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2015年02月

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知りませんでした。あの有名人の妻が日本人だったことを。


荘則棟(そうそくとう)は中国の卓球選手で3度の世界選手権でチャンピオンになり

ました。前陣速攻、ピンポン外交という言葉はご存知でしょう。
 
中国が大国ではあっても情報を外部に出さない時代に、ピンポン外交で米中の国

交が樹立しました。ついで日中国交樹立へといたった、立役者の一人です。スポー

ツ大臣にまでなったそうです。
 
じつは、その妻が佐々木敦子という日本人だったというのを今日テレの番組で知り

ました。同時に、このピンポン外交の卓球選手が文化大革命で失脚して、党籍まで

剥奪されて不遇の時代を送りました。
イメージ 1

 
佐々木さんは満州生まれ。日本敗戦でも中国に残り、13歳から23歳までを中国で

過ごしています。過酷な文革のなか、日本に帰国。日本では共産圏からの帰国者と

して差別されます。
 
名古屋で卓球の世界選手権開催を知り、島根から名古屋の会場に駆けつけます。

中国は初めて世界選手団を送り、彼女は応援に向かうわけです。その中に荘則棟

選手がいました。選手が新幹線で大阪に移動するのに同乗し、荘則棟に手紙を渡し

ます。かれは、中国語ができるなら日中の架け橋になったら、と話します。これが彼

女の人生の転機となり日本の商社に入り、北京在住員となります。

彼はすでに失脚して地方で卓球を教えていました。二人は会って、親しくなり、結婚

しようとするが、中国政府は彼女を国外追放に。数年後、入国を認められるが、夫

は外国への出国は禁止、彼女は中国籍になること、北京での生活という条件をつけ

られます。

平和な日々が続きます。結婚20周年記念パーティーの翌年、彼はガンに。日中が

尖閣問題でゆれるとき、日本での治療を考えたが、国を捨てるという不名誉を考え、

とどまります。そして彼の逝去。

中国政府は告別式を認めませんでした。抗議。逝去した病院での式を認めたが、一

般人の参加は認められなかった。

彼女は夫の墓を8ヵ月後に作ることを認められ、その後帰国。日本でも分骨を持ち

帰り葬儀を行いました。

中国政府への不信を抱きつつも、本心はついに口を出ることはありませんでした。

その後中国の学友を訪ねる。

日中を母国と考える彼女。日中の政治状況が頭の中を去来しつつ、日中友好を願う。
 
 
 
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