小説「パリは夜露に濡れて」

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 黒木は次いでギャラクシアに電話した。ビュトールが電話に出た。マダムは彼の田舎に行っているとい

う。黒木はどうしても連絡を取りたい旨を伝え、田舎の電話番号を教えてもらった。その番号をダイヤル

するとビュトールの母親が出た。なにやら口論するような声が聞こえたがしばらくしてマダム・ビュトー

ルが電話口に出た。


「黒木ですが、お休みのところまで電話をして申し訳ありません。実はどうしてもお尋ねしたい事があり

まして。」と、彼は用件を切り出した。


「あの時の男でしょうか。髪は黒かったけれど確かストレートでしたね。背はそれほど高くはありません

でした。」


「そうですか。新聞に書かれたのとは違う男の様ですね。」


「あのー、前から不審に思っているのですが、何かあるんですか、あのフィルムには。」


「はあ、実は昨日ですが、拳銃で撃たれましてね。」


「撃たれたって、どなたがですか。」


「僕なんです。サン・ヴァンサン墓地での拳銃事件をご存じですか。それに出くわしたんです。」


「まあ、」と大きな驚きの声を上げた。「それで、何ともなかったんですか。」


「ええ、実は助けられましてね。代わりに重傷を負った人がいるのです。それで、どうもその撃った男は


例のフィルムに写っているとしか思えないんですよ。そして、恐らく麻薬組織か何かのメンバーかも知れ

ません。」


「それは大変なことでしたね。」と言ったまま、マダム・ビュトールは沈黙した。


「どうも有り難うございました。」


「いいえ、お役に立ちませんで。失礼します。」


 


 受話器を置いた後、黒木は考えた。


―フィルムを取りに来た男が撃った男と違うなら、組織の他の者がギャラクシアに現れたのだろうか。そ

うだ、顔を知られぬためには人に頼むこともできるんだから。となると、弁護士に話しても無駄かな。待

てよ、撃った男がフィルムに写っているかどうかは調べてもらえるだろう。一応は聞いてみるとするか。




 彼は電話帳をめくって弁護士に電話した。弁護士はつかまらなかったが、事務所の人に用件とホテルの

電話番号を伝えた。

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 目が覚めるとすでに夕方だった。彼は部屋から向井に電話を入れた。ルーアンの様子を話し、次いでホ

