小説「パリは夜露に濡れて」

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(七)姉と弟


 二時十五分きっかりに石川は片手を挙げて笑みを浮かべながら駅のホールに姿を見せた。


「いやあ、わざわざ申し訳ないですね。こんなところにまで足を運んでくれるとは。」


「遊学生ですから時間はいくらでもあるんです。それにルーアンは一度足を運びたかった町ですから。」


「昼は済んでしまったけれど、まだですか。」


「サン・ラザールの近くでとりました。」


 二人はジャンヌ通りを歩いてヴェルレル公園へ入り、ベンチに座った。石川は一泊してパリに戻る予定

だった。時間は十分あるので昼間は町を見物することにした。まず公園の隣にある美術館に向かった。


 料金を払い館内に入ると、暗く静かな内部は十字架を横たえたような構造になっている。ジュリコー

の、ルーブルにあるメディウスの筏の習作などがあった。


 美術館を出て市庁舎の方に歩いた。


「石川さんはルーアンは全く初めてですか。」


「そうです。意外にどこにも行っていないんです。どこを観光するか計画を立てたこともあるのですが、

それも最初のうちだけで、後はパリ市内かRERですぐ行けるところに出かける程度です。」


「それはもったいないですね。日本からみればフランスはやはり絵になる国ですからね。僕がここに住む

としたら、きっと毎日でも駆け回っていると思います。美術館巡りに興味はありませんか。」


「大好きですよ。訪ねたところに美術館さえあれば必ず行きます。ルーブルは別ですが。あそこは特徴が

ありません。大きすぎるんです。マダム・ジョコンダやヴィーナスはあっても全体としては余り面白くな

い。いかにも世界の征服地から奪い取った美術・芸術品の単なる羅列という印象を受けるんです。ミレー

は好きですが、他の作品はあそこで見る限りあまり好きになれません。」


「なかなか厳しい意見ですね。僕は昔から良いといわれてきたものにはだいたい感心する方なのです。た

だ、おっしゃる通り、大美術館というものは展示方法や展示する空間の使い方が不十分な所が多いかも知

れません。ルーブルは特に訪れる人が多すぎるんですよ。だから、ゆっくりと見たくてもできないことが

多いんです。」

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「きっとその人です。私の知り合いなんです。パリにいるのは知っていたんですが、住所が分からなくて

困っていたんです。どうしたら連絡が取れますか。」


「まあ、お知り合いでしたか。それは奇縁でございますねえ。その方が初めて来たのはもう随分前のこと

ですが、最近では三ヶ月くらい前だと思います。初めの頃はあどけなさが残っていましたが、今では立派

な女性になりました。連絡を取るには、アランに聞けば分かるでしょうが、あなたが直接とおっしゃるな

ら、協会の住所と電話番号は分かります。」


「私が協会に電話してみます。本当に今日はおじゃまして良かった。本当に助かりました。」


 黒木は教えてもらった協会の住所と電話番号をメモした。心の中に灯がともったような心持ちだった。

顔の表情が自然と喜びに満ちた顔になっているのが自分でも分かった。


「まあー、うっかりしておりました。何の飲み物も出しませんで。」と言いながら母親は立ち上がろうと

したので彼はそれを止めた。


「いいえ、お構いなく。突然おじゃまして、こちらこそ失礼いたしました。アランさんにはお会いできな

いと思いますので、よろしくお伝えください。」と言いながら立ち上がり、軽く会釈した。母親は彼を無

理に引き留める素振りは見せず、「その方に会えるといいですね。」と言いながら家の前まで出て彼を見

送った。
 


 黒木の足取りは軽かった。なぜそうなるのか分からなかった。


―なぜだろう。喜んでも仕方ないではないか。自分が味わった苦しみをもう忘れたというのか。しかも彼

女が自発的に現れた訳ではないんだ。それに協会の一員であるのと僕がアランに助けられたこととがどう

結びつくのかはっきりしない。麻薬に関係していないとも限らない。しかも、協会の実体は一体何なのだ

ろうか。



 ホテルに戻ると伝言があり、石川が二時半にホテルに来るという。彼は腕時計を見た。十二時半だっ

た。昼食をとってから駅へ迎えに行くことにした。


―残すところ3日しかないが、どうすればいいだろうか。帰国を遅らせるしかないかな。しかし、パリコ

ミューンの壁の写真は失ったが、他の撮影したフィルムを出版社に届けるにはそれほど遅らせるわけには

いかない。しかも真理子の件はここまで分かってきたから最後まではっきりさせなくては。だが、協会に

直接問い合わせるのはまずいな。結局は会えないことにもなりかねない。ここは思案のしどころだ。

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 黒木は向井が教えてくれたアランの実家を尋ねることにした。そこはホテルから駅を越えたルーアン中

