いたロルフは銃を構えるが、長女と大佐に声をかけられ一瞬躊躇する。同行する様諭す大佐に反発したロルフは上官に通報する。裏口から車で家族は逃走するが、追跡しようとするナチス突撃隊の車はエンジンがかからない。その頃懺悔に来た修道女たちの手にはその車から外された部品が握られていた。

全ての国境へ向かう道が閉鎖されているため、家族は山を越えて逃亡先のスイスへ向かう《Climb Ev'ry Mountain「すべての山に登れ」》。


これらの歌を時間の許す限り、尋ねていきたいと思います。

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