テルとその電話番号を教えた。


「ところで、新聞には何か出ていたかい。」

「ああ、読み落とすくらい小さいが、読んでみるぞ。昨日午後5時頃、18区のサン・ヴアンサン墓地で

男が銃で撃たれて重傷。男はアラン・リオンさん(28歳)でルーアン出身。警察によるとリオンさんが

同墓地を散歩中に何者かに拳銃で三発撃たれ、うち、一発が胸に当たった。撃った男は現場から逃走した

が、墓地管理人の話では、男は強いウエーブのかかった黒髪で慎重は180センチ位、三十才前後。黒い

革のジャンバーとブルーのジーンズ姿だったという。警察のこれまでの調べでは、リオンさんはパリを本

部におく宗教団体に属しており、他の団体とのトラブルが原因ではないかとみて捜査を続けている。これ

だけだ。君のことは全く出ていない。」


「そうだな。しかし、あの人物がルーアン出身とは何か因縁めいたものを感じるな。それに撃った男の方

だが、今ふと思い出したんだ。『京都』でのことだ。あの時、ライターの光に照らし出された男に似てい

るような気がするんだ。僕も少し酔っていたし、その後の記憶がないので確信はできないけれど、服装も

黒の革ジャンだったように記憶している。しかもデュボアとギャラクシアで名のった男と同じかも知れな

い、背丈が違うようだが。」


「ギャラクシアのマダムは男をよく見ているはずだな。」


「そういうことになるな。そしてその男がコミューン戦士の壁と関係あるなら、例のフィルムに写ってい

るかもしれない」


「墓のカットのポジは没収されたんだな。」


「警察にあるはずだ。オリジナルを新聞社に渡すことはないだろう。」


「記録することにかけては執念を持っているお国だから、預かった物はちゃんと保管されているよ。問題

はその男がだ、今考えているストーリイの役者なら是非とも警察の力を借りる必要があるだろうというこ

とだ。再び君を狙わないという保証は少しも無いんだから。」


「あのフィルムに撮られていたなら、警察が何も手を打っていないとは考えられないがね。仮に逃げてい

るとしたら、サン・ヴァンサン墓地で拳銃を抜くようなまねはしないだろう。高飛びとはいわないまでも

パリからは遠ざかっていると思うよ。」


「殺し屋なんてことも考えられるぜ。全く否定はできまい。」


「これ以上首を突っ込まない方がいいな。ますます心配になってきた。」


「ここまで来たらこちらの意向は関係ないと思う。例の男はやはり君を狙い続けていると考えるのが妥当

だろう。それならこちらは積極的に警察の力に頼るしかない。」


「そうだな、それなら警察で世話になった弁護士に相談してみようか。金にはならないので冷たくあしら

われるかも知れないが。」


「まずはギャラクシアのマダムに確かめたらどうだ。証言は多い方がいい。」


「分かった。それにだな、ルーアンの男だがこちらに親とか親類縁者は居るのか調べられるか。何か手が

かりがあるかも知れない。それに僕の代わりに撃たれたんだ、何もしないのでは気が済まない。」


「オーケー、マスコミの友人に調べてもらうよ。分かり次第連絡する。アーと、それからマーさん、千田

や石川も気遣っていた。それと宿屋のルネさんには話をつけといた。アンヌさんも心配していたよ。ルー

アンなら大丈夫だろうが、それでも十分気をつけて行動しろよ。では、また。」

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 トンネルの暗闇を抜けると、明るい陽光に照らされたルーアンの街が現れた。古い家並みを突き抜ける