央区に接したボワ・ギョウム地区にあった。ちょっとした丘といえるフォルタン山の麓のひっそりとした

街だった。彼は歩きながらどう切り出したらよいかを思案していた。全く面識のない外国人が突然行って

も会えるかどうか自信がなかった。家の前に着いたときには未だどう説明するか決めてはいなかったが、

当たって砕けろと言う気持ちでベルを押した。



 何の応答もなかった。再び押した。今度は木の扉がギーッと軋みながら開いた。老婆が立っていた。

「ボンジュール、マダム。私は黒木ともうします。実はアランさんのことでお話がしたいと思いまして、

突然おじゃましました。このたびはとんだ災難に遭われまして、大変でしたでしょう。」

「協会の方ですか。よくまあ、遠いところをいらっしゃいました。どうぞお入りください。」

 黒木は母親の応対にひとまず安心した。

「いいえ、私は彼に助けていただいた者です。」と言って、彼は事情をざっと説明し、お礼を述べた。

「まあ、そうでしたか。それはそれは。とにかく中にお入りなさい。」と彼女は黒木を家に招き入れた。

室内は小綺麗に片づいていた。部屋中に鉢植えが置かれ、花が咲いて心地よい香りに包まれていた。黒木

は母親に丁重にお礼を述べ、墓地でのいきさつについて話した。


「...というわけで、本当にご子息には直接お会いできず残念ですが、お母さんにお目にかかれて気が

休まりました。」

「災難はどこで待ち受けているか分かりませんですものね。アランも人を助けてのことですから後悔はし

ていないでしょう。病院の話では意識も容態も安定しているとのことですから私もほっとしています。本

当は私も病院に行きたいんですが、足が悪くてねえ。」と母親は自分の足を見つめながら言った。

「そうですか。安心しました。私はあと数日で国に戻る予定ですが、こうしてお母さんにお会いしてお礼

の気持ちを伝えることができ、心の荷が下ろせました。病院にはどなたかいらっしゃるのですか。」

「ええ、協会の方が。協会というのは、アランがその会員なんですが、その協会員の方が手伝いに来てく

れているのです。」

「それは助かりますね。協会というと何か活動をなさっているのですか。」

「私はカトリックですからよくは知りませんが社会奉仕活動をしているみたいです。皆さんがとても親切

なんです。そうそう、フランス人ばかりでなく、パリへやってきた世界中の人たちがたくさんいる、とア

ランは言っていました。あなたはどこの国から来たのですか。中国かしら、それともベトナム。」

「いいえ、日本人です。」

「そうですか。日本の方ならここにもいらしたことがありますよ。」


 黒木はその言葉にはっとした。

「その日本人は女性でしたか。」と彼はつとめて冷静を装って尋ねた。

「そうです。大変優しい方でした。」

「何という名前の人でしたか。ひょっとしたら知り合いかも知れません。」

 彼女はしばらく首をかしげた後、「たしか...マリコさんと言ってた様に思います。ほっそりして、

長い黒髪をしてました。」と言った。


 黒木の目がキラッと光った。

注:写真はルーアン駅

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 翌日九時、まず向井から電話があった。アラン・リオンの実家の住所が分かったという。黒木はその住

所をメモしながら、何か変わった事はないか尋ねた。向井は「特にない。」と言ったあと、伝言を伝え

た。石川が黒木を見舞いにルーアンに行きたい、ということだった。彼は苦笑しながらも「待っていると

伝えてくれ。」と頼んだ。


 次いで弁護士に電話した。今度はすぐに電話に出た。簡単な挨拶を交わしたあと、用件を話した。返事

はノンだった。写真の人物はすべて調べがついているとのことで、ヴァンサン墓地で目撃されたような人

物は写っていないだろうと結論した。黒木は真理子のことも尋ねた。しかし、彼は知らなかった。


 電話を切ったあと、彼はしばらく横になって事件の顛末を順を追って追って考えた。弁護士の話から真

理子が事件に関係していない様子なのでひとまず安心した。

―まず、『マリコ』の男はヴァンサン墓地で撃った男に間違いないだろう。はっきりはしないが、時間と

ともにそう思えてきた。そして、ギャラクシアの男はまた別の男だ。教会の男もまた別人だッた。そして

撃たれた男、アラン・リオンは喫茶店で顔見知りというだけの関係だ。コミューンの壁とは結びつかな

い、と弁護士は言うが。ギャラクシアの男もアラン・リオンも関係していないはずはない。教会の男だけ

が単なる物盗りだったということか。では『マリコ』の男は何を狙ったのか。フィルム以外には考えられ

ない。しかしその男は写真には写ってはいなかった。組織の一員か雇われた殺し屋か。新聞にあの写真が

流れたのは僕の仕業だと考えるだろう。でも、あの世界の人間にしては確かに『マリコ』の男の手口は幼

稚だったと云えなくもない。では写真館ギャラクシアの男は一体何者だろうか。僕のフィルムを知ってい

るのだから何らかの関係はあるはずだ。組織の別の男なのか。そうとしか考えられんな。アランは何者だ

ろうか。宗教団体とは云うがどんなものなのか。なぜ彼が一度会っただけの僕の後を追って助けなければ

ならないんだ。全くわからんな。

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 電話の後、黒木は夕食ついでに散歩をしようと外に出た。大時計通りはかなりの人で賑わっていた。大

時計に向かって歩いた。ポケットに入れてきた絵はがきを見ると69年に修復されたとあった。彼はそれ

と似たような大時計をブリュッセルのミディ駅から博物館に向かう途中で見たことがあるように思った。

大時計のアーチをくぐり、しばらく行くと旧市場跡広場だった。その外れにジャンヌの処刑台跡があっ

た。ジャンヌ・ダルク博物館もあったが土産物屋の上にあるので少し興ざめだった。広場から少し行くと

悲劇作家のコルネイユ文学館があり、その脇のレストラン、クローヌ(王冠)に入った。ノルマンディの

料理を知らないので店の人に尋ねると、トリプ・ド・カーンという臓物料理が旨い、というので注文し

た。酒はカルヴァドスというリンゴの蒸留酒を選んだ。常々カマンベール・チーズを食べながらそれを飲

むのが好きだった。


 食事が済むと大分気分が落ち着いた。仲間からは昼間も気を付けるよう言われたこともあり警戒しては

いたが、酒が入ったのでそれも忘れがちだった。店を出て路地裏を歩いた。ルーアンは中世の街だった。

ゴチックの名建築が多く、ゴチックの街ともいわれた。民家もノルマンディー風の木骨が白壁に浮き出た

スタイルがたくさんあり、日本の木造建築と似ているので見ていて心が和んだ。


 あてどもなく歩きながら建物や通りを行く人を眺めているうちに大きな川に出た。ラ・セーヌ(セーヌ

河)だ。パリでは川幅を狭めて窮屈そうだったがここでは伸び伸びとしていた。橋を真ん中辺りまで歩い

た。そこで立ち止まり振り返ってみると、照らし出されたノートル・ダム寺院の三つの塔が見えた。車が

走ってはいたが彼にはとても静かな時間が流れていた。薄明かりの中で欄干に寄りかかりながら川面を窺

った。流れはゆっくりとしていた。


―この流れはやがて最後の橋タンカルヴィルをくぐりルアーヴルとドーヴィルの間の英仏海峡に注ぐ。流

れは更にゆったりとしていくだろう。ヴァイキングやゲルマン人はきっとここを遡ったんだろう。そして

はるか遠い昔のパリ、リュテチアにまで向かった。そのころはどんな様子だったのだろうか。パリにして

もルーアンにしてもだ。


 『たゆとえども沈まず』、か。ここをずーっと行けば沈むことのないパリがある。そして、真理子もそ

のどこかに棲んでいるのかも知れない。


 流れゆく黒い川面を見つめていると時の流れに目眩がするようだった。

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