ように教会の建物があちこちに見えた。電車はゆっくりと速度を落としながらルーアンのリヴ・ゴーシュ

(左岸)駅に着いた。彼はプラットホームに下りると思い切り背伸びした。心は晴れやかだった。パリは

憂鬱な都会の一つに過ぎなかったのではないか、とさえ思えた。小さなバッグ一つだけの軽装がいっそう

心を軽やかにした。


 階段を上がり待合室に出た。酔った浮浪者が二人、ベンチに腰掛け議論している。彼はキオスクで絵は

がきを選んだ。街の旧所名跡は必ず絵はがきになっていた。気に入ったいくつかを買い求め、街へ出た。

駅前の小さなロータリーではタクシーが数台、客を待っていた。すぐ近くにPTT(郵便電話局)が見え

たので街の地図があるかも知れないと考えて中に入っていった。壁を見回すと切手のサンプルを並べた大

きな額の隣にルーアン中心街の地図があった。購入した絵はがきの絵柄の場所を捜して頭の中におおよそ

の場所を記憶した。


 再び外へ出て駅前通りをまっすぐ歩いた。通りの表示にはジャンヌ・ダルク通りとあった。最初の交差

点を越え、すぐ左に折れ、ちょっと歩くと絵はがきそのままの円柱に屋根を乗せたサイロのような建物が

現れた。ジャンヌ・ダルク塔だった。英国に囚われの身となったジャンヌが1430年、そこに幽閉され

たという。狭い階段を上ると、彼女に関する資料を展示した部屋に出た。それを見た黒木はさらに上り、

最上階まで行った。しかし、そこからはルーアンの街全体を見ることはできなかった。最上階から下りる

途中、10センチ四方くらいの淡いカラフルなガラス窓を通してカテドラルの尖塔が遙かにぼんやりと歪

んで見えた。再びジャンヌ・ダルク通りに出た。


―こんな時に観光するのは僕もやはりヴァカンスを知らない国の人間なんだなあ。しかし、何もしないで

ボーっとしていてはそれこそ時間の無駄だ。これから少しの間をどう過ごそうか。


 しばらく歩き、大時計通りへと出た。100メートルほど先の通りの上に金色の時計が見えたのでそち

らに向かった。途中、脇道にホテルのサインが目に入った。近づいて料金表を見ると以外と安いのでそこ

に宿をとることにした。宿が決まると急に疲れを感じた。部屋に入り、そのままゴロッとベッドに横に

なった。

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(六)ルーアン


 ルーアンへの電車内で黒木はいつものようにぼんやりと窓外を流れゆく景色を眺めていた。広い畑が続

き、かわいらしい比較的小さな建物が点々と見えては遠ざかっていった。彼はようやく落ち着いて自分の

時間を持てることに気付いていた。奇妙な事件に出会い、しかも絹子の突然の出現で混乱していたがパリ

を離れることで少しは整理できそうに思えるのだった。


―彼女のことを両親に連絡するのを忘れていたな。でも、余り気乗りしないのはなぜだろう。


 パリからの手紙を僕が受け取り、それを伝えたとき、「なんてことを。」と言って怒りの表情を見せて

いた。でも、本当は悲しかったに決まっている、僕以上に悲しかっただろう。だからこそパリにいたこと

を知れば喜ぶに違いない。しかし、年老いた二人に新たな苦しみが始まるだろう。探しだそうとするかも

知れない。でも、見つかってどうなるというのか。親は「帰国しろ。」、と言うだろう。形式的には簡単

なことだ。しかし、彼女には彼女の考えがある。それをどうできようか。しかもそれに過ぎ去った年月を

どう埋めようというのか。彼女のいなかった思い出の襞を今更新しく入れ替えることはできない。


―そうした思いがあるからだろうか。なぜか自分は積極的に彼女を捜そうとできない。それとも何かほか

にもあるのだろうか。


 黒木はその結論を出さず、別のことを考えた。


―君はなぜ消えたのか。


 彼は自分の心の中を確認してしまう前に決して結論の出そうもない疑問で時間を稼ごうとしていた。


―プルクワ(なぜ)。


 しかし、実際問題として、その答えは絹子自身しか知らなかった。

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 お決まりのアルコールが待っていた。元々酒に強いわけではなく、新聞社の人間としては珍しがられた

ものだった。それが俄然アルコールに手を着け始めたのだから始末が悪かった。飲めないのを無理して飲

むので、しばしば赤の他人の世話になった。だが、やがて酒が弱かった男が並以上の酒飲みに変身してい

た。彼を知る者は驚き、その生活を危惧した。案の定、やがて彼は体を悪くして、ついにはアルコールを

一切禁止される羽目になった。再び、より深い孤独との闘いが始まった。


 黒木の精神が取り分けても強いなどどはいえない。ごく普通の、写真好きのサラリーマンだった。その

彼が自分にとって余りにも重すぎる孤独を乗り越えることができたのは、やはり時の経過だったのだろう

か。いや、それは当たっていない。なぜなら、彼は愛に代わるものとして憎しみを持ったのである。それ

は自分としても怖い選択だった。彼の場合も愛と憎しみがいかに隣り合わせにあるものかを改めて明かに

してくれた。憎しみが孤独を救ってくれたのだ。怖い選択と云うよりは悲しい選択という方が当たってい

た。もっとも黒木はそれを愛の表現の一種と考えることで決定的な心の中の闘いを回避していた。なぜな

らば心の片隅では再び絹子に会うこと待ちわびていたから。


 絹子は消えた。しかし、憎しみの中で彼女のイメージを打ち消そうとするのは元々不可能だったのだ。

大きな憎しみはとどのつまり、大きな愛情の裏返しだった。


 それでも、苦い思い出が徐々にではあれ薄れゆくのはやはり時の流れのなす技であろうか。時は漫然と

流れるのではなく、食べ、就寝し、労働し、休息することの繰り返しの中で古いものが記憶の堆積の下で

化石化していくのだ。ある日突然、過去の記憶が蘇るとしたら、それは埋もれていた化石を発掘した時の

喜びに近いものだろう。


 その後も彼は仕事でヨーロッパに幾度か出掛け、パリに寄るたびに絹子を思いだした。そして、その回

数が増すにつれて彼女への記憶は薄れていった、と思っていたのだが。


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